第五話 規律と情と
隊士達の間に緊張が走った。
バッと通りに散開する。
治安維持も新撰組の重要任務だ。
こうした賊との遭遇戦もたまにはある。
歳三はほくそ笑んだ。
新参隊士達を連れ回したのは、この機会を狙ってのことである。
「結構、結構。敵前逃亡は士道不覚悟−−」
呟く間に、賊が姿を現した。
どうやら集団による物盗りらしい。
どの男達も粗末な小袖を着ている。
髷も乱れており、乱雑さは拭えない。
各々手に持つ錦袋が外見とは不釣り合いだ。
恐らく盗品であろう。
"ふん"
歳三はまったく慌てなかった。
相手もこちらに気がついたらしい。
約三間(=約5.4メートル)の距離を開けて相対する。
一瞥し数を把握。
全部で十人。
こちらは自分を含めて七人。
恐れるほどの数的不利ではない。
「止まれ、そこの賊徒ども。運が悪かったな」
声は大きくはない。
だが歳三の声はよく通る。
賊共が足を止めた。
「なんだ、てめえは」と一人が声を絞り出す。
そろそろと懐に手を入れている者もいる。
恐らく匕首などの武器を握るためだ。
互いの視線がぶつかった。
「新撰組副長、土方歳三だ。市中見回りの任務中につき、盗みを見逃すわけにはいかん。大人しく捕縛されるならよし。手向かえば」
一息いれたのはわざとである。
自分の次の言葉により重みを持たせるために。
「この場で斬る」
たった一言。
だが重みの宿る一言だった。
賊達も隊士達も表情が変わった。
前者は僅かな怯みを見せた。
後者は覚悟を固めた。
互いの手がそれぞれの武器にゆるゆると伸びる。
だが、歳三だけは無造作に抜刀した。
このごに及んで争い無く収められるとは思っていない。
いや、収めようとも思っていない。
自らの行動でその場の流れを後押しした。
「ちぃ、てめえらなんぞに捕まってたまるかよ! おい、お前ら、やっちまうぞっ!」
賊の頭目らしき男が目を血走らせた。
錆びた刀が抜かれる。
「副長に続くぞ!」
新撰組も黙ってはいない。
ジャッと音立て、刃が鞘走った。
ぎり、と隊士の一人が歯を軋らせる。
「あぁ……」と彼は声を漏らした。
続けて「えああああぁあ!」と叫ぶ。
緊張が頂点に達したらしい。
間合いをすり潰し切りかかった。
手に持つ刀が賊の刃物と噛み合った。
歳三の号令が下ったのはほぼ同時。
「いいか、一人も逃がすなっ!」
逢魔が時の京の都に。
闘争が出現した。
感情が交錯する。
一瞬一瞬の行動が交錯する。
賊徒は数で圧倒しようと試みる。
対して新撰組は連携した動きが武器だ。
集団による戦い方は組の修練で培っている。
とはいえ、歳三の他は新参隊士だ。
人を斬った経験も浅い。
立ち向かい一合二合斬り合う。
痺れた手、荒い息に恐怖を呼び起こされてしまう。
「あ……うあ」
一人の隊士がたたらを踏んだ。
右腕から僅かに出血している。
まだ刃は敵を向いている。
だがそのまま後ずさりしてしまった。
負傷による恐怖である。
もう一歩下がれば撤退圏かという時だった。
「忘れたか。敵前逃亡は士道不覚悟」
左耳に飛び込んだ声は冷徹そのもの。
ぴたりと足が止まった。
その動作が彼を救った。
背中に剣圧を感じた。
直接には触っていないはずなのに、冷たい抜き身の圧力がある。
「ふ、副長……」
悲鳴じみた声が隊士の唇から漏れた。
左側から歳三が「局中法渡書だ。入隊時に読んだだろう」とだけ言った。
右手一本で寸止めした白刃を、今は正面に向けている。
好機と見たか、賊の一人がこちらに向かってきた。
その前に歳三が立ち塞がった。
刀を振るいながら発破をかける。
「俺の手にかかって死ぬくらいなら前に出ろ。武士とはそういうものだろう!」
「は、はい!」
敵への恐怖などもはや無かった。
副長への畏怖の方がよほど大きかった。
傷のことも忘れ、隊士は再び前に出る。
その姿を認め、歳三はニヤリと笑った。
狙い通りだ。
"実地で教え込まないと"
眼前の賊と刃を合わせる。
逢魔が時の辻に刃鳴りが響く。
夕陽が歳三の顔に斜めに陰影を作った。
その陰から覗く視線に、賊は思わず身を竦ませた。
竦ませてしまった。
"やはり骨身には染み込まん"
思考と自分の行動を並列に動かす。
平青眼に構え、相手の動きを牽制する。
そこから左小手に撃ち込んだ。
これは拳を引いてかわされる。
だがここからだ。
歳三の剣は道場よりもむしろ実戦向きだ。
右斜めへ素早くすり足。
間合いを潰した。
同時に剣先を揺らし注意を惹きつけた。
相手の視線が剣先へと向いた瞬間。
「シッ!」
歳三は身を沈ませた。
左足を軸に右足を地面すれすれに飛ばす。
歳三の身長は約五尺五寸(約167センチ)とこの時代では大柄である。
足の長さを活かした水面蹴りは奇襲として十分だった。
意表を突かれ、賊が左足を払われる。
倒れこそしなかったが、大きく体勢を崩した。
歳三が容赦などするはずがない。
そのまま袈裟に斬って捨てた。
殺人を好むわけではない。
だが殺らねばこちらが殺られるだけだ。
赤く濡れた兼定を握り、周囲を睨む。
「次はどいつだ。斬られる覚悟のある者からかかってこい」
羽織りの袖で顔を拭う。
返り血のベタつきが煩わしい。
だが、これも必要なことだ。
立場ある者が安全な場所にいては示しがつかない。
現場の隊士の心を掴めるはずもない。
"近藤さん、これが新撰組だ。違うか"
心中で問いつつ、歳三は再び剣を握った。
賊は浮足立っている。
戦意喪失するまで止める気は無かった。
******
「歳、上手くいったらしいじゃないか」
「それほどでも」
賊を取り締まった翌日、歳三は近藤に褒められた。
十人の内、五人を刺殺。
残り五人は捕縛した。
対してこちらは二人が浅い傷を負ったのみ。
戦果だけ見れば確かに大成功である。
だが、真の成果は別にある。
近藤は腕を組んだ。
「あれ以来、奴らの顔つきが変わったと評判だ。他の隊士達もより修練に励むようになった。新参者には負けちゃおれんということだろうな」
「実戦経験による度胸は人を変える。それに士道の何たるかも分かっただろう」
「おお、聞いたぞ。逃げかけた隊士に刀を突きつけたらしいな」
近藤は肩をすくめた。
歳三は素知らぬ顔だ。
「さてな。そんなこともあったかな」とだけ言う。
「歳よ。教えてくれんか」
「何だい、近藤さん」
「お前、ほんとに同志を斬るつもりだったのかい。それともただの脅しだったのかい」
「さあ」
薄く笑い、歳三は庭に目をやった。
小さな池に赤や黄の落ち葉が浮いている。
壬生寺の庭にも確かに秋が訪れていた。
「俺が言えるのはね。新撰組のやり方ってのを実際に刻みつけた。そして誰も死ななかった。それだけさ」
「ふふ、お前らしいな」
歳三の返答はわざと焦点をぼかしている。
だが近藤もそれ以上追求しようとしなかった。
「では後でな」とその場を去りかけた時、不意に立ち止まった。
「そうだ。負傷した隊士達に聞いたのだがな。歳、お前、石田散薬の軟膏を与えたんだって? 早く治すようにと労りの言葉までつけてな。ずいぶんありがたがっていたぞ」
石田散薬は歳三の実家が手がける製薬業である。
故郷の日野から取り寄せ、歳三は愛用している。
打ち身や刀傷によく効くと評判だ。
近藤は歳三の返答を待った。
どうやら事実らしい。
歳三は憮然としている。
「怪我人は戦力にならないからな……」
頭は回る割に誤魔化すのは下手な男であった。
近藤は吹き出しそうになるのを堪えた。
「鬼の副長にも一片の情けかね。いいじゃないか。そいつが人を動かすんだよ。情ってのがな」
「だといいがね」
自分の行為に情と呼べるものがあるのか。
歳三には分からなかった。
だから彼がとった行動はただ一つ。
散り際の紅葉をしばらく眺めたのみである。
 




