間幕
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そこは深淵。深く暗く、漆黒に彩られた世界。低く唸る風の声に耳を傾ければ、その生温さが肌に心地よく染み渡る。
何もかも奪うあの紅蓮の炎を思い出しながら、藍色の着物の袖口を口元に持っていく。
「……時は、満ちたようじゃな」
その瞬間、漆黒だった空間に突然明かりが灯る。松明の爆ぜる音がどこからともなく聞こえ、風や水で削られた茶色の岩肌が現れた。
そこでようやくここがどこかの洞窟内であると認識できる。上座に座っている女性は、紫紺の長い髪に触れながら笑った。
「悪縷、温羅。……して、どうであった?」
デコボコとした岩肌の小さな崖下に、名前を呼ばれた妖たちは立っている。悪縷は女性の前に躍り出ると、胸に手を当てて喋り出す。
「あぁ蜘蛛様! 悪縷は蜘蛛様の為に全の姫を連れて帰ろうとしたのに、御神が邪魔したの! 他でもないあの御神が!」
悪縷のその言葉に、蜘蛛と呼ばれた女性は薄く唇を開いた。その口角は先ほどよりも更に釣りあがっている。
「でもね蜘蛛様、次こそはちゃんと連れてくるよ! だってアクル蜘蛛様の事大好きだもの!!」
「そうかそうか。わらわも悪縷の事は好きじゃ。……そして温羅よ、そちの方はどうであった?」
蜘蛛は視線を悪縷からその隣にいる温羅へと向ける。温羅は人当たりのよい微笑みを浮かべたまま「えぇ、おおよそ分かりましたよ。やはりこの土地には眠っているようです」と答える。その言葉に蜘蛛は満足げに頷き、それから手を鳴らした。
ざわり、と空気が震える。松明が揺らめき、影が伸びる。蜘蛛を中心とするように影たちは無数に現れ、その中から五つの影が前に出てきた。
五つは悪縷と温羅の元まで来ると、ただの影ではなく、人の形へと変化していく。人となった影達は、それぞれ違う姿となっており、そのうちの一人が口を開いた。
「お呼びですかな、蜘蛛様?」
灰色の薄汚れたローブを羽織り、顔の周りは白かったであろう、くすんだファーが覆っている。しゃがれた声と、真っ白な髭が特徴的な彼は、顔こそ見えないものの一見して老人だと分かる。
「ふむ。塵塚怪王、そなた達にも久々に動いてもらうぞ」
「ほっほっほっ、やっとですか」
塵塚怪王と呼ばれた老人は髭を一撫ですると、自分の隣にいる逆毛の立っている真っ赤な髪の男を見上げた。
「鬼火よ。お前さん、ようやく疼きが納まるんじゃないのか?」
「うっせぇよクソジジイ。俺のことは放っておけ」
赤髪の青年は邪険に扱うと、それ以上口を開くことはない。塵塚怪王が肩を竦めると、反対側からくすくすと笑う声が聞こえてきた。
「おやおや、随分ときっぱりフラれたもんだねぇ」
「うるさいわい、飛縁魔。そもそもお前さんがいるなんぞ珍しい。明日は嵐かの?」
大鎌を携えた深い赤紫色の髪をした女性は、その一言にふっと余裕の笑みを浮かべる。
「ほんとに口の減らないじいさんだねぇ。なんだっていいじゃないか。ねぇ、牛鬼に狂骨」
話しを振られた大男とひょろ長い青年は、それぞれ「どうだっていい」「……あの、わたしにはよく分かりません」と淡白に返事をする。その返事に飛縁魔という女性は面白くなさそうな顔をしたが、すぐにそれは笑みへと変わる。
蜘蛛は彼らのやり取りを一瞥すると、再び手を打ち鳴らした。
「わらわ達の悲願成就の時は来たのじゃ。皆、準備はよいな?」
蜘蛛の問いかけに、悪縷達は深く頷く。
「アクルちゃん、もうやる気満々!」
「僕も準備はできています」
「守護者は俺がやる」
「……いえ、その、わたしはなんとも」
「祭りはやっぱ賑やかじゃないとねぇ!!」
「血の気の多い奴らじゃな」
「はっ、くだらねぇ」
それぞれの反応に蜘蛛は笑みをもっともっと深める。
背筋を駆け上る快感と快楽がこの身体を震わせ、乾いた心がほんの少しだけ満たされる。
「宴の、始まりぞ」
いびつに歪み、狂って壊れた断片が静かに飛び散った。