陛下と、詩の時間。
「そなた、は、不思議である」
「何を、不思議に思われることがありましょう」
またある日の昼下がり。
今日は白のお召し物を身に纏われた陛下は、普段よりもずんぐりとしている。
椅子にお寛ぎになられるご様子から、リーファはまるで絵に見た熊猫の如き可愛らしさを感じていたのだが。
「望み、はないのか」
まるで午睡しているかのようなご様子から、ふと糸のように細い目の奥から、瞳をこちらに向けられる。
「地位に依らず、名誉に依らず。己を、殺してはおらぬか」
その問いかけに、リーファは心を曇らせた。
案じてくださる気持ちは嬉しく思う反面、そのようなことで御心を煩わせるのは本意ではない。
「陛下。……本日は、詩を詠み合いとう思いますが、いかがでしょう?」
「詩、か」
「はい。……陛下に比ぶれば拙く、少々恥ずかしうございますけれど」
リーファが答えの代わりにそう提案すると、陛下に応じていただけた。
「良き、と、思う」
「では、わたくしから」
リーファは頭の中で詩を整えると、小さく口にする。
「月下美人ノ訪ハ、無垢ノ望ミヲ幸イニ、玉心砕ク御身ヲバ、凪イデ安ラグ床トセム。耕シ肥ヤシノ助ケナレバ、喜ビ交ワスヲ春トセム」
わたくしの望みは、国に尽くさんとする、陛下の安寧にございますれば。
その御心が少しでも安らげば、それ以外に望むことなどありましょうか。
リーファの詩に耳をお寄せになり、静かに意味を介して、陛下はうなずかれた。
「初勅に、添うか」
「陛下の詠まれた詩の内、もっともわたくしの心を打った内の一つにございますれば」
「では」
しばしと言うにもあまりに早く、返歌を口にされる。
「桃源ノ想イハ香リ立チ、鏡ト形テ匂ウハ立芍薬。国ノ牡丹ニ似タルハ芳醇、共ニ心ヲ攫ウ花。望ミ歩クは百合ノ道。添イテ恵ムヲ応エトス」
朕の安らぎを望む、そなたが安らぐを、朕は望もう。
国は人。そなたもまた、朕のが心を砕く、人一人なれば。
「まぁ……」
「臣民に心を砕くは、我が常。そなたに対して、抱く想いに、違いはあれど」
陛下は、こちらの内心をはっきりと見抜かれていた。
しばらくの間親しくさせていただいているとはいえ、やはりこの方は、聡くてあらせられるのだ。
「心を曇らせるに、当たらぬ」
返歌を詠む速さと、静かな微笑みに込められた想いに、リーファは思わず口元を覆う。
「陛下……」
「この暇も、想うも、また安らぎ。朕もまた、そなたの心曇らせる者なれば、相子」
「わたくしの心が……?」
陛下の心を煩わせる以外に、どんなことがあるのか、と訝しんだ時に。
陛下は昼の休みを終えられて、椅子から腰を浮かされた。
「そなたと、褥を共に、と、望むには。朕は、心を決めることが、出来ぬゆえに」
優しい微笑みから、一転。
陛下は、申し訳なさそうな表情を浮かべられた。
「体と共に、心を、深く、通わせて……責務に、躊躇いが、生まれるを、望まぬがゆえに」
正妃となれぬリーファに、心が惹かれているとハッキリと口になさった。
それゆえに抱けぬ、と。
「陛下は……お優しい方です」
嬉しさと、哀しさを、リーファは感じた。
しかし同時に、それは陛下もまた、同じなのであろうとも、想う。
抱けば、正妃となる者を愛せなくなるやも知れぬ、と、この国を案じればこそ。
「そして陛下は、時に、恨めしくも思うほどに、誠実でもあらせられます」
「……」
「ですが、愛二つ抱くほどに、強壮なれともまた、思うことはございません。そうしたお人柄であればこそ、わたくしは惹かれたのでございますから」
陛下はそれには応えず、黙ってその場を去った。
ーーー陛下。そのお気持ちを、苦しむことはございません。
口にした言葉とは裏腹に、リーファは思い、従者へと問いかける。
「ねぇ、サイラ。……私は、狡いわよね」
陛下の心の安らぎ以外に望みはない、などと、どの口が。
「儚く在る我が身のくせに、陛下の心に残りたいと……それだけを望んでいるのに」
そうして、今のようなことを陛下に口にさせてしまったのに。
「リーファ様が望んでおられるのは、それだけ、ですか?」
「……そう、それだけ」
「リーファ様は、何でも出来るのに、嘘だけはお下手ですね」
言われて、リーファは面食らう。
サイラは、何事もなかったかのように茶器の片付けをしながら、言葉を続けた。
「陛下の御心の安寧を願うも、本心でしょうに」
「それは、そうだけれど」
「リーファ様の為していることを思えば……」
サイラは、あっさりと結論を口にする。
「月下美人の淡い願いくらい、少し迷わせた後に、かの方の心の土に根付いても、よろしゅうございますよ」