彼が魔王になった理由
――お前は知らないよな? どうして俺が、魔王になったのか。
魔王になる前の俺は、しがない一兵卒だった。
特に強いわけでもない、精々障壁張るのが妙に得意だっただけ。
新人の頃に配備された国境付近の街が、人族の大軍に攻め込まれた時も、仲間がバタバタ死んでいく中、1人生き残ってしまった。
子供を抱えた母親や、裸に剥かれた女、まだ大して体も膨らんでない少女が、人族の兵士に追いかけられていても、もう手足一つ動かせない。
手近な、母子を追いかけていた兵士に小さな火球をぶつけてやったが、こんなものは気休めだ。
虐殺も、略奪も、凌辱も、そこら中で行われている。
髪を少し焦がしてやったそいつは、上手いこと俺に血走った目を向けてきたが、逃した母子はもう、別の兵士に追われていた。
怒り狂った兵士が、剣を振り上げ俺の方に走ってくる。
俺は無力感を噛み締めながら、死に抗うことをやめた。
そのときだった。
――彼女が、現れたのは。
「あぶろべっっ!!?」
赤いフワフワの髪をツインテールに纏めた、こんな地獄には似合わない、可愛らしい顔をした人族の少女。
彼女は短いスカートが捲れ上がるのも構わず、俺に向かってきた兵士を蹴り飛ばした。
空中で5~6回転して、地面に叩きつけられる兵士。
その兵士を尻目に、少女は少し赤くなった顔を俺に向けた。
「……見ましたか……?」
「……クマさんだった」
「後でオハナシがあります」
これが、彼女は覚えてすらいないだろう、俺と勇者アストライアの出会いだった。
◆◆
「お待たせしました死にたくなったらさっき見たクマさんは忘れろオーケー?」
「オーケー」
味方のはずの兵士を10秒で全滅させたアストライアは、俺の方に駆け寄るなりそう言った。
俺は自殺志願者ではなかったので、即答。
彼女は満足そうに、俺に回復の魔法をかけ始めた。
「いいのか……俺の手当なんかしてて……」
この時点では、俺はまだ彼女が勇者だとは知らなかったが、少なくとも人族側の存在なのはわかる。
なのに味方はボコして、俺には回復魔法。普通、逆だ。
「貴方を最初に治すのは、生きてる人で一番重症で、素直に治療を受けてくれそうだったからです。
私、見ての通りガラスハートなんで、助けようとした相手に『来るな! バケモノ!』とか言われたら、泣いちゃうんですよ」
「いや、そうじゃなくて……」
「『敵なのに何で?』ってことなら、気休めです。主に私の心に対しての。『魔族が攻め込んできたから助けてくれ』って言われて来てみれば、攻め込んでるのはこっちで、魔族の街は地獄絵座。
善良で超繊細な女の子の私としては、罪悪感半端ないんです。わかったら、私の気が米粒程度でも楽になるために、大人しく治されろ」
彼女が語った理由は、至極当たり前ものだった。
普通の感性から生まれた、普通の理由。
ただ、彼女はそれを戦場に持ち込んでしまった。
普通が通じず、悪意と害意と敵意が常識の、人と魔の戦場に。
俺にはそれが、とても危うく、歪で、哀しいものに思えた。
俺を治し終えた彼女は、別の負傷者の元へ向かう。
彼女を見る周囲の目は、怒り、憎しみ、そして大半が恐怖。
動けるものは罵声を残して逃げ出し、動けないものは、悍ましい化け物を見るような目で治療を受ける。
そんなことされたら泣いてしまう、といった彼女は、その間、ずっと笑顔だった。
最後の負傷者を治し終えた彼女は、間抜けな顔で彼女を見ていた俺に手を振って、人族の国の方に戻っていった。
圧倒的な力を持つ少女の背中。
俺にはそれが、とても寂しそうに見えた。
――彼女が勇者だと知ったのは、それからすぐ後のことだった。
◆◆
彼女が勇者だと知った日から、俺は彼女のことが、頭から離れなくなってしまった。
もう一度会いたい。会って、彼女と話をしたい。
普通じゃない自覚はあった。
何せ彼女は勇者。我々魔族の天敵だ。
きっと、もう何人も同胞を殺しているはずだし、出会い方が悪ければ、その犠牲者には俺が含まれてかもしれない。
実際、最初から彼女が勇者だと知っていたら、俺はあの日、彼女に憎しみの感情をぶつけていただろう。
だが、知らなかった。
知らなかったから、見えてしまった。
あの日、彼女が優しげな笑顔の裏で、必死に涙を堪えていたのを。
同胞が働いた非道に、どうしようもなく心を抉られていたのを。
勇者アストライアの、普通の少女としての哀しみを。
知ってしまったらもう、俺は彼女を勇者として憎むことはできない。
寂しげな背中が頭から離れない。
悲しげな笑顔が頭から離れない。
俺が普通の受け答えをしたとき、一瞬嬉しそうな顔をして、すぐに引き締めたあの表情が、頭から離れない。
俺は、彼女に恋をしたんだ。
彼女への想いに気付いてから、俺はとにかく自分を鍛え始めた。
俺は彼女と、1対1で向き合いたいんだ。
一兵卒では叶わない。せめて、四天王にでもならなければ。
魔法では、障壁以外は人並み以下の俺だが、体は頑丈で、腕力も強い。
俺は筋肉を鍛えることにした。
どっかの偉い先生も、『鍛え抜かれた筋肉は全てを解決する』って言っていた。
普通の筋トレと並行して、魔力を体内に流して負荷を与える危険なトレーニングにも手を出した。
格闘術も、手を出せそうなものは全部。でかい魔獣相手に力比べを挑んで、その度に死にそうになった。
怪しげな呪法や秘薬も、いけると踏んだものは全部手を出した。
危ない橋を渡った甲斐があったのか、もしくは俺が生来の脳筋だったのか。
2年後には、俺は次期四天王候補筆頭、『竜腕』のゼクトと呼ばれるようになった。
成果は上々。
アストライアも、ついに国境を超えて魔王国内で活動を始めたらしい。
再会の日は近い。
だが、浮かれる俺の耳に、雷が落ちるような話が舞い込んだ。
人族の王国が、聖神機ガルガンドの起動を始めたというのだ。
ガルガンドは、古の文明が遺した最強の兵器。
勇者の命を燃料に、魔族を滅する災厄だ。
そんなものが使われれば、どれだけの犠牲が出るかわからない。
何より、彼女は命を吸い尽くされて死んでしまう。
目標が変わった。四天王から、聖神機の破壊に。
俺は、話を聞いた足で、魔王に戦いを挑んだ。
聖神機の破壊には、魔王にだけ受け継がれる、数々の禁呪が必要になると考えたからだ。
最初は当たり前のように魔王が優勢。だが、俺はとにかく避けて、耐えた。
結局、戦いは6日間に渡る常軌を逸した長丁場となり、最後は魔王の気力、体力、魔力が尽きて、俺の竜腕が奴の意識を刈り取った。
やっぱり、筋肉を鍛えて正解だった。
魔王の座に着いた俺がやるべきことは、2つ。
1つ。禁書庫から、対聖神機用の禁呪を探し出す。
2つ。俺のアストライアへの愛を、城の皆に理解してもらう。
禁書庫の探索は順調だった。
魔王城にも、聖神機の話は入ってきている。
魔王である俺が、ハイリスクな禁呪に手を出してでも、聖神機を破壊すると言えば、皆、力を惜しまず協力してくれた。
禁書庫を漁って2週間、意外に早く、それは見つかった。
寿命を贄に、肉体を強める秘術。
なんとも俺向きな術じゃないか。
寿命が縮むのも構わない。
それで聖神機を倒せるなら安いものだし、何より、彼女と同じ時を生きるには、俺達魔族の寿命はあまりにも長すぎる。
俺は残りの命の大半を捧げ、古竜すら片手で屠るほどの力を手に入れた。
対して、アストライアの件は中々に難航した。
魔王が『勇者と結婚したい』とか言い出したら、そりゃ簡単には受け入れられないだろう。
だが、彼女が極力こちらに被害を出さないようにしていたことが幸いして、理解を示す者は日に日に増えていった。
そして、俺とアストライアが出会ってから3年。
とうとう、彼女が魔王城にやってきた。
舞い上がったね。
もうすぐ彼女に会える。最初はなんて声かけようか。
アスティ……と呼ぶのは少し待とう。さすがに馴れ馴れしい。
向こうは俺のこと覚えてないだろうし。
そうだな……魔王は世界の半分と引き換えに、勇者を部下に誘うという。
じゃあ俺は、世界全部と引き換えに求婚してみようか。
うん、それがいい、それで行こう。
ほら、扉が開いたぞ。
緊張してどもるなよ、俺。
「よく来たな、勇者よ。待っていたぞ。早速だが――」
――勇者よ、我が妻となれ。さすれば世界の全てをやろう。
そして今、アスティは、聖神機の中に押し込められて、俺の前に立っている。
俺の身長の5倍はあるであろう、どデカい鉄の塊。
目を覆わんばかりのクソダサコーデだ。
こんな物を着せた奴には、本当に腹が立つ。
俺はアスティの、ミニスカートから伸びる弾けるような太股と、たまに見えちゃう可愛らしいプリントパンツが大好きなのに。
こんな物に囚われていても、アスティは自我を保っていた。
聖神機の破壊行動を必死に抑えつけて、逃げ遅れた者に避難を呼びかけて、俺にまで『逃げろ』と言ってきた。
冗談じゃない。
冗談じゃないぞアスティ。
お前は本当に、男心がわからない女だな。
俺がお前と会ってからの3年間、どんな気持ちで過ごしてきたか、お前は知らないだろう?
今、俺が、ここから逃げるなんて、絶対に有り得ないんだ。
いいか、アスティ。
待ってろ、アスティ。
「その女を離しやがれ、ガラクタ野郎……!」
お前を『そこ』から引き摺り出すために――
「そいつは……俺の花嫁だっっ!!」
――俺は魔王になったんだっっっ!!!
俺は聖神機の胴体を、力任せに縦に裂いた。
◆◆
天井が見えます。
フライングアストライアです。
はー、魔王の間の天井って、こうなってるんですね。
真ん中に描かれている絵画は、かの有名なシューリンプ・テンピューラの初期のタッチに近いです。
ごめんなさい適当です。海老天食べたかったんです。
私今、聖神機がぶっ壊れて落下中なんですけど、なんか精神の時間が極限まで引き伸ばされてるみたいで……ぶっちゃけ暇なんです。
見る物も天井しかないし。
そういえば私、魔王城の天井見るのって初めてです。
もう99回もここでぶっ倒れてるんですけど、仰向けでいったことはなかったですからね。
ああゆう倒れ方って、体の中心線のお腹から上に、いぃ~~のを貰わないとならないんですけど、魔王、私のこと殴りませんし。
いやー、よかったです。
なんせ、伝説の聖神機を腕力で解体する男ですから。
か弱い乙女の私が食らったら、1発でミンチでした。
でもそっか、今私仰向けか。
てことは、初めてきちゃうかもですね。
何がって、姫抱っこです。
女子の憧れ。イケメンにやられたらヤバいやつ。
私、魔王城で倒れる度に魔王に支えてもらってるんですけど、性格上の問題か毎回前のめりにいってまして、すると魔王も前からガッとくるんですよ。
あの顔、あの筋肉でガッとこられるのも悪くないんですけど、やっぱり新しい感覚も欲しいじゃないですか。
というわけで、私今、ちょっとワクワクしてます。
だいぶ体も落下してますし、そろそろきますよ。
きますよ!
ほいきたぁっ!
「おっふ」
今のなし! もう一回!
もっと乙女ちっくな声出すからやりなおして――
「アスティ」
あ――はい、ダメ、ズル、反則です、ブブー。
そんな嬉しそうな顔で、嬉しそうな声で、ガッチリ包み込んで……こんなの卑怯です。
「これ、何回目だか覚えてるか?」
「100回目です。正解者に景品はありますか?」
「クソ高いダイヤの指輪でいいか? 左手薬指にピッタリのやつ」
こんなの、無理ですよ。返事一択じゃないですか。
後で絶対、無効だって駄々捏ねてやります。
「アスティ……愛してる。俺と、家族になろう」
「……はいっ」
まぁでも、頑張ってくれたんで、唇くらいは許してあげますよ――
――ゼクト。
◆◆
その後、アストライアは本当に駄々を捏ねて、この返事を無効にした。
魔王ゼクトは改めて、魔王城近くの星の見える丘で再度プロポーズ。
アストライアは熟考の末に首を縦に降り、101回目にして今度こそ、2人は結ばれることとなった。
「長生きして下さいね、ゼクト」
「実は削りに削って、あと150年ってとこなんだ」
「……私の健康に異常なほど気を使わないと、70年くらいボッチしますよ」
「マジでっ!?」