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ブルークラスタ・イン・ワールド  作者: 天地
02 《神に最も近い都》アンスタッド
8/20

04

 輸送隊の行程は、非常に順調なものであった。

 さすがにゲームのように、数十分で終了という訳にはいかなかったが。それでも、通常の進行よりは遙かに速い速度で進んでいる。それが素人目にも分かるほど、素早く進んでいたのだ。

 その理由に、当然魔法があった。体力を高めたり、動きを早めたり、馬車の耐久力を上げたりする魔法(正確には聖信仰という、聖職者の神卸術である)が存分に使われている。おかげで、馬は重い荷物を引きながら、ほぼ走り続けられていた。

 馬車の周囲で馬を走らせ、警戒をするのは冒険者の役割である。聖職者たちは魔法を使用する――つまりは魔力を消費するため、馬車の中に詰めていた。ノスたちも聖職者扱いであり、ついでに魔法使いだと思われているので(別に間違いではないが)、同じく馬車を利用していた。馬に乗れるか未知数なため、非常にありがたい。

 車体の中で休むのは、当然魔法を使って消耗した者たちだ。そうでない者は、縁に捕まったりしている。ついでに、馬車の屋根に乗っている者は、索敵も兼任していた。その中の三人に、ノスとアリアがいた。……ついでに、あの初対面で文句を山ほど言った女、マリーメイアも。

「まったく、なんであなたのような者が……」

 ぶつぶつと漏らしながら、唇を尖らしている。

 初日に着ていた絢爛で動きにくそうな法衣を、今でも着用している。

 他の聖職者に曰く、ほかに用意できなかったらしい。 

 この世界、ただの武器防具というのは、さして役に立たない。たとえば、それが上等な鋼で作られていようともだ。真に頼りになるのは、魔力を存分に蓄えた装備品である。上等な鎧が粗末な布に劣る、というのはよくあった。布の防御力が鎧に勝る理由付けである。単純だが、まあわかりやすい。

 それで、魔力を蓄えるには、形状や材質というのも重要だった。同じだけの魔力を込めても、明らかに効果に差が出てくる。

 まあつまり、その邪魔くさい格好が一番能力的には高かった、という事だ。

 何も悪いことばかりではない。常に法衣であれば、宗教の権威を維持できる……気がする。

「ちゃんと心得と信心がある教徒を配置すれば良いのです。わざわざ、何が出来るかも分からない冒険者など配置せずとも……」

 ノスを半ば無視するようにして、マリーメイアは愚痴を続けた。

 いい加減慣れた繰り言を聞き流しながら、考える。

(つまりこういうのが、代表的な『偉い』神官って事なんだろうなー)

 だんだんと、マリーメイアという人間が分かっていた。以前指摘された通りに、彼女に余裕がないだけだと分かれば、まあ、聞き流すことくらいはできる。

 神が実在するという世界観で、彼女は高位神官。つまり、どれだけ神を『盲信』できるかが、技能の強さにつながる。逆に、それだけ信仰できたからこそ、今の地位にあるとも言える。

 信じる事が力になる。得た権力などは、ただの付属品。せいぜいが、それを使って、より「神の教え」に目覚める人を増やそうとか、その程度だ。常識的には、彼女は短気だとか短慮だとか言えるかもしれない。だが、教徒的にはそれで正しいのである。むしろ遠慮した方が、信仰が足りないと言われるかもしれない。

 汚職とは無縁であると言うのは、望ましいのだろう。だが、非常に暑苦しかった。

(そう考えると、この人の侮蔑の意味も違って見えるんだよな。単純に『魔族』だからで差別しているわけじゃない……冒険者っていうアウトローが教義的に問題なのと、単純に信心深くないってのが、たまたま魔族のそれとつながったんだ)

 感情的ではあるが、そういう意味では公平なのだろう。

 今までノスの隣であからさまな嫌味を言っていたマリーメイア――今度はアリアの隣で、必死な弁明をしていた。

「ああでもアリアちゃんは違いますよ? これから教義を学び、オルトン様に対する理解を深めていけばいいのです」

「ふん!」

 だが、それも梨の礫である。思い切りへそを曲げたアリアに対して、マリーメイアはどう機嫌を取ろうかと四苦八苦していた。元来の人見知りも合わさり、目も合わせようとしないアリア。結局どうにもならずに項垂れて、ノスをにらむという所までがいつものことである。

 が、それがなくても、教徒になるのは無理だっただろうと思っている。現代日本出身に「神を信じろ」というのは、難易度が高すぎた。

「全く、嘆かわしい。あんな小さな子供まで、神も知らぬ冒険者に毒されるなど……」

(あんなに小さいって言うほど幼くもないんだけど)

 これも、余計な事なので黙っていた。

 現在アリアは十二歳である。だが、キャラクターを作った当時は十歳だ。ノスと同じように、外見的には少々見栄を張っていたのだが……それでも日本より発育がよさげなこの世界では、十歳くらいに見える。

(やっと二桁になったくらいの子供を引き連れて、常識をなんも教えずふらついている魔族冒険者……あ、こりゃだめだ。自分で思ってたよりもキツい)

 思っていたよりも遙かに犯罪臭が強かった。

 加えてもっと危険なのが、宗教に対する理解(設定)で、恐らくアリアに劣る事だ。

 聖職者でプレイしたことはない。興味がなかったから。ある程度技能は把握しているが――それだけだ。

(オルトン教って言ってたっけ? 確か戦を推奨する神で、各種武器戦闘技能に分岐する職が多かったような……過激なクエストも多かったから、よく『死神さま』とか言われてたっけ)

 知っていることと言えば、それくらいだ。役に立たないどころか、口にしたらけんかを売ってるようなものである。

「そもそもあなたは……ノスさん、聞いているのですか!」

 ついに迂遠な愚痴をやめて、直接的な発言になる。

 どう誤魔化そうか、考えながら遠方を見ていると……ふと、それを発見した。

「いいですか! あなたはまず……」

「待て」

 詰め寄ってきたマリーメイアの口を無理矢理塞いで黙らせる。目に神経を集中しながら、それを明確に確認できるのを待った。

 だが、勘はすでに確信をしていた。思考や理性、常識といったものより、こんな所では遙かに頼りになるもの。体に染みついた、説明しがたい力。未だに全く以て自分の力だという実感は持てない。

 が、それが役に立つ事だけは知っている。あとは、自分の力として不足なく扱えるという事も。ついでに言えば、利用しなければ日々の糧すら手に入れられない。

 発揮するのに躊躇は必要なかった。

「いる! 三時から四時の方向、数多数!」

「え?」

 一瞬、戸惑ったように沈黙したマリーメイア――すぐに指示した方向を確認して、半鐘を鳴らした。

「敵襲! 魔物の群れよ!」

 絶叫しながら周囲と、そして馬車の中に響かせる。

 モンスターの出所は、緩やかな丘になっており、視界が通りにくい。つまり――近い。加えて前方から襲われたのも要因だ。馬車に小回りを期待できるはずもなく、通り抜けるには距離が足りない。逃げ切るには、少々分が悪いよういに思えた。

 同じようにマリーメイアも判断したのだろう。指示は早かった。

「馬車! 速度緩めて!」

 ぎぃ――!

 馬の歩調が緩まるのと同時に、馬車にブレーキがかかる。勢いに引っ張られて、縁に手をついてこらえる。

「あうぅ!」

 と、背後で悲鳴が上がった。急制動に対応しきれなかったアリアが、転がりそうになっている。バランスを支えている手を離して、少女の腰を抱えあげた。

 ここでもまた、体は勝手に動いた。偏った重心を足裁きで安定させ、同時に慣性と振動にも対応する。すべて自覚なく、ごく当たり前に。

(本当に、これは何なんだ?)

 考える。出来ないはずのことができるという現象に、思考以外の何も違和感を覚えない。それこそ、気持ち悪さすらなかった。すべてが当たり前だ。自分が瀬戸恭一であり、同時にノスであるという事も含めて。

 足りないのは、ノスとしての知識。たったそれだけだ。逆に言えば、それさえあれば、恭一はノスとして完成できる。

(これは、ゲームの延長だとでも言うのか?)

 ブルークラスタ・オンラインと言うゲームの中で、ノスが経験したこと。巡り、恭一が経験したことと言えなくもない。プロセス自体は同じなのだ――それに対する感じ方が違うだけで。

 それに意味があるかもしれないし、ないかもしれない。

(いや、考えるのは後だな)

 答えなど出そうもない。出たところで、何とか出来そうでもない。

 とりあえず今考えるべき事は、襲撃者に対応する事だった。思考を切り替えて、確認する。

 馬車は微速前進。それを囲むようにしていた冒険者たちは、敵が来た方へと集まっていた。騎乗戦闘できるものは、馬上から槍を構え。そうでない者は馬を放して、剣を持っていた。さらにその後ろに、聖職者たちが控えて、冒険者に聖信仰の恩恵を与えている。

 丘からモンスターの全容が現れた。四足で走る、獣型の生物。足は速かった。恐らく馬よりも。姿を確認して、ノスは眉をひそめながら、アリアをゆっくり下ろした。そして、彼女に耳打ちする。

「あのモンスター何だか分かる?」

 魔物の姿に、見覚えがなかった。

 もしかしたら、序盤過ぎて覚えていないのかもしれない。そう思って、アリアに聞いたのだが、答えはなかった。

 怪訝に思って、隣を確認する。少女は杖を抱きかかえたまま、がちがちに固まっていた。

「アリアさん、落ち着いてくださいな。そんでいつでも魔法が使えるようにしといて」

「あっ、あい!」

「いやそうでなくてね」

 言われた少女は、がちがちになったまま、杖を突き出した。一応、それで魔法の方向を指定しているつもりなのだろう。

 この世界で、分析系の魔法が正常に機能しないのは分かっている。まあ、現実で生き物の能力が一定であるはずもなく、ついでに明確に数値で表せるはずもない。分かるのはせいぜい、敵の魔力色くらいであった。

(落ち着いてくれって言いたかったんだがなあ)

 どうも、願いは叶いそうもない。諦めて、今度はマリーメイアの方を確認した。彼女は身を乗り出しながら、大声で指示を出している。

「そうです! 隊列揃えて、隙間を作らないで! 敵に余裕さえ与えなければ、恐るるに足りません!」

 発言に、とりあえずノスは安堵した。

 前衛はレベル10以下相当で揃っている。いくら強化をしても、二十以上であれば蹴散らされるだろう。つまりは、それ以下だと言うことだ。

 大きな獣は、丘の上で、しかし突撃してはこなかった。その場で頭を高く上げると、大きな遠吠えをする。

 おぉぉぉぉぉぅ――――……

 遙か遠くに響く声。それはまるで、陣触れの合図にも聞こえた。そして――それは間違いではなかった。

 獣の後ろから、同型のそれが二匹、三匹と現れる。それを確認したマリーメイアの顔が、さっと青ざめるのが分かった。

「くっ……でもまだこの数なら、犠牲を覚悟すれば……」

「あー、しゃーないか」

 と、悲壮な覚悟をしていた彼女を脇にして。ノスは屋根から飛び降りようとしたが、その直前に、彼女に服を捕まれた。

「ちょっと、どこに行くつもりですか!」

「え? いや前線に混ざろうかと」

「あなたは魔法使いでしょう! わざわざ殺されに行ってどうするつもりですか!」

「いや、別にそういう訳じゃないんだが……」

 ヒステリックに絶叫されて、ひるんだ。ふと、あの獣よりもこちらの方がよほど厄介な敵ではないか――などという、つまらない妄想が思い浮かぶ。

 話している内にも、魔物は増え続ける。四匹、五匹、六匹、七匹……。マリーメイアの顔色は、すでに土気色に近くなっている。

「四匹、いえ五匹……私が請け負えばなんとか……」

 だが、その覚悟すら無意味であり。彼女をあざ笑うかのように、魔物は増え続けた。十匹、二十匹、それでも収まらない。そしてついに、魔物の群れは、丘を埋め尽くした。どれだけ少なく見積もっても、百匹を下ることはない。それほどの暴力。

 それが脅威だとは分かっていたのだが、ノスには、全く恐怖心がなかった。現実感がない、と言うわけでもない。何となくだが、体が理解していたのだ。あの程度の存在ならば、敵ではないと。その感覚に、素直に従った。従ってしまえば、恐れも何も感じない。あそこにいるのは、そう、ただの的だ。

「てっ、撤退します! 荷駄をすべて破棄! とにかく全力で――一人でも逃げ延びて!」

 声はもう、上ずったと言うのすら憚られた。

 前衛も後衛も、完全に戦意を失っていた。誰もが恐怖に顔を引きつらせて、怯えている。

 状況はよく分かった。どうしようもなく、絶望的なのも。だが、ノスは声を上げてマリーメイアを制止した。彼にも、それで引けない事情がある。

「おいちょっと待てって。それじゃ任務失敗になって報酬がもらえないだろ。俺がなんとかするから待てって」

「ほうしゅっ……! あなた、命が脅かされていると理解しているのですか!?」

「これが失敗したら食いっぱぐれて、どっちにしろ俺らの命はないんだよ! いいから黙ってろって!」

 負けないほどの大きさで絶叫し返して。ノスはとりあえず、アリアのほおを幾度か叩いた。


  ●○●○●○●○


 状況は、どう控えめに見ても絶望的だった。

 シルバーネイル――文字通り、銀の魔力に属する魔物。その中でも、魔力制御を完成させた《成体》の群れ。数でも質でも完敗している。勝てる見込みなど、それこそマリーメイアの信仰するオルトン神が求める『英雄』でもいない限り、逆転は不可能だ。

 オルトン神は闘争を司る神だ。信徒、特に神官は剣の一つでも覚えているのが当たり前だった。この場にいる神官たちも、それぞれ武術の心得はあり、皆が獲物を構えている。だが――マリーメイアも含めて――聖職者の本職はあくまで神官。専門の前衛職に及ぶものではない。そもそも、初めからシルバーネイルなどという、強力な魔物との戦闘は想定されていなかったのだ。それが、百を超えている。

(こんな時に……英雄様がいて下されば……いえ、何を都合のいい事を!)

 くだらない考えを自覚して、かぶりを振った。英雄というのは、決して自分が思っているような、都合がいい存在ではない。そして、安易に頼っていい存在でもないだろう。もっと、例えるならば、道しるべになるような偉大な存在だ。危機だからと求めるのは、恥ずべき行為である。

 しかし、それでも……

(神よ、試練は私一人で十分です。だから、どうか彼らを無事に……)

 届いているかどうかも分からない祈りを続ける。彼女に出来ることなど、抗う事と祈ることだけなのだから。

 ただ、確たるものはある。マリーメイアは、神の声を聞いた。そして、神託が下された。『英雄を見つけよ、そして導け』。それを達するために、こんな所で無為に果てるわけには、絶対にいかない!

(だと言うのに、この男は!)

 内心で罵声を浴びせながら、マリーメイアは正面の男を、思い切りにらみつけた。

「これが失敗したら食いっぱぐれて、どっちにしろ俺らの命はないんだよ! いいから黙ってろって!」

(この期に及んで金ですって!?)

 怒りに沸騰しそうな脳を、なんとかこらえる。興奮は、判断を鈍らせる。本気で生きて帰るつもりならば、押さえなくてはいけない。

 ノスという、瞳の魔族の男。最初から気に入らない存在だった。

 気力に欠けた、生きる意味のなんたるかも理解していない顔。危険な場所に子供を連れてくる無神経さ。あまつさえ――神の信徒に向かって、その使える神を間違うという、信じられぬ暴虐。心証は最悪である。

 それでも(彼女なりにだが)堪えてはいた。彼が優秀な冒険者だからだ。飛び入りで参加した青魔力操作能力者ブルークラスタ。しかも、雇い主はオルトン教ではなく、貴族である。彼女の一存でどうにかできる相手ではなかった。

 魔物を最初に発見したのは評価できる。それらを前にして、変に騒がなかったのも。

 だが、結局はこれだった。脅威を全く理解せず、緊張感のかけらもない守銭奴。おまけに、自信過剰な命知らず。これならば、無茶を言ってでも、たたき出しておくのだった。それで現状が変わるわけではなかったが、少なくとも今の不快感だけはなかった。

 それだけではない。後悔の、すべてが遅い。

 荷駄を囮にしても、シルバーネイルの足から逃げ切れない。それに、あれだけの数だ。すべてのシルバーネイルが餌にありつけはしないだろう。あぶれたものは、間違いなくこちらを餌と見る。おそらくは、最低でも十数体が。

 神官戦士が本職の前衛と比べて優れている部分があるとすれば、それは戦闘継続能力だ。自力で強化と回復を繰り返せるオルトン教神官は、個人での戦闘も、それなりにこなせる。

(私たちが盾になって殿を受け持つ、それが一番、生き残る人が多くなる可能性……)

 もっとも、それすら敵の数を考えれば絶望的だ。

 とにかく今は撤退だ。何をするにしても、最初に馬車を囮にしなければ――つまり逃げ遅れれば――可能性も見えない。足が竦んで動けなくなっている者たちを鼓吹して、すぐに逃げる。とにかく、何をおいても。

 ちょうど、その時だった。少女の声が響き渡ったのは。

「《ホワイト・六順の崩れぬ塔》」

 声と同時に――

 薄白色の幕が、マリーメイアを含む、すべてを覆った。

 そう、全てだ。迎撃の為に前に出ていた冒険者も、減速の為に間隔が狭まっていたとはいえ、数台のも馬車も、とにかく全て。

「――え?」

 一瞬、己の役割も、それこそ声を上げることも忘れて、マリーメイアは呆けた。

 聞いたことのない魔法、だが、そんなことはどうでもいい。問題は範囲だ。数十メートルを覆いきる範囲結界魔法など、聞いたことがない。

 いや、理論的には可能だというのは分かる。魔法の力を決めるのは、魔力量と効率――つまり質とのかけ算。それらの兼ね合いで、魔法がどう形になるかが決まる。マリーメイアとて、魔法は専門ではないが、それくらいは知っていた。神の力を授かるのに、魔力は必要ない。しかし、神とより強く繋がるためには、それだけ魔力が必要だった。繋がりが深ければ深いだけ、より大きな力を貸していただける。

 こんな大規模の魔法を使えば、一流の魔法使いでも、一発で枯渇する。いや、それ以前に、魔力の質が足りなくて、発動すらできないだろう。

 あり得ない。

 背筋にわき上がるものを感じながら、マリーメイアは振り向いた。そこには、アリアがいる。当然のように。魔力の枯渇で倒れたり、などと言うことはない。今魔法を発動した事などなかったかのように、平静な表情をしている。

「お兄ちゃん、これでいい?」

「ああ、十分だ」

 いや、違う。平静そのものだ。恐怖と緊張の入り混ざったもの、それ以外に何もない。

 まるで……今し方発動した魔法が、何でもない事のように。

 アリアの頭を乱暴に撫でたノス。撫で終えて、一歩前に出た。正確に言えば、シルバーネイルの群れの方に。

「っ――しまった!」

 すっかり気を抜き、意識をそらしていた。未だ交戦中だという事も忘れて。

 慌てて振り返り、そしてまた驚愕する。いつの間にか接近していたシルバーネイル。しかし、こちらにたどり着く事はなかった。薄白色の壁に阻まれ、体当たりを、そして爪を向けてもびくともしない。数十匹という数が、同時に行っても、それは変わらなかった。

 ノスが手を上げた。その動作に、どんな意味があったのかは分からない。だが、予感があった。マリーメイアだけでない、誰もが思った事だ。その場にいる冒険者と、神官と、あとは馬車の運用要員。誰もが、彼を見上げている。

 そして、呟かれた。シルバーネイルにとって、致命的な一言が。

「《驚落のシヴァ》」

 空は、悲鳴を上げた。

 甲高い音が、幾重にも反響する。空に生まれたのは、無数の槍だ。一本一本が人間ほどもあり、強烈な産声を轟かせている。それが、一斉に墜落した。

 地面、魔法結界、そして魔物。全てを区分することなく、等しく貫いた黄槍。それらは標的を貫通、接触を確認すると、膨大な魔力を破壊力に変換して、一斉に爆発した。

 今度上がった音は、先ほどの比ではない。暴力的とすら感じる、爆音の波。音だけでこれなのだから、直接脅威にさらされている魔物たちは、どれほどと感じているのだろう。そして、これにすら小揺るぎするだけで耐える結界の強度など、もう想像も出来ない。

 まず最初に、音が途絶えた……

 閉じかけていた目をしっかり開けば、爆裂もすでに止んでいる。巻き上がる土と、その隙間から見える赤は血液の霧だろう。それらも、時間がたてば収まっていき。最後に結界が解除された。

「終わっ、た?」

 誰が上げた声だっただろう。誰であっても、それこそ自分の声でも、おかしくないと思えた。

 それほど、つまり――それほど絶望的な戦場であった。それほど現実味のない戦場であった。何よりも、英雄譚の一場面のような光景で、あった。

 完全に収まった霧の中、当然敵の姿はない。あったとして、意味もない。正常でも異常でも、判断力さえ残っていれば、この場から脇目もふらず逃げたであろう。勝ち目などない。つまりは、

 視界内のほぼ全てを魔法で吹き飛ばすような、規格外には。

(広域範囲指定――戦術魔法!)

 悲鳴を口にしなかったのは、喉がまともに動いていなかったからだ。情けない自分、しかしこの時だけは感謝した。どんな事であれ、あの二人を刺激したくない。

 戦術級魔法。乱暴にわかりやすく言えば、一撃で一軍単位の敵を壊滅させられる魔法だ。アンスタッドには存在しない魔法。

 聖職者の力が強く、かつ育成も進んでいるという事は。他の分野に、しわ寄せが行くと言うことでもある。特に魔法研究について、アンスタッドは遅れていた。もっとも、あったとして、どうにか出来たとは思えない。今、魔物に降り注いだ《驚落のシヴァ》という魔法の威力は、規格外だった。

 どさり。自分が尻餅をついたのに気がついて、初めて音の発信源だと自覚した。それに気がついて、という訳でもないだろう――彼らは役割を終えた。その後からやることと言うのは、そう多くない。

 彼の吐く息一つに、びくりと震えるマリーメイア。

(もっと早くに、気がつくべきだった……)

 座り込んだ姿勢のまま、思考する。視線を上げて、ノスのそれと交わった。それで、また震える。

 ノスは、何も気にした様子がなかった。それこそ、マリーメイアが座り込んだ事にすら。いつものような、どこがやる気に欠ける印象すら、何も変わらない。

(本当に脅威なのは、強いのはこの二人だった!)

「でさ」

 ノスはしゃがみながら、声をかけた。マリーメイアの姿勢に合わせたのではない。手すりの位置が低い。肘を折って体重を預けるなら、自然とそういう姿勢にしなければならなかった、というだけ。

「これで輸送任務、続けられるでしょ?」

 言葉に、マリーメイアは頷いた。そうするしかできなかった。

 その後の数日。輸送任務はつつがなく終了して、帰還できた。何も問題なく。

 当たり前だ。魔物の山すらものともしない男が、護衛をしていたのだから。

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