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「顔色が悪いようですが……」
女の子は中腰になって心配そうに私の顔をのぞき込むと手を伸ばしてきた。人がいたことに驚いていたため目の前に迫った手を思考が停止した状態で眺めた。眼前を埋め尽くした肌の色が不意に上に逸れたとき、私の頭はようやく稼働した。
「わわっ」
ひぃ~! ついでにサッと顔を背けて前髪をかすった手を回避した。てっきり目を覆い隠されるのかと思ったけど今のはでこを触ろうとしていた。でこ。おでこだ。私が返事もせずに硬直してたから、頭おかしいとか熱があるとか思われたんだな。だからでこか、くぅ~! やめてくれ!
女の子の手は目の前でむなしく残されたけど、硬く目を閉じた私には気にしてる余裕はない。最初の数秒しかまともに顔見てなかったけど、中高生くらいか。十五、六のお嬢様って感じがしたけど、実は十才でしたってこともあるのかな? もし私がちゃんと異世界トリップしてたらあり得るよな? 髪染めてカラーコンタクトつけて見た目変えてたとしても、日本人に見えないし。外国人の顔立ちに見えるし。う~ん。
脳内で女の子について考えてみるが、自分に金髪碧眼の知り合いなんて地球がひっくり返ったっていないからね。知らない子だわ。
そもそも初対面なんだしいきなり距離つめて触ろうとしないでよね、焦ったじゃん。つーか不気味な前振りのあとに突然現れないでくれよ。想像したものとかけ離れた可愛い顔した女の子でもビビります。やけにリアルさを追求したが故に見る人によっては恐ろしく感じる西洋のお人形さん思い出します。いや、女の子とは似つきませんよ? 彼女の方が何万倍も可愛いし人間って感じしますよ? 人間なんでしょうけど。見目麗しいので目の保養にもなるし、お近づきになりたいと思いますよ? ええ。
ここは頭を下げて右手を差し出して、大きな声でお友達になってください! ってお願いするところなのかな? よくわからん。
そういえば私のこと心配してたよね。まずは平気です元気です心配いりませんとか言うべきかな? まぁ言うべきだよね、言うべきなんだけど…………言えない。困った。
待て! 相手は自分より十以上は年下の女の子だたぶん。社会に出て働いてる私が心配してくれてるらしい年下ちゃんに怯えてどうする!? がんばれ私、相手に心配かけるな、話しかけるんだ! 怖くない! 大丈夫! 声出せ! 私は言える!
目を開けて女の子の方へ顔を向ければばっちり視線が合う。大丈夫、大丈夫、言える! 息を吸い込んだ。
「私は健康体です怪しい者じゃないです心配かけてごめんなさいすんません気をつけますからどうか命だけはお助けをっっ」
強く手を握りしめてまた目を閉じて俯いて叫んだ。自分のひっくり返った声の恥ずかしいこと恥ずかしいこと。そしてテンパって口走った言葉ときたら何を言ってるんだ私。バカか、阿呆か、能無しか。あうぅ。
…………わかってる。全部当てはまるとかどこまで残念すぎるんだ私! ちーん。どんなに残念でも体から魂は抜けませんがな。至って健康な私は肉体的にもすぐには消滅さえしないのです。精神は薄っぺらな紙ですがね。ちっ。
「主、怯えている。無闇に触れない方がいい。距離を保て」
! 女の子以外の声がして肩が小さく跳ねてしまった。ほかに誰かいたのかをい。早く言え! ちきしょー! あ、いえ、教えてもらっていても気づいても私の態度はあまり変わらなかったことでしょうええ残念なことに。
目を開けて恐る恐る女の子の方を見やったら、後方にいた。またも知らない人が。こちらは女の子より年上に見えるなかなかステキな顔した少年だった。可愛い女の子と並んでも遜色ないお顔だったので少し見入ってしまったぜ。十八、九の年くらいかな? いや、もっと若いのかな? 年上? 青年? 少年? 男の子? 男の人? なんて呼ぼう。呼び方に困る。もちろん脳内でのな。あ~、ここは少年と呼ぶかな。
女の子は華やかな赤のふわりとしたドレスが印象的だけど、少年は濃い灰色の服……チャコールグレーだっけか。そんな色した動きやすそうな服装が印象的だった。色の影響か女の子と比べると見劣りするけど、どこぞの貴族がお忍びで街を散策するために敢えて地味な服を着ている感がある。生地がなんだか質の良いものに見えるんだよ。気のせいじゃないはず。てことは、二人はいいとこの出? ま、いいや。
少年の顔よりも、服装がファンタジーなゲームやアニメなんかに出てくる町人キャラの格好のようだったから、まじまじと見てしまった。コスプレ羨ましい! 私もああいう格好したい! 一目で高価で派手な服より憧れる。眼福。似合ってるから心の癒しだわ。はう。こちらの方とは是が非でもお友達になりたい! んなこた声に出して言えませんけどね。
「そのようね。怖がらせてしまってすみませんでした」
女の子が数歩後退して頭を下げて申し訳なさそうに言った。ハッとした私は両手を顔の前でわたわた振った。ごめんなさいー! きっと、いや確実に私がいけないのに見ず知らずの女の子に気を遣わせてしまった。わわ、ほんとすんません。
「お、お気になさらずっ、顔を上げてくださいっ。むしろ私の方が失礼な態度ですみません状態ですからぁっ」
もう私は必死だ。体調よくないのにどぎまぎしすぎて死にそ。水欲しいな。お茶でもいいや。緑茶。
なんだか意識が遠のいてきたついでに落ち着いてきたよ。
「…………つ、ついさっきまでここに倒れてたらしくて、気がついたばかりで。見事な生垣に囲まれていて癒やされたりもしたんですが知らない場所だったし……と、友達とはぐれてしまったというか一人で心細かったといいますか……。私巣ごもりの人見知りで、口下手で滑舌悪くて会話の引き出しもなくて………あ、いや、えと、あの、えと、えと……何が言いたいかというと、その……えっと……」
ダメだ。落ち着いてきたと感じても頭も滑舌も上手く回らない。言葉が出てこなくて泣けてくるよ。何度目だよもう。
「……あ、怪しい者じゃないですから、信じてください」
慌てて合わせた視線をまたも逸らして俯いて、申し訳ないと小さく言った。両手もおろした。
ダメだ。目を開けてられないくらい眠い。
知らない場所にいる自分と知らない人がいる場合、どうしたらいいかな。きっと私不審者だよね? 不法侵入してるよね? もう顔上げられないし、立ち上がって逃げることもできないよ。逃走ムリ。女の子と少年が私を助けてくれるかもしれないけど、それ以外の人たちがどう判断して動くのかわからない。賊扱いされて牢屋行き? ……まだましな方だよね。なにげ定番な王城の庭やそこに勤めるお偉いさん家の敷地内とかじゃなけりゃあいいな。
命も安全の保障もない異世界トリップって怖いなあ。パスポート持ってないのに国外脱出してても末恐ろしいわい。さて、どうなるやら。
……白石さん、どこにいるんだろ。無事かな? また会えるといいな。せめて生きてな、笑。
「はは、あまりいい人生じゃなかったな」
自嘲気味に吐いたあと、体が傾くのを感じて気持ちだけでも衝撃に備えた。とくに頭のね。座ったままだからそんなに痛くはないだろうけど、いちおうね。手、動かないし。大事な頭、守れないからね。
――主。
声を聞いた。知らない声だと思う。
――鎌形!
あ、この声知ってる。……え、白石さん?
「大丈夫か?」
? 傾いた体を支えられた。眠気に負けて閉じた目をなんとか開けると、オレンジ色が視界に入った。焦点が合わなくて全然わからない。なんだ? オレンジ、橙、オレンジ、くろ……あ、素敵服着た少年か。髪の毛オレンジ色だったっけな。あんま見てなかったからすぐ出てこなかったや。私は目を閉じた。安心する。なんだか心地いいな。
少年が私を支えてくれたらしい。瞬発力すごいんですね。おかげで助かりました、頭。
「もうし…………ねむけ…………くて……」
深い闇に落ちていくように気が遠くなった。体の感覚もなくなって、浮遊してるみたいになった。
「……おやす、み、なさい、――――」
意識が途切れる前に誰かの名前を口にした。
辺りが落ち着きを無くしたかのようにざわめき出したことを、私は知らない。