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だらしなく緩やかに流れる川 前編

 いつも僕がハンバーグを作っているのは他の誰でもない少女探偵のためだった。彼女は事件を解決すると必ず僕のところに寄って、夢のように膨らんだハンバーグを本当に美味しそうに頬張っていく。

 でもこれから作るハンバーグは、少女探偵ではない別の女の子のためのものだ。

 今日は違うけど、いつもならば、こんな風に作るだろう。レシピと言えども、ささやかで単純なものだ。僕は挽肉と玉ねぎとパン粉と卵を混ぜ合わせ、あらびきの塩胡椒で味を整える。熱したフライパンで焼き上げ、ひっくり返し、フライパンに蓋をする。もう片面を弱火でじんわりと焼き上げるときの音を聞きに彼女はやってくる。それから席に戻り、お腹を空かせた子供に戻る。最後に、肉汁を含んだバターの溜まりにソースとケチャップとマスタードを混ぜ合わせたソースで味付けをする。食器に描かれた花の模様が隠れてしまうくらい大きなハンバーグが出来上がる。待っていましたとばかりに少女探偵がハンバーグを頬張ると、彼女が満足気な表情を見せた。僕は彼女が事件をどのように解決したかを話すのをただ待っていた。これが僕らの日課だった。

 この話をいつもならば、僕はこんな風に語るだろう。

 それはかつてだらしなく緩やかに流れる川のような形をしていた。昼下がりに誰かが釣りや、水遊びをしに立ち寄るような場所だと想像してもらえればいいのかもしれない。あるいは何かの競技に真剣に興じるよりも、ああ川の水って冷たいしおいしいよねと言い合いながら、キャンプをする大人たちの中に混じって炭の匂いを嗅ぐのが僕たちは好きだったところだと言えばいいだろう。僕たちはその川そのものだったし、そしてそれは昔少女探偵の両親が出会った場所だったのだから、結果として僕たちは、少女探偵の父さんや母さんになりすますことには成功していたと思う。僕や彼女の他の友人たちは皆、少女探偵の親のような人たちだった。単純に、彼女の世話を焼くのが好きだったんだ。少女探偵の父親も探偵だったが、今彼はいない。母親もいなかった。だから代わりに僕らが面倒を見ていた。

 やがて少女探偵は秘密のクローゼットから自らが解決すべき事件に乗り出していく。昔少女探偵の父さんがやっていたのと同じ要領で、アンダーグラウンドへの扉を開ける。

 僕はそんな少女探偵が好きだったし、皆何かしら彼女の応援をしていた。彼女の活躍を写真や動画、イラストに記録するグループもいた。僕は彼女をねぎらうためにハンバーグを作っていた。彼女から事の顛末を聞くのが好きだった。その事件をブログにする作業も気に入っていた。だからこれからする話も、基本的には僕が語り手、ということになる。

 僕らは彼女のことをクローゼット探偵メロディ=アリスと呼んでいた。

彼女が解決した事件は:家の近くには小さな川が流れていた。事件はその川の上流で起きた。その行方を示す魚たちは紛れてきた少女の血に触れて死んでいった。その形跡をクローゼット探偵メロディ=アリスは辿り、男たちの証言に辿り着いた。

 第一発見者は四人組の男たちだった。警察の陳述書では男たちはよくキャンプをするためにこの川の上流まで訪れていた。昼間はキャンプを張り、バーベキューを楽しみながら妻や子供たちの話で時間を潰す。釣りや火起こしのための木々を集めることを楽しむ。夕方から夜にかけて食事やウイスキーを楽しみ、トランプに興じる。それからまた思い出したように妻や子供たちの話をする。深夜までそれが続き、誰か一人が眠ると、相次いで全員が眠っていく。朝を迎えると誰かが大抵釣りに出かけている。その後、朝食に暖かいスープを飲む。いつも彼らはこのようにキャンプでの小旅行を楽しみ、次の日の朝になると帰り支度をする。今回もそうなるはずだった。

 問題は朝に起きたと彼らは言う。彼らは女の子が川にいるのを見つけて放置したまま、朝のキャンプを楽しんだ、ということだ。と言っても、彼らが殺したわけではない。遺体が遺棄されたのを通報しなかった。彼らはキャンプがふいになってしまうことを嫌がったのだ。

 女の子は裸のまま川にいた。状態から見て、彼らがやってくるほんの三十分前に彼女は投げ込まれたと警察は報告している。もし彼女が生きていれば、水の冷たさを直に感じ取っていたと言ってもよかったのかもしれない。

 ここへやってくる前、彼らは川に飛び込んで泳ごうぜと話していた。でも彼女を見つけた以上、その発言はなかったことにされた。そのついでに、女の子がいたことを忘れていることにもした。いくらか彼らが話し合った後、とりあえず女の子が川の下流に流れていかぬよう、大きな石で彼女を囲むことにした。もう二度ほど、女の子を見に行ったが、彼らが置くと決めた場所からは流れていかなかった。

 朝、彼らのうちの誰かが警察に電話した。ほどなく、しかし感じられるには長らくして警察、救急車両はやって来て、彼女を運んでいった。彼らの中にある良心も運び去っていき、そこにいるのはそれ以外、もぬけの殻のような男たちだった。警察は彼らに厳重注意をした。遺体放置の件は確かに罪ではある。しかし警察官は彼らと共に学生時代を過ごしてきた良き友人であった。前回の休暇には、子供たちの野球大会を応援しに行ったではないか。きっと今回の件があまりにもショックだった、と警察官たちは理解した。ああいった状況において、適切な処置を施すのはたとえ自分が居合わせたって無理さ。そう語り合った。それより彼らが遺体を流さないようにしてくれたことを感謝すべきだ。また何かあったら、協力してくれ。ああ、でも今度会うのは文化祭だろうな。警察官の責任者はそう言葉を締めくくった。

 もう何度か事情聴取があるとは言え、実質的にはお咎めだけで午前終わりに彼らは家に帰った。彼らは発見者であるが、犯人に至る手がかりをもっているわけではなかった。家に帰る前に、彼らは家族に電話した。今日こういうことがあってさ、帰りが遅くなるんだ。もちろん女の子を見つけてからもキャンプを楽しんだ事実は伏せて。妻たちはそれぞれに心配し、それぞれの夫たちの帰りを待った。

 その後、警察の発表があった。地元新聞記者たちは事件を報道した。警察は第一発見者である彼らの名前は伏せたが、地元の新聞記者の一人は友人たちの中でその場に行きそうな相手が誰かは知っていた。それは町の人間であるなら、当然知っていることだったから。それから彼らの職場や自宅に電話がかかってきた。もしもし、と誰かが電話を取った。それはいつもなら発注書の送付に関する連絡、商品の取り置きや意見要望が主なはずだった。取引先は古い付き合いばかりだから、今日の日に限っては、皆、殺人事件に関わった彼らを求める声しかなかった。町の人間は大抵が彼らを庇おうとした。あるいは親切のつもりで電話を掛けた。皆そうだった。といっても、町の人たちは事件のことを知りたかったわけではない。皆何があったのか知っていたのだから。本当は、彼らを好きだったときの時間を自分たちと共に巻き戻すために電話した。そうすれば全てが上手くいくと信じていた。彼らがそんな凄惨な事件の目撃者にはならなくても良かったはずだし、彼らがいつものようにキャンプへ行ったときのことを楽しく話す姿が、釣りを楽しんだことや家族のことを語っている彼らが好きだったと言い合いたかった。彼らを庇うことで、全ての物事がいつもと同じように進んでいくのだと信じ込んでいるフシがどこかにあったから、皆そうしたのだ。

 やがて彼らはその女の子のある部分について忘れる。彼女は、どこか遠い国で夢を叶えるために勉強しているのだと思い込む。今夜が彼女の旅立ちの日であり、いつか戻ってくるときは、それはもう立派な大人になっているのだろうと信じている。明日の朝には、昨日は町の人総出で空港へ行き、良き友人である彼女を外国へ送ったばかりなのだとお互いに言い張る。そしていま夜にも関わらず、僕たちは何百人もいる。町の人口よりも遥かに多い数だったが、僕らはそれを口にはしない。メッセージボードは何枚にも渡り、そのうちの一つにはもうぎゅうぎゅうにシールが貼られているし、色紙だって何枚も何枚も書かれていた。いつかそれを自慢するんだと言い合っていた。彼女のスマホにはスタンプの山が送られ、読み終えられないぐらいに溢れていた。彼女との別れがそれは寂しかったと口々に話すけど、それ以上に彼女の夢が自分たちの悲しみを彩りさえするものなのだと語り合った。そうして出来上がった虹の垂れ幕が全てを物語っていた。彼女には向こうに着いたら、連絡するねと誰もが言ったし、手紙も送るからねと約束した。彼女もそのことを固く誓った。彼女と僕らの言葉が全て集まれば、その夢が叶うのは容易いものだと信じ込んでいた。

 彼女に何か忘れ物はないかどうか誰かが訊ねた。でも彼女の手荷物は、ほとんど僕らが買ったあげたものだ。彼女に空港チケットを買ってあげたし、付せんに溢れた旅行ガイドだって買ってやったし、語学の先生だって呼んであげた。毎朝毎晩の、ちょっとした隙間の時間には外国語で会話の練習する相手もしたし、彼女が学校に行っているときも彼女の恋人がその練習に付き合った。スーツケースや洋服も買ったし、向こうの知り合いに紹介状を書いてあげた。彼女が宿泊するホテルは信頼あるところへ予約した。

 しかし僕たちは好きでそうしていたわけではないと認める。彼女を通して自分たちがそのように感じて生きていたことを。

 どうやって彼女が選ばれたか。それは僕らにだってわからない。偉大さと同じぐらい、それは彼女に押し付けられたものだったから。不確かな名誉が彼らの不安の先触れにあった。

 だからこそ僕らは出発前夜祭と称したパーティで楽しみつつも、その裏にある危機を感じていた。だから片道分しか手配をしなかった。それは帰りのチケットだ。

 彼女は飛行機に乗り込もうとゲートに立っている。僕らは電子セキュリティゲート側の幅広いホールの端から彼女の顔を何とか見ようとしていた。彼女はみんなにさよならしようと手を伸ばした。彼らもそれ以上に手を伸ばした。僕の鮮明な光景に焼きついていた。これを写真のように覚えて、彼らがいつか彼女を思い出すときにお互いに見せ合うのだ。僕はカメラのシャッターを押す音を聞こうとする。しかし聞こえない。周りに音はなく、彼らの呼吸も聞こえない。彼女が飛行機に繋がる折りたたみ式の通路を歩くために振り向くと、もう彼女だけが飛行機の中にいるのだと気付く。その時、その瞬間に、彼女が本当に去ってしまうのだと悟った。彼女の肩越しから、その自信が向けられていた。彼女の髪は黄金のように眩しく、足取りに合わせ揺れていく。再び、僕が何か物音を聞いたとすれば、それは彼女のプリーツスカートの衣擦れの音だ。

 彼らが家に帰る途中、最も勇気ある人は彼女が夢を叶えたことを知らせるまで、葉書を受け取るまいと言い張る。何かの験担ぎとして、それを誓う。彼らは全員分のアドレスを彼女に渡していたことを覚えていた。誰かが番号の書いたカードを彼女に渡したとしても、彼らが彼女のことを知る手立てはいくらでもあることを話すものはいない。それは向こうで何が起こったか知っているからだ。彼らの中で勇気のない人がいてもいなくても、彼らが思い始めていたことは、真実だと認める他ないのだ。

 彼女が去ってから最初の数日、数週間は、彼女が向こうでけっこう忙しくしているから落ち着かないんだと言い合った。彼女は楽しんでいるんだ。彼らは彼女がサニーストリートの美しい幻想の中を歩く姿や、彫刻仕立ての庭園を備えたカフェで午後を過ごし、洗練され暖かく優雅な食事をする姿を精巧に作り上げる。彼らは彼女の人生と一緒にいるみんなが好きだった。あらゆる夢は彼らが彼女に与えたものだ。たとえ彼らのうちの何人かが彼女に嫉妬しても、彼女は彼らが望んだものだと理解している。

 しかし本当は、僕も含め、彼らは彼女のことを全く何も聞いていない。

 徐々に彼らは彼女に関して同じことを考えるようになる。彼女の夢がもたらしたこの気高さを処理する、というよりも気高さの作法として彼女の夢を処理する。彼女に対する偉大さ、悲しみ、痛ましさがそうさせる。彼らの、彼女への言及は漠然とし、消えていく。彼らはこうして訳されることのなかった言葉をどうにかしようとする。しかし部屋で一人、彼ら一人一人忘れていくことを懸命に努める。

 僕らが忘れたことは:彼女の髪を忘れる。夏に遊んだ海水浴の太陽がどれだけ輝いていたかを忘れる。彼女の掌の形を忘れ、僕らが若い頃に熱中したアニメキャラクターを彼女が真似して懐かしませたことを忘れる。彼女の乳白色の肌つやと腕に浮かぶ柔らかでしなやかな血管を忘れる。彼女の首筋を小さく覆う粉状のうぶ毛を忘れる。彼女の水着に収められた小さな胸を忘れる。町の公園で行われた競争のスタート地点で彼女が取ったクラウチングの曲線的な筋肉の引き締まりを忘れる。僕らは近所に住むこっけいな兄について語った話を忘れる。いつも僕らが朝虹を見られるようにと彼女がみんなの寝室の窓に貼って回ったストライプカラーのセロファンを忘れる。彼女が家に走り帰ったときの彼女の髪の生え際に滲んだ汗と掌の温かみを忘れる。僕らが退屈しぼうっとしているときに彼女が教えてくれた秘密の遊びを忘れる。彼女が酢豚を頼むときいつも、いつも、豚肉を取ってソースと野菜だけを食べたことを忘れる。彼女が何か試みると必ず額の髪を押し上げたことを忘れる。彼女が子供の頃大好きで、今もときどき歌っている歌を忘れる。彼女が9歳のときに家族と行った海で集めた乳白色の貝殻を忘れる。彼女がいつも使っていた歯磨き粉の味を忘れ、そのキャップをちゃんと戻さずに家を出たことを忘れる。勉強部屋にあるごみを捨てずにそのままにするという呆れた癖も忘れる。僕らは彼女の好きなテレビ番組と同じ時間帯にお気に入りの映画がネットで放送されていると二ついっぺんに見て結局ストーリーが頭に入っていないとわかっているのに見ることを忘れる。彼女が好きなドラマについて話すと決まって忘れてしまったシーンを適当に作り替えて皆に教えてくれたことを忘れる。そしてそれを指摘されて微笑んだことも忘れる。

 幸せになるために忘れる。悲しまないために忘れるのだ。

 ということは彼女の恋人が、僕らの中で沢山のことを忘れるから、最も幸せになる。彼女の恋人はそれまで知っていたことを忘れ、たとえ彼女の恋人がそうしたくても、そのことを僕らに教えることは出来ないというわけだ。

 最も多くを忘れ去った頃に、何かが起こる。

 僕は彼女の恋人から電話を受ける。

 「彼女から聞いたんだ」彼女は僕に言う。「彼女が電話してきた」

 僕は何も言うまい。「そんなのあり得ないよ」僕や彼らが思っていることを一つもほのめかさないまま、僕は少し考えた。代わりにこう言った。「みんな聞こうとしていたところなんだ」

 彼らの何人かが僕に電話して言ってくる。「あの子が彼女から何か聞いたって言っていたよ。でも自分から電話したんじゃないかな」

 僕や彼らはきっと番号を間違えて交わされた会話なのだと結論付ける。声が似ていたとか、そうした冗談なんだよと言った。彼らは何もする必要なんてないと同意した。すぐに、そんな理由で僕や彼らは、彼女の恋人が彼女の電話を受けたことを忘れる。

 でも彼女の恋人は僕に再度電話してくる。「彼女から受けたのは別の番号だったんだ。彼女は元気だよって言っていた。でもやっぱり淋しがっていた」

 僕は会議を開く。「電話が来たことを忘れようとしていないんだ」僕は言う、「別の番号からだって言っている」

 「彼女がかけてきたって何でわかるの?」誰かがそう訪ねる。

 僕や彼らはそちらを向き、「そりゃそうさ。彼女がただそうあって欲しいってだけなんだよ。そうすれば僕らも納得してくれるだろうと考えているんだ」

 だから僕や彼らはあることを決める。

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