第十七話 歳三到着
「総司、おい、どうした!」
歳三は思わず叫んでいた。
沖田総司が階段から転がり落ちてきた。
驚きを隠せない。
歳三の眼前で、浅葱模様の羽織の背中がひざまずく。
見覚えのある背中のはずが酷く遠く見えた。
池田屋に討ち入ったと聞いて到着してみれば、一体どういうことなのか。
「土方、さん?」
「総司、お前口から血が!」
動揺して歳三は駆け寄った。
他の隊士も続く。
井上源三郎が「副長を守れ。わしは永倉さんを援護する」と奥へと駆け出した。
数が減ったとはいえ、まだ長州藩士は残っているのだ。
「おい、総司。大丈夫か」
「……ええ、まあ」
歳三が呼びかけると、沖田は何とか返事は出来た。
とはいえ、声はか細い。
具合はかなり良くないようだ。
隊士達の肩を借りねば立ち上がれない有り様である。
見た限り外傷は無い。
なのに口元に血がついている。
"肺を痛めているのか"
歳三の背に冷たいものが流れた。
この時代、肺がやられる病気−−労咳と呼ぶ−−があることは知られていた。
現代でいう肺結核である。
沖田が時折咳き込むことはあった。
だが、気にする程ではないと思っていた。
「早く運びだせ。板戸に乗せて屯所へ。あと負傷者は?」
矢継ぎ早に指示を出す。
沖田の症状は軽視出来ない。
だが、まずはこの場を収めねばならない。
遅れた分だけ状況把握に時間がかかっている。
ただ、事態は終盤にさしかかっていることは間違いない。
「会津藩は?」
「連絡つきました。藩兵をこちらに向かわせると」
「ようやくか」
舌打ちしたくなる。
ほぼ新撰組単独で事にあたったようなものだ。
多少こちらの活躍に色をつけてもらわねば割に合わない。
想定以上の難局だ。
「とりあえずこの場は新撰組で片をつけねばならんな。二階には局長だけか?」
「はいっ。あと一階では藤堂さんが負傷しました」
「命に別状は?」
「今は大丈夫とのことです。鉢金越しに頭を殴られたと」
心配ではある。
だがここでうだうだしていても仕方ない。
歳三がやるべきことは別にある。
「二階に三人ほど行け。私は後方で指示を出す。会津藩への連絡急げ」
本当は二階へと駆け上がりたい。
だが、自分が今更行っても仕方がない。
沖田、藤堂らの負傷者を運ばねばならぬ。
池田屋から逃げた者を特定せねばならぬ。
町役人との協議や野次馬の取締り、加えて会津藩とのやり取りとある。
自分が前線に出てしまえば、こうした仕事が処理出来ない。
"ち、多摩で喧嘩に明け暮れていた頃から窮屈になったもんだ"
苦い顔のまま歳三は池田屋の外へ出た。
中の喧騒とは別の騒音に囲まれた。
野次馬達がずらっと取り囲んでいる。
これほどの剣戟はやはり隠せるものではなかった。
隊士達が必死で止めているが、なにせ数が多い。
かなり苦慮しているようだ。
「諸君、ご苦労。池田屋に絶対に入らせるな。止めても無駄なら少々手荒な真似をしても構わん」
周囲にわざと聞こえるように言った。
特段大きな声では無い。
だが歳三の声はよく通る。
野次馬達の動きが少し収まる。
一歩二歩と後退した。
「鬼の副長だ」
「新撰組の」
「あれが土方歳三」
ざわり、とヒソヒソ声が聞こえてくる。
畏怖、あるいは若干の蔑視の響きがある。
全て無視した。
歳三の表情は堅い。
新撰組の悪口や陰口は全て引き受ける覚悟である。
"少しの辛抱だ。事の全容が明らかになれば、俺達を見る目も変わる"
可能性ではなく確信をもって、歳三はその場を仕切った。
幸いなことに、会津藩の藩士とすぐに会うことが出来た。
聞けば準備に手間取り、この日の捜索に出遅れたらしい。
この一大事に、と歳三は思った。
だが不平不満はここで出すべきではない。
「我ら新撰組に全てお任せください。長州藩士を何名か捕縛しております。計画の全貌と主要な藩士の名前については彼らより聞き出します」
丁重に述べ一礼した。
要は最初から最後までこの件は自分達が面倒を見るということだ。
会津藩の出番があるとすれば、長州藩と直談判する場合である。
その段階になれば新撰組に出来ることはない。
"やれることはそれくらいだ"
夏の夜が更けていく。
時折指示を出しながら、歳三は池田屋の外で待機していた。
やがて二人の男が出てきた。
特徴的なだんだら模様の羽織が血や埃で汚れきっていた。
歳三の方から声をかけた。
「近藤さん、永倉君。良かった、二人とも無事で」
「おう、歳か。まとめ役ご苦労だったな。こっちはあらかた片付いた」
「これほど斬りまくることになるとは思わなかった」
両名とも疲労の色が濃い。
特に永倉は酷かった。
左手の親指から血が滴っている。
あと少し傷が深ければ指が吹っ飛んでいただろう。
「手酷くやられましたね」
「鍔で受けようとした時にしくじった」
歳三が気遣うと、永倉は悔しそうに答えた。
傷口には乱暴に包帯を巻いている。
あくまで応急処置に過ぎない。
「永倉君も屯所へ。早く手当しないとまずい」
「そうですね。剣が持てなくなるのは勘弁だ」
「よくそこまで戦ったな」
近藤が割って入った。
こちらは無傷である。
ただ息が荒いだけだ。
「藤堂が倒れましたからね。あいつを見捨てるわけにもいかないし」
「さすが」
その一言でも近藤の賛辞は十分伝わった。
永倉が頭を下げた。
ふとその表情が変わった。
「それより沖田君が心配だ。血を吐いて倒れたと聞いたが」
「ああ」
歳三は再び顔を曇らせた。
長州藩の暴発を未然に防ぎ、勝利を誇ってもいいはずだった。
だが沖田の吐血の光景が脳裏に貼り付いている。
自然と気持ちは暗くなる。
"大したことないはずだ。そうだろ、総司"
自分に言い聞かせながら、歳三は夜空を見上げた。




