第八話 副長と遊女屋の少女
おつうが土方歳三について知っていることは少ない。
時折遊女屋に遊びにくること、新撰組の偉い人であることくらいである。
そのため、歳三から話しかけられた時には驚いた。
彼女が歳三と少し話した早朝から数日後の午前中だった。
「おつうさんだね」
「わひゃいいい!?」
とんでもない声をあげてしまったが後の祭りだ。
まったくの無防備だったのだ。
いきなり背後から声をかけられ飛び上がった。
バッと振り向くと、歳三も驚いたような顔をしていた。
新撰組特有のだんだら羽織は着ていない。
地味な羽織袴である。
「すまない、驚かせてしまったかな」
「だ、大丈夫です。申し訳ありません、変な声をあげてしまいまして」
おつうは顔を赤くする。
遊女屋の周りを清掃していたので、箒を持っていた。
こうした下働きが彼女の主な仕事である。
当然客と直接話すことは少ない。
また、話しかけられる覚えもない。
「そ、そのぉ、お姐さん達に何か御用でしょうか? お手紙やお土産であれば、お店にご案内いたします」
だからこの反応もやむを得ないところだ。
そして歳三の返答は彼女の予想を裏切った。
「いや、用があるのは貴女なのだが」
「へっ? 私にですか?」
「ああ。手代に話はつけた。少し京の都を案内してもらえないか。頼む」
「……は、はいっ。承りましたっ」
数瞬迷ったが、否という返答は無い。
事情も理由も分からないが、このお客様なら大丈夫だろう。
歳三は表情を変えないままだ。
ただ「よろしく」とだけ言って、僅かに頭を下げた。
おつうは恐縮する。
「止めてください、旦那様のような方が頭下げちゃいけませんよ。私なんかただの下働きなんですから!」
「この店にとってはそうだろうな。ただ、私にとっては……そうだな、無理を言って頼んだ案内役だから」
「えぇー、いえ、でもその」
おつうは決まり悪くなった。
歳三は「なのでかしこまらなくていい」と言い切った。
こう言われると、おつうの心も定まった。
さっさと箒を仕舞う。
防寒用の半纏を着て、歳三の前に戻った。
「お待たせいたしました。それではご案内いたします。まずはどちらに?」
「平安神宮へ行きたいのだが頼めるだろうか」
「はい、分かりました。何かお目当てでも?」
「梅が有名と聞いていてね。盛りになる前に場所だけ確認しておきたいのだよ」
歳三は苦笑した。
今はまだ十二月だ。
梅の盛りは二月か三月である。
確かに少し早過ぎる。
「ああ、そういうことなのですね。私などでよければ、喜んでご案内いたします」
「感謝する」
おつうには嫌そうな様子は無い。
歳三はそのことにホッとした。
もっともおつうとしては有り難いことではある。
手代が了承したということは、自分の今日の仕事は無しということだろう。
感謝の念から自然と笑顔になる。
歩き始めながら歳三に聞いてみた。
「んー、あの土方様。一つお聞きしてよろしいでしょうか?」
「何かね」
「京都の案内であれば別に私でなくてもいいのではと。いえ、案内自体は全然問題ないんですけどもっ。何か私に特別な御用でもおありなのかなーなんてっ」
「ああ、そういう……」
おつうは両手をわたわたと振っている。
さて、どう答えたものかと思案した。
その結果。
「ん、そのなんだ。貴女の目を信用したということかな」
当たり障りの無いことだけ言った。
「目ですか?」
「ああ。あの朝、硝子のことを日の光がすっと通って綺麗−−そう表現していたので。町案内する際もきちんと捉えてくれるだろうと思った」
こう話す時、歳三はわざわざ少し膝を落とした。
歩きながらなのでこれで視線を合わせたつもりである。
おつうにこの気遣いが届いたかは分からない。
「いやぁ、そんな大したものでは。でもそんな風に言っていただけて嬉しいですね」
「そうかね」
「ええ。何であれ自分の長所を誉めてもらえるのは!」
「そうだな」
おつうとの会話において、歳三の口数は少ない。
いつもの癖である。
機嫌が悪いわけではないのだ。
だが沖田などは「土方さんはもう少し笑ったほうがいいですね。黙っていると怖いので」と言う。
だからこの時、歳三は少しだけ笑みを見せた。
おつうを怖がらせぬよう意識的にである。
「わぁ」
「どうかしましたか?」
「いえ。土方様も笑われるんだなあと思いまして」
「……まあ、人間なので」
おつうには悪気はまったく無い。
だが歳三は密かに傷ついた。
つい聞いてしまう。
「そんなにお座敷では私は無愛想で通っていますか」
「えぇと、お姐さん達は、その、土方様はせっかく男前なんやから、も少し笑顔やったらねぇと……」
「そうか……」
何だか悪いことをした気になった。
返す言葉も見つからぬまま、歳三は視線を左右にやった。
ここは御池通だ。
右に折れると長州藩邸の前へ出る。
思わず顔をしかめた。
「もう一本歩きましょう」
歳三の意図を察したのだろう。
おつうも「そうですね。丸太町通からの方が近いですよ」と応えた。
幕末の京都では昼でも気が抜けないものである。
「ああ」と歳三の返事は短い。
「近い方が楽ですしね。それに、私、丸太町通の方が好きなんです。御所を拝めますから」
「ほう」
歳三は意表を突かれた。
御所を好ましい一景観として捉えたことは無かった。
もしかすると帝に対する見方も異なるのかもしれない。
「自分が老けたように思わされるな」
おつうに聞こえぬよう呟いた。