03
チュートリアルから戻ってきたアリアとプレイを再開して。 アリアへのゲーム協力と、ついでに対人恐怖症の改善。この二つはしょっぱなから躓いた。
考えてみれば当たり前の話なのだが。彼女が見ず知らずの人と、パーティーを組めるわけがなかった。
それに、街でも問題が起きた。買い物が上手くいかないのである。
ものを買うには、いくつか方法がある。一つに、NPCから購入する方法。ここで求めるのは、大抵生産スキルのための素材である。一応消耗品や装備品も売っているのだが、はっきり言って高価で程度が悪い。ここで道具を買うのは、それこそゲーム初心者か横着者だ。二つに、オークション。が、ここはまだ彼女には関係ない。出品されているのは高ランク品であり、掲示板の前は人でごった返している。二つの意味で、アリアには難易度が高かった。三つに、露天だ。ここには、初心者向けが廉価で売っていたり、それなりの品が安値で、たまにぼったくり価格で並んでいる。
三つ目を利用しようとして――問題がある事を思い出した。
ブルークラスタ・オンラインに限らないのだが、VRゲームは雰囲気を害さない為に、あらゆる努力が払われている。露天はNPCを配置しているの、実際にプレイヤーが運営しているのと二種類あり、しかも見分けがつかなかった。場合によっては、値引き交渉なんかも行えるのだが……
アリアは、迂闊に近づいて話しかけられると全力で逃げる。初心者装備の買い物を、満足にする事もできなかった。
「ふううぅぅぅ……ごめんなさい……」
「いいっていいって。それよりもゲーム楽しもう」
郊外を二人で歩きながら、涙目になっているアリアの頭を撫でる。
結局、最初は二人パーティーで、少しずつならしていく事で同意を得た。ゲームにある程度慣れれば、少しは良くなっていくだろう。それに、ある意味よかったかもしれない。最初に変な人とパーティーを組んで、ゲームが嫌になったら元も子もない。現実に限りなく近いとは、所詮仮想世界だ。やらかしても痛くもかゆくもないと思って、無茶苦茶をする人間は多い。
ちなみに、この時点で恭一はキャラを変えていた。メインキャラはカンストしており、レベルが離れすぎている。
現在選択しているキャラは、人間種族のボウガン両手持ち接近戦アーチャー。所謂ネタキャラである。レベルはそれなりだが、種族職スキルがちぐはぐなので、ぶっちゃけ弱かった。それもまあ、プレイ次第だ。
曲がりなりにも前衛職だし、魔法使いのアリアとの相性は悪くない。
先が思いやられる――という考えとは裏腹に、狩り自体は順調に進んでいった。経験者が先導しているからというのもある。だが、それ以上に、アリアの物覚えがかなり良かったのだ。
学習能力が高い、判断が早い、行動を間違えない。魔法使いに必要な部分が、上手くまとまっている。聞けば、学校の成績は悪くない様子。それに、よほど楽しみにしていたのだろう、モンスターについて解説するまでもなく知っていることが多かった。
おかげで、問題の対人恐怖症にだけ集中できた。そちらの方も、想像よりは重症であったが、対策は立ててみた。
頼れる者は身内、という事で、ギルドに案内したのだ。
中堅ギルド《シーウォーク》。ネタ寄り身内専門の、よくあるギルドの一つ。新規加入は、基本的にギルメンの紹介のみ。これならば、アリアもある程度安心して所属できると考えた。
「うおおおぉぉぉ! ついにウチにも女の子が!」
「マジ? え? マジ? リアル女の子? キター!」
「姫プレイにはあり得ないこの初心さ……いいね!」
「お、おね……おねが……」
「お前らいい加減にしろよ。ガチで怯えてるから」
はっきり言って、馬鹿ばかりだ。馬鹿ばかりだが、いい奴らでもある。それに、本当の意味で頭の悪い常識外れというものいない。
こうして、本当に少しずつではあったが。アリアはこのゲームと、人とのふれ合いに慣れていった。
●○●○●○●○
アリアがゲームを始めて、一年半すぎ。これだけプレイしていられたと言うことは、つまりそれだけブルークラスタ・オンラインを楽しんだという事でもあった。
もう彼女に、最初の頃のような堅さはない。初対面のプレイヤーとも、パーティーを組めるようになっていた。上手くやっている、とも言いがたいものではあったが。それでも、最初と比べると大きな進歩だ。
ゲームでの変化は、当然現実にも影響を及ぼした。とりわけ対人関係では、大きな改善を見た。
叔母からの感謝の言葉は、盛大なものだった。中には多分に、ゲームばかりしているという愚痴も混ざっていたのだが。成績を落としている訳でもないので、文句を言うわけにもいかない、だとか。やたら長い世間話の頭に、そんな事を語られた。
まあ、とにかく。アリアのブルークラスタ・オンライン生活は、おおよそにおいて順調だったという事だ。
「お兄ちゃん」
背後からかけられる声に気がついて、ノスは振り向いた。自分をお兄ちゃんと呼ぶ相手は、一人しかいない。誰だと悩む必要もなかった。
「おー、なんだ?」
にこにこと笑顔の少女に問いかける。昔は全く見せなかった顔であり、今では珍しくない表情。いつからか、ずいぶんと心を開いてくれるようになった。
アリアはちょろちょろと走り寄ってきた。印象は、完全に子犬のそれだ。
「今日は人がすくないねー」
「そうだな。イベント中なのと、後は時期が悪いのもあるし」
目前まで近寄った少女の頭を撫でながら言う。
春目前の季節というのは、どこも慌ただしい。こうしている二人も、進学を目前に控えていた。自然と、イン率も低くなる。
と言っても、梨愛は近所の中学、恭一は推薦入学が決まっている。慌てふためく周囲をよそに、まったりと過ごしていた。
さして広さのないギルド本部。それでも、二人だけでは寂しいものだ。実際、深夜明け方でもないのに珍しい光景ではあった。
ノスは近くのソファーを確認して、その隅に腰掛けた。昔は指定席扱いされていた椅子もあった。だが、最近はほとんど利用していない。
と言うのも、
「えへへ」
ソファーに座れば、必ずアリアが上に転がり乗ってくるからだ。太もものあたりに、肩ごとでんと体重を預ける。こういう所も、犬っぽいと言われる所以だ。彼女はとにかく、気心の知れた人間に甘えたがる節がある。特に身内と判断した相手には、こうなっていた。
最初こそ驚いたが、今では悪い気はしていない。お兄ちゃんと呼ばれるようになった事も含めて。
「ねーねー、なにしよっか?」
ごろん、と膝の上で転がりながら問うてくる。
彼女を落とさないように、膝を調整する。それも、ここしばらくで慣れた動作だった。
「どっか潜ってみるか?」
「んー……」
呻きながら、もう一度寝返りをうつアリア。乗り気でない時の仕草だ。
「後は、イベントに参加するか?」
「いまって新規応援キャンペーン、とかだっけ?」
「確かそうだったと思う」
はっきり言って、なぜ今の時期に、と言うようなイベントだ。まあ、運営にも思惑があるのだろう。
どんなイベント内容だったかを、記憶を掘り起こす。確か、新規プレイヤーをある程度バックアップすることで、特別な報酬が得られるのだったか。まあ、対象が対象なだけ、報酬も惹かれるようなものではない。対象は低レベルプレイヤーを中心に、プレイ時間が短い者だろう。
八割のプレイヤーがカンストしている《シーウォーク》には、あまり関係のないイベントだった。
操作ウインドウを開き、友人プレイヤーを検索する。ギルドにには来ていないが、何人かはインしていた。表示は『イベント参加』。
「向こうに参加すれば、誰かしらに会えそうだぞ」
「んーと、行く!」
がばり――と頭を起こして、アリア。
慣れた手つきで、ウインドウを操作する。簡素な格好だった少女は、あっという間に豪華な(そしてひどくかわいらしい)格好へと変わった。高位魔法使いアリアの、普段のスタイルだった。
「お前、その装備で行くんかい」
「え、ダメ?」
くっと首をかしげる少女。言葉を重ねようとして、意味がない事に気がついた。
行ったところで、やることと言えば仲間捜しだ。実際の所、ノスには、真面目にイベント参加する気などなかった。
「まあいいか」
言いながら、ノスも装備を調える。普段通りの格好――つまりは、フル装備だ。
淡いエフェクト光が全身を包み、服が分解――正確に言えばデータ化――される。それが収まる頃には、全く別の格好になっていた。白を基調にした、軽鎧姿。至る所に衣装を凝らしてあるそれは、高貴さを演出したものだ。ゲーム内でも人気が高いアバターの一つである。
装備を変えるのとほとんど同時に、アリアも呪文を唱え終わっていた。
「トランスポート《ブルースカイ》!」
ふわりと、一瞬の浮遊感。視界は水で流されるように白み、同じく水で流されてくるように、視界が作られる。
地に足がついたのを、衝撃で確認する。浮いて、転移し、着地。こういう細かい演出がされているのも、地味に嬉しいものだ。
と――ノスはふと気がついて、首をかしげた。あたりを見回して、ついでにアリアも確認して、もう一度首をひねる。彼女もやはり同じように、周囲を見回していた。気のせいではないらしく、何も発見できない様子。
「……あれ? 誰もいない?」
物語の始まりの場所。その性質上、誰もいないというのは、あり得ないのだが。
「お兄ちゃん」
くい、と袖が引っ張られる。
アリアを確認すると、ある方向を指さしていた。視線で追った先には、石があった。頭の大きさくらいの、何の変哲もない石。それこそ、どこにでも転がっているものだ。別のものと区別するならば、それは乱れていた、という点だろう。ジジジ、という音を出したげに、小さくぶれている。
「バグかな?」
「たぶん、そうじゃないかな?」
自信なさげに、疑問系になったが、それ以外に考慮する余地もない。ゲームなんてものは、バグなどいくらでもあるものだ。ここまであからさまなものがある、というのは珍しかったが。
いや、それよりも問題なのは、周囲に人がいない点だ。これでは誰かに聞く事もできない。
「残念だけど、今日はこれで終わりだな」
「えー……ん」
不満そうではあったが、どうしようもないとは分かっている。アリアは服の胸元を握りながら、うめき声を上げた。
再ログインして直っていれば、それでもよし。直っていなければ、掲示板を覗きに行く。同じ症状の人を探すためだ。見つかったら、後は公式アナウンスがあるまで放置するしかない。見つからなければ、少し面倒だ。状況を詳しく記載して、運営に提出。下手をすれば、しばらくプレイできなくなる点が憂鬱だ。
操作パネルを開いて、今度うめき声をあげるのは、ノスの版だった。
「うわ、なんだこれ」
操作パネルはぐしゃぐしゃになっていた。デジタル的な乱れが乱発し、文字化けも酷い。
景色を犯すバグも、少しずつ浸食範囲を広げていく。明らかにまずいタイプの症状。
「こりゃ強制ログアウトだな。アリアも、もう諦めなさい」
必死にパネルを操作し、ログアウトを成功させようとするアリアを制する。
強制ログアウト、つまりは現実干渉だ。VRの五感体感、再現率というのは規制もあって、大きいようで小さい。現実を意識して強く戻ろうとすれば、無理矢理現実に《起きる》事ができた。
だが、これを好んで使うものはいない。下手をするとデスペナルティを課される方法だから。
現実を強く思い集中して、五感の現実比を増やし――できない。いくら集中しても、現実にある自分の体に感覚が帰らなかった。
「……何だよこれ、本当に」
ありえない事だ。それこそ、物理的にあり得ない。現実に回帰できる筐体を作るのは、法律に則った義務だ。もし、ソフト的でもハード的でも、起きられない作ってしまえば、それは犯罪だ。自力で起きられないVRSは、容易く兵器になる。
「お兄ちゃん……」
今にも泣きそうな声で、アリアが悲鳴のように言った。
はっと気がついて、顔を上げる。広がる《ブルースカイ》だった場所。今はもう、世界と言うことすらできないほど崩れている。
「トランスポート《シーウォーク》ホーム!」
少女が唱える。しかし、変化はない。そうしている間にも、世界は崩れ続けている。
電脳色と数字の羅列は、もう足下まで迫っていた。
「トランスポート……トランスポート!」
「ヴィクザル! ようすけいた! 誰でもいい、答えてくれ!」
集中し続ける。ログアウトできるように、現実の肉体を意識し続けて。
しかし、意味はない。なぜか、それで強化される肉体の感覚は恭一のものではなく、常にノスのものだったのだから。
まるで、そちらの方が現実だと言うように。
「お兄ちゃん、おにいちゃぁん」
悲鳴は涙に変わり、強く張り付いてくる。それに答えるようにして――自分の不安を隠すようにして、強く抱き返した。
全く、何も分からない。あらゆる五感が曖昧なまま、鮮明になっていく。それが正常な状態であるかのように、正しく作り替えられていく。
『er/ror・・・rr connec・t』
赤く黒ずんだ、異常なメッセージ。表示と同時に、世界は致命的な何かを失ったように見える。五感の丸ごと現実感を失い、同時に現実味を強めていく。
最後に、ノスが見たのは。ついに数字すら失った、完全な闇。それに飲まれて、意識は消えていった。