第九話 梅が咲くまで
丸太町通を東にまっすぐ歩き、鴨川を渡る。
そこから平安神宮までは遠くない。
敷地に辿り着くまでは、幅の広い通りになっている。
土産物屋や茶屋が並んでいた。
通りは掃き清められ、気持ちがいい。
おつうが「もうすぐですから」と歳三に告げた。
「この辺りは気持ちがいいですね」
「神様に続く道ですからね。鴨川のこっち側とあっち側では雰囲気が異なります」
歳三は頷いた。
分かる気がする。
はっきりとは言えないが、どことなく空気が違う。
「こちらにも一、二度は足を運んでいるのだがね。その時は雰囲気を味わう余裕が無かった」
「えっ、では神宮にも既に訪れていらっしゃるんですか?」
「いや。会津藩屯所に用があった」
金戒光明寺である。
平安神宮とは丸太町通を挟む形だ。
新撰組は会津藩預りの組織であるため、会津藩に足を運ぶことがある。
通常は会津藩の京都守護職屋敷−−京都御所の目と鼻の先だ−−に行く。
会津藩屯所に行ったのは修練の実地見学のためだ。
「はあ。やっぱりお忙しいのですね、土方様は」
「暇ではないね」
こんなことを話している内に、平安神宮に着いた。
敷き詰められた玉砂利は白く、清潔感がある。
「梅はこちらですね」とおつうが右手を指す。
なるほど、庭園になっている。
かなりの数の梅の木が並んでいた。
今は寒々しいが、満開になれば相当だろう。
「満開になればさぞ見応えがありそうだ」
「梅見ですね。ええ、たくさんの人が見に来ますよ」
「その頃また来るか。来ることが出来ればだが」
「えっ、土方様、いなくなってしまわれるのですか!?」
歳三は目を見張った。
何故そのように思うのだろう。
「いや、当分そのつもりはない。来ることが出来ればと言ったのは、ほら、あれだ」
「ええと、言いたくなければ構いませんけれども」
おつうは一応遠慮してはいる。
だが、歳三としてはこのままではきまりが悪い。
弁解するように「命を落とさなければ、ということです。仕事が仕事なのでね」と言った。
苦笑が滲み出る。
「あ……すいません」
「別にいい。新撰組とはそういう集団ですから」
歳三の口調には微かに苦味があった。
のみならず、熱意らしきものもある。
危険を承知で幕府に忠誠を誓った剣客。
その自負が無ければ、新撰組など出来ない。
自分も副長という地位には就けない。
こうした禁欲的な覚悟が歳三の背骨を貫いている。
"今は任務中ではない"
視線を眼前の梅の木へとやった。
何十何百という梅の木は今は蕾すら無い。
だが、いざ満開となればどれほど華やかだろう。
思わず呟いていた。
「梅の花 一輪咲いても 梅は梅」
「俳句ですか?」
「下手の横好きですがね。昔から梅は好きな花で」
おつうに話しつつ、故郷の多摩を想った。
数年前、早春に詠んだ一句である。
歳三の俳句は多分上手ではない。
近藤や沖田からは「下手の横好き」とからかわれる程だ。
それでも今もたまに句を詠んでいる。
任務の息抜きには丁度よい趣味だった。
「……何だか意外です。もっと怖い方かと思っていました」
「私がですか」
「はい。そのぅ、新撰組の方ってほら、壬生狼って呼ばれてるくらいですから」
「はは」
おつうが遠慮がちに指摘する。
歳三は笑った。
なるほど、これが一般的な印象なのだろう。
「俳句など理解せず、ただ剣を振るう。そう思われても仕方ないかもしれませんね」
「すみません。無遠慮なこと言ってしまって」
「いや、いいさ。最近は粗暴を控えたとはいえ、我々もけして品行方正では無かったからね。ただね、おつうさん」
歳三は声を潜めた。
ひゅう、と寒風が吹いた。
「私も無関係の一般人に鬼の顔を見せるわけではない。言うなれば使い分けさ」
「では、土方様も怖い面が?」
「ある。そうでなければ隊の規律は保てない。誰かが鬼の顔をしなくては、たがが外れる」
言い切った。
格好つけたわけではない。
大げさに言ったわけでもない。
本心からの言葉だった。
気圧されたのか、おつうは何も言わない。
歳三は更に言った。
「隊士の誰もが鬼の顔を持っている。ただ、普通の人の顔もある。刀を抜かぬ時は、人より優しい奴もいる。そういうことだよ」
「んん、そういうものなのですか」
おつうが小首を傾げた。
その仕草が歳三の記憶を刺激した。
あの子も−−故郷にまだいるであろうあの子も、このように小首を傾げたことがあった。
チクリと胸が痛む。
その痛みを打ち消したかった。
「さて、そろそろ戻ろう。帰りに甘いものでも食べていきましょう。案内のお礼です」
「い、いいんですか! う、うーん、でもお言葉に甘えるわけには〜」
とは言いつつ、おつうの顔は緩んでいる。
普段の生活では、中々甘いものなど食べられない。
年頃の女子としては無理もなかった。
「武士の礼節です。婦女子に親切にせよとね」
「ではせっかくの機会なので、お言葉に甘えてっ。ああ〜、幸せです〜。土方様についてきて良かったあ〜」
「大袈裟な……」
歳三は小さく笑った。
大した礼では無い。
だがこれだけ喜んでくれると、やはり嬉しい。
下働きはどこでも辛いのだろう。
"ま、たまにはいいだろうさ"
柄にもない行動と言われても構わない。
おつうの顔に誰かを重ね、歳三は微笑した。