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ブルークラスタ・イン・ワールド  作者: 天地
05 魔の欠片
19/20

03

 咄嗟に、右手が伸びる。とてもまっすぐとは言えなかったし、力なくであったが。あんなに大事に抱えていた剣をあっさり離して、ファタンレスに向かって伸ばされた。

 分かっていることがある。それは咄嗟にではあったが、決して自然とではなかった。間違いなく、そうすると自分で決断した。

 殆ど残っていない空気を、全て無理矢理絞り出す。はき出された酸素は、ほんの少しだけであったが、喉を振動させ、振動を意味あるものに変換する。


「《沈む赫光・孤盾》」


 その言葉を、はっきり言えていたかどうかは分からない。肉体の機能は、分かっているだけでもずいぶんと壊れていた。

 心配をよそに、それは呪文として機能し――つまりは魔法として具現する。目の前に、巨大な三角形が出現した。その内側には、色互いの一回り小さな三角形が、逆向きに配置されている。

 展開されて直後、降り注ぐ光の雨と、純暴力的な衝撃波の嵐。展開した防御の上から叩き付けられ、体を押しつぶそうとする。

 防御壁は正面のみの展開だ。それで、直撃だけはないが、代わりに横からの余波までは防げない。はじけ飛んでくる小石の山。数も量もかなりものもだ。が、これもやはり、痛みは感じない。ただ無数の何かが接触してきている、という事だけを感じた。

 光波を防御できたのは一瞬だった。しかし、降り注いだそれが持続したのも、また一瞬。その瞬間を永遠に感じようとも、事実だけは動かない。

 防壁が割れるのと同時、ノスは腕を振るった。僅か一秒にも満たない間、しかしそれで十分だ。回復薬を探し出すのは。

 回復薬の入り口を喉奥まで押し込んで、強制的に中身を流し込む。悠長に喉をならして飲む余裕などない。喉に痛烈な痛みと、それ以上の吐き気。感じたところで、それを押し返すだけの体力はない。

 体内を中心に、劇的な変化が起こる。みるみるうちに傷口が塞がり、大幅に欠損していた脇腹も、即座に再生した。治癒と同時、復活したのは意識と、耐えがたい痛みだった。


「ぎいいいぃぃぃぃぃ!」


 自分が発しているとはとても信じられない、獣の絶叫。周囲に響き渡る悲鳴。視界が興奮のために、真っ赤に変色する。

 そんな状態にありながら咄嗟に行動できたのも、やはり奇跡などではなかった。予め、するべき事を脳内に待機させていた。苦痛に我を忘れる脳だったが、しかし体は期待に応えてくれる。

 右手は薬瓶を捨てて、即座に剣を手に取った。そして、方向などどこでもいい。とにかく走り出す。

 ノスが光帯の直撃を受けても生きており、かつあの怪我を即座に治療して走り出した。二つの衝撃で、ファタンレスの思考が一瞬止まり、行動するまでに、また一瞬を要した。

 それだけの時間では、何もできない。だが、苦しみに鈍痛を起こす頭、それを抱えながら、少しだけ慣れる事はできる。


(考えろ!)


 ノスは、己に向かって、強く叱りつける。


(考えろ! 思考を放棄するな!)


 足は動き続ける。先ほどの自分と比較すれば、致命的なほどの遅さ。方向もめちゃくちゃであり、意味などない。だが、動けている事には、まだ意義がある。

 ノスの戦闘方法というのは、酷く単純なものだった。思考を限りなく平坦化し、勘を全力で働かせる。あとは、それに即対応できるよう、体に命令を送る。ただそれだけだ。実際、それで彼は限りなく強く、何とかならない事などなかった。今日、ファタンレスという敵が現れるまでは。

 勘だけでは足りない。ファタンレスは、ノスのそれより上を行っていた。だからこそ分かる。今までと同じでは、もう何も通じない。ここで生きながらえて戦いを再開したとして、本当に生きながらえたというだけだ。

 剣をたれ下げたまま、とにかく走り続ける。速度は維持したまま、ファタンレスを一瞥した。化け物はもう、混乱から立ち直って、やるべき事を始めていた。つまり、ノスを発見し、大きく腕を振るう。

 勘というのは、それはノスが培ったものなのだろう。厳密な意味で、それが恭一のものでもあるのかそうでないのか、判断はつかない。が、分かっている事はあった。勘に任せただけの戦いは、人任せでしかないという事だ。

 全く持って足りない。

 ファタンレスの腕が、ぶれるようにして消えた。あまりの速度に、腕を捉えきれない。それでも、狙いだけは分かった。地面だ。

 身を伏せて、地面にへばりつく。その時にはもう、ファタンレスの爪は、大地に深々と突き刺さっていた。

 化け物の取った行動は、至極単純だった。地面を引っぺがす。

 深々と突き刺さった爪が、土と、その奥にある堅い岩盤まで抉り飛ばした。シンプルでわかりやすい――わかりやすすぎる結果。地面が、それこそ大地と行ってもいい範囲、宙に投げ出される。直線距離にして数百メートル、いくつもの破片に割れながらも、僅かな時間だけ浮遊する大陸となる。ただ、ノスをいぶり出す為だけに。


(勘で戦うには限界がある。考えるだけでも足りない。両方を上手く重ね合わせろ!)


 砕かれた大地、その全てを足場にする。上下を無にして、内部を跳ね回る。

 ファタンレスは中にいるノスを、きっちりと見つけ出していた。素早く移動を続けるそれに対して、取った対策は単純だ。拳を握り、大きなハンマーを作る。それを突き出せば、足場ごと粉々に砕いて、全てが吹き飛ぶ。

 大雑把な攻撃に当たるほど、ノスは遅くない。だが、足場が少なくなれば、いずれは魔力跳躍に頼らざるを得なくなる。速度的には、そう今に劣るわけではないのだが。機動力という意味において、大きく減衰するのも事実だ。

 攪乱する余裕を維持できるのは、あと三発ほど。ノスに与えられた猶予は、それだけだ。


(奴に攻撃を通すには、いくつか条件がある)


 防御力という意味ならば、ファタンレスはそう規格外のものを持っている訳ではない(それでも、魔力付与をしなければ通らないであろう程度にはあったが)。問題は、攻撃をして有効である部分や手段が限られる、という点だった。


(攻撃を耐えて懐に潜り込む。もしくは、高位の魔法を叩き込む。どっちにしても、余裕が必要だ)


 今のノスは、ほぼ防御力なしと言っていい。拠点にたどり着いてから、着替える余裕などなかったからなのだが……今着るならば、最低でも十数秒の時間が必要だ。そんな暇は、どこにもない。

 まあ、多少防御力を増したところで、あの威力にどれほど効果があるかは知らないが。ないよりはマシだろうし、一発耐えられるかもという期待は出来る。

 自分が完全な状態でないのは悔やまれる。が、そういう事もあるのが戦いなのだろう。それこそ、今のファタンレスが万全の体制だという保証など、どこにもない。条件はどちらも同じなのだ。戦いの始まった瞬間こそが、当人にとっての戦闘能力になる。

 魔法の使用は、防具を装備するのよりは大分マシであろう。だが、それもファタンレスを前にすれば、致命的な隙であるのに変わりはない。

 回答が出ぬままに、空に浮く島の数が、限界点を迎える。

 ファタンレスと、視線が交差した。《空歩き》技能を全力使用、一気に申し訳程度に残ったデブリ帯から抜け出す。

 また……分かるはずのない巨大な馬の表情。それがにやけたように見えた。ノスも、半ば強がりではあったが、挑発するように笑い返す。

 爪を束ねて、突きのような一撃。やや弧を描き、下方から突き上げるようにして放たれる。今までのような大振りの一撃ではない。踏み込み、腰の振り、腕の角度、全てをコンパクトに収めている。威力に劣るが、連射性と即応性で遙か上を行くだろう。できた事を出し惜しみしてたのか、それとも今学習したのか。どちらにしても、それですらノスに致命打を与えられるという判断の上での行動。

 バックステップ――と言うには一歩で十メートル以上を後退し――で回避、顔面すれすれを爪が通過していく。それに合わせるようにして、右手を振るった。ノスの剣技と刃の鋭さと、あとはファタンレスの腕力。全てが作用して、腕を深々と切り裂いた。


(っぶねぇ!)


 腕が通過したときの、ぞわりとした寒気。体に染みつく殴り飛ばされた恐怖は、まだ鮮明だった。

 攻撃が通過して、同時にノスも高度をやや下げながら走る。剣にべったりと付いた血と油を振り払う。同時に、恐怖も捨てるつもりで。


「駄目か……」


 切りつけた腕を見上げながら、ノスは呟いた。

 攻撃を受けた腕は、どんな理屈かはしらないが、かなり深くまで通ったはずだ。斬撃で生まれた縦の線が見える。が、それだけだ。出血は、もう止まりかけていた。

 よく見れば、ファタンレスの頭部にあるダメージも、治癒しかかっている。傷口は塞がり、さすがに目までは再生していないが、しかし肉が盛り出て殆ど埋まっている。悪夢のような光景。


「再生能力が高い。特に末端に与えるそれは、ダメージにならないと思った方がいい」


 一つ一つ、事実を確認していく。

 巨体の背中に回り込み、接近を試みた。だが、これも失敗。無造作に振るわれた肘は、確実にノスの居る場所を、進路ごと砕く軌道だ。前進に使うはずだった推力を後退に使用、すぐ離脱を実行する。


「俺と同じで、視界外まで見ている。死角がない。背中から攻撃されても、それは反撃し辛い、という程度以上の意味になってくれない」


 肘の勢いを利用したまま、反転。再び正対する形となった。

 振り下ろす、と言うよりも上から叩き潰すような、掌底。爪の隙間をくぐり抜けて上昇するが、それを待ち構えていたかのような突きが迫る。剣に足を置いて守り、爪の側面に叩き付けられる。表面を滑って弾かれ、何度目かの上下感覚の消失。もう慣れたもので、追撃が来る前に体制は整えられた。


「ほっときゃ再生する上に致命打になる保証もなく、しかも防御力が高いなら、腹や背中みたいな場所を狙うメリットはない。最悪、一発耐えられた所を一撃貰って終わることになる」


 やっぱり――考えながら、剣を担ぐように構える。

 五指を広げて、引っ掻くように薙ぎ払われる。落ちるように下がって、小指に該当するであろう指に向かって、剣を振り抜いた。七割ほどの深さまで抉る事ができたが、しかし安いダメージだ。腕が振り終わる頃には、千切れかけて浮ついていた指、それがもう接着しかかっている。


「再生能力だって無限じゃないだろう。必ずどっかに限界がある。問題は、そっちの限界より俺の限界の方が確実に早いって事だけどな」


 ファタンレスは、それこそ首か頭部でもなければ問題ない。それこそ攻撃対象が手足であれば、反撃を恐れずに繰り出し続けられる。対して、ノスは全てを避けなければならない。受け損じれば、容易く瀕死に追い込まれる。いや、瀕死で済めばいい。下手に直撃すれば、その時点で死亡するだろう。


「やっぱり狙うなら頭部。じゃなければ大技を決める……どうかして。勝にはそれしかなさそうだな」


 回復薬のストックはさほどない。我慢比べをすれば、一瞬で尽きる量だ。せずとも、遠からず尽きるであろうが。

 口元が引きつるのを、無理矢理笑みの形にする。それは、どういう意味でそうなったのかは分からない。だが、恐怖でもなければ、強がりでもない。それだけは断言できた。

 本当の意味で――

 初めての殺し合い。

 初めての命の危機。

 初めての苦痛。

 初めての恐怖。

 どれか一つであっても、身を竦ませて動けなくなるのに十分のはずだ。少なくとも、一昔前の自分であれば、そうなっていただろう。

 だが、ノスは今、立っていた。ただ立っているだけではない。これから来る危機に備えて。目の前に自分の殺意を持つ敵がおり、自らもそれに備え命を奪う準備をして。苦痛と恐怖に耐えて。出来なかったはずの事を幾多も乗り越えて、未だ剣を構え続けている。全く理解の出来ない状況。


(そう言えば……)


 ぽつりと、ファタンレスを見上げて思い出した。

 昔は、背の高い奴が嫌いだった。身長が特別低かったわけではないが、やはり高いわけでもなく。理想が高かったのだ。だからこそ、アバターの身長も高く設定していた。いつか、そこに届くようにと。


(嫌な奴だ)


 上から押さえつけるような、化け物の視線。それを浴びながら、ノスは吐き捨てた。

 でかいと言えば、これ以上にでかい奴も居まい。人間を、それこそ文明ごと踏みつぶすような化け物。こいつを……もしこいつをぶっ飛ばせれば、さぞかし気分がいいだろう。

 息を短く太く吐いた。あるいは、笑い捨てた。


「負けたくねえ」


 ――負ける気がしない。

 空中にあり得るはずのない地面、それを噛む感触をつま先に覚える。かつてない加速を得て、殆ど水平に飛翔する。

 目の前に、壁が立ちふさがった。いや、それは壁ではなく、爪を束ねたもの。この、体格差と言うのも馬鹿馬鹿しい違いがあれば、それだけで攻略不可能な壁となる。

 剣の内包する魔力を高める。未だ三色に輝き続ける剣は、さらに存在感と切れ味を増した。片手剣を両手で持ち、真正面にある壁、つまりは爪の一本に全力で振り下ろす。鼓膜が破れるかと思うほどの音波。衝撃の波が毛の一本にまで染み渡る。

 それほどの一撃を見舞っても、刀身の半ばまで食い込むといった程度だった。両断はおろか、破壊すらできそうもない。

 すぐに剣を引き抜いて、爪を蹴る。真上に飛び上がるのと同時に、壁は前進し、今までノスが居た場所を薙ぎ払った。暴風圏が生まれて、押し流されそうになる。だが、ファタンレスが風制御を切るであろう事は、ノスも織り込み済みだ。上手く体制を整え、位置を維持する。

 反撃の為の体制を作る、その途中だった。ファタンレスのもう一本の手が、振るわれようとしているのが見えたのは。

 作られた握り拳に速度が乗る前に、ノスは左手を掲げ、叫んだ。


「《ブラック・倶人の矢》!」


 手の内側に、黒い光が生まれる。その中から無数の矢が生まれて、高速でファタンレスの顔面へと疾走した。その数、実に五十を上回る。

 初級魔法、倶人の矢。攻撃魔法の中でも、かなり早く覚える魔法である。はっきり言って、威力は弱い。だが、弱いなりに利点はあった。発動が早く、集中も必要ないという事だ。矢の数も、スキルレベルと熟練度――ようは魔法使いとしての実力に比例する。

 ダメージは期待していない。目の前に現れたそれに、僅かでも怯んでくれればと思っての牽制だ。だが、期待もむなしく、ファタンレスの攻撃は正確にノスを捉えようと向かってきている。

 牽制すら無意味だ。知って、ノスは体を回転させた。

 巨大な拳を避けきるのは難しかった。だが、マシな部分と言えば、爪のそれよりも致命的になりづらいという点だ。拳の尖端に触れた瞬間、体が押し潰れるような衝撃があった。それも一瞬で、すぐに脇へとそれて、力をいなす。

 すぐに距離を置いて、体を確認する。全身にしびれが残ってはいたが、どれも動けないほどではない。その事実にほっとする。だが、これでまた一つ死に近づいたというのも、また事実だった。


(いっその事アリアに頼るか……いや、ダメだ)


 生まれた甘い考え――逃げとも言えるそれを、即座に否定した。元より考えるまでもない事である。

 アリアの職、攻変換魔法使いは火力に優れた職であるが、それは単体攻撃に優れている事を意味してはいない。どちらかと言えば、面制圧に適した職なのだ。一撃でファタンレスをなぎ倒せれば、それでいい。問題は、それで倒しきれず、かつ戦闘能力を残してしまった場合。困ったことに、魔法の相性で、最高位魔法であってもほぼ無力化される事は、非常によくあった。高位の敵であればなおさら。モンスターに対して知識が当てにならないと分かっているのに、賭をする気にはなれない。それに、足の遅い魔法使いでは攻撃から逃げ切れない。属性を再把握して次撃を放とうとも、低くない集中力が必要だ。敵の攻撃を恐れず、巨体からの攻撃が届く前に。アリアでなくても望めぬスキルだろう。

 魔法速剣士は、速度が高く防御力が低い。誰かを守って戦うには、全く向かなかった。ゲームであれば、モンスターの行動はAIで制御され、かつ明確に行動原理が決定されている。つまりは、攻略の枠から違えることはない。気を引く方法だってある。が、もしファタンレスが無理をしてでもアリアを先に撃破すべきだと判断したら。その時点で、ノスにアリアを守る術がなくなる。

 それ以前に、どちらにしろ守るべき対象が存在するのだ。必ずどちらかが守っていなければならない。高位の防御魔法を展開し続けるならば、最高位・高位攻撃魔法を使用する事はできなかった。恐らくはキャパシティの問題だろう。動けないのに、中途半端な攻撃で気を引くのは下策。どの道単体でファタンレスを相手しなければいけなかった。ならばやはり、この配役、この状況は正しく。どれほど頭を捻っても、変更があるはずもない。


「俺が考えるべきはそんなことじゃない!」


 思考だけではない。勘だけでもない。恭一だけではない。ノスだけでもない。両者を融合し、勝利をたぐり寄せる。

 必要なのは、それだ。何かに頼ることなどでは断じてない。

 続く、強要される緊張に、足が竦みそうになる。それでも自分を叱咤し続け、立ち向かわせた。自分しか出来ないこと、自分がやるべきこと、自分がしたいこと。全てが今、この場に揃っている。

 動きだしは、ファタンレスの方が早かった。

 腕が突き出される。が、腰は全く入っていない。殆ど手打ちのそれ。当たったところで、そう致命的なダメージになる確率は低いだろう。だが、さらに早く精密な動作を可能としていた。

 乱舞のように――それでいて的確にこちらを狙ってくる打拳と突き。範囲が広く避けるのに苦労するが、ダメージは小さい拳。避けるのは比較的容易いが、早いだけのそれでも大きなダメージを負いかねない刺突。片方だけであれば、そう脅威でもない。だが、織り交ぜられると、回避はいっそう難しく、かつ気を遣わなければならなくなる。


(このままじゃまずい……受け手に回るな!)


 戒めるが、しかしどうにもならない。隙を見て懐に潜り込もうにも、その暇のない攻撃なのだ。後退した所で、距離を詰められる方が早い。

 拳を避けきり、移動後の位置に置かれる鋭い突き。無理な体勢で腰を跳ねさせ、剣を叩き付ける。反動で飛び出した体に、またも爪撃。これは蹴って移動した。痺れる足。歯を食いしばった所で、飛んでくるのは巨大な壁だ。避けられない。剣を振るって、指を深く抉る。分厚い皮膚が両断され、肉と骨が露出。血液と油の塊が多少のクッションにはなったが、それで衝撃全てを押えられるわけもない。全身べたべたになりながらトラックの激突すら安く思える拳に翻弄され、視界が消える。

 傷口から弾け出され、戻らぬ視界に惑う時間もない。白と黒に埋め尽くされた目から信頼を捨てて、感覚に意識を集中する。左下方からすくい上げるような、束ねられた爪。内側には避けられない。後退すれば刻まれる。斜め上に上昇し、ぎりぎりの所で爪を躱した。が、次の瞬間に、生まれた風圧に吹き飛ばされる。


(な……!)


 先ほどまで、風の圧力を切った攻撃のみを行っていた。それに吹き飛ばされるというのは、全くの予想外。

 考える間もなく――つまりは対応する余裕は与えられず、次々と爪撃が加えられた。風圧のある攻撃とない攻撃、それらを完璧に、しかも対応できないよう上手い具合に制御しながら。


(こいつ!)


 姿勢制御と回避。二つに増えた仕事。魔力にはまだ十分余裕がある。だが、否応なしに無茶な姿勢を強制されて、体が悲鳴を上げ始めていた。筋肉が悲鳴を上げて、骨がきしみ始めている。受けたダメージが、それらを倍加して負担を増していた。

 急激に追い詰められていくノス。呼吸すらままならないほどに、回避を続けていた。


(やっぱり出し惜しみじゃない! 今学習しているんだ!)


 つまり、間をおけばもっと強くなる……?

 背筋が寒くなるような想像。まっすぐ、指を広げて迫るそれに、剣を滑らせようとして。直前で、手のひらが止まった。ファタンレスが笑う。


(フェイントだとぉ!?)


 悲鳴は、言葉にする事ができなかった。上から叩き付けられる横拳。

 ごぎん! なんとな脳天に食らうことだけは避けた。その代償を請け負った左肩が、悲鳴を上げる。鈍い音を立てたそこは、反応こそする。だが、肩より高く上げられる気は、全くしなくなっていた。

 今更視界が回復する。が、それでどうなると言うものでもない。急激に地面へ向かう体と言うのは。

 魔力を全力でブースト。急激にブレーキをかけ、治りかけた視界がまた高速で揺れ動く。止まり切れなくてもいい。とにかく、今の勢いで地面に追突するのだけは避けたかった。ファタンレスから遠くか、もしくは見えない位置であるならばともかく。正確な追撃に対応しきれる防御力は、ノスには存在しない。

 幸運なことに、拳での一撃は左肩以外に深刻なダメージを与えなかった。まだ挽回は効く。左手に回復薬を治めようとして……

 取り出す前に、急速に迫る何かの気配を感じた。戻る視界。そこに写ったもの。

 眼前には、視界を埋め尽くすほど巨大な蹄があった。遙か下にあるはずのそれが、すぐそこまで接近している。そして、今もなお、高速で接近し続けていた。


(蹴、り……!)


 今度の衝撃は、先ほどのそれすら生ぬるく思えるほどだった。全身の肉と骨、それら全てが等しく潰れる。

 ぎりぎりのタイミングで、なんとか壊れかけていた左半身を突き出す事に成功はした。だが、どれだけ意味があったのか。過剰なほどの一撃は、左腕をぐしゃぐしゃに潰し、全身から血を吹き出させている。

 空中にはね飛ばされる体。地面を目前にしていた位置は、今やファタンレスの頭上遙かまで高度を上げられていた。

 最高点に達し、徐々に下降を始める体。半分飛んだ意識に、全く反応しない体。が、反応があったとして、それにあまり意味はなかっただろう。この位置は、空歩きを使用するには高すぎる。

 かすれて殆ど見えなくなった視界に、どうしようもなく視界から消せる訳もない巨体が見える。口を開き、勝利の咆吼とは違うそれ。しかし、限りなく近い。そこから生まれる淡い光と、集中される膨大な魔力。


(そ……)


 失い駆けていた苦痛がぶり返す。今度は痛みのために意識が一瞬飛び、次に鮮明すぎるほどに、脳が覚醒する。その殆どは、苦痛にしめられていたのだが。残った正常な部分で、ノスは確かに行った。


(それを待っていた!)


 体を捻る。遅々として進まず、ほんの僅かずつ、方向だけをファタンレスに整える。

 もう遅い。そう言うように、ファタンレスの口から、極大の光が放たれた。迫る魔法の弾丸。ノスにはもう、どうする事もできない。

 予め、この自体を予想していなかったら。


「《沈む赫光・孤盾》」


 正面に現れる、三角の盾。光は遮られ、弾かれ。幾多にも別れて明後日の方向へと反らされていく。

 肉体的なアドバンテージは、全て圧倒的な巨体に埋められ、圧倒された。だが、魔法の打ち合い――つまり魔力勝負であれば。ノスが負ける道理は、どこにもない。

 未だに魔法を行使できたのは、予想外ではあっただろう。しかし、ファタンレスも同じ轍を踏むほど馬鹿ではない。動揺を最小限に、体を捻った。剣と化した爪を、腰に強く貯めて。最後の一撃を放つために。

 が、それも、すでに無意味だ。全てが遅い。

 ――魔法速剣士。魔力と速度に優れた、戦士系職到達点の一つ。とりわけ、反則じみた対個火力を持つ。

 対象が個人の攻撃魔法のみ、最高位まで覚えられる。さらに片手剣の多彩な剣技すらも扱う。が、これらで最高峰の火力と言うのは、少し弱い。

 最大の理由は、魔法剣の存在だ。

 剣に魔力属性を付与するのとは、全く別の技術。魔法そのものを圧縮し、剣に固定化する。ただでさえ強力な魔法を、さらに刃という一点に集中し、対象に叩き付ける。洒落にならない密度となった魔法は、敵の体内に潜り込み、内部でその全てを解放するのだ。

 この世界基準において、発動にはいくらかの制約があった。

 まず、最高峰の魔法を発動するのに数秒。これにはさらに、敵に害されず意識を集中できる事も含まれる。

 さらに、魔法を剣に安定させるのに数秒。初級・中級であればいくらでも誤魔化しは効くが、さすがに高位以上となれば、短縮はできなかった。

 周囲に第三者が居ないこと。ノスは過去に幾度か魔法剣を試した。その時心に思ったのは、威力が高すぎて周囲に人がいる環境では、下手に仕えないという事だった。直接的な威力は対象に収まっても、余波まではどうにもならない。初級魔法剣ですら、かなりの威力だった。それこそ高位以上となれば、誰もいない環境でしか使用できない。取り回しは決して良いとは言えず、扱いが難しい。おまけにかなり強力な防御魔法でも貫きかねないほど、余波が強力だ。だが、その分威力は折り紙付き。

 ファタンレスの魔法砲撃。これの発動から防御し、次の攻撃に繋がるまで。これで、七秒もの時間を得られた。

 アリアたちの居る場所からは、ずいぶん離れている。それに、高度だって違う。

 全ての条件は、満たされた。それの発動を遮る者は、もう何もない。

 血肉にまみれているが、無事な右手。その先の剣。

 自然体に垂れ下がっているが、しかし剣の状態は、異常の一言に尽きた。透明な、あるいは光り輝く刀身は、今は見えない。それの代わりに姿を現しているのは、無数の鱗だった。半透明な緑色をした鱗状の何かが十重二十重に重なり、剣を覆って蠢いている。さらにその上を、蒼い雷が、甲高い音を立てて走り続けていた。なにより、そこに内包された魔力と言えば、全てを屈服させかねないほど膨大。

 魔力融合限界値の六属性魔法。それを封入した、最高クラス威力の魔法剣。


「《樹界門・荒覇吐》」


 それが、この技の名であった。

 ファタンレスが、始めて怯えを見せる。《樹界門・荒覇吐》の生み出す蒼光に瞳を焼かれ、ほんの僅か――それも半歩とすら言えない距離、後ずさった。


「ヌ゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛!!」


 獣の絶叫。大気どころではない。空も大地も、全てが揺るがされる。

 怯んだのがよほど許せなかったのだろうか。全てを吹き飛ばす勢いで、ファタンレスが絶叫する。それ以上、後退はなかった。むしろ、下がった足にさらに力を込めて、攻撃の威力をより増そうとしている。

 同じように、ノスも腰に剣を貯めた。左腕はもう原型を止めていない。右手だけで、左腰に添える。


「これで――」


 ファタンレスの腰から、ついに大槍が放たれた。今までで、間違いなく最速かつ最強の一撃。全身の力を込めたそれは、後先の事など全く考えていなかった。

 それは、ノスも同じだ。渾身の、そして最高の一刀。今持っている全ての力を込めた一太刀が、蒼の帯を作りながら、疾駆する。


「終わりだああぁぁぁぁぁ!」


 腹の底から絶叫する。ファタンレスのそれに負けないほどに。

 そして、刃と穂先が激突し――

 均衡は、一瞬たりともなかった。ふれあった瞬間、ファタンレスの爪が砕け散る。中指の爪は進軍を始めた鱗の塊に粉と打ち砕かれ、残りも蒼雷の迸りに吹き飛ばされた。鱗はそれだけで止まらず、中指を削り取り、血を沸騰し肉を焼き、太く強靱な腕は上下に裂かれ。

 威力の全く衰えない鱗。それは悲鳴を響かせるファタンレスの事などまるで無視し、胴体に食らいついた。

 ド――という、分厚い肉鎧と鱗が接触した音。甲高い蛇の歓呼はさらに高らかに、肉、骨、あらゆる区分もなく全ては食らい尽くされる。万物を飲み終えた荒ぶる蛇神は、相変わらず蒼雷を携えながら、反対側から抜け、どこぞへと消えていく。

 そして、ファタンレスはあっけないほどに、胸部を中心に横一文字に両断され。上半身は吹き飛び、地面へと墜落していった。

 膝を突く下肢。断面から血が出ないのは、すでに《樹界門・荒覇吐》で焼き尽くされ、炭化しているからだ。血液の代わりに満たされたのは、肉の焼けた酷く不快な臭い。右腕を半分消失したそれは、膝を突いただけではバランスを保てなかった。

 より重い左側に倒れ込んで、木々を巻き込みながら転がる、かつてファタンレスだったもの。

 それを見ながら、ぐらぐらと揺れながらも、何とか地面に降り立つノス。

 右手の剣を取り落として、地面に転がす。左腕の忘れていた痛みは、じんじんとしたものから、がんがんとしたものに。強まり続けていた。

 それらを確認しながら。後は、転がってもなお、大きすぎるファタンレスの体を見ながら。ノスは、やっと実感した。

 勝ったのだ、と。




 とりあえず最低限の治療だけを魔法で終えて(回復薬は使わない。戦いが終わったのに、無駄遣いはできなかった)、アリア達がいる場所へと戻っていく。

 はっきり言って、歩くのも億劫だった。今すぐ転がって寝たい。だが、他の人間をどれだけ待たせたところで胸は痛まないが、アリアを待たせるのは気が引けた。

 気を抜けば途切れそうになる意識、それを維持するのに神経を使わなくて済んだのは、良かったのか悪かったのか。応急処置程度で左腕が完治するはずもなく。一応それが左腕だと分かる程度にはなっていたのだが。やはり、気の弱い人間が見たら気を失いそうな有様のままであった。

 やっとの思いで、拠点へと帰還し。迎えたのは、他の誰でもない。涙目になっていたアリアだった。

 彼女の涙目は、すぐに大量の涙となった。瞳からぼろぼろと水滴を零し、全力で走り寄ってくる。それを受け止めるのも一苦労だったが、文句が言えようはずもなかった。

 アリアは抱きついたまま、山のように文句を言ってきた。それと同じだけ、心配の言葉も。

 いつしかノスは、アリアを抱えたまま座り込んでいた。周囲は神官が囲い、必死に聖信仰を行使している。治療はありがたいが、遅々としたものだった。HPの総量が反映されているのか、そうでないのか。まあ、いずれ完治するならば、どうでもいい事だ。

 ぐずり続けるアリアの頭を撫でながら、ノスはついに倒れ込んだ。そして、息を吐く。堪えていたもの。全ての緊張を吐き出して、気を抜くように。

 泣き続ける彼女には、悪いことをした。もうやらないようにしよう、とは思う。

 だが、今回の件。これだけは、やらない方が良かったと考える事は出来なかった。

 辛く、苦しく、しかし悪くない感覚。勝利の美酒と言うが、まさにそれなのだろう。今、ノスが感じているものは。

 あらゆる充実感に包まれながら、彼は目を閉じた。

 もう、意識を保つ努力をする必要は、ないのだから。

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