15.暴露
◆グリュリア王国パットリア山脈鞍部砦、ガラハド視点
クリス王子とアナイス姫を送り出した後、わしは鞍部砦の執務室で、斥候から報告が入るのをまんじりともせず待っていた。
廊下を慌ただしく走る音に続き、執務室の扉が開かれる。
「敵兵です!」
「来たか」
わしは兵の報告を受けて立ち上がる。
「して、どちらだ?」
「はっ、キルリアでございます!」
「キルリアか……」
同胞の兵ということは、本格的には仕掛けてこないかもしれない。
が、同時に、もし仕掛けてきたら、同国人同士の殺し合いになってしまう。
砦の兵の半数はキルリア兵だ。
(いや、元キルリア兵というべきか)
キルリア出身の砦の兵は、グリュリア王国の所属となる。
一方、キルリアからやってくるキルリア公の兵は、キルリア=ナン国の兵ということになる。
砦詰めは交代制だから、たまたま砦にいた者と、たまたまキルリアに戻っていた者がいる。
その「たまたま」が、所属する陣営を分けてしまった。
(キヌルク=ナンは、キルリアの忠誠心を試すために、あえてキルリア兵に攻めさせるつもりか?)
考えながら、わしは砦の城門上の矢狭間に出る。
たしかに、西から軍がやってくる。
キヌルク=ナン兵には見えない。
見慣れない三角旗を掲げてはいるが、砦の兵と似たり寄ったりの装備をしている。
まちがいなくキルリアだ。
キルリア兵が、こちらの矢の届かない距離で陣を敷き始める。
軽装歩兵を中心にした編成で、攻城のための梯子がいくつも見える。
その背後に、キヌルク=ナンの騎兵部隊の姿が見えた。
騎兵部隊は、砦ではなく、目前にいるキルリア兵たちを監視している。
(督戦隊か)
キルリア兵が戦いから逃げ出さぬよう、後ろで睨みを利かせる役割だ。
むろん、脱走者が出たら容赦なく殺すだろう。
陣を敷くキルリア兵の顔は一様に暗い。
背後にいる督戦隊を気にしているのはもちろんだが、キルリアにいる彼らの家族が人質にされているようなものなのだ。キヌルク=ナンは逆らう者には容赦しない。街を焼き、女子どもに至るまで皆殺しにする。その程度のことは当然のようにやってくる。ただ、利用価値があると見れば生かしておくことも事実だった。
キルリア兵の陣地の真ん中が割れた。
キルリア公を示す旗が上がる。
旗のかたわらには、王にしか許されぬ紅のマントをかけた、四十ほどの男の姿があった。
覇気よりも、気の弱さの方が目につく男だ。
しかし今は目をつむり、こみ上げる何かを抑えつけているように見える。
その目が開いた。
目は、矢狭間にいるわしの方を強く睨む。
この男にこんな顔ができたのかと、わしは訝しく思った。
旗持ちの騎士が叫びを上げた。
「キルリア=ナン国国王、フランシス・トドラク・キルリアス陛下である!」
(トドラク?)
キヌルク=ナン風の名だ。キヌルク=ナンの太祖から名をもらったか。
(グリュリアの要地を明け渡して得た称号は嬉しいか、フランシス!)
わしは内心の怒りを噛み殺し、向こうの出方を見守る。
「鞍部砦のグリュリア兵たちよ! 抵抗せずに投降せよ!」
キルリア公が言った。
「鞍部砦のキルリア兵たちよ! グリュリア兵を武装解除し、ただちに城門を開け!」
キルリア公は、砦兵の半数がキルリア兵であることを当然ながら知っている。
彼らを煽り、自発的に降伏させようというのだ。
わしは矢狭間から身を乗り出して言う。
「キルリア公フランシスよ! 貴様に何の権限があって、陛下の兵に投降を迫るのか!」
キルリア=ナン国など、キヌルク=ナン以外の国はまだ認めていない。
目の前にいる王を気取った男はあくまでも一地方領主にすぎないのだ。
キルリア公は、わしをぎろりと睨むが、すぐに視線を外し、口上を再開する。
「貴様らと議論するつもりはない! ただ、私はグリュリアの不正を正そうとしているだけだ!」
「グリュリアの不正だと……」
何を言っているのか。
国を裏切ったのはキルリア公だ。
それより大なる不正などありえない。
自分の罪状を誤魔化すための悪質な言いがかりか。
「不正とは、現在グリュリアの第一王子を名乗るクリス・ブラハト・グリュリアスにまつわることだ! 彼の者のことを、誰もが王子だと信じて疑わぬ! だが、叔父である私は知っている! クリス・ブラハト・グリュリアスは王子などでは断じてない!」
「な、何を言っている……?」
わしは、キルリア公の言わんとしていることがまったくわからなかった。
だから、次のキルリア公の言葉を聞いて、わしは完全に頭の働きが止まってしまった。
「クリス・ブラハト・グリュリアスを名乗る者は、女である! クリス・ブラハト・グリュリアスは、王子ではなく王女であり、従って王位継承権者ではありえない!」
その場が、完全なる沈黙に包まれた。
(な、んだと)
クリス王子が、女。
戯言だ。
普段ならそう笑い飛ばすところだった。
だが、わしはキルリア公の言葉を聞いて、奇妙に納得してしまっていた。
そして悟る。
これはおそらく事実なのだと。
(わしは愚かだ……)
なぜオルフェウス殿は、あの場であのような話を切り出したのか。
人ならぬ存在だけに常識に欠けるところがあるのだろうと思い、さして気に留めてもいなかった。
だが、事実はむしろ逆だ。
人ならぬ存在であるオルフェウス殿は気づいていた。
だからこそ、あの場であのような話を振って、王子の反応を確かめたのだ。
(王子は、オルフェウス殿の話を興味深く聞いた……いや、それ以上に、聞きたがった)
ならば、事実なのだ。
クリス王子は女である。
グリュリアの王位は男しか継げない。
したがって、クリス王子は王位継承権者でない。
いや、
(な、ならば、アナイス殿のことはどうなるのだ!? アナイス殿はクリス王子とは幼なじみで――そうか!)
知っているのだ。
アナイス殿も。
自分の結婚相手が女だということを。
(ありえぬ。では、なぜアナイス殿は結婚の話を呑んだのだ? シャノン大公国のため? いや、それもあろうが、王子と話すアナイス殿はしあわせそうで……)
そこで、オルフェウス殿の言葉が蘇る。
『人が人を想う気持ちそのものが尊いのだと私は思います。また、想いがつながっていることが大事なのであって、恋する者同士の身分や性別は、本来恋愛関係にとっては副次的なものなのでしょう』
(そうか。アナイス殿と王子は愛し合っておられるのか。オルフェウス殿はなんと言ったか。そう、『女性でありながら女性が好きである者』と)
わしが呆然としている間にも、キルリア公の告発は続く。
「現グリュリア国王サグルス二世は高齢だ! 男児ができぬことを気に病むあまり、十三女となるはずだったクリスを男と偽り、第一王子として育てることにした! シャノン大公国は悲願であったグリュリアとの同盟を結ぶために、大公女との偽装結婚の条件を呑んだ! しかし、そのままでは子ができぬ! サグルス二世は、弟である私に言った! 私の息子夫婦に子どもを産ませ、その赤子をクリスの息子として供出させよと! 私は王家の存続のためと思い、その条件を呑んだ!」
キルリア公の金切り声は、わしの頭を素通りしていく。
(王子は、苦しんでおられたのだ)
女でありながら、男として振る舞うことを求められることに。
そして、女でありながら、女であるアナイス殿を愛しく思ってしまうことに。
騙されていた、という気持ちは沸かなかった。
(王子のお心を傷つけてしまった)
わしは言った。
『わしには受け入れがたい話だ。男女が和合して初めて家族ができ、国家ができる。神の摂理に背いておるように思えてならぬ』と。
まだお若いのにしっかりしたお方だとは思っていた。
だが、そんな秘密があったのだとしたら、誰にも言えぬ秘密を抱え、王子はどれほど苦しんで来られたことだろう。
わしの冷たい言葉に、さぞや傷つかれ、寂しく思われたことだろう。
「しかし、そのような欺瞞を、神は決してお許しにならなかった! だからこその今回の国難である! 神はキヌルク=ナンをお遣わしになることで、天下を欺こうと企てた不遜なるグリュリア王家を膺懲しようとなされたのだ!」
キルリア公はますます声を高くし、顔面を紅潮させて叫び続ける。
「……まれ」
「しかるに、私は――」
「黙れと言っている!」
わしの剣幕に、キルリア公が一瞬気圧された。
「さきほどから黙って聞いていれば、とことんくだらぬ! 国を裏切ったことをどう申し開きするつもりかと思えば、よもやこのような世迷言をまくしたてるとは、呆れ果ててものも言えん!」
「なっ……私の話を聞いていなかったのか!」
「鎮まれ者ども! 裏切り者の戯言に耳を貸すな! おまえたちの前にいるあの男、元キルリア公だった男は、国賊である! 東方の蛮族キヌルク=ナンに戦わずして降った、武人の風上にもおけぬ卑劣漢よ! この上我らが王家を侮辱するとは……恥を知らんか!」
わしの言葉に、キルリア公が口をぱくぱくと開け、絶句している。
「もはや許しておかれぬ! 砦を攻めたければ攻めるがよい! わし自らが貴様の素っ首を跳ね飛ばしてくれるわ!」
わしはキルリア公に怒鳴りつけ、振り返る。
「者ども、籠城戦の準備を――」
叫びかけて、気づく。
わしに、いくつもの刃が向けられていた。
「なっ……貴様ら! まさかあの裏切り者の話を真に受けて――」
「いいえ、違います、将軍。あんな世迷言、ありえないと俺も思います。女を男と偽るなんて、そんなこと簡単にできるもんですか。まだ十三歳の王子にそんな演技ができるとも思えない」
わしに剣を向ける兵のひとりが言った。
「では、なぜ」
「王家だのなんだの、俺たちにとっちゃどうでもいいことなんですよ。明日の天気が晴れか曇りかみたいなもんで、自分では決められないし、雨が降ったら降ったでなんとかしのいでいくしかないことです。王様が男だろうと女だろうと、いっそのことカカシだろうと、俺たちにとっちゃ大差ないんですよ」
「ならば、なぜだ? キヌルク=ナンに通じておるのか」
「俺も、キヌルク=ナンなんて蛮族は死ぬほど嫌いです。でもね、俺にはキルリアに残してきた家族がいる」
「っ……」
「砦の中には、仲間たちもいる。向こうで陣を敷いてる中にも、見知った顔がたくさんいまさぁ。この状況で籠城して戦って、最後には敗れて。俺は仲間を殺し、仲間を殺され、俺自身も殺され、キルリアに残してきた家族も殺されるんでしょう。誰がそんな戦いを望むもんですか」
兵の言葉に、返す言葉が見つからない。
他の兵たちも口々に言う。
「将軍、お願いします!」
「もうすぐ女房が子どもを生むんですよ! おふくろは初孫だってんで、すごく楽しみにしてるんです!」
「俺の妹は身体が悪いんだ! 俺が死んだら誰が面倒見てやれるんだよ!」
お願いします、お願いします……
兵たちが声を合わせてわしに迫る。
「ぐ……わ、わしは……」
わしは矢狭間の上で追い詰められていた。
キルリア公が声を枯らして叫ぶ。
「砦の兵たちよ! 開門せよ! キルリア=ナンの国王が保証しよう! 抵抗しなければ処罰はしない!」
「開けろぉぉっ! 開門だぁっ!」
「ま、待つのだ、やめろ――」
わしの声は届かず、鞍部砦の門が開く。
門からは続々と兵たちが飛び出していく。
兵たちはキルリア公に向かって片足をつき、忠誠を誓う姿勢を取る。
「……なんたることだ」
わしの身体から力が抜ける。
そのわしを、剣を収めた兵たちが取り囲む。
「将軍、すみません」
「……好きにしろ」
わしは自らの兵によって捕縛された。
グリュリア王国パットリア山脈鞍部砦は、こうして、戦わずしてキルリア公の手に落ちた。