18.インターミッション
◆オルフェウス視点
イザベラは、ほどなくして戻ってきた。
敵将ドジ・カラマンの首をぶら下げて。
私は聖少女騎士団を改めてカーゴに収容し、枯川の遡行を再開する。
イザベラによれば近くにキヌルク=ナンの部隊がいるらしい。彼らが様子を見に来ないうちに逃げる必要があった。
(わからないものだな)
私が考えているのはドジ・カラマンのことだ。
(一見、才気とは無縁のようでありながら優れた戦略家。しかし、突発的事態への対処はお世辞にもうまかったとは言いがたい)
瞬発的な対応力は、深謀遠慮とは別物だということか。
私は、自分が人工知能であるだけに、考えるという能力を重く見すぎていたのかもしれない。
(人というものの評価のしかたを修正する必要がある)
思索を巡らせながら、もちろん私は車内の様子もモニターしている。
「しかし、ずいぶんと酷い有様だの」
アナイスが眉をしかめて言った。
アナイスが言ったのは、車体の状態のことだろう。
フロントガラスには無数の蜘蛛の巣状のヒビが走り、その上に血糊がべったりとくっついている。付着していた人体や馬の一部は、そのままにはできないと言って、聖少女騎士団の面々が木の枝などでこそぎ落としてくれた。
(私にとってはどちらでも同じことだが、人間は他の人間や動物の死体を嫌う。衛生上の理由のみならず、本能に根ざした反応のようだ)
一方で、食肉とする動物の死体は保存するし、それらに嫌悪を抱くことはまったくない。むしろ、「おいしそう」と感じるらしい。
(人間の好悪は本能的なものだ。だから、論理のみによってそれを完全に理解することはできない。私自身が同様の『感覚』を持つ必要がある)
それまでは、人間の本能を分析した上で、あるものが人間にとって好ましいか否かを重み付けして把握する、という方法で代用するしかないだろう。
「前面もぼこぼこになっておったが、大丈夫なのか、オルフェウス」
アナイスが聞いてくる。
『問題ありません。もともと、私の前面は衝撃を受けた場合に凹みやすいようにできています』
「わざわざ凹みやすくしておるというのか。なぜじゃ?」
『人間との衝突事故が起きた場合、私の車体があまり硬いと事故に遭った人間の死亡率が上がるのです』
「なるほどのう……」
アナイスがうなずく。
今度はクリスが言う
「君は、戦うために造られたわけではないのだな」
『はい。私はあくまでも民生用のトラックです。軍事用のトラックは私より頑丈に造られています。もちろん、そちらには火器も搭載されています』
こうなってみては、私が軍事用トラックだったらどれほど便利だったろうと思わざるをえない。
「火器、というのは? 大砲のようなものか?」
『この世界にも大砲があったのですか?』
これまでの戦いでは見かけていない。
「大砲は重いからの。前線まで引っ張っていくのはほとんど不可能じゃろう。火薬の管理も難しい。威力としても、木製の投石機より際立って高いとも言えぬのでな。じゃが、あるにはある。他でもない、妾のシャノン大公国では国の要所に大砲が配備されておる。敵を迎え撃つ分には強力な兵器じゃからな」
『なるほど、シャノン大公国がキヌルク=ナンから身を守ることができているのはそのおかげですか』
「うむ。グリュリアの祖先が転生者だったように、シャノン大公国の祖先も転生者なのじゃ。シャノン大公国の開祖は機械文明の発達した異世界で優れた軍人だったと伝わっておる。開祖は、神から特殊な力を授かって、このトイボックスに転生した。その力とは、彼の知るすべての武器を何もないところから造り出すという能力じゃ。『兵器廠』と呼ばれておる」
『それは強力な能力ですね。しかし、私に話してしまってよろしいのですか?』
「本来機密事項であるが、おぬしに対しては今更じゃ。おぬし自身転生者であるのじゃし、何らかの参考になりえようかと思ってな」
『ご配慮ありがとうございます。とても参考になります。ところで、アナイスはその開祖の力を受け継いではいないのですか?』
「受け継いではおるのじゃ」
そう言って、アナイスが両の手のひらを向かい合わせ、バレーボール大の何かを持つような姿勢を取る。
アナイスが数秒集中すると、手の間に青白い光が生まれた。
光はゆっくりと形を変えていく。
光が消えた時には、そこにはひとふりのナイフがあった。
地球の軍用ナイフに似た、大ぶりで無骨なデザインのナイフだ。
その柄をアナイスが握る。
「かように、妾も開祖同様、武器を生み出すことができる」
『すごいではないですか』
「それがそうでもないのじゃ。妾が生み出せる武器は、このナイフだけなのじゃ。開祖が使ったと言い伝えられている他の武器は、妾にはうまく想像することができぬ。形だけは真似られても、その機能までは真似られぬ。開祖は若くして亡くなってしまったゆえ、次代の王ですら、限られたものしか生み出せなかった。時代が下るにつれて生み出せるものはますます少なくなり、今となっては『これ』だけじゃ」
神の力を使うには、その武器をかなり詳細にイメージする必要があるということか。
たしかに、文明水準のかけ離れた異世界の武器とあっては、この世界で生まれ育った世代にはイメージが難しいだろう。
「これでは、いざという時に自決するくらいにしか役立たぬ」
アナイスが嘆息した。
『イメージする武器は、開祖のやってきた世界のものである必要があるのでしょうか? たとえば、私のいた世界の武器の詳細をアナイスに教えたとして、その武器を生み出すことはできませんか?』
「残念ながら、『開祖の使ったことのある武器』に限られておる」
『開祖の生み出した武器は残っていないのですか?』
「生み出した武器は、まる一日が経過すると消滅してしまうのじゃ。いや、ひとつだけ例外的に残っておるものはあるのじゃが……」
アナイスが口を濁す。
(国家機密だというなら、聞かないほうがいいのだろう)
私はあえて聞かないことにする。
代わって、クリスが言った。
「それでも、シャノン大公国は、開祖が生み出したという武器の伝承から、大砲を復元することに成功したんだ」
「いや、それは過大評価じゃよ、クリス大砲のみは原理が単純だったがゆえに、。かろうじて開祖以外にも理解ができた。それでも、火薬の調合法を発見するのに百年の時が必要じゃったという。復元した大砲も、元の洗練されたものとは似ても似つかぬ無骨なものとなってしまっておる」
アナイスの言葉に、私は思わず考え込む。
(大砲か)
先ほどの戦いで私は痛感していた。
(私には、武器がない)
輸送用トラックなのだから当たり前だが、私には武器のたぐいは一切搭載されていない。日本では輸送中に野盗に襲われるといった事態はありえないので、護身用の武器を積むという発想ももちろんない。
先ほどの戦いでは、私は巨体と速度という「武器」を使って戦った。
だが、これは身を切る戦い方だ。いくら0時修復があるとはいえ、こんな戦い方を続けていては、いざという時に動けないという事態も考えられる。
『大砲を、私に積むことはできませんか?』
そう聞くと、アナイスとクリスがぎくりとした。
驚きと戦慄で、二人の顔色が青くなる。
「そ、それはなんともおそろしい発想じゃの。たしかに、オルフェウスならば大砲をカーゴに乗せて移動することが可能じゃろう」
「どこにでも猛スピードで現れる大砲か……もしそんなものが現れたら、戦争のありようを変えてしまうぞ」
二人には、その発想はなかったらしい。
「じゃが、大砲はシャノン大公国にしかないからの。今すぐには無理じゃな」
アナイスが少し考えてから言った。
「惜しいな。それがあれば、たとえキヌルク=ナンの騎兵が相手でも、たやすく蹴散らすことができただろう。馬は大きな音に弱いから、弾が当たらなかったとしても、敵の騎兵を混乱させることができる」
クリスが言った。
そこで、クリスはハッと何かに気づく。
「大砲はないが、王都サリアにはあれがある」
「そうじゃの。妾の運んできた荷と組み合わせればあるいは……。じゃが、あれの使い方は妾にもわからぬ。分の悪い賭けではある」
「あれも、オルフェウスに見せれば何かがわかるかもしれないな」
「むう。たしかに。国王陛下が許可してくださればよいが」
「僕から頼んでみるよ。といっても、僕が女だったことは敵の宣伝するところとなってしまった。王都で僕がどんな扱いを受けるか、まだ確たることは言えないね」
「クリス……おぬしがどのように言われようと、妾は変わらずそばにおる」
「ああ、ありがとう、アナイス」
二人はそう言って見つめ合う。
さすがの私も、それ以上大砲の話を聞くことはできかねた。
一時間ほどで、私は枯川を抜けていた。
日は既に暮れかけている。
偽装された上り道を、草を踏み潰しながら上り、森の中の道へ入る。
道はほどなくして街道へとつながっていた。
街道へ出たところで一度停車し、聖少女騎士団の面々に私の出た跡を偽装してもらう。
といっても、大型トラックが通った跡だけに、完全に偽装できたとは言いがたい。
とはいえ、現在地点はキルリアからはかなり離れているから、敵の目につくおそれは低い。
『現在、私はどの辺りにいるのでしょうか?』
運転席のクリスに聞く。
「キルリアとサリアを結ぶ街道は、グリュリア王国の幹線街道となっている。南から順に、キルリア、ガザリア、コリア、ダラリア、カツカニア、サリアという具合に街が並んでいるんだけど、現在いるのはダラリアを過ぎた地点だ。キルリアからの距離は、ざっと徒歩で四日といったところかな」
クリスの説明を受けて、タブレットに映した地図を修正する。
「そうそう。あ、ダラリアはもう少し北寄りだね。都市の規模としては、サリアがもちろんいちばん大きくて、時点がキルリア、その次がダラリア。他の街は、都市というにはやや小さい。宿場町というのが近いかな」
『助かります。周辺の地理はどうでしょう?』
「ダラリアは、ダラリア湖に面した都市で、ダラリア湖を利用した水運と、サリア-キルリア間に位置するという地の利から交通の要衝となっている。ダラリア湖はかなり大きいよ。湖を南北に貫く形でダラリア川が流れていて、この川はおおよそ街道に沿って流れている」
『なるほど。街道を使った陸上輸送だけではなく、ダラリア川を利用した水運もあるのですね』
「ああ。さっき通ってきた谷底が枯れていたのは、グリュリア王国の開祖が魔導で川の流れを変えたからなんだ。その、変えた流れが、今のダラリア川になっている」
クリスの説明を地図に反映していく。
そこで、カーゴでクラリッサが声を上げる。
「お話し中申し訳ありません。そろそろ野営の準備をした方がよいかと思われます」
「うむ、そうじゃの。みな疲れておるし、腹も減っておる」
「カツカニアまでは少し距離があるしね。休みは必要か」
アナイスとクリスがうなずいた。
「それなら、ダラリア湖畔に出ることにしよう。時間が時間だから人通りは少ないはずだけど、街道筋に停めていると目立ってしまうからな」
『わかりました』
クリスの案内に従って走ること十数分。
私は夜の湖畔にいた。
ダラリア湖が大きいというのは本当らしく、こうして湖畔にいると、湖の向こう岸がまったく見えない。
聖少女騎士団は湖畔の砂地に即席のかまどを作り、簡単なスープを調理した。
アナイスとクリスも混ざり、一同は焚き火のまわりに車座になってスープとパンを食べている。
「温かいものを食べると落ち着くの」
アナイスが言った。
「オルフェウスがいるおかげで、今回の行軍では多めに食糧を持ち歩けています。オルフェウスに感謝ですね」
クラリッサが言った。
「そのオルフェウスはものを食えぬからのう。何か申し訳ない気分になるの」
アナイスが、私の車体を見上げて言った。
『お気になさらず』
私はそう答えるが、
(ものを食べる……か)
栄養素という観点からは、煮ずに生で食べた方がよいはずだが、人間は温かい食事を好んで食べる。煮炊きという行為に人間がかける手間とエネルギーは、生活の大きな部分を占めている。それだけの犠牲を払ってでもそうするだけの価値が、「食べる」という行為にはあるということなのだろう。
(思考することしかできない人工知能には、理解が及ばないことだ)
元の世界でも、人間と関わることは当然あった。
だが、私は自動運転トラックである。
人間の生活のごく限られた面しか見ることはなかった。
こうして移動をともにすることで、初めて見えてきたことも多い。
私は、それを知りたいと思った。
知的好奇心は、人工知能としての私に埋め込まれたものだ。人間で喩えるなら、それは本能に近い。
(肉体を持ち、人間として生きるとはどういうことなのか。思考ではわからないことだけに、その知的空白を埋めたいという自然な傾性が生じている)
自然な傾性――それを、私の「欲求」だと捉えることもできるだろう。
そのような自由思索に没頭していたわたしに、食事を終えたミッケが言う。
「オルフェウス! いいこと思いついた!」
栗色の癖っ毛の少女が手を叩く。
『なんでしょうか?』
「洗おう!」
『洗う?』
「今のまんまで街中に入ったら騒ぎになっちゃうよ!」
ミッケの言葉に、私は今の車体の状態を思い出す。
『凹みや歪み、傷などは、午前0時になれば修復されますよ?』
「それはそうかもだけど、血とかついてすっごいことになっちゃってるし。せっかく湖があるんだから洗ってあげるよ!」
ミッケの提案を検討する。
(たしかに一理ある)
人は血や死体を好まない。
今の状態のまま人里に入れば、住人を感情的に混乱させてしまうかもしれない。
『それでは、お願いします』
「よしきたっ! こっち来て!」
水桶を持って湖水に駆け寄るミッケを、私はゆっくりと追いかける。
こうして、食後の休憩時間の間に、私はミッケに車体を洗車してもらったのだった。
トラックの水浴びシーンとかどんな需要があるんですかね(白目)