19.告白
「そう言えば私のこと名前で呼んでいたね」
教室に戻りながら、アーシェ様にそう話しかけられて首を傾げる。
言ったような気はするけど、必死だったのでいまいち覚えていない。
「そうでしたか?すいません、これから改めますからご容赦ください」
「いいや、私は許さないよ」
アーシェ様に含みのある笑みで笑いかけられる。
え、ここにきてそんなこと言うの。……怒ってる風には見えないけど、どうしてだろう。
「罰としてこれからも名前で呼ぶこと。様付けもなしでね。それだけでは軽いから敬語もとってもらおうかな」
「え、それは……」
渋りはしたけど、もう今更な気がしてきた。
僕この人に大概失礼な態度を取ってきたし。
「駄目かい?」
「……いいや、駄目じゃないよ。僕も敬語を使うのを止めるよ。アーシェって貴族っぽくないからこっちの方が自然に話せるし。……アーシェが良いなら」
僕が悩む姿に残念そうに眉を寄せていたアーシェに僕は折れた。
まあ、貴公子のような見かけだから、僕の言い方は語弊があるけどね。あくまで僕の感覚ではという話だ。
入学してから1月半で随分気安い関係になってしまったものである。
「ありがとう陽彩。……嬉しいよ」
喜ぶのはいいけど顔は逸らされる。
多分アーシェも恥ずかしいのかもしれない。僕も表情がぎこちなくなっているから、見られなくて丁度いい。
雑談をしながら歩き、途中から僕の足も直ったので、何とか予鈴前に教室に帰ってこれた。
「本当だって!」
「嘘よ、絶対に信じないから!彼がそんな事言うはずないでしょう!」
「本人たちが帰って来てから確かめればいいじゃんか」
クラスメイトが何だかすごく盛り上がっている。
僕とアーシェは顔を見合わせたが、アーシェは何処か事情を察しているような楽しげな顔をしていた。この人、悪いこと企んでない?
「さ、陽彩も入ろう。ちゃんと人前でも普通の言葉遣いでいてくれるんだろう?」
「はい、それはそうですけど……あ、違った。うん、そうだね、だったね」
反射的にまだ敬語が出そうになるな。気を付けよう。
アーシェがドアガール宜しく教室の扉を開けてくれる。エスコートするように仰々しい様子で僕を教室に案内した。
ここに来てようやく僕のシックスセンスが警笛を鳴らしたが、僕の体は教室に入ってしまっていた。アーシェと一緒に。
入った瞬間喧騒が止み、シンと空気が静まる。
教室全員の視線が一斉に注がれ、僕たちを射抜いていた。また腰が抜けそうになったが今回は踏ん張った。
誰も喋り出す様子もなく、数秒沈黙が続いたが、一人の男子生徒が僕に近付いてきた。浩太君だ。
「ああーえっとな、陽彩……実は聞きたいことがあるんだけど……」
いつもと違いはっきりとしない物言いの浩太君に沸々と嫌な予感が湧いてくる。
この先絶対変なことを聞かれると。
「陽彩、アーシェ様に告白したの?」
僕は瞬時に思考した。
まずは告白という言葉の意味を考えた。
告白とは誰かに何かを告げること、大抵の場合心の内を話すという意味で使われる。
そう言う意味では確かにアーシェに告白した。間違いない。
でもここで頷くことは出来ない。
この場合の告白は明らかに色恋に分類される意味で問われているからだ。
一体何故?僕はそんな誤解を受ける行動も言動もしていない筈だ。
早朝から呼び出しからか?いや、ただそれだけで誤解されるとは思えない。適当に何か言って誘っただけだし。
あの時何て言ってたかな?うーん、寝不足の所為か思い出せない。
総じて結論だが、僕には原因らしい原因はない。
僕に過失は全くないと言える。うん。
僕はここでチラリと確認するようにアーシェを見た。彼女が何か誤解されるようなことを言ったのか?
アーシェは優しく甘ったるい視線をこちらに返し、ゆっくりと首を振った。
「言ってないよ」という意味に捉えていいのだろうか。しかし何でそんな変な目で見たんだろう?意図が分からない。
僕の混乱をよそにクラスメイトにざわめきが広がっていた。
「うわー、何あのアイコンタクト!」
「完全に二人の世界だったでしょ!血の涙が出そうよ!」
「確定的だな」
「嘘だぁよぉ―、信じられない!私たちの陽彩君があんなナンパな貴族に……」
え、何?みんな何を言ってるの?やっぱり誤解してない?
「あの、浩太君、みんなどうしたの?何で僕たち注目されてるの?」
浩太君は僕の混乱を他所にうんうんと頷いて僕の肩に手を置いた。
「良かったな、陽彩。祝福するぜ!」
心底嬉しそうにする彼に眩暈がしそうだった。いや、実際眩暈がしてきた。頭が本格的に限界にきてる。
「陽彩、まだ本調子じゃないんだから、席に座ろう」
アーシェの言葉に僕は頷く。やっと緊張から解放されたのに、何でこんな目に遭うのか分からない。
「ありがとう、アーシェ。……流石に限界だったんだ」
眠い。
ホームルームまであと5分だけど気合で寝る。じゃないともたない。
「うう、敬語も使ってない。あんなに親しげに話してる!もう終わりだ……」
「ああああああ、この世は理不尽だ……」
未だ騒ぐクラスメイトを他所に僕は机に伏せた。
その後も授業の合間の休み時間は眠って過ごし、誰とも話さなかった。
まあ、今朝のことはアーシェが訂正してくれるだろう。でも本当のことは話せないだろうから一応口裏を合わせるべきだろうね。
うん、僕は黙っておいたほうがいいね。アーシェに任せよう。
授業内容はいまいち覚えきれなかったがノートや教科書の印はちゃんとつけておいた。帰って復習すれば大丈夫だろう。
お昼になり、僕は体を伸ばす。
息継ぎをするように、寝て起きて寝て起きてを繰り返していたため、体がガチガチになっている。
さて、お昼ご飯を手早く食べてまた寝よ。
「陽彩君、食べようか!」
「ああ、こっちこっち!」
「やっと話が聞けるな!この時を待ってたんだよ」
いつも通りに光也君たちを誘おうとしたけど、あちらから熱烈なお誘いがあった。
何だろう。もしかしてまだ今朝の話を聞きたいのか?
「あれ、アーシェに聞かなかったの?」
「いや、聞いたけどのらりくらりと濁されてよ。ここは陽彩に聞いた方がいろいろ聞けると思ってな」
ああ、アーシェは適当に誤魔化しておいてくれたんだ。良かった。
「アーシェがそう言うなら僕から言うことはないよ。大事な話だったから吹聴したくないし」
こう言っておけば詮索されないだろう。僕も面白半分で話す気はない。弁当のおかずじゃないんだから。
「お、おう。何だか急に大人になったな。いや、元々大人びてたけどよ」
「そっか……そうだよねえ」
「残念だな」
浩太君は僕の物言いに取りつく島がないと感じたのかそれ以上は聞かなかった。他の二人も残念そうに引き下がってくれた。
この三人はいい人たちだね。男子の中でも特に。
「ごめんね」
僕も一応謝っておき、お弁当箱を開く。
いつもより手の込んだものが多く詰められ、今日は一段と豪華だ。時間がタップリあったからお弁当作りに情熱を燃やしてしまった。
「いただき………」
「おい、陽彩!お前アーシェに告白したのか!」
はい、いただけませんでした。
誰が呼んだかレイシア様。いや、誰も呼んでない。
顔を赤くして髪を振り乱していた。ああ、髪型が残念なことに。
目立つから教室に来ないでとあれだけお願いしたのに……。
僕は素早くレイシア様を捕まえ人気の少ない階段の踊り場まで連れ出す。ついでにそこで髪を軽く整えてあげた。
「レイシア様、教室に来ないでくださいと約束しましたよね」
「そんな場合じゃないだろう、一体どうなのだ!」
少し強い口調で言葉を掛けたが、レイシア様はまるで聞こえていないかのように無視してくる。
仕方なく先に事情を話すことにした。
「金曜日に言われたことを実行しただけです。まかり間違っても愛の告白なんてしていませんからね」
レイシア様はその言葉を聞いて体を弛緩させた。今ので全部わかったのだろう。
「そ、そうだったのか……何かおかしいと思ったが、そう言うことか……。で、どうだったのだ?」
「無事に仲直りできましたよ」
興奮から一転、不安そうにこちらを窺うレイシア様にありのままを告げる。
レイシア様もそれにホッと息を吐いたが、すぐに顔が真剣なものに変わっていた。
また嫌な予感が……。
「陽彩、私のさっき言った話なのだが、出鱈目な噂が流布しているぞ。友人のいない私の耳にも入ってきたのだ。恐らく大抵の人間は知っているはずだ」
サラッと悲しいセリフが出てきて思わず「僕が友達になりますよ」と言って抱きしめたくなってしまった。
「何でも朝に陽彩がアーシェを呼び出して、こ、告白して、ね、熱烈に抱き合っていたとか……あと、そのまま仲良く手を取り合って学校を歩いていたとか、そんな話だ」
ビックリするぐらい誇張のない事実をありがとうございます。
話しに尾ひれさえ付いていないのに、中身だけが完全に誤解されている。
いや、会話を聞かずに状況だけ見れば確かにそれとしか思えないか。
あの時誰かに見られていたのだろう。
「あの……その話ってどれくらい広まっているんですか?」
聞くのが怖い。聞かないのも怖い。なら、聞かなきゃ損、損。
「1年生は全クラスに噂が出回っているだろう。他学年も5割以上は知っているのではないか?」
「流石にそれはないでしょう。幾ら高校生がこの手の話が好きでも……」
あ、でもアーシェだからそうとも言い切れない。
あの人片っ端から男子を口説いているから在り得そうだ。僕の立場って不味くないだろうか。刺されたりしないよね。
「過小評価するな。この学校でお前の動向に気を揉む女子は、全学年で大勢いるぞ」
「その手の冗談は今はいいですから」
どうしようか。今度からお腹に雑誌でも括りつけた方がいいかな。晴美に古くなった週間漫画でも借りようかな。いや、それだと動きが制限されて逆に危険な気が。
「え、分かってないのか?」
「……取り敢えず、誤解は解けたんですから教室に戻っていいですか?」
人の噂も七十五日。聞かれたときに誤解を解いていくしかないだろう。
それより今は眠い。お弁当を食べて寝たいのだ。睡眠欲と食欲を満たさせてほしい。
「あ、ああそうだな」
「失礼します」
少し間の抜けたように声を漏らすレイシア様を置いて僕は教室に戻った。
「………」
戻ろうとして廊下を進んでいると、体に急な制動が掛かった。
金縛り?
いいえ、腕を掴まれているだけです。すごい力で。
一体何なんだ、今日は!
見なくても背中に感じる圧力で誰だか分かってしまう自分が怖い。
無視する訳などいかないだろう。
僕は意を決して振り返る。
「こんにちは、美琴さま」
体の調子が悪いのかと思えるくらい青白い顔をした美琴ちゃんが僕の腕を掴んでいた。
服装も髪の毛も綺麗に整えられているのに、擦り切れて憔悴してるように見える。
彼女には目の下に大きな隈があった。僕よりずっと濃い。
彼女も化粧をしているように見えるけど、薄くなのでとても隠れ切れてはいない。
目も充血していていつも以上に迫力がある。というより、僕を威圧しているように感じる。
美琴ちゃんの顔は僕を向けられているが、目は合わせられていない。首や肩の位置を行ったり来たりだ。
僕は今の今まで美琴ちゃんのことを忘れていたわけではない。
アーシェと違い、美琴ちゃんとは会えれば話すくらいの気構えだった。
あれだけ大事になっていたのに、なぜそれぐらいの心構えだったかといえば答えは簡単だ。
よくよく考えてみれば、ただ一言「話なんて聞いていなかった」と伝えればそれで終わりだからだ。それ以上言いようもない。
休み時間に出席を確認しようと思っていたけど、睡眠欲に負けてしまってズルズルと引き伸ばしてしまっていた。
「美琴さま、僕はあなたに話があるのですが……」
「………」
……うん、これは聞いちゃいけない。
いや、聞いているかもしれないけど返事がない。小さくポソポソと喋っておられる。吐息ほどの音量だけどちゃんと言葉になっているのだろうか。
「えっと……美琴さまも僕に何か話があるんですか?」
「……来て…」
この言葉に拒否権はない。返事をする前に引きずられていく。
周囲の人間も異様な様子で僕たちを見ていた。うん、これ美琴ちゃんが王家の人間じゃなかったら結構危険な光景だね。間違いなく誰か止めるだろう。
でも相手が悪く誰も止めてくれない。どうしよう。
抵抗するだけ無駄なので大人しく自分の足で歩いたが腕は放してくれない。
やがていつも登校で歩く校門と校舎を繋ぐ道まで下りてきた。当然お昼休みに人などいない。
そこからさらに分け入り、木の幹によって外界から遮られた場所に来てしまった。
「…………」
「あの……美琴ちゃん?ここに何しに……」
黙ったままの彼女はやっと腕から手を離してくれたが、今度は別の場所を拘束された。
いや、抱きしめられたと言った方が正しい。
僕より少し背の高い美琴ちゃんの肩に顔を埋める形になる。
肩にかかった豊かな黒髪や体からは紅梅のようないい香りがする。
意外と着やせするのか、胸元の柔らかな感触もはっきりと分かるくらいあった。
本当なら嬉しいと思ってもいいのかもしれないけど、僕の生存本能がそれを否定している。
具体的に言えば「逃げろ」と言っている。
僕も大賛成だけど、どうやって身体能力が上の女子から逃げたらいいのだろうか。そこが問題だ。
抱きしめられているというより、絡みつかれていると言えるくらい拘束がきつい。
拘束から逃れようと身じろぎをしてみたが、逃がすまいとより密着度を上げて僕を抱きすくめてくる。もう色々と当たっていて不味いんだけど。
暫くそんな状態が続き、僕も諦めて体から力を抜いた。
美琴ちゃんは大人しくなった僕の耳元に唇を寄せる。温かい吐息が耳に当たる。
「……陽彩君、私のこと嫌いになりましたか?失望しましたか?気持ち悪いと思いました?あんなことをされてやっぱり怒りを感じているのですか?だから当てつけのように今朝……」
聞き漏らしそうなほど小さな声なのにはっきりと一言一言耳に残る。これだけ近くで囁かれれば流石に聞こえるか。
やっぱりあの時、僕が聞いたことについて言及しているのだろう。勘違いを解けば落ち着いてくれるかもしれない。
「美琴ちゃん。僕には君が何を言っているのか分からない。もし先週の金曜日のことを言っているのなら、お門違いだよ。僕は美琴ちゃんの話し声は聞こえたけど、内容が分かるほど話を聞いていなかったから。近付くときも走って近付いたし、僕は何も知らない」
美琴ちゃんが僕の言葉で体を震わせたのが分かる。
少し力が緩んだが、またすぐに入れ直された。
「そうだったんですね……悩んで損をしました。私は陽彩君に嫌われたかと思って夜も眠れませんでした。でももう遅いですよ。ここまで言っておいて黙っているなんてしません。もう些末なことですから」
いやいや諦めるが早いよ。もっと頑張って!僕は聞きたいなんて思ってないから。
「僕は出来れば聞きたくは……」
「私、陽彩君をずっと見張らせてました。入学してからの学校生活すべて」
「……っ!」
心臓が跳ね、動機が早まる。
それは本当のことなのか?
いや、あの時の美琴ちゃんの焦り方を考えれば、本当だと肯定しているようなものだ。
どうして……僕は聞いていないと言ったのに、なぜこんなことを僕に伝えるんだ?
「驚いていますね。心臓の音、大きくなりました。こんな形で感じるのも心地が良いですね」
場違いな喜色のある声が耳を囁かれる。その声が余計に僕の心臓の鼓動を速めた。
「安心してください。見張らせていたのは陽彩君が学校にいる間だけです。私が恣意的に動かせる人間は少ないですからそれが限界でした」
違和感はあった。
何処からか見られているような。
レイシア様とトラブルになってからの違和感の正体は、監視されていたからなのか。
美琴ちゃんの話が全部整合していく。
「あなたと英蘭の第二王女が毎週食事をしていたことも知っています。でも何を話しているかは全く分かりませんでしたけど。それなりに優秀な騎士が傍に仕えていましたから」
「一度だけその騎士が隙だらけで会話を拾うことに成功した日がありました。そして色々実のある話を聞けました。陽彩君がデートに出掛けたり、第二王女の屋敷にお呼ばれになったり。本当に色々なさっていますね」
アーシェは僕たちが会ってるとき、ずっと警戒してくれていたんだ。
何にも言わないで守ってくれてたんだね。
アーシェに対する申し訳なさで僕の体にギュッと力が入った。
美琴ちゃんはそれを別の理由だと勘違いして、優しく諭すように言葉を漏らす。
「いいんですよ。陽彩君は魅力的ですから。寄ってくる有象無象は多いでしょう」
「でも私はもう限界です。陽彩君の周りをうろつく王女にも、身の程を弁えない騎士にも」
優しげな声色が変わり、冷たく固い氷のような呟きが耳を打つ。
「美琴ちゃん、何を……」
僕の中の何かが警戒心を跳ね上げる。
これ以上彼女の告白を聞いてはいけないと。
「私が手を回して、やっと一緒の時間が過ごせるようなったのに、どうして横から出てきたどうしようもない人たちに奪われなければいけないのでしょう?」
「折角あなたを大和英蘭高校に入学するように仕向けたのに」




