21話 ハウンドドッグ
薬草摘みなんて簡単な依頼のはずだった。子供でもできるおつかいだ。
森には魔物がいるが、低レベルで脅威はない。子供でも倒せるような相手なので、武器がなくても問題ない。いざとなれば殴ればいい。
警戒するとしたら、先日の事件のような強盗だが、あんな事件はそうそう起きない。
故に、ステラは安心していた。
油断していた、と言ってもいいかもしれない。
この世に、絶対安全、なんていう言葉はないのだから。
「はぁっ! はぁっ! はぁっ!」
ステラは全力で森の中を走る。
息が切れて、どんどん体が重くなる。
それでも、足を止めるわけにはいかなかった。
走りながら、後ろを見る。
聞く者を恐怖に陥れるような、おぞましい叫び声を放ちながら、ソレが追いかけてきた。
ハウンドドッグ。
簡単に言うならば、巨大な狩猟犬だ。
が、その身体能力は冗談としか思えない。
大人の体を上回る巨体と、あらゆる獲物を骨まで噛み砕く鋭い牙。体を覆う体毛は鋼のように固く、鉄の刃すら弾く。
倒そうとした場合、Cランク以上の冒険者が、複数人がかりで挑まないといけない中級の魔物だ。ステラが相手をするのは、まだ無理だ。
そんな化け物が、どうしてこんなところに? ハウンドドッグの生息域は、もっと北のはず!
ステラは半ばパニックに陥りながらも、駆けた。生存本能に突き動かされて、体に鞭を打ち、全力で走る。
しかし、逃げられるわけがない。
相手は、馬車よりも早く走ることができるのだ。
「あぐっ!?」
ハウンドドッグは、吠えると同時に前足でステラを薙ぎ払う。
丸太がぶつかったような衝撃が走り、ステラの体は真横に吹き飛んだ。
幸いというべきか、草木がクッションになり、軽い怪我で済んだ。
しかし、無茶を重ねた結果、体はもう動きそうにない。手に、足に力が入らず、立ち上がることすらできない。
獲物が逃げることができないと悟ったのだろう。
ハウンドドッグは余裕を見せつけるように、ゆっくりとその巨体を動かした。
巨体がステラの目の前に迫る。
歪な牙がびっしりと並んだ、凶悪な顎が開かれた。
「く……そ……」
死ぬ。
ステラは覚悟を決めて、目を閉じた。
せめて、最後は痛みがありませんように……
「待ちなさいっ!」
木の上から鋭い声が飛んできた。
狩りの邪魔をされたハウンドドッグは、不機嫌そうに唸りながら振り返る。
ついでに、ステラも振り返る。
マントとマスクを身につけた小柄な女の子……声で判断した……が、木の枝の上に立ち、こちらを見下ろしていた。
「罪なき人を苦しめる魔物よっ! 汝が罪を悔い改め、森に帰りなさいっ! さもなければ、私の正義があなたをひゃあああああっ!?」
落ちた。
決め台詞と決めポーズに気を取られていた人影は、足を踏み外して、そのまま落ちた。
ガサガサガサッ! どすんっ!
「いたたた……足、滑らせちゃった。バランス感覚までは、さすがに強化されてないのかな……訓練しておかないと」
呑気に呟く人影を見て、ステラは思う。
芸人?
それが、ステラの第一印象だった。
「あっ……い、いけない!」
ハウンドドッグが吠えて、ステラは我に返った。
マントとマスクを身につけているから、どこの誰かわからない。しかし、背や声からして子供であることは間違いないだろう。
自分は冒険者だ。こういう時に、子供を守らないでどうする!
ステラは震える身体を叱咤して、せめてもの護身用に持ってきたナイフを抜いた。
ハウンドドッグに対する恐怖は消えない。しかし、それよりも、この子が死んでしまうことの方が怖い!
「てりゃあああああああっ!!!」
ギィンッ!
ステラの一撃は、ハウンドドッグの硬い体毛に弾かれた。
反動に手がビリビリと痺れる。しかし、ナイフが折れなかったことは幸いだ。まだ戦える。
二度、三度、ナイフを振り下ろした。
ギィンッ! ギイイイィンッ!!!
いずれも硬い体毛に阻まれて、傷をつけることができない。
しかし、攻撃を続けたことで、ハウウンドドッグの標的がステラに切り替わった。
うるさそうな虫を見る目でステラを睨み、吠える。
「今のうちに逃げて! こいつは、あたしがなんとかするから!」
「そんなことは……」
「いいから早く! 長くは保たないわ!」
ステラは攻撃を線から点に切り替えた。
狙うは一点……目だ。
「くらええええええぇっ!!!!!」
全身のバネを利用して、高速の突きを放つ。
まだEランクではあるが、能力はCランクに匹敵すると自負するステラの一撃が、ハウウンドドッグの瞳を傷つけた。
巨体がのけぞり、おぞましい悲鳴が響く。
やった!
ステラは思わず笑みを浮かべるが……それは、すぐに凍りついた。
血を流し、怒りの形相を浮かべるハウウンドドッグに睨みつけられた。
質量さえ伴う、圧倒的な殺気。
まだ実戦の少ないステラは、ハウウンドドッグの放つ殺気に飲み込まれ、動けなくなってしまう。




