第二十三話 会敵
沖田と話したその日の夜のこと。
歳三は祇園に出かけていた。
一人ではない。
何人かの会津藩士と一緒である。
「それでは屯所移転の件はよしなに」
「うむ、承知した。三月だな。京都は移転の際の届け出書については些かうるさい。町役人には我らから事前に言付けしておこう。その方が面倒が無い」
「お心遣い感謝いたします」
歳三はホッとした。
丁寧に頭を下げる。
局長の近藤は風邪を引いたため本日はいない。
副長としてはこうした接待役もやらねばならない。
鬼の副長の謝辞に、会津藩士達も和やかな顔になった。
「そう固くならなくても良いであろう。新撰組のおかげで京都の治安は保たれている。さあ、土方君。もう一杯どうだ?」
藩士が目配せすると、太夫の一人が徳利を手にした。
白く細い手が傾き、酒を盃に注いでいく。
繊細な甘い香りは京都の酒独特なものだ。
水が優しいのだろう、と歳三は思った。
ぐっと一息に飲み干す。
酒は強い方では無いが、多少は飲める。
「ありがたきお言葉にて」
言葉短く、再び頭を下げた。
周りの部屋からはゆったりとした音が流れてくる。
太夫の唄に三味線の調べ。
そこに男達の拍手や笑い声が重なっていた。
ここでは穏やかな空間が人工的に創り出されている。
工夫と技術と人の欲の賜物だ。
「土方さま、もう一杯いかがどすえ?」
「いや、私は結構です。あちらに注いでさしあげてください」
太夫の更なる酒の勧めは断った。
あまり酒が強くないのは謙遜ではない。
飲める人間に飲まれた方が酒も幸せだろう。
酒を振られた方は既に赤い顔だ。
それでも断る素振りも見せない。
「ははは、鬼の副長に勧められては断われんなあ。よし、わしに注いでくれんか」
「ふふ、どんどん飲んでくれやす。会津の方はよう飲みはるねえ」
「おうよ。米どころじゃからのう」
豪快に笑いながら藩士はぐいっと盃を干した。
その様子に太夫達が歓声を上げる。
土方も控えめに笑顔を浮かべた。
一時的にとはいえ、血なまぐさい業務から離れるとホッとする。
だが自分でも分かっていた。
長く浸ればこうした華やかな時間には飽きてしまうということに。
"俺は剣を振るうしか脳の無い男さ"
微かに酒が回っている。
頭の片隅で歳三は自嘲気味に己を評していた。
新撰組に加入したのは約二年前。
その当時、歳三は二十八歳だった。
実家は富裕な農家なので食うに困ることは無い。
けれども歳三は自分を持て余していた。
天然理心流を学び、剣術はある程度出来るようになった。
だが正式な武士には到底なれそうもない。
農民として畑を耕すのも、今ひとつ性に合わぬ。
ただふらふらとしていたあの頃。
"俺には新撰組しかない"
給金で買われた急ごしらえの武士でも構わぬ。
不穏な気配うずまく京都で唸る番犬で構わぬ。
壬生の狼はこの土方歳三が束ねる。
口と理念だけが達者な昨今の武士より、よほど自分達の方が武士らしい。
"新撰組副長、か"
いつしか酒の酔いは幾分冷めていた。
気がつけば宴席はお開きとなっている。
半ば過去に意識を飛ばしている内に、時が過ぎていたようだ。
「土方君は今宵はどうする?」
「私は失礼致します。明日が早いもので」
「そうか、うむ。では今日は楽しかった。気をつけて帰ってくれよ」
「はっ」
茶屋を出て会津藩士達と別れた。
彼らはこのまま泊まるのだろう。
実のところ歳三も泊まることは考えた。
けれど、何故かその気にならなかった。
冬の夜道を歩き始める。
華やかな祇園といえど寒さは他所と変わらない。
駕籠屋を捕まえようと思った時だ。
"むっ"
唐突に横合いから強烈な気配を感じた。
飛び下がりこそしなかった。
だが体は自動的に臨戦態勢を取る。
膝を僅かにたわめ、やや重心は前に。
気配が飛んできた方向を睨む。
一軒の宿があった。
その軒下からだ。
「ほう、おいの殺気に気づくかあ。おんし、やはりやりおるのう。流石は新撰組の副長がよ」
「薩摩の者か」
低い声で聞き返した。
かなり濃い薩摩弁である。
自分の出身を隠す気は無いらしい。
「げにその通り。おんしに用があって声をかけたんちゃ」
声が近づいてきた。
ちょうどその時、雲が割れた。
月の光が差し込み、声の主を照らし出す。
厳つい容貌の男であった。
一言で言えば岩である。
背は高い。
五尺六寸か七寸はあろう。
歳三を僅かに上回る。
体にも厚みがある。
腰に差した大小から武士−−少なくとも剣術の心得がある者と知れた。
知った顔ではない。
だが、歳三の勘はこの男の名を告げていた。
「薩摩藩士、中村半次郎だな」
「いかにも。おいが人斬り半次郎でごわす」
中村半次郎は人斬りの部分を強調した。
歳三の視線を受けても小揺るぎもしない。
不快であった。
「声をかけてきたということは私の顔は知っていたのか」
「じゃっど。ここ最近、おんしとは縁があるみたいがよ。顔くれえは調べもした」
「縁か。噂だろう、それを言うなら」
「噂も一つの縁でありもうす。土方さあがおいを狙っちょるのか。おいが土方さあを狙っちょるのか。いっぺこっぺで聞かされてやぜろうてかなわん」
訛りがきつく、少しばかり聞き取れない。
だが大意は分かった。
要はうんざりしているということだろう。
「奇遇だな。私も同感だ」
半歩分だけ踏み込んだ。
ここは祇園だ。
抜く気は無い。
少なくともここでは抜けない。
「気が合うがよ。そこでおいに提案がありもす。あらつらすっきりさせんがよ?」
「……つまり、立ち合おうということか」
「そうじゃ。まさか逃ぐっとは言わんが」
中村も歳三との間合いを半歩詰めた。
歳三は引かず。
互いの顔がはっきり分かる距離である。
判断を迫られた。
局中法渡に従えばやや微妙ではあった。
これは明らかに私闘である。
だがこの挑戦を断れば敵前逃亡になる。
新撰組副長が臆したとも誹られよう。
それ即ち、士道不覚悟。
武士にあるまじきことだ。
ならば歳三の取る道は一つ。
戦い、かつ勝利するしかない。
「受けよう。何処でやる」
「鴨川河畔まで行きもんそ」
二人は並んで歩き始めた。




