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おはようございます、アナスタシアです。
今朝は早くからお父様は王宮へ出仕したとのことで、朝食はわたくしとお母様と二人です。
三日月をかたどった【くろわっさん】というサクサクした口当たりのパンと【コンソメ】という琥珀色に透き通ったスープ。それと、ロック鳥の卵をかき混ぜてふんわりと焼き上げたものに赤い【ソース】(これは【ケチャップ】というもので赤い野菜を煮詰めたものだそうです)を添えたものが並びました。
お父様も、同じものを馬車の中で召し上がっているはずです。王宮までは馬車でも数時間は掛かりますから、朝食を済ませてからでは出仕の時間に間に合いませんものね。
お父様は月に数回ある出仕の際は毎回そうなのですが、朝と昼の食事をお弁当でお持ちになり夕餐は夜遅く帰宅されてから召し上がるのです。夕餐はなるべく親子揃って食べるのが我が公爵家の習いなのですが、わたくしは日暮れとともに眠くなってしまうので出仕の際だけは無理なのです。
「ロック鳥の卵はこれでおしまいかしら?」
お母様は焼き卵の最後の一口を食べ終えて、給仕のメイドに声をかけました。
「申し訳ありません、今回の卵は季節外れの出物を行商人から買い求めたものでございます。昨日のデザートと今朝の朝食のぶん、それに【マヨネーズ】の補充に用いましたぶんで使いきってしまいました」
「そう。残念だわ。季節物の卵が出回るのはもう何ヵ月か先よね」
ロック鳥は身の丈がちょっとした山くらいのサイズまで大きくなる魔物です。巣を頻繁に留守にする習性があるので卵を獲るのは容易だそうですが、巣を作るのが険しい山中のため値が張るそうです。そのうえ繁殖期が決まっているので年中食べられるわけではないのです。
ふうとお母様はため息をつかれました。
「ねえ、アナスタシア。あなたの」
あ げ ま せ ん か ら ね ?!
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「カレン、【プリン】を作るにはロック鳥の卵が必要なのですわよね?」
算術のお勉強をしている途中、ふいに思い付いてカレンに聞いてみました。
教師役のカレンは黒板に数式を書く手を止め、振り返ると眼鏡をついと持ち上げる仕草をしました。あら、叱られるかしら。授業と関係ないことを考えていたのですものね。
「はい。プリンは卵を温めると固まる性質を利用した料理ですので、卵が必要です」
あ、よかった。怒っていないみたい。
「卵を生む生き物ってロック鳥の他にもいろいろいますわよね?サンドリザードにコカトリス、バシリスクなどもそうだったと思いますけれど、そういう卵ではダメなのかしら?」
もしそういった卵が使えるなら、ずうっと【プリン】を食べられるようになりますわ!
ああ、なんて素敵な思い付きなのかしら!
けれど、カレンの答えはわたくしの浮かれる心を粉々に打ち砕くものでしたわ。
「申し訳ありません、お嬢様。プリンは鳥の卵でないとうまく固まらないのです。以前試みたのですが、爬虫類の卵ではつくれませんでした」
「【トリ】?【ハチュウルイ】?」
あまり、というか全然聞き覚えのない言葉ですわね。
怪訝な顔つきなわたくしにカレンが補足の説明をしてくれました。
「鳥というのはロック鳥やその類いの生物を総称する言葉です。羽毛があり、だいたいは飛びます。飛ばないものもいます。残念なことにエルドア王国に生息する鳥の類いはロック鳥だけなのです。爬虫類はトカゲやヘビの類いの総称です」
・卵は【トリ】でなくてはダメ。
・王国にはロック鳥しかいない。
ああ、なんてことなの。【プリン】を年中食べる方法はあえなく潰えてしまったわ。
あら?ちょっと待って下さいまし?もしや、いえきっとそう!これが最後の希望!
「コカトリスはロック鳥を小さくしたような格好で空も飛ぶけれど、【トリ】ではないのかしら?」
ドキドキしながら答えを待つわたくしにカレンは告げたのでした。
「コカトリスの卵はヘビの卵に近いですし、毒がありますので」
がーん、ですわ。全てに絶望してわたくしはうちひしがれたのでした。
☆
カレンは朝食、昼食、夕餐と午後のティータイムのおやつを全て手ずから作ってくれています。
そのため、わたくしがカレンの授業を受けるのは午前と午後の数時間ほど。それ以外は自習です。といっても特に何をするか指定はされません。自習というか自由です。気ままなものです。そのせいで昨日はおやつの時間を忘れてしまいましたが。
今日は自習を早々に切り上げ、お母様と一緒にしっかりと午後のティータイムを過ごしましたわ。
香草茶にオレアの果実の甘煮(カレン風に言うと【オレンジジャム】です)をたっぷりと入れ、一口含めば至福の時が訪れます。
先程の絶望がきれいさっぱりとそそがれたかのようですわ!
いえ、当分【プリン】を口にできないことを思い起こすとまだ未練がわきますけれども。
いけないわ、アナスタシア。【プリン】に未練をのこしたままでは今日のおやつに礼を失するというものですわ!振り払うのです!
今日のおやつは小麦の粉を練って焼き上げた甘くない【ビスケット】に【オレンジジャム】を載せたもの。さくっとした生地としっかりした甘味とが舌の上で解け合い、とても美味です。
オレアは皮が固く苦味があるので普通は中の柔らかい部分だけ食すのですが、【ジャム】には薄くスライスした皮も入っています。甘煮にしたことで皮は柔らかくなり、苦味もほどよい風味に変化しています。苦いのに美味しいなんて、不思議ですわ。
おやつの内容は日替わりですが、今日は間違いなく当たり。大当たりですわね!
まあ、カレンの作るおやつにはずれなんて今まで一度だってなかったのですけれど。
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さて、午後の自習は何をしましょうか。算術は一区切り付きましたし、行儀作法やダンスはカレンが相手の時の方が効率良いですわね。となると昨日に引き続きエルドア王国史を読み進めるのがいいかしら?
王国史は古エルドア語で書かれているから、その勉強にもなりますものね。
意気揚々と図書室に向かったわたくしでしたが、うっかりしていました。昨日の続きを読もうにも、わたくしひとりでは本に手が届かないことを失念しておりました。
「困ったですわね」
カレンは今頃は厨房かしら。他のメイドでもいいのですけれど、たまたまなのか図書室のあたりには誰も見当たりません。まあ図書室は厨房からも洗濯場からも離れた城の奥ですもの。誰も通りがからないのはそのせいですわね、きっと。
探しにいけば誰かしら捕まえられるのは間違いないけれど、背が届かないので本を取って、と頼むのは淑女としてどうなのかしら。いかにも子供っぽいですわね、止めておきましょう。
書棚には上から下まで年代順にエルドア王国史全50巻が納められていて、手の届く段から適当にエルドア王国史を読み進めることもできなくはないのですが、読み掛けになっている王宮建国初期の英雄譚の続きが気になるし他の時代に移るのは気乗りしませんわね。
致し方ありませんわ、今日の自習は全然別のジャンルの本を読むことにしますわ!
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ふふふ、探せばあるものですわね。
とっても興味深い本を見つけました。
タイトルは『召喚魔法大全』を意味する古エルドア語です。
図書室の端の一番奥まった書棚と壁の隙間に、蝋で防水加工された布に包まれたこの本が隠してあったのです。革紐で何重にもぐるぐると縛られていたので、ほどくのがとっても大変でしたわ。
さて、中身はどんなものかといいますと。内容が非常に難解で、わたくしには半分ほども意味が判りません。いえ、読めはするのです。古エルドア語で書かれていますが、知らない単語はほとんどなく読み進めることはできるのです。ですのに何が書かれているのかさっぱり理解できないという不可解な状況に陥ってしまいました。
本には何種類もの召喚魔方陣の図解が掲載されていて、どうもその解説が書かれているのだとは判るのですけれど。
「これはカレンに見せた方がいいかしら」
何にでも詳しくて、火魔法や氷魔法まで扱えるカレンだもの。この本を読みとくこともできるかもしれないわ。召喚魔法はさすがに専門外だと思うけれと。
ふぁふ。あらわたくしとしたことが、根を詰めすぎたせいか欠伸が出てしまいましたわ。
周囲を見回し、誰もいないことを確認しました。良かったわ、はしたないところを見られず済みましたわね。
「あっ」
ほっとした拍子に目じりから伝った涙が本の上に落ちてしまいましたわ。
貴重な書物のインクが滲んでしまっては一大事ですわ。
と、思った瞬間のことでした。手元で何かが眩く輝いたのです。
「きゃあっ」
わたくしは咄嗟に身を屈め、目をギュっと閉じました。
しばらくそうしてじっとしていましたけれど、何事も起きた気配がありません。おそるおそる目を開けましても、辺りに異変はありませんでした。
「何が起きたのかしら」
見回しましたけれど、静かなものです。先程と変わらず、わたくし以外に誰かがいる気配はありません。
あ、そういえば本は無事かしら?涙を拭かなくては。
「えっ?」
膝の上の本に視線を落とすと、透明な水滴がページの上に乗っています。でも、おかしいのです。染み込んでいく様子がなく、ふるふるとしています。ハンカチを取り出して拭き取ろうとすると、逃げました。
すいとページの上を滑るように動き、わたくしのハンカチから逃れたのです。
「えっえっ?」
どういうことでしょう?涙が動くなんて。訳が分からないまま水滴を追いかけると、水滴はぴょんとはねたのです。水滴はふるふるしながら書棚の隅でじっとしています。
手元の本と水滴を交互に見ます。手元の本は『召喚魔法大全』。そして開いていたページには、使い魔召喚の魔法陣が記されていました。
「お嬢様、どうかされましたか?」
カレンが図書室に入って来ました。いつもと変わらない無表情に見えるけれど、かなり慌てた様子なのが付き合いの長いわたくしにはわかりますわ。カレンがスカートの端を持ち上げて走ってくるなんて、わたくしが三歳の時に飛行魔法を試して二階の窓から庭に落ちた時以来ですもの。あの時のカレンの動揺といったら相当なもので、見かねたお父様とお母様がとりなしてくださるまで一週間近くもベッドから出るのも許してくれませんでしたわ。
「あら、カレン。なんでもないの。寝ぼけてしまっただけ」
思わず平静を装ってしまいましたわ。
「もうそろそろ夕餐の頃合いかしら?呼びに来てくれたのね、ありがとう」
カレンはほっとした様子ですわ。無表情ですけれど。
☆
「さきほどのあれはなんだったのでしょう?」
わたくしはパジャマに着替え、ベッドに腰掛けて思案いたしました。
驚き冷めらぬまま夕餐を済ませましたが、メニューが何かよく思い出せません。ああ、デザートだけは別ですわよ。今日は久しぶりに【アイスクリーム】が出たのですから!【アイスクリーム】は氷のように冷たいのに舌の上ですうっと溶ける魔法のような甘味です。氷魔法を使えば氷は簡単に作れますけれども、それとは全く食感が違うのです。
【アイスクリーム】を作れるのはカレンだけです。氷を細かく砕いて甘味付けをした物や果物を凍らせた物も美味ですが、【アイスクリーム】とは似て非なるものですわ。
たまにしか口にできない理由は、香り付けに使う香草が大変貴重だからです。エルドア王国では栽培されておらず、海を隔てた遠い異国から時折届くもので、お金を積んだからといって確実に入手できるものではないとのことです。ほんの子供の頃、カレンに無理を言って香草なしで【アイスクリーム】を作って貰ったことがありましたけれど、確かに冷たくて味は甘いのですがあのふんわりとした甘い香りがせず、とても残念に思った憶えがありますわね。
ああもう。
そ う で は な く て!
すぐに考えが別のほうに行ってしまうのがわたくしの悪いくせですわね。気を付けなくてはいけません。
今考えなくてはいけないのは、先ほど図書室で起きた現象のことですわ。
答えは明白でした。わたくしの涙が召喚魔方陣の上に落ち、おそらくはそれが触媒となって召喚魔法が発動してしまったのです。
そして、呼び出されたものは。
今、硝子の小瓶の中で、ふるふると震えているのです。寝室にわたくしひとりになったとたんどこからか現れ、小瓶の中に入ってとお願いしたら入ってくれました。
さてこれからどうしましょう?
困ったわたくしは、とりあえず小瓶を鏡台の引き出しにしまい、ベッドに就きました。
おやすみなさい。
(やっとスライム召喚、でも寝る主人公。五歳だからね、しょうがないね!)