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「おはようございます、お嬢様」

 うとうととしていましたら、毛布が剥がされました。問答無用ですかそうですか。朝に弱いわたくしが悪いのですけれど、もう少し手心というものを加えていただけませんこと?

 薄目で毛布を奪った相手を確認します。うん、カレンですわね。知ってました。他のメイドならもう少しお手柔らかですものね。

「カレン、おねがぁい」

 少しだけ甘えてみます。するとカレンは毛布とわたくしを交互に見て、黒曜石のような瞳をぱちぱちと瞬かせています。あ、迷っていますわね。

「少しだけ、でございますよ」

 カレンはふわりと毛布をかけ直してくれました。毛布に隠れる寸前、カレンの無表情な顔に微かな笑みが浮かぶのが確かに見えました。ふとしたおりにカレンが見せる聖慈母像の笑みです。あのう、慈悲の心があるのでしたら最初から毛布剥がさないで下さると助かるのてすけれど。ああ、でも二度寝は最高ですわね。

 ぐう。


 ☆


 改めまして、おはようございますアナスタシアです。

 二度寝といっても完全に寝入っていたわけではありませんことよ?ただベッドから離れがたかっただけでございます。淑女であるわたくしは五分後にはすっかり目覚めました。全て予定通りです。けして、さらにあと五分だけと駄々をこねてカレンを困らせたりなど。

 そんな醜態を晒しては。

 あうあう、申し訳ありません、やってしまいましたわ、思いっきり。ああ、これでは我が儘で躾のなっていないお子様そのものですわ。わたくしの目指す淑女とは程遠いですわ。こんな、寝惚けて甘えるだなんて淑女にあるまじきこと、この一年ほどはなかったのに。

 目が覚めて頭がすっきりするにつれ、恥ずかしさに顔が熱を帯びていきます。

「お嬢様、お顔が赤みを帯びていらっしゃいます、お風邪を召されたでしょうか」

 わざわざとどめをささなくてもよろしくてよ、カレン!


 ☆


「アナスタシア、大事な話があるのだ」

 朝食の席でいつもはニコニコされているお父様が珍しく厳粛な面持ちで仰いました。

「あなた、まだ早いのではありませんこと。アナスタシアはまだ五歳ですのよ」

 いつもはコロコロと鈴の音のような声で笑うお母様まで心配そうに仰います。

 何事でしょうか。

「ソフィア、君の意見はもっともだと思うよ。だけれどね、ことがことだけに噂や何かで不意に耳にするより、きちんと最初に説明をしておくほうが後々拗れないで済むのではないかとも思うのだよ」

 わたくしは半分まで食べかけていた薄切りパンに薫製肉と野菜を挟んだ料理(【はむさんど】です)を手にしたまま迷いました。食べながらお話を聞くのは淑女らしくないかしら?でもかじりかけを皿に置くのもためらわれますわね。どうしましょう?

 ええ、決めましたわ!ささっと食べ終えてからお父様のお話を聞くことにいたしますわ!

 この量でしたらおそらく一口、いえ二口で食べ終えられるはず!アナスタシア、いきますわよ!


 無理でしたわ。四口もかかったうえ、むせてしまい慌ててお水を飲む始末。今日のわたくしは淑女失格ですわね。

 お父様には、驚かせて済まなかったねと謝られてしまいました。いえ、悪いのはわたくしの口が小さいことですからお気になさらないて下さいまし。


「落ち着いて聞いておくれ、アナスタシア。昨日、王宮で御前会議が開かれたのだがね」

 国王陛下と王妃様、重臣の皆様それに五大公爵家当主が列席するエルドア王国の国政を左右する最高意思決定の場ですわね。授業で習いましたわ。ふむふむ。

「その席で、アナスタシアの婚約相手が決まったのだよ。エルドア王国継承順位第一位、アルフレート王太子殿下にね」

 ほうほう。アナスタシア様の婚約相手が決まったのですね。アルフレート殿下にねー。アルフレート殿下というと確か15歳、そろそろ婚約していないとおかしいですものねー。

 わたくしはデビュタント前ですから直接お目通りする機会はこれまでなかったのですけれど、御両親であらせられる国王陛下の凛々しいお顔と王妃様の耀くような銀の髪に美しい紅の瞳という高貴な色彩を受け継いで、大変な美丈夫と聞いております。あのお二人の御子なのですから、その評判にも得心がいくというものですわね。

 そしてアナスタシア様ですかー。どちらの御令嬢なのでしょうか。殿下と釣り合う家格で同じ年頃となるとエルドア王国にはいらっしゃらなかったような記憶がありますわね。そもそもこれまで婚約が決まらなかったのもそのためですもの。もしや他国の御令嬢かしら?

 それにしてもアナスタシア様ですかー。なんだかとっても聞き馴染みのある御名前ですわね。どなただったかしら。

「ふぁっ?」

 アナスタシアって。


 わ た く し で す わ ?!


 ☆


「大変なことになってしまいましたわね」

 このところお気に入りとなっている図書館に今日も籠っています、アナスタシアです。

 でも今日は元気が出ません。書見台にぺたりとうつぶせに身を預け、よく磨かれた表面の滑らかさとひんやりした冷たさを頬で楽しみます。

「王太子殿下の婚約者ということは、王太子妃に内定したということですわよねー?」

 そしてゆくゆくは、アルフレート殿下が王位を継承した際に王妃となって支えるということでもあります。

「そんな大役が、わたくしに務まるかしら?」

 今は間違いなく無理です。わたくしまだ五歳ですのよ。でも、これから今の王妃様と同じだけ歳を重ねて行ったとして、王妃様のような聡明さや優雅さを身に付けられるでしょうか?想像がつきません。

 王妃様はわたくしの憧れの方なのです。言葉遣い、立ち居振舞い、お化粧や衣装のセンス等どこを取っても淑女の鑑と呼べる方です。そんな方と並べるまでになるだなんて。

「無理ですわね。あなたもそう思うでしょう?」

 わたくしは独り言を言っている訳ではありませんのよ。

 硝子の小瓶の中でふるふるしている水滴さんに話しかけているのです。

 こうしてみると、本当にただの水滴なのでは?とも思えて来るのですが、小瓶を傾けると下から上に向かって移動しますので普通の水滴ではないのは間違いありません。

「あなたって何なのかしらねぇ」

 召喚魔法陣から出てきたということは召喚魔なのでしょうけれど。

 召喚魔と言えば、おおよそ五百年程前のエルドア王国建国初期、初代エルドア王に仕えた聖女マルレーネ様は千種類の召喚魔を千頭ずつ呼び出すことが出来たそうです。ぐっと時代を下って百年前に活躍した高名な竜騎士のステファン様の乗騎は召喚竜だったそうです。当代では王宮魔導師のギルバート様が召喚魔法の名手で、黒い影のようなもので出来た猛獣を召喚するところを見せて頂いたことがあります。わたくしの兄とギルバート様が親しいとのことで、そのよしみですわ。

「召喚魔というのは出たり戻ったりするもののはずなのに、あなたは戻りませんわねぇ」

 どうなのでしょう?そもそも召喚魔というのは何も食べないで大丈夫なのでしょうか?もう夕刻過ぎですから、昨日召喚してからほとんど一日近くになります。わたくしであればお腹がすいて動けなくなってしまうに違いありません。そ、そういえば水滴さんの動きが昨日に比べて遅くなっているような。

 なんということかしら!わたくし、自分のことにばかりかまけて水滴さんのことがおろそかになっておりましたわ!

 アルフレート殿下との婚約はもちろん大切ですけれど、まだ先の話であるのも確かです。今は水滴さんのことを何とかしなくては!


 ☆


「ミルクでございやすか?」

「はい」

 わたくしは厨房にやってまいりました。他に食べ物がある所は思い付きませんものね。わたくしの住まう白百合城には千人近い人々が勤めていますから、厨房はとても大きいです。夕餐の頃合いが近いので、数十人の料理人たちが野菜の皮を剥いたり刻んだり忙しく働いています。カレンが居てくれれば良かったのですが残念ながら見当たらないので、わたくしは手近に居た料理人に声を掛けました。

「コップ一杯でよろしゅうございやすか?」

 わたくしが頷くと、大きな熊のような料理人は傍らにあったわたくしの背丈程もあるミルク缶をひょいと持ち上げ、硝子のコップになみなみとミルクを注いでくれました。

「誰かに運ばせやしょう。姫様の手を汚したら大変でさあ。メイド長にどやされる。おーい、ミリー!ちょっと来な!」

 あうあう、自分で運びますと言う暇もなく、ミリーと呼ばれたメイドは硝子コップを受け取り丸盆に載せてしまいました。

「お皿もご用意しますね」

 まあ、ミリーあなたってなんて気の効くメイドなのかしら!確かに水滴さんが硝子コップから直接ミルクを飲むのは難しそうですものね。わたくし、全然思い付きませんでしたわ!


 わたくしの部屋までミルクを運んでもらい、ミリーにはお礼を言って戻ってもらいました。まだわたくしが召喚魔を呼んだことは誰にも秘密にしておきたかったので、ミルクを貰ったことは軽く口止めして置きます。


 お皿にミルクをほんの少しだけ注いで、水滴さんにさあ召し上がれと言おうとしてはたと困りました。水滴さんの呼び名を水滴さんで定着させるのはどうなのでしょう?あまりにもそのまま過ぎるのではないでしょうか。もっと召喚魔らしい素晴らしい名前をつけてあげるべきでは?

 とは言うものの、呼び名を考えてみたのですが、いい名前が全然思い付きません。迷いましたが、いずれ良い名前を思い付いたら正式に命名することにいたしましょう。それまであなたは暫定名称『水滴さん』ですわ!


 ☆


 水滴さんはミルクを飲んでくれました。

 飲む、というのがあっているのか少々疑問が残りましたが。お皿の上をつつーと滑るように移動した水滴さんは、ミルクの滴に隣接すると、ちょんと触れました。するとミルクの滴がだんだん小さくなっていきます。水滴さんのほうは徐々に白く濁っていきます。結局、水滴さんはコップ一杯のミルクを全て飲んでしまいました。不思議なことに、水滴さんの大きさは食事の前とほとんど変わりませんでした。気持ち大きくなったかな?くらいです。硝子の小瓶にも難なく入れるサイズです。

 この小瓶にコップ一杯のミルクを注いだら、溢れるのは間違いありません。どういう仕組みなのでしょう。謎です。

 ミルクはいったいどこに行ってしまったのでしょうか?

「水滴さん、ミルクは美味しかったですか?」

 聞いてみると水滴さんはミルクを注ぐ前と同じくらいきれいになったお皿の上でぴょんとはねました。

「量は足りましたか?」

 またもぴょんとはねる水滴さん。ミルクと同じ白色に変化した水滴さんはミルクがはねているようでとても可愛らしいです。

「明日もミルクを貰ってきますね」

 ぴょんぴょんと水滴さんがはね、喜んでいるようです。わたくしも嬉しくなり、微笑みました。



 夕餐を済ませて戻って来ると、水滴さんは元通りの透明になっていました。


 ベッドに就き、今日のことを振り替えってみます。今日は水滴さんのことが少しだけ判りましたが、判らないことが増えてしまいましたわね。明日はもう少し判ると良いのですけれど。

 そうそう、明日ミルクを貰うのを忘れないよう、しっかり覚えておかなくてはいけませんわね。

 あと、他になにか大切なことがあったような?何だったかしら。まあ、そのうち思い出すことでしょう。

 それではおやすみなさい。

(料理人とメイドのミリーは、アナスタシアが仔犬かなにかを拾ったのだろうと思っています。口止めしたのがミリーだけだったので、夕餐の時点ですでに料理人→メイド長カレン→お父様とお母様のルートでばれていましたが、皆ひとまず静観することにしました)

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