10.鞍部砦
晴れて冒険者となった翌日、私はカルナックへ食糧を運ぶという依頼を受けた。
帰りは材木を運ぶ必要はない。私が想定以上のペースで材木を輸送したため、カルナック側の在庫が尽きたのだという。
また、今回からはギレンを助手席に乗せていない。正規登録された以上、私に監視役を付ける口実がなくなったからだ。
(いよいよだ)
カルナックへの街道は、ノディアの東門を出て、しばらくしたところで北に折れる。
つまり、帰り道はカーゴが空で、ギルドの監視もない状態で、東門側から帰ることができるのだ。
(アナイスたちと帰り道で合流し、そのまま東門、西門を抜けてノディアの西を目指す)
私はほどなくしてカルナックに到着した。
もはや顔なじみとなった木こりに、運んできた食糧を下ろしてもらう。
「いやぁ、助かったよ、オルフェウス」
木こりが言った。
『依頼を受けた時から不思議だったのですが、この街は自給自足しているのではなかったのですか?』
私が聞くと、
「普段はそうなんだがな……ほら、こないだあんたに絡んできたキヌルク=ナンのお偉いさんがいただろう」
『キヌルク=ナン国正黄八旗長ドジ・カラマンと名乗った男ですか?』
「よく覚えてるな。そいつが、金を積んでこの街で食糧を買い占めてしまったのさ」
『買い占め、ですか。徴発ではなく?』
「徴発でこそないが、実質的に売るように強いられてるようなもんだ。値段も向こうの言いなりだったらしいしな。まあ、揉め事を起こすつもりはねえみてえで、相場より高いくらいの値段で買い上げたらしいが。で、その金を使って俺たちはノディアから食糧を買うことにしたんだよ」
『ドジの率いる正黄八旗という軍団はどこにいるのです?』
「さあなあ、どうも、カルナックとツラトリアを結ぶ街道のあたりに出没してるようだ」
『本隊は?』
「東から騎兵が向かってきてるって噂は聞いた。だが、東への道なんて、ほとんど使われてない細道なんだ。西に兵を送るなら、西の大道を使ってノディアに出るもんだと思うんだけどな」
『集結している兵を見かけた者は?』
「いや……そういう話は聞かねえな。ひっきりなしに行き来してるとは聞いたけどよ」
気になる話ではあったが、今日はあまり時間がない。
ドジと出くわすと面倒なことになる可能性もあったので、私は食糧を下ろし終えると、足早にカルナックを立ち去った。
ノディアの東、西の大道のさびれた枝道に私は入る。
「……オルフェウスさん!」
道の脇から声がかかる。
レーダーで既に気づいていたが、そこには少女騎士のミッケが潜んでいた。
『準備は整いました。冒険者登録証も、ここに』
私は窓を開け、軽作業用ロボットアームで助手席のダッシュボードから冒険者登録証をつかみ、ミッケに見せる。
「ほ、本当に冒険者になったんですね」
ミッケが感心したような呆れたような顔をした。
『それより、急ぎましょう。私はどうしても目立ちますから』
「そ、そうですね」
ミッケが森の中に走っていく。
ほどなくして、アナイスと聖少女騎士団が現れた。
(全員揃っている)
不測の事態がなかったことに安堵する。
「お疲れ様、オルフェウス。さっそく荷を積み込もう」
クラリッサが言って、荷積み作業が始まった。
車軸の壊れた荷車は、森で作ったとおぼしいコロを使って効率よく私のカーゴに積み込まれた。
(彼女たちは兵士としてかなり優秀なのではないか?)
戦闘や偵察に加え、森ではサバイバル生活をしていたし、今は工兵的な役割まで果たしている。動作もきびきびしていて無駄がない。何日も森で息を潜めていたはずなのに、疲れた様子すら見せていない。
『馬はどうしました?』
荷馬車を牽いていた二頭の馬がいないことに気づき、私が聞く。
ミッケが、少し悲しそうな顔で答える。
「残念ですけど、この先に連れていくのは難しいですから。森の奥に放して来ました。いい子たちだったんですが……」
たしかに、私のカーゴ内で馬に鳴かれたり、暴れられたりすると厄介だ。
森や街道ならともかく、街中で騒がれては困ったことになる。また、街中の方が刺激が多く、外の見えないカーゴ内に置かれた馬たちが怯える可能性が高い。
荷積み作業はすぐに終わり、アナイスと聖少女騎士団も私のカーゴに乗り込んだ。
今回はアナイスやクラリッサも運転席には乗らず、カーゴに隠れてもらう。
『では、行きましょう』
私がカーゴ内のスピーカーから言うと、一同が揃って頷いた。
ほどなくして、ノディアの東門に差し掛かる。
入場待ちの行列に並び、番を待つ。
カーゴでは少女たちが息を潜めて待っている。
「次の者! ……は、おまえか、オルフェウス」
『お疲れ様です』
私は冒険者登録証を示そうとするが、
「ああ、ギルドから聞いている。ついに冒険者になったんだってな?」
『ええ。おかげさまで』
「いや、俺は何もしてないと思うが。とりあえず、おめでとうと言わせてもらうよ」
『ありがとうございます』
「登録証なんていちいち見なくても、おまえみたいな奴は他にいないからな。素行不良の報告もない。通っていいぞ」
門番は、登録証を見ようともせずにそう言った。
『東門、通過しました』
カーゴ内向けにそう告げると、アナイスと少女騎士たちがほっと息をつく。
『ギルドに報告を入れてから西門に向かいます』
冒険者は都市間の移動が自由だが、街を長く離れる時にはギルドに報告するのが慣例となっているらしい。
ギルドの前に車をつけると、中からジャンが現れた。
「おお、今日も無事片付いたか」
『はい。ところで、急で申し訳ないのですが、ノディアを離れようと思います』
「ああ、例の噂か」
ジャンが顔をしかめて言った。
『噂、ですか?』
「知らなかったのか? キヌルク=ナンの精鋭部隊である正紅八旗が、シャノン大公国を南に迂回して、ノディアに向かってきているという話だ」
『正紅八旗、ですか。正黄ではなく?』
「昨日おまえとギレンから報告があった、カルナックの件だな? あれとはどうも別口らしい。正紅八旗はノディアを通過するだけなのかもしれんし、占領する気なのかもしれん」
『彼らの目的はなんでしょう?』
「もちろん、パットリア山脈の鞍部を通って、グリュリア王国に攻め入ることだろう。少なくとも、攻める構えを見せて、グリュリアを威圧することは間違いない」
つまり、私たちがこれから向かおうとするのと同じ進路を、正紅八旗は取ろうとしているということか。
「既に、一部の住人が、カルナック方面に疎開しようとしてるんだ。グリュリアにツテのある者は西に向かっているが、数としては限られてる」
『あなたは逃げないのですか?』
「そんなわけにはいかんだろう。もとより、こちらに向こうと事を構えるつもりはない。だが、あまり無茶を言ってくるようなら、ギルドとしても対応を考える必要が出てくる。まったく、頭の痛いことだよ」
『私も急ぐ必要がありますね』
「そうだな。まあ、いくらキヌルク=ナン騎兵の足が速いとは言っても、おまえより速いってことはありえんがな。短い間だったが、貴重な体験をさせてもらったよ。達者でな」
『そちらこそ、お達者で』
ジャンに別れを告げていると、ギルドからギレンもやってきた。
「なんだ、やっぱり行くのか?」
『はい。ギレンにはお世話になりました』
「こっちこそな。おまえとの『どらいぶ』は楽しかったよ」
『ギレンもノディアに留まるのですね?』
「ああ。せいぜいキヌルク=ナンの連中を脅かしてやるさ」
ギレンは、脅かし屋らしい凶悪な笑みを浮かべてそう言った。
三十分ほど後、私はノディアを出て、西へと向かう街道上にあった。
「拍子抜けするほどじゃったの」
アナイスがカーゴ内でそう言った。
ジャンとギレンと別れた後、私は西門を問題なく通過した。
折しもキヌルク=ナン兵がやってくるということで、通行者が多く、一人一人のチェックが甘くなっていたことも幸いした。
『目的地であるパットリア山脈鞍部砦までは、徒歩で一日の距離でしたね』
「一日といっても、一昼夜という意味ではないぞ。日が昇った時間に出発して、日の出ている間に到着できる、という意味だ」
クラリッサがそう補足する。
「鞍部とは言っても、パットリア山脈は天の屏風と呼ばれる峻険な山脈だ。かなりの上り坂だが、大丈夫なのか?」
『馬車が通行できるような斜度であれば、何の問題もありません』
「馬車だって、上りのきつい場所では後ろから押して上るんだぞ?」
クラリッサはなおも心配そうだったが、上りに差し掛かっても速度が落ちないのを見て納得した。
「すさまじい馬力だな」
『転倒しないよう、しっかりつかまっていてくださいね』
カーゴは本来人間が乗るようにはできていない。
シートベルトなどもちろんない。
積み込んだ荷車はワイヤーできちんと固定しているが、乗り込んでいるアナイスや少女騎士たちはカーゴ内に張っておいたワイヤーにつかまることでしのいでいる。
危険なので、私もあまり速度は出せない。急停車しても大丈夫なよう、時速30キロで坂を上っている。
途中、グリュリアに向かう馬車を何台か抜く。
ノディアからの避難民らしい人々が、坂を勢いよく上っていく私を見て目を丸くしていた。
『そろそろですね』
私はいったん、街道の脇に停車する。
カーゴからアナイスとクラリッサが下り、助手席と運転席に乗り換える。
それから発車。
ほどなくして、巨大な石造の門が見えてきた。
峰の谷間、切り立った崖の間を、無骨な岩の城塞がふさいでいる。
「あれが鞍部砦じゃ」
アナイスが言う。
砦の方でもこちらに気づいたようで、矢狭間のある城門の上をあわただしく兵たちが行き交っている。
兵たちはこちらを指さし、何事かを叫び合っているようだった。
城門は、内高が4メートルを超えている。私でも通れそうな立派な城門だが、今は鉄格子が降りていた。
兵たちの様子には、あからさまにこちらを警戒している様子が見える。
『ひょっとすると、キヌルク=ナンの正紅八旗だと誤認されているのかもしれません』
「ありうるの。矢の届かぬあたりで停めてくれぬか?」
『わかりました』
私は鞍部砦の手前、三百メートルほどの地点に停車する。
私の助手席・運転席からアナイスとクラリッサが、カーゴから残りの騎士たちが飛び降りた。
彼女らは、アナイスを守る形に陣形を整える。
ミッケがシャノン大公国の旗を、イザベラが大公女を示す旗を空に掲げる。
クラリッサが、大きく息を吸い込んでから言った。
「――われわれは、シャノン大公国大公女、アナイス・ニィル・ラハネスブルグ殿下の一行である! 貴国の第一王子、クリス・ブラハト・グリュリアス殿下への輿入れのためにこうして罷り越した! 砦の開門を願う!」
クラリッサの声に、砦の兵たちがうろたえた。
が、やがて、砦の上に、十代前半に見える、身なりのいい少年が現れる。
緋色のマントをまとったその姿は、「王族」という言葉を連想させた。
「クリスではないか!」
アナイスが目を見開いてそう言った。
どうやら、彼がアナイスの輿入れ相手である、クリス第一王子らしい。
クリス王子の隣に、無骨な鎧をまとった巨漢が立つ。
巨漢は五十代から六十代と思われる。筋骨たくましく、髭の生えた顔にはいくつかの古い傷跡が見える。髪と髭には白いものが混じっているが、弱々しさは微塵もない。深いひさしの奥にある目が、鷲のように鋭く、アナイスたち――いや、私のことを睨んでいる。
「シャノン大公国大公女アナイス・ニィル・ラハネスブルグ殿下! 危険な敵中をよくぞ参られた! 我が国及び我が国の第一王子クリス・ブラハト・グリュリアス殿下は、花嫁の到着を歓迎する! ――開門せよ!」
重い音を立てて、鉄格子がゆっくりと巻き上げられる。
こうして私たちは、目的地であるパットリア山脈鞍部砦へと、無事に到着したのだった。




