幸せの天秤(1)
四方を真っ白な壁に囲まれた無機質な部屋で、大勢の人間が手を動かしている。
何らかの部品が乗せられた作業台が1人に1台割り当てられ、誰もがもくもくと作業をこなしていた。
顔まですっぽりと覆う白衣に包まれた作業者たちは、台の上に並べられた2つ、または3つほどの金属の山から必要な数の部品を取り出し、所定の手順で組み合わせていく。
組み合わされた部品は、作業台の横にある箱の中に無造作に放り込まれていった。
周囲には金属が擦れるカチャカチャとした音だけが響き、ビデオテープをループさせているように、抑揚のない時間がただ過ぎていく。
どこかで機械的なアラーム音が響いた。
人々は一斉に手を止めると、手首に巻かれたバンドに視線を落とす。
小さく喜びを表現するものと、うなだれて肩を落とすもの。
喜んだ方のグループは、軽い足取りで上へと続く階段を昇り、うなだれたグループは、足を引きづるようにして奥へと続く通路へと進んでいった。
作業者たちが作業台を後にし,それぞれの方向へと進み始めると、薄汚れた白衣に身を包んだ数人の人影がどこからか現れ、作業台の横に並べられた箱を台車に乗せて回収していく。
台車は狭い作業台の隙間を滑るように移動し、200はありそうな箱がみるみる片付いていった。
先ほどまでの作業者と同じように無言ではあるが、リズミカルな作業風景は踊っているようにも見える。
頭まで被った布でよくは見えないが、大人に交じって、少年らしき華奢な腕が時折のぞいていた。
人影はすべての箱を片付けてしまうと、休む間もなく作業者たちの消えた通路へと小走りで駆けてく。
ガツンガツンと、金属をぶつかり合わせる音が響いた。
「はい、皆さんはもうご存知だと思いますが、ここでは顔の布を取って素顔をされることは禁止されています。
今から食事の時間ですが、布を捲っていいのは口元まで。
もちろん私語も一切禁止です。これらを守れない方は、場合によっては腕の計測器を外すことになるので、十分に注意してくださいね」
全身白衣に包まれた集団の前に一人だけ、白衣を肘までまくり、顔を出した大柄な男が立っている。
短く刈り込まれた頭に、日に焼けた肌と筋肉質な身体つき。
丁寧な口調ではあるが、人を威圧することに慣れた横柄さが、立ち姿から滲み出ているような雰囲気を持った男だった。
両手に鍋とお玉を持ち、周囲の様子を見回しては、思い出したように両手を打ち付け、満足そうな表情を見せていた。
作業者たちは、数人一組の長机に腰を下ろし、目の前に並べられた空の器に黙って目を落としていた。
口を開くものはおろか、視線を外すものさえ一人もいない。
全員が何かにおびえたように、息を殺して時間が過ぎ去っていくのを願っていた。
ガタガタと台車を押す音と金属の擦れる音を立てながら、数人の人影が部屋に入ってきた。
前に立った男はあからさまに嫌そうな表情を向け、小さく舌打ちをする。
「これから食事を配るので、配り終わるまでは手をつけないでください。
全員に食事がいきわたったら食事を開始して構いませんが、食事はこれから20分とします」
食事を運んできた人影が、一斉に食事を配り始めた。
先ほどの作業場を片付けた時と同じように、一言も交わすことなく、それぞれの役割を迅速にこなしていく。
瞬く間に食事の準備が整えられていくが、数百人はいそうな人たちの配膳を数人で行うのは無理があり、配り終わる頃には残された時間は僅かとなっていた。
作業者たちは口にこそ出さないが、不満やイライラのこもった視線を汚れた白衣の人影に向けている。
小さな舌打ちや貧乏ゆすりまで聞こえるが、前の男は別段気にする素振りも見せず、上機嫌で鍋を鳴らしていた。
ささやかな食事の時間は、あっという間に過ぎ、機械的なアラーム音が無情に響く。
少しでも食事を口に入れようと詰め込んでいた作業者たちは、未練のこもった目で残った食事を見つめながら、しぶしぶ席を立ち始める。
「はい、では明日は6時から作業開始です。
各自割り当てられた部屋へ戻り、以後は外へ出ることは禁止となりますので、くれぐれも気をつけてください」
追い立てるように鍋を打つ音が一層大きくなる。
最後の一人が部屋から出るのを見送ると前の男は、うんざりだとでも言うように息を吐き出し、そばにあった台車を力一杯蹴とばした。
部屋中に台車の転がる大きな音が響く、その音に混じって押し殺したような呻き声が漏れた。
台車と一緒に、食器を片づけていた人影が引っ張られるようにして床に這いつくばっていた。
台車とその人影は、左の手首が手錠のようなものでつながれていて、蹴られた台車に引きずられる形になったのだ。
よく見ると手首と台車が繋がれているのは一人ではなく、他の人影も一様に台車に繋がれていた。
男は床に転がった人影を見下ろすと、僅かに微笑むようにして部屋を出た。




