1.入学となんちゃって軟派騎士
朝起きて身支度を整え、手早く朝食を済ませる。
いつも通りの日課にプラスして、この日はもう一つやることがある。
真新しい制服に袖を通すのだ。
白を基調にしたシックなデザインで見るからに高そうな制服だ。
流石名門校の制服だけはある。
袖を通せば、まだ数回しか着ていない筈なのに体に良く馴染んでいた。
適当に自分の髪を整えるように撫でつけてから部屋を出る。
階段を下りて玄関に行くと父さん、母さん、一つ年下の双子の妹たちが出迎えてくれた。
「うん、とてもよく似合っているね」と父さんの藍川昴。
「私の息子は何を着ても似合うから。でも今日は一段と綺麗よ」と母さんの藍川陽紗英。
「お兄ちゃんすごく綺麗」と下の妹、晴美。
「似合ってるよ、兄さん」と上の妹、帆夏。
僕は家族の賛辞を聞いて顔では笑いながらも内心溜息を吐く。
男の僕がなぜ綺麗なのだと。
僕は物心がついてからずっと自分と世界に違和感を感じながら生きてきた。
誰とも共有できない感覚だった。
なぜ男は髪を短く切ってはおかしいのか。
なぜ男は泥だらけになって遊んではいけないのか。
なぜ男は体に傷が出来ただけで大騒ぎされるのか。
なぜ男は女より力が弱いのか。
なぜ男は運動で女に負けて当然なのか。
なぜ男は家庭に入らなければいけないのか。
なぜ男は仕事をさせてもらえないのか。
なぜ男は社会で認められないことが多いのか。
なぜ男は必ず婿にならなければいけないのか。
なぜ男はお嫁を迎えてはいけないのか。
沢山の疑問に明確な答えはない。
ただ僕が男だからという理由で全てが片付けられた。
もちろん小さいときは今ほど社会の在り方を理解していなかったため結構、いやかなり変わった子どもとして周囲に認知されていた。
何年も奇行を繰り返し、いつしか周囲の反応に煩わしさを覚え、僕は場に応じて社会の言う「男らしい」振る舞いをするようになった。
大人たちは僕の奇行がただの一過性のものだと安心しただろうけどとんでもない話だ。
僕は今も違和感を持っている。
視野が拡がった今の方がより強く、社会に対する違和感を持っていた。
人とちょっと違う思春期を過ごしていた変わり者の僕はある夢を持っている。
定食屋を開きたいという夢だ。
人に料理を作って食べた人が喜ぶ顔が見える、そんなお店を自分で造りたいという夢だ。
それを両親に相談した時、大反対された。
理由は?
とてもシンプルな魔法の言葉。
「男だから」
男性は社会に出ると女性から常に下に見られ地位が低い。能力が低いとさえ思われている。
確かに運動能力に限って言えば絶対の差がある。
しかし仕事全てが肉体頼りのものばかりでない筈なのにどの仕事も男性の地位は低かった。
両親は僕が社会に出ることで味わう差別を敬遠したのだろう。優しい人たちだから。
だけどこの夢だけは譲れなかった。
他の男性としての扱いは我慢できても、男性だから夢を捨てるなんて絶対に嫌だった。
両親と何度も話し合いを重ね、僕は絶対に折れない決意で両親を説得し続けた。
結果からいえば二つの条件付きで許可が貰えた。
「父さん、母さん。これで条件その一クリアだね」
「ああ、よくやったわよ、本当に」
「ははは……」
僕は両親と並んで校門から校舎へと続く長い道を歩いている。
格式ある洋風の建物が散見し、桜の花が校舎を彩る。
この場所を歩くために死に物狂いで頑張ったのだ。
条件の一つ目、それは超難関にして日本随一の名門校である大和英蘭高等学校に合格すること。
これは大変だった。
僕はそれなりに勉強が出来たが、本当にそれなりでしかない。
両親の説得が終わったときには受験まで1年しかなかった。
1年という短い時間でこの高校に合格するために1年間きっかり使った。約365日起きている時間全て勉強していたと言える。誰とも遊ばずガリ勉をしていたため僕の青春は灰色一色だった。
「条件を出しておいてなんだけど、日本王国でも屈指の名門、大和英蘭高校に合格するなんてね」
「為せば成る、僕の本気を甘く見ないでよ」
両親は苦笑いしながら校舎を見やり、僕はそんな二人ににこやかに笑いかける。
「あともう一つ条件があるでしょう。まだ安心はできないのよ」
母さんがそう僕に言って聞かせるが、そんなもの僕にとっては既に達成したも同然の条件だ。
「あははは、受験に比べれば簡単だよ。3年間ここに通って卒業を迎えればいいなんて。真面目に頑張っていくさ」
そう、僕は第二の条件をクリアした気でいる。
確かに厳しい進級試験はある。
だけど手を抜くなど一切考えていないし受験に合格できるだけの学力があるものならば勉強をサボらない限り留年することはない。
僕は入学式の会場に入り、保護者席に移動する両親と別れた。
「僕たちに出来るのはここまでだね」
「ええ、後はあの方次第よ。でも期待しているのはあの方だけじゃないけどね。陽彩はとても魅力的な男子だから周りが絶対放っておかないわ」
「僕はあの子が幸せになれるなら誰が相手でも構わないよ?」
「私は誰だろうと気に食わないわ」
「ふふ、君は頑固な母親だね」
僕が去った後両親が何か話していたが人の喧騒でその声は聞こえなかった。
僕は両親がなぜ名門校の合格と3年間の通学を条件にしたのか、その意味を理解していなかった。
ある意味僕だから気付けなかったことなのかもしれない。
『―――――以上を持ちまして第121期生の入学式を終了いたします』
壇上の袖に立つ生徒副会長がそう締め括る。
入学式に特筆すべき点はない。
強いて上げればこの国の女王が挨拶したことくらいだろうか。
年齢は母さんと同じくらいだけど背が高くて後光というか貫禄というか、何かエネルギー波でも放出しているような存在感があった。どうやって出しているのか気になる。
あと意外と生徒が主導で入学式を取り仕切っていたのが印象的だった。
それくらいかな。
担任の先生が生徒たちを先導し教室へ向かう。こういうところはどこも変わらないらしい。
僕もそれについて行き教室へと入った。
教室には生徒と教師だけ。保護者は別室で待機だ。
「では学校についての説明を始める前に私の自己紹介をしておきます。この1年3組のクラス担任になりました西木葵です。趣味は登山や植物採取。担当する教科は数学です」
「あ、そこは生物学じゃないですね」
思わず口からぽろっと言葉が出てしまった。
所々クスクスと笑い声が漏れ、自分の顔に熱が集まるのが分かる。
植物採取イコール生物学、安直でごめんなさいね。
「ふふ、とてもいい質問ですよ。私は生物学も納めていますから皆さんにお教えすることも出来ます。ですからテスト前に質問があればお答えできますよ?」
先生はこちらに向けてウインクをして答えてくれた。
教室のみんなも先生の言葉に感心していた。
流石名門の教員といったところか、早速失態をおかして生徒をフォローするとは。
僕はウインクなどという高等テクニックは収めていないので、取り敢えず感謝を込めて笑い返しておいた。
「さて、それでは出席番号順に自己紹介していきましょうか」
誰だよ、出席番号1番のアンラッキースチューデントは。
「初めまして、藍川陽彩です。えーと趣味は料理全般です。自慢は嫌いな食べ物がないことです。人生で口にしたことがあるものに限りますが」
はい、僕でした。
今まで1番以外になったことないぜ。敗北を知りたい。
その後も自己紹介は滞りなく進んでいく。
みんな緊張していて初々しい。女の子は美人な子が多いし、この高校に頑張って入って良かったと今日一番の喜びを感じている。
そして半分ほど終わったところでついにあの人の番となった。
「私はアーシェ・サース・エルランド。英蘭王国から来ました。まだ日本王国には不慣れですが色々教えていただけると嬉しいです。趣味は乗馬や武術の修練でしょうか……」
今までの生徒と違い言葉によどみがなく堂々としたものだった。明らかに人前に出ることに慣れている人物だ。
しかも美女である。とんでもない美女である。
白い肌にエメラルド色の瞳。
腰まで届くほど長い銀髪はうなじの辺りで三つ編み編んでいる。
身長は僕と同じか少し高いくらい。スカートから覗く足は長く実際より高身長に見える。
これだけでもとても魅力的なのに、神は彼女に二物を与えてしまっていた。
胸が大きいよ!すごく大きいよ!窮屈そうに制服に収まっているところも眼福だよ!
何という発育の良さだろう。これが人種の差というやつなのか。
普通の男子は女子の胸にあまり魅力を感じないらしい。
しかし僕には女性の胸がとても魅力的に感じる。
出来れば穴が開くほど見詰めていたいが不審がられるので我慢だ。
ちょっと熱心に見詰め過ぎたのかアーシェ様はこちらにチラリと視線を寄越していた。
流石に目を逸らすもどうかと思ったので微笑みを返しておいた。お胸様をありがとうと。
アーシェ様はそれに応えるように魅力的な微笑みを返してくれた。
あーこの人すごくかわいい。
ただ絶対に付き合いたいなんて思わないけど。
自己紹介の後の連絡も終わり放課となった。
僕は机から立ち上がろうとしたが、目の前に影が掛かりハタと動きを止める。
「やあ、陽彩。これからお茶でもどうだい?」
僕の目の前に現れたのはアーシャ様だった。
ああ、予想していた以上に軟派な人だったようだ。というかよりによって僕かよ。他の男子に行ってよ。
「すいません。これから家族と予定があるので……」
「そうか……それは残念だ。また誘うよ」
アーシェ様は残念そうな顔を張り付け切なそうに僕を見詰めた。あーやっぱりかわいい。
ほだされそうになるが絶対に甘い顔はしない。
「ありがとうございます、エルランド様」
「もう私の名前を憶えてくれているんだね!でもその呼び方はいただけない。私のことはただアーシェと呼んでほしい」
今度は手でも握りそうな感じだ。そして顔が近い顔が。
「考えておきます、エルランド様。急ぎますので僕はこれで」
僕はそう言い残して素早くその場を去る。
周りの女子や男子の視線が痛い。
やってくれたよ、あの美人!
彼女のセカンドネーム、あれは貴族の称号だ。しかも出身国は英蘭。
日本王国と同じく古い歴史を持つ王家を中心とした封建制の国家だ。
日本は一妻一夫が絶対である。これは王家でも変わらない。
しかし英蘭王国は一妻多夫。ハーレムを推奨している国なのだ。側室や妾を多く持つ。
勿論これは一般家庭には適応し辛い。
一般人の妻では複数の夫を養う財がないためだ。
しかし王家や貴族はどれだけ多く、どれだけ美しい夫を持っているかを競うようにハーレムを形成する。男の数こそ財の象徴とでもいうかのように。
言いたいことは簡単だ。
私はハーレムになど絶対に入りたくない!
僕は自分の容姿が優れているとかそんなことは言わないし思えない。
両親に髪を切るなと泣いて頼まれて結局腰までの長さになってしまった黒髪。
父方の遺伝で一切のムダ毛のない肌。
筋トレしても筋肉の付かない細い体。
正直どこに魅力があるのか分からないが女子にとっては魅力的に映るらしい。
未だに疑問は晴れないけど、人生経験で理解した。
おまけに外国人にとっては日本人の男の容姿は好みであり、傍迷惑なことに貴族の中では日本人の婿はステータスになると捉えられている。
事実日本人の夫を見繕うのが目的で留学に来ている貴族も珍しくない。人間を宝飾品と一緒にしないでほしい。
そういうわけでアーシェ様がいくら魅力的な女性でも絶対に近付かない。男だらけのハーレムなんてゾッとするよ。
僕は定食屋を開く。
婿に行くのではなくお嫁さんをもらいたい。
末永く一人の嫁さんとイチャイチャして過ごしたい。
貴族と王家などノーセンキューなのだ。
……あの立派なお胸様の揺れには心が揺れるけどね。
両親と家に帰り妹たちを連れだって外食に出掛けた。
ちょっと豪華なご飯を食べて買い物を楽しんだ。
僕は抗菌まな板と欲しかった新しい鍋を買ってもらった。高いんだよ、このまな板。
家に帰ってお茶を入れて人心地付いていると妹たちが話しかけてきた。
「お兄ちゃん膝枕してー」
ソファーに座っている僕の膝の上に下の妹の晴美が頭を置く。仰向けに僕を見上げる体勢をしている。
「返事をする前に乗せておいて……」
「ふぎゅー、ひゃめて」
僕はそう言いながら妹の形のいい鼻を押し不細工に変えようと努力する。
だめだ、鼻を潰しても可愛い。
僕は諦めて晴美のボブカットの髪を撫でた。妹は嫌がらず、むしろ喜んでそれを受け入れる。
妹曰く女の子というのは信頼している男子に頭を撫でられたいらしい。どこの愛犬の話しだろうか。
そんなことをしていると上の妹の帆夏が隣に腰かけてきた。
ソファーは十分に開いているが、僕と拳一つくらいしか隙間を空けずわざわざ近くに座る。
「晴美、兄さんが休めないでしょう。膝からどきなさい」
帆夏は長い髪をポニーテールにしている。目はきりっと切れ長の瞳だ。優等生で晴美とは性格も顔も違う。双子とはいったい。一卵性じゃないとここまで似ないものなのか?
「僕は大丈夫だから」
「ほら、お兄ちゃんもいいって言ってるじゃん」
晴美の軽口に青筋を立てる帆夏。
うん、兄さん帆夏のそう言う顔も好きだけど威圧感を出すのは止めような。
「帆夏もちょっと眠るか?肩なら貸すよ」
「え、いえ、そういうことがしたいわけじゃ……」
「じゃあ僕が眠たいから肩を借りようかな」
そう言って帆夏から返事が返ってくる前に彼女の肩に頭を乗せた。実に丁度いい具合だ。
「に、兄さん、そんな、駄目だよ……」
「ぐー」
「スピー」
「ううー」
僕と晴美は狸寝入りを決め込み、帆夏は僕を振りほどくことなく結局されるがままだった。
冗談で眠っていたけど昨日は緊張で寝つきが悪かったからいつの間にか本当に寝ていた。
父さんが夕食の準備を頼みに来るまで三人寄り添ったままだった。
帆夏は眠らず彫像のように固まり僕の肩枕であり続けていた。
そんなところでも真面目さを発揮する妹は、やっぱり可愛い。
今日も両親と二人のために美味しいご飯を作りましょうかね。