45.喧嘩色々
『何、このチンチクリン?』
『睨み付けてきてるんですけど、生意気』
『何見てんのよ』
女性たちが口々に恫喝するが、晴美は小動もしない。
言葉が分かっていないから、挑発されても何ともないのだろう。ニュアンスくらいは伝わっているだろうけど。
僕は口を押えられているから何も言えないし、通訳もできない。
「お兄ちゃん、取り敢えず助けるね」
晴美がそう口にした瞬間、体にピリピリとした静電気のようなものが走る。
すると今まで僕を強い力で押さえつけられていた女性から力が抜け、体が自由になった。
女性たちは尋常じゃないくらい汗を吹き出し、カタカタと震えている。
隙をつき、僕が彼女たちから逃げ出しても、追って来なかった。
「………」
僕が晴美に合流しても、晴美は女性たちを睨み付けたままだ。
目を剥き、犬歯を見せつけ、眉間に沢山の皺を寄せていた。まるで猛獣の様だった。
前に見た母さんの鬼の形相ほどじゃないけど、かなり凶暴な面構えだ。
「あいつら、お兄ちゃんに何しようとしたの?」
女性たちから目を一切そらさずに僕に尋ねてくる晴美。
貞操のピンチでした、テヘッ?
何て言ったらどんな反応をするのだろうか。絶対に試したくない。
「よく分からないけど、遊ぶとかなんとか言ってたかな……強引だったけど悪気はないこともなかったかも」
何で事実を濁して、彼女たちの弁護をしているのだろうか。
そんなの晴美に危ないことさせたくないからに決まっている。喧嘩なんてもっての外だ。
『くっ、ちょっと、そこのチンチクリン!さっきからな……』
一番早く立ち直った女性が何か捲し立てようとしたが、最後まで言い切ることはなかった。
爆発音と共に、彼女の前面の砂地がいきなり陥没し、大人一人潜りこめそうなほどのすり鉢状の穴が開いていた。
大量の砂が宙に舞い上がり、女性たちに降りかかっている。
「うるさい。お前らは、お兄ちゃんの話を聞いてから相手をしてやる」
言葉は分かっていなかっただろうが、女性たちは腰が抜けたようにその場に尻餅を付いた。
言動から察するに、砂浜に大穴を開けたのは晴美らしいが、相変わらず僕の隣にいて静かに佇んでいる。
僕は勿論、恐らく女性たちでさえ晴美の動きを視認出来ていなかった。
謎の爆発現象の後、晴美にさっきまでの状況を正確に伝えた。
そして僕は晴美と女性たちの通訳として奔走した。
言葉の通訳ではない。心の通訳だ。
紙のように顔を白くして許しを請う女性たちと、真実を知り人を殺めそうなほど殺気立った晴美との、平和の懸け橋となった。
自業自得の女性たちに欠片の慈悲もないけど、晴美が怒りに任せて人を傷つけるのは悲しい。
僕の説得で晴美も何とか折れてくれて、穏便に事態を収束できる目途が立った。
女性たちは暴行の未遂を行ったものとして警察のご厄介となる。これが最低限の譲歩だ。
僕も警察から事情を聞かれたけど、相手も非を認めていたし、完全に被害者であったのですぐに解放された。
海水浴も午後からの買い物も中止となり、後味が悪かった。
次の日の8月7日、金曜日。
朝から英蘭王国きっての古都に貸し切りタクシーで向かっているが、タクシー内の空気は最悪だった。初めは気を使って陽気に話しかけてくれた運転手さんでさえ、今は口を噤んでいる。
一つに、メ―ガスさんから伝えられたことが原因だ。今日予定していたリーベルト離宮の見学が中止になったからだ。帆夏は旅行日程の中で、これを一番楽しみにしていた。
リーベルト離宮は500年前のから存在し、今でも王家の保養地として使用されている贅を凝らした古城なのだが、王家の人間が不在の場合は城の内部の一部が一般公開される。
本来は城の見学が可能だったのだが、予定外のことが起きた。
「今年の夏はリーベルト離宮で第二王女の婚約披露宴が行われるんですよ。どうやらそれに合わせて我が国の第一王女様が予定より早く離宮に到着したみたいで。タイミング的に可能だと踏んでプランを組んでいたんですが、申し訳ありません」
結婚披露宴という言葉と共に、レイシアの顔が頭をよぎるが、すぐに首を振って誤魔化し、胸の内に仕舞った。
「古城の中は見れないですけど、庭園のみでしたら開放されているので城の外観は見学出来ます。それだけでも見事なんですけど、やっぱりお城の内部も見ていただきたかったです。歴史が好きなら是非目にしておきたい名所ですから」
「そこまで言われるなら、確かに見て見たかったですね」
メ―ガスさんはがっかりと言った表情を張り付ける。僕は彼女に残念そうに笑って見せた。
しかし、いくら僕とメ―ガスさんが和やかに会話をしていようと、空気は一向に回復しない。
暗雲でも立ち込めているような重苦しさだ。
貸し切りのタクシーの中、晴美は眉間にシワを寄せ窓の外を眺め、帆夏は目を瞑って一切喋らなかった。
昨日警察から帰って来て、姉妹で大喧嘩した後からずっとこんな感じだ。
喧嘩の原因は、どっちが悪かったのかというものだった。
「帆夏がちゃんと見てなかったから、お兄ちゃんが危ない目に遭ったんでしょっ!」
「晴美に言われたくないわよ!すぐに遊びに行っておいて!」
「旅行中は、帆夏がお兄ちゃんの身の回りに目を光らせるって言ったから任せたんじゃん!」
「ぐっ……それはそうだけど、私だって完璧じゃないんだから」
「はん、こんな時ばっかり言い訳して。いつも偉そうにしているくせに」
「何よ!人が一度失敗したくらいで揚げ足取って!」
「その失敗が致命的なんだよ!お兄ちゃんがあのまま連れ去られたら、どうなったと思ってるの!この役立たず!」
「な、この、殴るしか能がないくせに!」
「脚だって使えるし!」
「そんな意味じゃないわよ!皮肉にも気付かないの?だから馬鹿なのよ!」
「なにおぉ!」
こんな感じで昨日は防音の行き届いたホテルの一室で二人は吠え続けた。幸いお互い手は出していない。
始めは間に入って仲裁しようとしたけど「お兄ちゃんは黙ってて、ややこしくなるから」「兄さんはいいの。私たちの問題だから」と言われてしまい、話を聞いて貰えず、僕は二人の間で小さくなるしかなかった。
猛省しています。
ずっとギスギスされるのも嫌なので、一人ずつ機嫌を直してもらおう。二人同時は難易度が高すぎる。
「そう言えば晴美」
「何?」
晴美は視線を窓に固定したまま返事を返す。
普段の2割増しツンケンしている。めげちゃダメだ。
「昨日のことなんだけど、あれがなんだったのか聞きたくて……」
「あれ?」
「あの女の人たちが固まったやつと、いきなり砂浜が弾けたの。もしかして、あれも武術なの?」
僕の質問に晴美がこちらに体を向けた。心なしか表情がほんの少し柔らかくなった。好きな話題なら乗ってくるかと踏んだが、どうやら正解だったらしい。
「最初の攻撃は気当てだよ。正確に説明するのは難しいけど、相手を怖がらせて動きを縛るの。……あの時頭に血が昇ってたから、お兄ちゃんにも当てちゃったんだけど……」
ツンケン顔から途端に申し訳なさそうな顔になる晴美。
それを聞いた帆夏が目を開け、ギロリと晴美を睨み付けていた。切れ長で鋭い眼の分、凄い迫力がある。メ―ガスさんの顔が硬直している。
「そうなの?何ともなかったから当たってないんじゃない?」
「え、無差別にぶつけたから、お兄ちゃんに当たらないはずないんだけど……」
「そう言えばちょっとピリッとしたね。あれだったのかな」
威圧感マイスターの僕からしたら、晴美は静電気属性といったところだろう。
だとすると美琴ちゃんは原油属性かな。ネチョネチョドロドロだし。
美琴ちゃんの母である女王陛下は、太陽とか陽だまりみたいに爽やかな感じだったのにね。
「う、うーん、そうなんだ……。お兄ちゃんには気当てが通じないんだね」
不思議そうにしながら晴美はどこか納得していた。
「砂浜の爆発は何だったの?必殺技?」
「そんなものないよ。あれはただ走って、地面を殴って、戻ってきただけ。お兄ちゃんが見えないのは当然として、あの人たちも碌に鍛えてないみたいだったから、いきなり地面が吹き飛んだとしか思えなかっただろうね」
相手を怖がらせるためだけだったのか。
頭に血が昇っていたって言っていたけど、意外と冷静だったんだな。
「相手の体を爆発させたら、お兄ちゃんがショック受けちゃうからね」
ボソリと呟かれて言葉は僕の耳にバッチリ届いていた。
あれだね、場を和ませるための晴美のワイルドジョークだよね?そうに違いない。
物騒な冗談は置いておいて、晴美はちょっと機嫌が戻っていた。
格闘技の話は好きだからね。チョロイぜ。
さて、帆夏はというと、無言で晴美を睨んでいる。
晴美は睨まれているのが分かっていて帆夏を無視していた。
ここまで機嫌が悪いと、帆夏への話題が全然思いつかない、何か好きな話題があったかな?
「……そう言えばメ―ガスさん、今から行く古都って英蘭で一番有名なんでしょう?どんな場所なんですか?」
思い出したように話を振ったが、メ―ガスさんは僕の意図を察し、普段通りのガイドさん口調で説明を始める。
「一番に上げられる特徴は景観ですね。英蘭の古都の中でも、歴史的建造物の保存状態が特によく、逸話も多い土地です。広さにおいても他の追随を許さない大都市をそのまま残していますから、数日かけても巡り切れないほどです」
そんなに広いのか。日程上、一日しか回る時間がないのは惜しかったかも。コンプリートはまたの機会に取っておこう。
「彼の都が栄えた時代は、彫刻芸術の全盛期でもありましたから、真面目な芸術品だけでなく、ユニークなものも多いですよ。私の会社でも、珍しい彫刻をチェックポイントにしたウォークラリーツアーを開催していますし」
「へぇー、確かにそれは面白そうですね。僕たちの人数じゃ別れて見て回るのは難しそうですけど」
「確かに団体様ならではの楽しみ方ですね。折角ですから今日はゆっくり見て回りましょう。古都の中は景観保護のため、車は入れませんから急ぎようもないですが」
僕とメ―ガスさんが楽しげに会話していても帆夏は会話に入って来ない。晴美を睨みっぱなしである。
晴美は晴美で再び窓の外を見ていた。
さて、これからどうなる「こと」やら。
む、上手いこと言ってしまった。




