1.神への祈り
◆???視点
敵中で、荷馬車が壊れた。
「なんとかならぬのか」
姫が、わたしたちに言った。
姫は、御年十二歳とは思えない堂々たるカリスマの持ち主だが、さすがに今は焦りの色が浮かんでいた。
姫のまわりには、わたしを始めとする聖少女騎士団の騎士たちが集まっている。
といっても、たったの五名だ。それ以外の随員もいたが、彼らは敵の足止めのために後に残った。おそらく、今頃はもう……。
「轍に車輪を取られ、車軸が折れてしまいました。悪いことに、前後二本ともです。これをこの場で修理することは不可能です……」
わたしはうなだれて報告する。
「そうか……」
姫が静かにうなずく。
「もはや、これまでのようじゃな」
荷馬車には、姫の輿入れ道具が積載されていた。
グリュリア王国の王子と結婚するためには絶対に必要なものだ。姫の身分の証明でもあり、結婚先への持参品でもある。グリュリアは姫のみならず、姫の持ってくる財産まで含めて、第一王子との結婚を認めたのだ。もしこの荷馬車をここに放棄することになったら、たとえ姫ご自身がグリュリア王国王都サリアにたどり着いたとしても、目的を達することはできないだろう。
目的――われらがシャノン大公国と、グリュリア王国の同盟である。
「この荷を、敵に渡すわけにはいかぬ。が、荷を奪われて、妾だけがおめおめと逃げおおせるわけにもいかぬ」
「で、ですが……」
「妾は、荷を焼き、燃え尽きるのを確認してから、この場で自刎する」
幼い瞳に決然たる意思を宿し、姫が言う。
「そ、そんな……!」
「おぬしらは逃げよ。敵の目的は妾と荷じゃ。さいわい、追っ手は騎兵のようじゃ。森の中に紛れ込めば逃げ切れよう」
「そ、そんなわけには参りません! 姫がこの場に残るのならば、最後までお供するのがわれらの務め!」
「ならぬ。おぬしらはここまでよくやってくれた。敵地を突破しての輿入れなど、無謀がすぎたということじゃ。妾の判断が間違っていた。その責を負うのは妾だけで十分じゃ」
姫の断固とした言葉に反論できないでいるうちに、背後の街道から蹄の音が聞こえてくる。
まだ遠い……が、すぐに追いついてくるだろう。
わたしたちの顔が青くなる。
わたしの隣りにいた少女騎士ミッケが、地面に膝をつき、両手を祈りの形に組み合わせて叫んだ。
「ああ! 神よ! われわれに荷車を与えたまえ! 車軸が折れず、車輪が壊れぬ頑丈な鋼鉄製の荷車を!」
ミッケの祈りに、姫が苦笑して言った。
「これこれ。馬鹿な祈りで神を煩わせるでない。そんな都合よく荷車が天から降ってくるわけが――」
姫の言葉は最後までは続かなかった。
なぜなら――現れたからだ。
空中に、巨大な鋼鉄の箱が。
わたしたちの頭より高いくらいの位置に現れたそれは、とんでもなく大きかった。
連想したのは、聖少女騎士団の厩舎だ。五頭の馬を繋げる厩舎は、騎士団のものとしては小さいかもしれないが、それにしたって宙に浮いていいような大きさではない。
しかも、あのボロ厩舎と違って、目の前にあるそれは、明らかに鉄でできている。
一体、どれだけの重量があるのだろうか。
そのとてつもなく重そう箱が――落ちる。
「た、退避ぃっ!」
わたしはあわてて声を上げ、姫を抱え上げて後ろに跳ぶ。
他の少女騎士たちも同じように後ろに跳んでいる。
聖少女騎士団の練度は高い。
少女だけで戦おうと言うのだ。男性以上に厳しい訓練を積まなければ、戦場ではものの役に立たない……どころか、女に飢えたキヌルク=ナン騎兵たちの餌食でしかない。
任務はあくまでも姫の近衛であるから、前線で戦う機会はあまりなかったが、今こうして窮地に置かれてみると、普段心を鬼にして過酷な訓練を課してきてよかったとつくづく思う。
わたしたちが跳びのくのと同時に、箱が地面にぶつかった。
地面が、揺れた。
砂埃が舞い、わたしたちは思わず咳き込んだ。
「げほっ! な、なんなのよ、一体!?」
わたしは毒づきながら、「箱」へと目を戻す。
今一度観察してみて、わたしはあることに気がついた。
「見慣れない形だけど……これ、車輪よね? ってことは、まさか……」
この「箱」は――
「荷車……なのか!?」
その時こそが。
わたしたち聖少女騎士団と、のちに〈鋼の荷車〉と呼ばれることになる「モノ」との出会いだった。