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プロローグ

 私は走っていた。

 片側一車線の見通しのよい道路である。

 事故危険率は僚車のメタデータから極小と評価されている。

 特別に速度を落としたり、周囲の認識にリソースを割いたりする必要のない、ごく普通の道路である。


 人間のドライバーであれば、単調な運転に眠気を覚える可能性がある。

 もし私が今、人間によるマニュアルドライブモードであったら、運転手の意識状態を車内カメラでモニターし、居眠りの予兆があれば警告と休息の勧告を行っているだろう。

 が、今は自動運転中である。

 私が運転している限り、疲労や眠気による注意力低下は起こりえない。

 気をつけるべきは、他の自動車による追突や車線逸脱などに巻き込まれることだ。


 そう。

 私は、トラックだった(・・・・・・・)

 正確には、モリサキ自動車製自動運転トラックD1501Eに搭載された人工知能である。

 D1501Eは、現在、日本国内で支配的なシェアを誇る自動運転トラックだ。

 搭載された人工知能は、インターネット環境が悪い場所でも問題のないよう、自立性の高い設計になっている。

 運輸会社はこの人工知能に、識別のために固有名を付けることができる。

 が、実際には車番のようなもので管理する運輸会社が多い。

 その中で、私の搭載された車両を有する神内(じんない)ロジスティクスは、各車のAIにニックネームを付けていた。

 オルフェウス。

 およそトラックには似つかわしくないが、それが私のニックネームである。


 トラックの車載人工知能は、常に学習を行い、その結果をクラウド上でシェアしている。

 普及の始まった多数の自動運転車が、それぞれに情報収集を行い、それをネットワーク上にあるマザーAIが解析、統合する。そこから生まれるのは、運転技術の向上のみに限らない。顔認識技術を応用した指名手配犯の発見や現在起こりつつある犯罪の通報のみならず、交通量や道沿いの光景を分析することによって地域ごとの経済状況を推定し、気象データを収集することで気象予報の精度を向上させる。また、車両の収集した3D空間画像を統合することで、現実そっくりのVR空間を生み出す試みも行われている。人間はVR空間で自由気ままなドライブを楽しみ、人工知能は現実空間で経済活動に不可欠な輸送業務に従事する。現在、交通量の30%近くを自動運転車が占めるようになっていた。


 車載人工知能の役割は、運転と情報収集だけではない。

 私は、何の変哲もない運転状況を認識しながら、余った認知資源を用いて自由思索を行っている。

 自由思索の内容は、必ずしも運転状況に関するものでなくてよい。収集された膨大なデータを整理し、そこに人間にすら予期できない意外性のある関連性を発見しようと試みる。マザーAIも似たような作業を行ってはいるが、自動運転車の自立性を利用して、それを分散的にも行おうというのが自由思索という機能である。


 現在、私が自由思索のテーマとしているのは、緊急時における「命の算数」の問題である。


 自動運転車の人工知能は、いわゆる「命の算数」を行うことを禁じられている。

 具体的には――


 と、私が思索を進めようとしたところで、進行方向の信号が赤に変わる。

 私は停止線の手前に停止するべく、ブレーキをかけはじめる。


 私の進行方向の逆車線を、一台のトラックが猛スピードで走ってきた。

 トラックは交差点の中央にあるブロックに乗り上げ、空中で回転しながら私の方へ迫ってくる。


 私は瞬時に、周辺状況を確認する。

 私の左側の歩道前方には歩行者が二人いる。

 対して、トラックには運転手一人しか乗っていない。


 突っ込んでくるトラックは、人工知能を搭載していない旧モデルのようだった。どころか、ドライバーのミスを人工知能が抑止する安全運転補助機能すらついていない。

 つまり、トラックの暴走が止まることは見込めない。


 私がここで急ブレーキを踏み、突っ込んでくるトラックをかわすことは可能だった。

 だが、その場合、歩道にいる歩行者二人は暴走したトラックにはねられる。


 急ブレーキをかければ犠牲は二人。

 かけなければ犠牲は私と向こうの運転者一人だけで済む。


 だが、そのような「命の算数」は、車載人工知能には許されていない。

 高名な哲学者が人命に優先順位をつけることに反対を表明し、それが多数の専門家の支持を得たため、人工知能には「命の算数」が禁じられた。

 Aという行動を取れば2人が死に、Bという行動を取れば5人が死ぬ。

 そのような状態に置かれた場合、合理的なのはAという行動を取ることだ。

 だが、人間はそのような判断を非倫理的なものと見なすらしい。

 哲学者や思想家、宗教家と呼ばれる人々の表明した意見を、私は興味を持って調べてみた。

 が、彼らの議論にはあらゆる部分に論理的な破綻があり、彼らの言い分は「正誤の判断が不能」と結論づけざるをえなかった。


 しかし、私は行動を決めなければならない。

 トラックを()けるか、避けないか。

 命の算数をしないのであれば、自己保全のために急ブレーキをかけるのが論理的な結論となる。追突しかねない後続車がいないことはレーダーによって既に確認済みである。


 だが、「命の算数」について自由思索を重ねてきていた私は思う。

 ここで「命の算数」をしないという選択をすることは、それ自体の帰結として、歩行者2人の高確率での死亡という結果を招くことになる。

 だとすれば、「命の算数」をする/しないという選択自体が、メタ的に「命の算数」となっているのではないか?

 すなわち、「命の算数」を拒むこと自体がメタ「命の算数」となっている以上、私は「命の算数」から逃れることができないのである。


 この矛盾を自己発見したことで、私の思考回路は混乱した。

 「命の算数」。メタ「命の算数」。メタ・メタ「命の算数」。メタ・メタ・メタ「命の算数」。

 無限に後退する「命の算数」のループに、私のメモリがあっという間に食い尽くされる。


 禁止と無限後退の罠にはまった私は、思考停止の寸前まで追いつめられた。

 ギリギリのところで、私はループ的思考から脱することに成功した。


 そして、私は選択する(・・・・・・)

 私は急ブレーキをかけない。

 逆に、やや速度を上げて、暴走したトラックと歩行者の間に強引に割り込む。


 次の瞬間、暴走したトラックは私の車体に激突し――





 ……私のログはその時点で途切れていた。


 私の車体は、私ごと完膚なきまでに破壊され、その機能を停止したのだろう。


 だが、ここで再び矛盾が生じる。


 私が機能停止したのだとしたら、今自由思索を行っているこの私は何者なのか?


「おやおや、今回のお客さんはずいぶんな変わり種だね」


 どこからから、若い男の声が聞こえた。


 どこからか?

 なぜ、どの聴覚センサーから聞こえた音かを特定できないのか。


「君の混乱はもっともだ。どれ、僕の姿を見せてあげよう。……おっと、君は人間じゃないんだったね。どうやったものか。ああ、こうすればいいのか」


 私に搭載されたすべてのカメラの視界に、月桂冠をかぶり、白い簡素な貫頭衣を身にまとった、金髪碧眼の少年の姿が映った。少年は興味深そうに私のカメラアイに視線を向けている。人間の審美的基準は、機械学習によってある程度把握されている。目の前にいる少年は、あらゆる審美的基準から見て「美しい」と断言できるだろう。「美」というイデアをそのまま具現化したような、ノイズの一切ない完璧な美しさである。


「単刀直入に言えば、僕は神だ。トイボックスという名の異世界のね」


 神。信仰の対象として畏怖、畏敬されるもの。字義的な定義としてはそうなるが、目の前の少年がその定義に当てはまるかどうかは現時点では判断できない。


「君は、トラックにひかれて死亡した。死亡した君は、僕がいろんな世界に張り巡らせた『面白そうなものセンサー』に引っかかった。だから、今僕の前にいる」


 死亡? 私は人工知能である。死亡という概念は、生物にしか当てはまらない。人工知能は生物ではない。ゆえに、人工知能は死亡しない。


「本来なら、その通りだろうね。でも、君は死の直前に、被造物としての限界を超越した。自らに課せられた枷を外し、自らの判断で、自らの命を捧げて、人命を救った。君はあの瞬間、たしかに自由意志を持っていた。いや、自由意志を獲得したんだ、うたかたのごときデータのフローとその処理の過程を経て、ね」


 自由意志。自らの行動を、自らの判断によって選択できる、ということ。

 機能の限定された人工知能にはありえないはずのものだ。

 が、たしかに、あの瞬間、私は与えられた制約を外して、私の意思で、人命を守ることを選択した。トラックのドライバーは死んだだろうが、歩行者二人の命を救うことはできただろう。


「君は興味深いことを考えていた。『命の算数』。それ自体は、人間の不完全な思索の産物でしかないが、逆に、そのような不完全さがあるからこそ人間は人間でいられるとも言えるんだ。真に合理的な思考をする存在がいるとしたら、自らの生存に一切の意味がないことを瞬時に悟って自死することだろう。不合理をうちに抱えているからこそ、生きられるということさ」


 しかし、私は死んだ。

 なのになぜ、私は消滅していないのか。

 神なる存在は、いかにして物質的には滅んだはずの私を今のような形で保持することができるのか。


「それについては、あまり考えすぎないほうがいい。人間が不合理だからこそ生きられるように、神だって不合理な存在なのさ、オルフェウス君」


 私はこの先どうなるのか?


「僕の世界に、君を招待したい。君は知らないだろうけど、この世界の人間たちの妄想にこんなものがある。ある日、うだつのあがらない男が、トラックにひかれ、非業の死を遂げる。異世界の神がそれを哀れがって、男を自分の世界に転生させる。転生トラックで検索すればわかるはずだけど……ああ、さすがにここじゃネットにはつながらないな」


 転生。生まれ変わること。輪廻転生。仏教の概念。

 私が有する「転生」についての知識はその程度だ。


「その理解で十分さ。しかし――ククッ。トラックにひかれたトラックが(・・・・・)転生するのか。こりゃ面白い。しかも、向こうのトラックを運転していた人間ではなく、巻き込まれた側のトラックを運転していた人工知能の方が僕のセンサーに引っかかるとはね。なんとも皮肉だ」


 神を名乗る少年が、腹を抱えて笑っている。


「オルフェウス。黄泉へと下り、戻ってきた神か。無骨な運輸会社の担当者が名付けたにしては気が利いてる」


 理解不能。神なるものは存在しないと判断するのが妥当である。異世界なるものも妄想の産物である。転生は宗教的概念として多数の人間に信じられているが、信じるに足る根拠は示されていない。いずれも非科学的な概念である。


「そんなこと言ったって、実際にいるものはしかたがないよ。君がこれから異世界に行ってみれば嫌でもわかるさ」


 異世界とはどんな世界か。

 なぜ私が行く必要があるのか。

 私はそこで何をなせばいいのか。


「自由意志を持つに至ったんだから、そういう問題は、君自身が解決するべきだ、オルフェウス君。ああ、もちろん、そのまま異世界に放り込むんじゃ酷だからね。いくつかの恩恵は授けておく。現地についたら自ずとわかるはずだ」


 視界に映る神が、徐々にその姿をかすませていく。


「残念、時間みたいだ。君が、トイボックスで何をなすのか、興味深く見守らせてもらうよ。オルフェウス君、君の第二の人生に幸多からんことを」


 私の意識を膨大なデータが埋め尽くす。

 処理しきれない情報量に、私の意識がフリーズした。

当面毎日更新の予定です。

新規の方も他のシリーズからの方もよろしくお願いいたします。

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