第三話 隊士抜擢
新撰組の屯所は京都の南西にある。
居住しているのが八木邸である。
その近くに壬生寺という寺がある。
この壬生寺の敷地を隊士の詰め所として使わせてもらっている。
付近の住民から畏怖を込めて"壬生狼"と呼ばれる理由である。
その壬生寺の境内で二人の男が向かい合っていた。
一人は歳三。そしてもう一人は。
「壬生狼と呼ばれるのは別にいい。侮られるよりはましだ。けれどさ、副長。けして評判がいいわけじゃあないよな」
渋い顔で男が口を開いた。
きりりと結んだ口元に厳しさが漂う。
「永倉君の言う通りだ。そこらの破落戸と大して変わらないと思われている」
歳三はむっつりと答えた。
男−−永倉新八は「ふぅむ。仕事に支障が出るほどには嫌われたくないもんだ」とため息をつく。
永倉は神道無念流免許皆伝の剣客にして、二番隊組長である。
それほどの者でも周囲の評判は気になる。
"無理もないか"
歳三は同情した。
新撰組の任務は大きく分けて平時の市中見回り、及び反幕府活動を働く不逞浪士摘発の二つである。
町人に嫌われていては市中見回りなど出来ない。
事情聴取や捕物の際、町人の協力は不可欠だからだ。
「新撰組の評判を立て直さなくてはならん。その点については百も承知だ」
「何かいい方法でもあるのかい?」
「案はある。永倉君、手を貸してくれないか。最近入隊した隊士を集めてくれ」
「分かった」
特に理由を聞かずに永倉は了承した。
歳三と何から何まで馬が合う訳ではない。
だが副長としての能力は信用に足る。
それ故にである。
数分後、歳三の前には六人の隊士が整列させられた。
皆、緊張を隠せない。
その隊士達の顔を一瞥し、歳三は口を開いた。
「諸君らが入隊してまだ日が浅いことは承知している。隊の規律を教えこむ時間も取れず、私自身責任を感じている」
思わぬ言葉にその場の全員が動揺した。
永倉も腰を浮かしかけたほどである。
構わず歳三は言い続ける。
場に応じて俺と私を使い分けることは、副長に就いてから覚えた。
「それ故、私自身が市内巡回の任務を諸君らと行いたい。期間は明日より三日とする。新撰組のあり方について任務を通して伝えたいと思う」
歳三は平然としているが、隊士達はそれどころではない。
副長自らが新参の隊士を率いるなど考えられぬことである。
歳三がその場を去った後、彼らは顔を見合わせた。
ある者はこれは試験ではないかと言う。
またある者は巡回の折に落伍者を粛清するのではないかと恐れた。
それだけ土方歳三の存在は重かったのだ。
また彼らだけではなく、永倉も歳三の真意を測りかねていた。
追いつき、短く問うた。
「副長、いやさ、土方さん。どういうつもりだい」
永倉は元々試衛館の食客である。
同門では無いが付き合いは長い。
故に名字で呼ぶこともある。
「何がだね、永倉君」
歳三の返事は短い。
じろりとその大きな目を永倉へと走らせた。
くっきりとした二重瞼が役者のようだと女には受けがいい。
だが任務遂行時には冷たい光を放つ目だ。
今もまた、底光りしている。
「平時の市中見回りとはいえ、不意の事件が無いとは限らん。何か考えがあるんだろうが腕の立つ奴を連れて行った方がいい。沖田なり山南さんなり」
「いらんよ。副長の責任を以て、彼らを一人前にするためだ。全員の無事も含めてな。近藤さんの了承も得ている」
一番隊組長の沖田も、自分と同じ副長である山南敬助もそれぞれの任務がある。
それ以上に、歳三には彼の思惑があった。
多少の危険はむしろ望むところである。
「しかし」と永倉は食い下がろうとしたが、そこまでだった。
歳三の意向を尊重したのだろう。
「分かった。副長はあなただ。これ以上は言うまい」
「感謝する」
一礼して歳三はその場を去った。
******
夜が明けるとすぐ、壬生の屯所は活動を始める。
四十名ほどの隊士が集まり、それぞれの任務に就く。
もう少し数が欲しいため、江戸で隊士募集の活動はしている。
だが、それがどの程度の増加になるかは今は分からない。
歳三としては現有戦力の強化に打ち込む他は無い。
"俺が新撰組を作る"
井戸水で顔を洗う。
清冽な冷たさに、ぶるりと身を震わせた。
朝の冷気が戦意を研ぎ澄ましてくれる。
"そのためにここにいるのだ"
元は関東は多摩地方の農民に過ぎない。
近藤勇も同じである。
天然理心流を学んでいたからこそ、浪士隊に取り立てられた。
京の都の土を踏むことも無かっただろう。
"ここからだ"
常々抱く思いを一際強く噛み締めた。
部屋に戻り、寝間着から隊服に着替える。
白襦袢の上に生成りの麻の着物。
その上から最後に浅葱色の陣羽織を羽織る。
袖のだんだら模様は目立つが、名を売る意味では悪くない。
下は細い縦縞模様の袴である。
着替え終えた後、歳三は刀を腰に挿した。
会津公より拝領した銘刀、和泉守兼定である。
黒皮で巻かれた柄に触れた。
しっくりと手に馴染み、安心感がある。
「よし、行くか」
誰にも聞こえぬ小声で、自らに気合を入れた。
新参隊士達との市中見回りが己を待ち受けている。
気を抜けるはずもなかった。