第十五話 奮戦
近藤、沖田が池田屋の二階で暴れている頃。
一階では永倉新八が奮戦していた。
怒号と悲鳴が渦巻く中、長州藩士目掛けて刀を振るう。
「新撰組二番隊組長、永倉新八だ。大人しく捕縛されるなら良し。と言ったところで」
苦笑した。
「今更大人しくする気などあるわけがないか。なあ?」
呼びかけを挑発と受け取ったのか。
長州藩士の一人が刀を抜いた。
土間を挟んで向かい合った。
間合いは約一間半である(一間=約1.8メートルのため約2.7メートル)。
お互いの表情がはっきりと分かる距離だ。
"たまらんな"
ピリピリとした感触が永倉を包む。
土間の土埃を通して、相手の殺気がこちらに刺さる。
"こうまで激しい乱戦に自分が身を投じようとは"
思考は一瞬。
鍛え上げた身体が動いた。
相手の動きは待たなかった。
鋭い踏み込みに連動し、上段の構えから撃ち込む。
気持ちいいほど真っ直ぐな剣筋だ。
相手の防御が間に合う。
素直な攻撃だけに読みやすかったのだろう。
だが、ここからが永倉の真骨頂である。
「がっ!?」
相手が怯んだ。
防御から返そうとしたが出来ない。
永倉のあまりの剣撃に体勢が崩れたのである。
恐るべき威力である。
この一撃を以て、永倉は主導権を握った。
「ぜっ!」と次、そのまた次の連撃を入れる。
相手の防御は間に合うが、それだけだ。
返しを入れる余裕は無い。
永倉の三撃目が入った時、相手の刀が吹っ飛んだ。
握力さえも奪ったということである。
「いただく!」
四撃目も先程と同じ。
なんのてらいも無い真っ向からの面打ちだ。
だがそれで十分だった。
綺麗に相手の脳天に入る。
ゴシュ、と鈍い音と共に仰け反った。
額から入った傷は頭部の半ばまで届いている。
永倉の学んだ神道無念流は力の剣術と称される。
その名に恥じず力強い撃ち込みを特徴とする。
相手の防御が間に合っても構わない。
そこを起点に体勢を崩す。
無論、そのためには卓越した膂力と鋭い剣撃を必要とするのだが。
「ふうぅ……」
長く呼気を吐き出した。
だが休む暇も無い。
別の相手が向かってくる。
仲間を殺られ、完全に頭に血が上っているようだ。
小手、これは鍔で受ける。
押し返そうとした。
それより先に相手が退く。
上手い。
逆上していても冷静だ。
「やりやがる」と永倉は舌打ちした。
ならばここは。
構えを変えた。
上段の構えから青眼へ。
剣先をぴたりと相手の方へ向けた。
相手は自分の左を取ろうと動く。
だが身体を回し、側面は取らせない。
じりじりとした攻防が続いた。
その均衡が突然崩れた。
焦れた相手が突っかかる。
声にならない叫び声がほとばしった。
上段の構えは奇しくも永倉と同じ。
だが永倉の動きは相手よりも速い。
それも動き出しを読んだ上で、純粋な反応速度で上回ってだ。
「ぶち憎々しいんじゃ、おどりゃあ!」
「遅い!」
ゴ、と永倉の剣が唸った。
青眼の構えから真っ向からの面打ち。
恐ろしいほどの剣速が乗っている。
鍛え上げられた体幹と膂力が可能にする絶技であった。
相手の面打ちと打ち合う。
弾き合う、いや、その暇さえ与えず弾き飛ばした。
"殺った"
まごう事なく確信。
その確信に沿って、最後まで剣を振り下ろした。
鎖骨から絶ち割り、背中まで刃が通っていた。
豪剣と呼ぶに相応しい神道無念流の真骨頂である。
「次!」
死体を蹴り飛ばし、永倉は叫んだ。
返り血を拳で拭う。
血の跡が頬に残り、凄惨な面持ちだ。
ある意味壬生狼の異名に相応しい。
「いやあ、永倉さん流石に強いですね。これなら安心だ」
「何を悠長なことを言っているのだ、藤堂君。一階は我々二人しかおらぬのだぞ」
「無論承知しております。っと、危ない」
永倉と話しつつ、藤堂平助は敵の攻撃を避けた。
この青年も腕利きの剣客である。
生真面な性格であり、剣は北辰一刀流を学んだ。
つまり副長の山南敬介とは同門である。
「山南さんの分まで働く所存。いざ!」
眼光鋭く、藤堂は敵に斬りかかった。
背後の永倉のことは特に気にしていない。
下手に庇おうとすると、永倉の動きの邪魔になりかねない。
むしろ自分が好きなように暴れることにした。
敵の注意を惹きつければ、それが永倉への援護になる。
"来い"
一気呵成の攻めより、藤堂は待ちが得意だ。
剣先をゆらゆらと揺らし、相手を牽制する。
鶺鴒の尾と呼ばれる一刀流独特の動きである。
どれほど足捌きを使おうとも、藤堂は隙を見せない。
崩れない。
次第に相手が焦り出す。
「っ、ちぃ!」
「温いな!」
飛び出してきた相手の剣を横薙ぎで迎撃。
返す刀の下段斬りで足を払った。
浅い。
皮膚一枚掠めたのみ。
だがそこで止まらない。
「しいいっ!」
左足を軸に時計回りに回転。
相手にわざと背中をさらす。
わざと作った隙が生じる。
それをも計算に入れて後方に跳ぶ。
着地待たずの右片手の横薙一閃。
飛び込んだ相手の手首を払った。
"手応えあり"
切断まではいかない。
だが、相手は苦痛に右手首を抑えている。
もはや戦闘不能だろう。
思い切り腹へと蹴りをぶち込んだ。
剣客らしからぬ力技でぶっ飛ばす。
「足癖が悪くなったな」
永倉がぼそりと突っ込む。
「使えるものは何でも使う主義でしてね」
藤堂は真顔で答えた。
戦闘開始から四半刻(約三十分)。
池田屋の屋内にて血煙は濃くなる一方だった。
 




