二ニャン 捕獲作戦
その日、イートロードで働く従業員の代表、長年この通りで居酒屋を経営している男性が、『保護猫センター』に連絡を入れ、夜にも関わらず来てくれた職員は2名。
2人はこのイートロードで、男性から事前に電話で話を聞いていた。
彼は人間に見つからないように、コソコソ生きていたつもりでも、店の裏窓からでも見える小さな姿は、その男性のみならず大勢の店員に見られていた。
彼は周囲を警戒していても、窓から見える視線には気づかなかったのだ。その為、店員は窓の内側から、ずっと彼を見守り続けていた。
時折、お皿に『野菜』や『残飯』を入れては、路地の前に置く店員もいた。彼はそれを、『自分の為に置いてくれた物』とは気づかず、普通に食べていた。
彼にとって、人間は『恐ろしいだけの存在』であり、『食べ物を分け与えてくれる存在』とは認識していなかったのだ。
それに、彼は食べられる物なら何でもよかったのだ。お皿に乗っていようが床に落ちていようが、彼にとっては問題でも何でもなかった。
しかし、このままではいけない・・・と思っていたのは、男性のみならず、他の店の店員も、どうしようか悩んでいた。
誰かの家に飼われる・・・という選択肢もあったのだが、誰も名乗りを上げなかった。
中には名乗り出たかった人もいたのだが、ペット禁止のマンションに住んでいた為、断念するしかなかったのだ。
中には親戚や友人に電話を回し、飼ってくれる人を探す人もいたが、そう簡単に見つかる筈もなく・・・
男性は、予めその路地に子猫が住み着いている事を相談しておいた上で、警戒心が強い彼を無傷で捕まえられる方法を計画して、実行に移したのだ。
『白い軍手』をはめた男性職員は、暴れる彼をどうにか『洗濯ネット』の中に入れ、傷つかないように『クッション入りのケース』に入れた。
彼との格闘はほんの数分程度だったのだが、軍手にはもうあちこちに穴が空いている。代表者である男性は、何度も何度も職員2人に頭を下げていた。
もちろん、クッションで守られているとはいえ、突然暗くて狭い場所に閉じ込められた彼は、動揺して動けなかった。
今まででに感じた事のない恐怖心で、胸が爆発しそうなくらい鳴り響いていた。
クッションに触れた感覚も初めてだったが、初めて『人間の手』というものを全身で体験して、今まで抱いていた人間への恐怖心が更に増してしまう。
彼にとって、遠くで見るだけでも大きく見える人間が、自分の真後ろに立たれるだけで、あちこちに立ち並んでいたビルと同じくらいの大きさに見えていたのだから。
そして、大きなその手に掴まれた時、必死に抵抗しても、自分の力が全く役に立たない事を悟り、もう内心半分は『諦め』モードになってしまう。
彼を乗せたケースはそのまま車に乗せられ、10分程度揺られる。もちろんその間も、彼の心臓はバクバク。車に乗るのも初めてだった上、クッションの隙間から見える車の大きさには、声も出なかった。
普段から路地の隙間から見ていた筈なのに、いざ目の前に来ると、人間よりも遥かに大きな車。
その車の口がガチャンと開くと、男性は彼の入っているケースを丁寧に抱きかかえながら、後部座席へ座る。
車の中からは、色んな匂いがする。何の匂いなのかも分からないくらい、色んな匂いがグチャグチャに感じられる。
彼の恐怖は既に限界を超えてしまい、ただひたすらに牙を立てている事しかできない。
時折クッションの隙間から見える、人間の丸くて大きな目が、彼にとってはカラスの鋭い目よりも恐ろしいものであった。
「・・・やっぱり警戒していますね。」
「捨て猫・・・かしら?
飼われていたとも思えないけど・・・?」
車は2人と1匹を乗せて発進する。その車を見届けるのは、イートロードで働く従業員達。
内心、少し寂しかったのである。
危なかったしかったとはいえ、ずっと見守り続けてきた存在がいなくなってしまうと、心にポッカリ穴が開いてしまうのは必然。
その寂しさと同時に、後ろめたさもあった。最終的に『他人任せ』という形になってしまったから。
だがこのままあのゴミ捨て場で生き続ける事は、飼い主ではなくても心苦しいものがあった。
住み着いていた彼自身はそこまで気にしなかったものの、店員達は毎日ヒヤヒヤしていたのだ。彼が『食べ物以外』の物を口にしないか・・・と。
ゴミ袋の中には、食べ物以外の物も当然入っている。特に最近はニュースで話題になっている『プラスチック』を胃袋の中に入れてしまえば・・・
それだけではない、割れて尖っている『割り箸』だったり、『魚・肉の骨』であったり。
もし、『最悪な事態』になってしまった場合、責任は少なからず自分達にもある。
それに、彼はカラス等の動物にはいじめられなかったものの、人間に何をされるのか分からないのが、余計に怖かったのだ。
特にイートロードの夜は、お酒が入って『色々なタガ』が外れてしまったお客も多い。彼らが何をしでかすかは、分かったものではなかった。
ニュースでもよく、『そうゆう事件』が度々報道されているからこそ、彼の保護を皆で相談しながら、決定したのだ。
彼が保護された事は、いつも彼と一緒に食料を確保しているカラスは知らない。
結局、彼がカラスにお別れの言葉を告げる事もなく、彼にとっては『家』も同然だったあの路地からは、強制的におさらばしたのであった。
だが、クッションとケースで覆われた彼は、車が保護施設に向かって移動している事も分からず、早くあの路地に帰りたい一心で、ただひたすら耐える。
車のエンジン音は、彼にとって『怪物のいびき』の様であった。そして、時折揺れるケースの中で、彼はずっと後悔していた。
「あの時、あのお皿にさえ手を出していなければ・・・」と。
そのお皿は既に回収済みであり、保護施設の物である。そして、毎晩彼が漁るポリバケツの中も、事前に店員が回収していた。
すぐに、餌を入れたお皿へと向かうように。
全ては、彼を過酷な環境から救い出す為、彼の知らない場所で実行されていた、『捕獲作戦』