下水道管の上にあるミカン
「……それだと一致するの、カンだけじゃん。駄目じゃね?」
友人にあっさり否定された。「あるミ」があることも大事なのだという。まぁ、確かに。
「……だし、それだったら水道管でもガス管でも血管でもドラム缶でもオカンでも、何でもアリだろ」
正論を言われた。
俺に反論の余地は無さそうだ。
だが、何でもアリなら、じゃあやっぱり下水道管でいいじゃん、と思うのはただの屁理屈だろうか?
オカンの上にミカンを置いたら、オカンは歩きにくいだろうし、こたつに入ってワイドショーを見ながら手に取って早々に食べてしまうだろう。
無意識に触れた耳たぶが冷たい。
持ち物を極力増やしたくないとの思いから、手袋もマフラーも耳当ても使用していないが、どれか1つだけ無人島に持って行くとしたら何を選ぶべきかと考える。
「あ、そういえば、妹が昨日生まれた」
友人の家の一大事。小さな守るべき生命の誕生。
管とかもう、本当に何でもいいじゃん。
「覚……お前、俺と仲良くパピコ半分こして食べている場合か?」
友人から焦りとか興奮のようなものを一切感じなくて、逆に俺が焦る。
「ん、まだ産院から帰ってこないから。どうせ戻って来んの1ヶ月後とかだし」
友人の母親は島根県出身で実家に里帰り中だという。山陰の産院で出産。駄洒落成立。
「……はぁ、どぉすっかなぁ……。義母さんと妹が帰ってきたら、俺、完全に邪魔者じゃね?」
難しい、悩み多き再婚家庭。
俺にはその苦労は分からない。
「すまん、友人。頼りにならない友でゴメン」
「え? ああ、いいよいいよ。善くんには何一つ、始めから期待とかそんなの全然無いから。長い付き合いだし、分かってるから」
うん、腐れ縁。俺も分かっている。
なぜ縁は腐っても切れないのだろうか?
鎖でも経年劣化で腐食くらいするだろうに。耐用年数がやたら長いに違いない。
鯛が腐っても鯛なのは勿体無い精神の為せる業だと思う。
「……でもさ、腐れ縁って凄いよな。2人ともが似たり寄ったりの頭の出来で、高校までおんなじってさ、やっぱ、縁があるんだよな、俺ら」
俺の言葉に、一瞬目を大きく見開いたあと、呆れたような、少し残念な子を見るような目をして、はっ、と友人が鼻で笑った。
「善くんって本っ当にお目出度い頭してるよな。同じ高校選んだ時点で、確信犯だから」
「……ん?……は? え? ……そうなの?」
「うん、そうなの。確信犯だから、俺」
友人は確信犯らしい。
たまたま偶然に発生した、まぐれ的な縁ではないのだと、友人はあっさり自供した。
「そっか、俺だけじゃなかったのか……」
芋づる式。自首すれば減刑が認められるかもしれない。
「へ? 善くんも犯人なの?」
「うん、そうだよ。俺ら、共犯者なのかな?」
「そうだな、共犯。相思相愛のな」
それは違う! 誤解されたら彼女が出来なくなるから!
だが、今、現時点で彼女が欲しいか、と訊かれたら、ちょっと違う。
欲しいのは欲しい、猛烈に欲しい。
男女のあれやこれやには年相応の興味がある。
女体の柔肌とか、清く美しい男女交際とか、柔肌とか、もち肌とか、二の腕とか、柔肌とか……。
が、外面は相変わらずでもここ最近は内面がきっと不安定だろう友人をそのままにしておいて、自分だけ女子とお付き合いしていちゃこらほいほいしたいとは思わない。……俺と付き合ってくれる女子がいるかどうかはまた別の話として。
ガサツに見えて、とろろ昆布か細かく裂いた裂きイカか部屋の隅にたまる埃くらいに繊細な友人とはクラスが違うから、せめて登下校くらいは一緒に、と俺は思っている。
仮に今、自分に彼女が出来て、一緒に学校に行こうとか、一緒に帰ろうとか言われたら、面倒だなってきっと思ってしまう。
腐れ縁の友の視点で、時にオカン視点で、俺は友人のことを俺なりに心配しているし、世間の荒波と明後日の数学のテストから友人を守ってやりたいとも思っている。
母性、オカンの愛の力、数学の公式の暗記およびその活用。赤点だけは何としても避けたい。
だが、習った公式では解けそうにない難問が1つ。
友人に先に彼女が出来た場合にどうするか……は、あえて考えないようにしている。
卵が先か、ヒヨコが先か、2人ともの卵が落ちて割れるのが先か。
2人ともに同時に彼女が出来るといいと思う。そうしたらダブルデートでもして、友人の彼女が友人の真の彼女に成り得るかを見極めて……ただの、息子離れ出来ない愛が重いオカン。
「はぁ、にしても、冷えるな」
それはそうだろう。
理由は明らかで、季節が冬だからだ。
パピコ半分こしたからだ。
アイスを食べて喉が渇くという現象がなぜ発生するのか、俺は不思議で仕方が無い。
溶けて固体から液体となったアイスが喉を潤してくれない大いなる謎。
「茶ぁ買おう、茶。ちゃっちゃと買おう」
喉が渇いたのはどうやら俺だけではないらしい。
俺は優柔不断だから、何を買おうか、なかなかさくっとは決められない。
こういう時、決断力のある友人が少し羨ましい。
「考えなきゃいいだけじゃん? えいやー」
ぽち、自販機がガタンと音を立てた。
機械下部の透明なカバーを持ち上げて、片手を突っ込んで冷え冷えの缶を取り出すと、触れた指の皮膚が張り付いてヒリッとした。
友人が俺から缶を受け取りながら、ぼそり呟く。
「出産ってこんな感じかなぁ」
可愛い奴。
「さぁな、ちょっとずつ出て来そうな気はするけどな。手ぇ出た!足出た!オレンジジュース出た!ってな」
「なっちゃん……妹の名前は……なっちゃん」
「え? そうなの? さっちゃんじゃなくて、なっちゃん?」
「うん、そうなの。どっからさっちゃんが湧いて出た? 俺の名前か? Orange Juice、にしてもこれは……ミラクルだな」
出産前から名前は家族で決めてあったのだとか。友人は缶を上下に振って親指でふたのタブを押し上げた。
「たまたま偶然に発生した、まぐれ的な奇跡」
「まぐれ的も奇跡も意味一緒じゃね?」
「うん、それ言っちゃうと、たまたまも偶然も同じだから。……なぁ、覚、話戻るけどさ、俺ら、もしかしたら確信犯しなくても行く高校同じだったのかな?」
ふいに頭に浮かんだ疑問を投げ掛ける。
「へ? そう? 俺は善くんに合わせるためにけっこう真面目に勉強したんだけど」
「俺も俺も。覚に合わせる為にかなり頑張った」
……ということは、無自覚共犯者にならなくても、通う学校が今と違うだけで、なんだかんだで腐れ縁は続いていたのかもしれない。
「いいことじゃん。結果、互いに能力を高め合って、ちょい頭いい高校に入れたわけで。これぞ友だな。真の友。あ、妹の名前、真実の真に、春夏秋冬の夏で、漢字2字で、真夏だから」
季節は冬。
男女のあれやこれや、10カ月を逆算すると……11、10、9、8……3月とか? 夏ではないことは確か。
「冬生まれのなっちゃん……ね。まーちゃんでもいけそうな気もするけど」
「うーん、多分どっちでも、何でもいいんだよ、きっと。季節も、呼び方も。今は多様性が求められる時代だから」
今のは……多分はぐらかされたのだと思う。視線を外されたし、鼻の頭を折り曲げた人差し指で擦ってたし。鼻ですんって息吸ったし、腐れ縁だし。
友人が名付け親なんだろうな、きっと。で、名前にも呼び名にも、友人はきっとちゃんと意味を込めているのだろうと思った。
友人の母親も、友人の父親も、友人も、多分3人が3人とも、お互い心がすり減るくらいには気を遣って生活しているだろうことを俺は知っている。
友人の父親と顔を合わす度に俺は感謝の言葉をかけられる。友人の母親に出会えば、俺の目で見て、友人の様子に何か変わったことが無いかとこっそり訊かれる。
父親の幸せを願い、母親が気詰まりで居心地悪い思いをしないよう、距離をどのくらい取ろうかとか、どのくらい詰めようかとか、どの程度会話したり家事を請け負ったりしようかとか、赤点を取るわけにはいかないとか、友人が悩んでいることを俺は知っている。
なっちゃんが皆の距離を無くしてくれることを願う。
なっちゃんという妹が生まれたことで、なっちゃんを中心に、友人の家が友人にとって落ち着ける、ぽかぽか温かい場所になりますようにと心底願う。
家族の真ん中……友人とは長い付き合いだから、自分とはよく考えが重なるから、当たり、かな?
「あ、ポッケからミカン出てきた」
「え、何で?」
ミカンは突如として現れる。
今までは9割方、給食の冷凍ミカン。だが高校には給食は無い。
「校務の先生が出産祝いにくれた」
「何で校務の先生とプライベートなフレンドリートークしてんだよ。校務とか、俺、顔も知らないわ」
「ヤキモチ? 拗ねてんの? 相思相愛だから?」
「お前、そのネタいつまで引っ張るつもりだよ」
苛ついた風を装いながら、ヤキモチ? んー、どうだろう、と真剣に考える。妹が生まれたことを俺よりも先に知らされた……微妙にモヤモヤっとはする。
「そうなぁ……。じゃ、善くん家に着くまで、両思いのボーイズラブ設定で。はぁ、にしても、寒い」
ホットを買えば良かっただろうに。
缶を持つだけで手指が冷えただろうに。
友人の唇の色が心なしか紫がかって見える。
紫だちたる雲の細く……紫がかった雲が細くたなびいているのは、清少納言、枕草子。
考え無しに、ろくに見もせずにボタンを押したりするからだ。
「なぁ善くん、この缶の上にミカンをドッキングしたらどうなるか、知ってる?」
うん、分かる。
「それアルミだろ。空き缶はちゃんとゴミ箱に捨てような。ポイ捨て禁止」
「じゃあさ、ここにミカンだけを置いたらどうなるか、善くん分かる?」
うーん? 分かる……多分。いや、どうだろう?
「……路傍の、ただのミカンだな」
石とは違い、踏んづけたらぐちゃって実が潰れて果汁が散って靴を汚しそうだ。
ウッキーが浮き浮き剥き剥きしたバナナの皮と、こたつとオカンの友達のミカン、どちらが質が悪いだろうか?
「よく見ろよ。あっちにも、そっちにもマンホール。ということは? その解は?」
「は?」
「本っ当に残念な頭してるよな、俺より数学出来るくせに。下水道管の上にあるミカン。善くん自分で言ったんじゃん」
管、見えないじゃん。コンクリの下じゃん。
見えてる世界が全てじゃない……妖怪?
「なぁ、ミカンに、目玉を書こうや。目玉1つ」
「ん? いいよ。ちょい待って、筆箱……よいしょ。善くん、マイネーム派? マッキー派? それともスッチー派とか? 俺はサッチャー派」
鉄の意志を持つ女。
俺は優柔不断だから、恐らく豆腐ちくわ並みの意志の柔さだと思う。
意志の強い友人は男の目にもカッコいい。
……スッチー、うん。悪くはない。黒の網タイツとか絶対似合いそう。
まーるを1つ、描きまして、ぐるんぐるんぐるん。まつ毛、あったっけ?
「ほら書けた。目玉」
油性ペンを友人に返しながら、舗装された道路の上にそっとミカンを下ろす。
ミカン親父と目が合った。
「たった目玉1つなのに。善くんの絵、酷いわ。でもまぁ、祝いの品のミカンはコウノトリにご褒美、お礼だな。校務の先生、ありがとう」
「カラスってコウノトリか?」
縁起の良し悪しが対極だろうに。
「誰が食べに来るかなんて分かんないだろ。そういうことにしとこうや、共犯者」
「ミカンのポイ捨ての? 置いたの俺だから俺が実行犯になるじゃん」
腐れ縁、俺と友人は腐食防止処理がされた鎖で繋がれているのだろうか? 自ら鎖で繋がる容疑者達、警察はさぞ護送しやすいことだろう。
「大丈夫だよ。カラスが持って行ったら証拠隠滅、完全犯罪」
「皮だけ残ったりしてな」
「ありえる」
バナナの皮とミカンの皮、より滑るのはどちらか?
使い古された駄洒落は論外。
「でも、アルミ缶が重要なんじゃなかったか? アルミ缶、あるミカン」
「多分な、なんとなくなんだけど。善くんが、カンはカンでも下水道管にこだわりがありそうな気がしたんだよ」
なぜだ? なぜバレた? 表情に出ただろうか。
「眉間にさ、ちょっとだけだけど、ぎゅってシワが寄ったりとか、指で耳を摘まんだりとかさ。愛の力って偉大だよね。今、両思い設定だから。で、下水道管、何で何で?」
腐れ縁、お互い様だなぁと思う。
愛の重いオカン、お前もか!!
「別にな、そんなたいした理由じゃないよ」
「うん。何で?」
訊くんかい!
「……この間、新聞で見て、市の下水道普及率80%超えてるって読んだから。で、俺んとこ、下水道がまだ来てない2割の側だからっていう、ただそんだけ」
「……は? もちっと詳細に」
なぜ会話を終わらせてくれない? なぜ追及する?
「……下水道を、家まで伸ばしたいなぁって、ただそう思っただけ」
恥ずい、めっちゃ恥ずい。なにこれ? なにこの羞恥プレイ。
「……ん? 何、それ? 進路の話?」
諦めよう。潔く恥をかこう。開き直ろう。
「うん、進路の話。大学、そっち方面考えてみただけ。……覚は? 大学、どこ行くの?」
自分の恥は捨て置いて、友人を道連れにすることにする。友人に夢を熱く語らせれば、3倍希釈の白だしか麺つゆがストレートになるくらいには恥が薄まるはずだ。
「俺は確信犯だから」
「へ? ……ん? あぁ……そういうこと。愛が重いよ」
オカンかよ、と思う。でも、そうしてくれた方が、友人が見える距離にいてくれた方が俺は多分安心する。俺が子離れ出来ないオカンだから。
「で、善くん。ミカン、本当に置いて行く?」
「お供えにしよう。下水道が家まで繋がりますようにっていう。で、コウノトリへのお礼も兼ねるから。でも食べたかったら食べていいよ、覚が貰ったミカンだし」
路傍のミカン親父に両手を合わせて祈りを捧げる。
進路、将来、友人の家庭での幸せ、明後日の数学のテスト。
「共犯者、真の友らしく、手取り足取り勉学にはげもうぜ」
「手取り足取りが怖いから、ボーイズラブ設定解除で」
数学の公式を友人の頭に叩き込むところから始めよう。出来ることからコツコツと。
振り向いたら、まだわずかに、小さなオレンジ色が光って見えた。
足元には、またマンホール。
家まではまだ繋がっていなくても、俺たちが今歩く道路の下には、下水道が通っているはずで。
目には見えない、でもきっとそこにあるだろう道の上を、俺と友人は歩いている。
覚のイラスト:砂臥 環 様