第四十九話 俺が新撰組だ
歳三の肚の内は決まっていた。
榎本が相手でもまったく怯むことはない。
ぶれず、揺るがずを貫き通したかった。
「蝦夷共和国として籠城戦を選ぶことを否定はしません。だが、見込みの無い籠城など最後は降伏しか無い。俺はそれが気に入らない」
「ならばどうするんです」
「知れたことさ。新撰組局長法渡が一つ、士道に背くまじきこと。この定めに従うのみ。即ち敵前逃亡を許さず、二君に仕えるを潔しとしない……」
歳三の苛烈な言葉に全員が息を呑んだ。
五稜郭は完全に包囲されている以上、もはや敗北は決定的だ。
つまり意味するところは討って出て敵と斬り死ぬと同義である。
榎本の表情が歪んだ。
苦いものでも口にしたかのようだった。
「土方さんの気持ちは……分かるつもりだ。私も武士の端くれだ。士道を全うしたいという心意気は理解は出来る」
「理解は出来ても殉じる気は無いんだろう」
「それは」
榎本は絶句した。
内心で降伏を願っていたことを見透かされたのか。
後ろめたさがあることが彼の弱さに繋がっていた。
歳三は「それが普通さ」とあっさり言った。
「今や三百年続いた幕府も倒れた。士道なんざ何の役にも立ちはしないのかもしれん。髷も落とし、洋装に身を包み、戦の様式も大きく変わった。俺みたいに死を覚悟してまで戦うのは阿呆だろうよ」
微笑を口の端に宿らせつつ、歳三はそれでも言い続けた。
体の内に溢れるものが言葉となって流れ出る。
「けれどね、榎本さん。俺は武士に憧れたんだ。ただの多摩の風来坊が壬生浪士組として取り立てられた。新撰組として名を挙げて、京都中を駆け回った。近藤さんや総司と一緒に刀一つで戦ってきたんだ。古臭くてもいい。笑われてもいい。俺には、新撰組には、士道しか信じるものが無かったんだ」
歳三の脳裏には京都の日々が焼き付いている。
けして華やかな景色ではない。
それでも己の大切な欠片である。
だからこそ。
「この戦いの果てに、俺は生き残ることを良しとしていない。故に最後くらいは陸軍奉行並としてではなく、新撰組副長として好きに戦いたい。俺の最後の願いとして、聞いていただきたく思う」
静かな、だが重く熱い言葉が榎本の胸をうった。
榎本も個人的には歳三を嫌いではない。
むしろ人間的には好ましい方と思っている。
だからこそ、生きていて欲しいと願ってしまう。
その願望が榎本に口を開かせた。
「君の願いは分かった。けれども土方さん。新撰組、新撰組と言うが、そんなものどこにあるのだ。函館新撰組といってもほとんどは新規の兵士だ。こんなことを言いたくは無い、だが、君は過去を美化して囚われているだけじゃないのか! そんな幻想の虜になって大切な命を散らすつもりか!」
無茶な理屈とは分かってはいる。
論点がずれていることも承知している。
それでも榎本は歳三に訴えた。
このどうしようもなく不器用な男が死ぬことに耐えきれなかったのかもしれない。
あるいは、自分の持たぬ純粋さがあまりに眩しかったからかもしれない。
歳三はすぐには答えなかった。
数秒考え、そしてきっぱりと言い切った。
「俺が」
目を閉じる。
「新撰組だ」
目を開けた。
その場の誰も何も言えなかった。
歳三は一礼しその場を後にした。
「失礼する」という一言だけを残して。
自室に戻り、畳の上に腰を下ろした。
そのまま大の字になる。
既に日は暮れている。
明かりは部屋に置かれた洋灯のみだ。
ジ、ジジ、と小さな炎が音を立てていた。
静かであった。
五稜郭全体が息を潜めているようである。
"新政府軍の総攻撃は恐らく明日か"
歳三は寝転んだまま考える。
各種の情報を照らし合わせると、ほぼ間違いない。
だからこそ、榎本も今夜軍議を開いたのだ。
気を引き締めるという意味も兼ねてであろう。
"討って出るにしても、機会は必要だな"
ここまで戦い抜いた意地がある。
ただむざむざ殺られに行くのは気が進まなかった。
歳三としてはそれなりの理由が欲しかった。
総攻撃か、望むところだ。
一矢報いてやろう。
これは新撰組の名を刻むための戦いだ。
そんなことを考えている。
そんなことを思っている。
思考し続けていた。
ふとこれは戦だ、と当たり前のことを思った。
ならば相応しい装束が必要ではないか。
"こいつでも悪くはないが、やはり最後は"
愛用の黒羅紗の三つ揃いに目を落とす。
すっかり体に馴染んでいる。
けれども明日はこの洋装では行くまい。
真に自分に馴染んだ装いがある。
立ち上がり、箪笥を開けた。
あった。
自然に笑みがこぼれた。
取り出し、丁寧に畳に置いた。
そのまま畳の上にまた座った。
壁に背を預けるように、楽な体勢を取る。
"どれだけ斬ってきただろうか"
思い出せるだけ思い出してみる。
芹沢鴨の名が浮かんだ。
案外あっさりと暗殺出来たが、本来もっと手強かったはずだ。
道を踏み外さなければ、剣客として勇名を馳せていただろうと思う。
山南敬助の名が浮かんだ。
直接手をくだしたわけではない。
だが、歳三が死に追いやったという意味では同じである。
人当たりの良いあの男の死は、自分の中で強烈な印象を残している。
そして中村半次郎の名も思い出した。
殺してはいない。
むしろ殺される寸前だった。
奴との立ち会いが最も危なかった。
示現流のでたらめな破壊力は今思い出してもぞっとする。
"……こいつもよく働いてくれたな"
和泉守兼定を鞘ごと掴む。
僅かに鞘から刀身を抜き出した。
よく見れば細かい刃こぼれが散見された。
二股口の戦いの後で手入れはした。
けれども年月が刻んだ剣戟の跡はやはり拭えない。
拭い切れないまま、残っている。
鞘に収め、兼定を畳の上に置いた。
シィン、と春の夜は静かである。
静かな夜の中、歳三はただ一人で全てと向き合っていた。
過去と。
自分と。
刀と。
そして現在と。
未来というものはその対象に含まれていない。
"寝るか"
手を伸ばし洋灯の火を消した。
部屋の中に闇が満ちる。
ほどなく歳三も目を閉じた。
意識が細く途切れ、ぷつりと夜の底へと落ちた。
−−−−ドゥン
−−ドゥン
意識の外から轟音が滑り込む。
歳三は跳ね起きた。
窓の外はまだ暗い。
夜明け直前のようだ。
「来たか」と呟き、着たままの三つ揃いを脱ぎ捨てた。
代わりに昨夜出しておいた服に袖を通す。
白襦袢の上に生成りの麻の着物。
その上から浅葱色の陣羽織を羽織る。
袖のだんだら模様が懐かしい。
戦いの邪魔にならぬよう細紐で襷掛けにした。
下は細い縦縞模様の袴である。
最後に鉢巻を額に締めた。
着替え終わった時、部屋の外から声がかかった。
「土方先生、早朝に申し訳ありません。火急の用にてご容赦ください!」
「構わない。入れ、何の用だ」
短く返答すると、扉が勢いよく開いた。
伝令が転がりこんでくる。
相当慌てているようだ。
「し、失礼いたしましたっ。新政府軍の攻撃開始、函館山と弁天台場が陥落しました! 函館の町が占領されるのも時間の問題とのこと!」
「分かった。いよいよだな」
そうか。
ようやくか。
俺の最後の戦いの機会としては申し分ない。
「榎本総裁に伝えてくれ。土方歳三が出る。今まで世話になったとな」
明治二年五月十一日、早朝。
五稜郭に誠の旗が翻った。




