愛は純粋でなければならないと誰が決めたのだろうか
「た、助けてくれぇ!
今までした事は俺たちが悪かった!
だから、だから殺さないでくれ!」
この忌まわしき私の赤い目に映る世界、それは醜悪。
「お願いだから子供だけは、子供だけは!」
続いて自己愛、欺瞞、偽善、不条理の色が入り混じって映る。
そこには本にあるような希望や愛などなく、純粋さも無い。
それはただただ見るに堪えない、薄汚い世界。
「ワシらが何をしたと言うのじゃ、やめてくれ、やめてくれぇ!」
そして人々は煌びやかな鍍金の光を、無知に混ぜながら撒き散らす。
偽りと言う名の錆で、鍍金が浮いては剥げ落ちている事も気付かずに。
「この20余年、私を虐げてきた事を棚に上げてそんな事を言うのねアナタたちは」
この私をずっとずっと化物と魔女だと名付け、黒く染めた事も忘れてコイツらは言う。
「お願いだ!
出来る事なら何でもする、何でもするから助けてくれぇええええ」
「……そう、何でもしてくれるのね、そう」
「お、俺たちに出来る事なら……」
私は街人の言葉へ耳を傾け、気付けば屈託の無い笑みを顔に浮かべていた。
それに釣られてその言葉を口にした男も、煤と涙と泥で汚れた顔で小さく笑みを返す。
そして私は、
「なら全て潔く受け入れて、死になさい」
操る紅で男もろとも全てを染めた。
□ □ ■ ■ □ ■ ■ □ □
私はこの世界で誰にも愛された事が無い。
生まれながらに宿る自然を扱えるこの力と、赤い目を理由に虐げられた。
それは他人のみならず、実の親からも。
しかし私は今日までこの力を他人に向けた事など、一度もなかった。
自分が傷付けられて嫌な思いをしただけに、それを躊躇った。
極力、人に関わらないように人目の付かない森の近くに移り住みもした。
だが奴らは草根を掻き分けるように私を探し出し、何かと付けて災難全てを私のせいにした。
……時には自分たちで招いた災いも、魔女のせいだと嘯いて。
「ああ、あぁ……これで全部、全部全部終わったの」
後悔と達成感が胸の内で入り混じる。
昂る感情を息と共に吐けば、煤の浮かぶ空気へ熔けて消える。
大層立派な石造りの住居は、内側から火を噴いては街を照らし。
先日まで私へ何度も投げていた男女は皆、道の脇で街灯のように火を灯し。
それらの色は瞳の忌まわしい色を忘れさせてくれるかのようだ。
そんな中、炭にし損ねた影に気付く。
他と同じように炭へ変えるべく手を翳す……が、それは逃げようともしない。
……恐怖の余りに逃げる事も諦めたか。
「あ、あぁ……」
そして嗚咽を漏らしたかと思えば、それはゆっくり口を開いた。
「ああ、あぁ。
隣のマーヴェおばさんも、向かいのカリギュおじさんもみんな、死んじゃった」
ぽつり、ぽつりと零れる言葉は震え、
「あたしの賃金を騙してたアンジェメさんも、いつもいつも虐めて来てたカーヴェくんもマリバーさんもへんなことをしてきたローウェンさんもラーマさんもコルベくんもみんなみんな、みんなみんな死んだ」
涙に濡れる顔は紅に染まり、その人影の瞳も燃え盛る火に照らされて紅玉のよう煌く。
よく見ればその人影は年端も行かぬ幼い顔、しかし手指に刻まれる皺と傷は古木を思わせる。
その子が手で顔を覆えば、その不釣り合いさは一層を増した。
「もう、もう殴られることも、怒られることもこれでないんだ……」
その子は満足そうに私を見つめてくる。
そして柔らかな笑みを浮かべ、
「ありがとうございます」
その子は火と同じ色の眼を細めながら、そう口にした。
□ □ ■ ■ □ ■ ■ □ □
「―――忌子
人に非ざる能力を持った存在を意味する言葉。
姿形は人と変わらないが、力を強く宿す瞳は燃える火のように赤い。
能力は自然に関する物が多く、先天性……生まれながらにこの力を持つ者が殆ど」
「すがたかたちって何ですか?」
「見た目かしら、早い話」
あの日から数日が経った。
街を焼き払い、追手の事を考慮して私は森近くの住居から別の土地へ移った。
今まで胸を刺していたものは全て消え、こうやって本を読み聞かせる事も穏やかに出来る。
「なるほどです!
でも見た目ってご主人さま、とてもおきれいですよね?
ほかの人と同じって言うには少しちがう気もします」
「アナタね綺麗って……しかも私はアナタの主人になった覚えはないかしら」
しかしどう言う訳か、あの時の子供も一緒に連れてきてしまった。
同じ忌子だから?
……この自分にまだ情けがあったのか。
何とも笑える話だ。
「いいえご主人さまはご主人さまです!
あたしを助けてくれた、恩人さまですから!
ご主人さま、お茶がはいりましたどうぞです!」
「―――ありがとう」
そしてこの子もこの子で、ずっとこんな調子。
森に居た小鳥たちの方がまだ大人しかったと思えるほど、この子は四六時中よく喋る。
「ところでご主人さま、冬用の薪を割り終わったのですがどうしましょうか?
持ちの良いヒノキがまたあったので、多めに割っておいたのですが……」
「アナタ、先日も沢山割ってたじゃない―――って何よアレ。
いくつ冬越す気よあの量……」
新居の窓から外を眺めれば、薪が山になって積まれていた。
この子の忌子としての力は【怪力】
人の数十倍の身体能力を持ち、それを良い事に街人から利用されていたのだ。
それはこの子の手にある皺の数で、どれ程の物をさせられたかは容易に想像が付く。
―――とは言え、私としてはその内に出て行って貰う予定だ。
「え、えーっと……それじゃああたしが街で売ってきて、お金に変えます!
そしたらご主人さまの助けにもなりますし」
「瞳の色はどうするの。
直ぐに忌子とバレて前と同じになるわよ」
「そこまで考えてなかったです……」
と、そんなつもりで居たのだがどうしたものか。
今ここで放り出せばこの子はまた前と同じような扱いを受けるだろう。
怪力と言う力を利用され、私より酷い事になるのは言うまでもない。
「でもご主人さまはすごいです。
すぐにそう言ったお考えができたり、さすがですね!」
「それは20数年も生きれば当然でしょう。
逆にアナタが考えなさ過ぎなのよ……。
とは言っても見るからにアナタ、10と少しくらいみたいだし……考えなさいって方が酷なのかしら」
「いえいえ、ご主人さまはすばらしい方です。
こんな自分を助けて下さったお人ですし、あたしの唯一無二のそんざいです」
そして私自身、この子が向ける敬意を秘めた眼差しが嫌いじゃなかった。
ただ裏切り等を知るだけに恐怖もあり、こんな事を言われるのも初めてで戸惑った。
私は人の醜い部分を知るが、他を知らない。
「調子良いわねぇアナタ。
その言い方だと、街を焼き払ったのが私以外でも同じ事を口にしてるって事じゃない」
「あ、えっと……それは」
心地は良い。
しかしこの子が向ける感情は、それに起因する内容は私以外でも良かった物なのだ。
故に嬉しくある反面、都合の良い事を囀っても映る。
「むずかしいことはわかりませんが、あの時、あたしを助けてくれたのはご主人さまです。
だからそれ以外とか、わかりません。
自分にはご主人さまだけです」
しかしこの子は私の問いに対しても純粋に返す。
何とも健気な物で、少々居た堪れなくなる。
「そんな難しい顔しないで、冗談よ。
でもアナタ、幼い顔でどこかの色恋沙汰を書いた本の台詞みたいな返しをするのね」
「いろこいざた?」
「恋愛……好きな者同士、恋愛や情愛の事よ。
『俺はお前しか知らない、お前以外はいらない。
他の男がお前へ愛を口にするのなら、他の男が愛せないようにお前を傷付けよう。
お前は俺だけの物なんだ!』なーんて言ったりね?」
テーブルの脇にある棚へ手を伸ばし、本を手に取って背表紙をなぞる。
随分傷んだそこには『愛は純粋でなければならないと誰が決めたのだろうか』、の金文字が鈍く光る。
「いろこいざたとかれんあいはよくわからないですが、あたしはご主人さまの事、好きです」
するとこの子は私が向けられた事のない言葉を、本でしか知らない台詞をまた口にする。
それは乾いた木の表面を撫でるかのように、浮いた皮を不用心に摩り落とす。
痛みにも似た感情で、私はいつの間にか唇を噛んだ。
「あらそう、ありがとう。
でもそう言った言葉は想いを寄せる相手に言いなさいな?
知り合って間もないのよ、簡単に好きだなんて言わないで」
「他なんてわかんないです。
助けてくださったあの時から、ご主人さましかいません」
平静を装うが更に乱すような言葉を返してくる。
それは長年、他人から虐げられて生まれた負の感情に火を付けては内を燃やす。
「そう、アナタは私を好いてくれるのね。
こんな私でも。
じゃあ……」
気付けば棚の引き出しにある、ペーパーナイフをテーブルの上に転がしていた。
「アナタの怪力で、自分の腕を切り落として。
そしたら私も愛してあげるわ」
目の前に放り出された物を前に、流石にこの子も凍り付く。
さっきまでの饒舌も途端に静かになった。
頑張ってナイフを握っているけれど、その手は小刻みに震えてる。
「……ほら、出来ないでしょう?
なら無責任にそう言う事を口にしな―――」
過ぎた悪戯をしてしまったといくらか熱が冷め、ナイフを取り返そうとするが後退りされる。
そして、
「わかりました」
躊躇い無く切っ先は振るわれた。
□ □ ■ ■ □ ■ ■ □ □
「ご主人さまー。
お茶が入りましたー」
「あら、ありがとう」
新居の庭で日光浴を楽しむ中、いつもの声がかかり本を読む手を止める。
すると目の前に茶器が置かれ、お茶が注がれる。
「今日は山で摂れたリージェの葉でお茶を淹れたんで―――うわぁ!
す、すみませんご主人様!」
「大丈夫よ、それよりアナタ大丈夫!?」
「あたしは平気です……あぁ!
それよりご主人様のご本が大変な事に!」
そしてこの子は盛大にお茶を零し、水浸しにしてしまった本を前に大慌て。
それは森で騒ぐ小鳥にも似て、とてもにぎやかで。
「良いわよ、何度も読んだ本だから気にしないで。
それより火傷してない?
片腕なんだから無理しないで」
「い、いえ自分はその、大丈夫です」
慌てるこの子を落ち着かせる為、後ろから手を回して抱き止めた。
するとやっと静かになり、いつもの張りがある声もいくらか小さく。
大人しくなった姿がまた可愛くて、自分はこの子の肩をゆっくり撫でる。
「何かあったら一緒にって言ったでしょう?」
「は、はい」
そして腕を無くした左肩を撫で。
私はそれを前に一層愛おしくなり、気付けばこの子の首に顔を埋め、何度も確かめてしまう。
「あ、あのぉご主人様ぁ……」
「あら、なぁに?」
「どうしていつも左肩撫でるんですか?
傷ならもう治って痛くないですし……」
「一緒に居てくれてる嬉しさを確かめてるだけよ」
この子は恥ずかしそうに身悶え、か細い声でそう訴えてくる。
「ご主人様って変わってますよね」
「そう?」
「腕の無い左肩を触って嬉しいって……その。
だってあたし、こうやって時々失敗して、ご主人様に迷惑かけてますし……」
「私が望んだ事じゃない。
それに私は他の愛し方を知らないから……ね」
テーブルの上で水浸しになる本を前に、私はそう口にする。
20余年、人に化物や魔女と呼ばれ蔑まれ。
忌み嫌われはしても、好きだなんて言ってくれる人間は誰一人として居なかった。
「あたしが言うのも何ですが、歪んでますよね」
「あら、それを言うなら私の言葉通りに腕を無くしたアナタが言うかしら?」
「確かにそうですね……。
まぁそんなご主人様も愛おしい自分も大概でした」
すると腕の中でついに大人しくなった小鳥は、諦めたのか絡める腕へ頬を寄せる。
そして私はこの子の言葉へここぞとばかりにこう返す。
「―――私はアナタしか知らない、アナタ以外はいらない。
他の男がアナタへ愛を口にするのなら、他の男が愛せないようにアナタを傷付けよう。
アナタは私だけの物なの」
「そうですね。
愛は純粋でなければならないと誰が決めたのだろうか、ですね」
テーブルの上で水浸す本を前に、腕の中のこの子はそう口にする。
私も言葉を前に気恥ずかしくなり、返事の代わりに今一度首元へ顔を埋めた。
夢で見た話を夢の中で何度も練り直し、オチの「愛は純粋でなければならないと誰が決めたのだろうか」の一文で目が覚めて書きました(´・ω・`)