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紅に散る―始原の岐路―  作者: 知佳
第一章
4/17

 翌週の月曜日、六時間目。現在行われているのは先日あった生徒会選挙の当選者認証式だ。全校生徒が体育館に集められ、新しく生徒会長となった南啓からの言葉を待っている。壇上に南が上がれば女子生徒の黄色いざわめきが漏れる。

 鈴音は早く終わらないかなぁ、と呑気に考えながら南に視線を移した。高い鼻梁と、少し切れ長の形の良い二重は、写真で見るのとも先日見たときとも、何だか少し違って見えた。別にどこかが変わったとかそういう事ではないのだ。なんというか、鈴音が彼から受けた印象が違う。今まではただそこにいるだけで、特別意識したこともなかったし、「そうなんだ」程度で流していた。それなのに、今は視線が彼に釘付けで離せない。

 ――なんで……?

 よく少女漫画である恋の始まりにありがちなパターンだが、これはそういった類ではないと、鈴音の直感が訴えていた。

 ――あれ、またなんか、奥の方がざわざわって……。

 すっかり消えていたざわめきが再び戻ってくる。急に果てしない焦燥感と不安に襲われ、嫌な予感が忍び寄ってきた。そして視覚だけではなく、聴覚までもが彼に吸い寄せられる。一体何を言っているのか、今まで全く耳にも入っていなかったというのに、急に鮮明に音ではなく声として認識し出す。

「今回、私は公約の一つに更なる学校生活の充実を掲げました。演説にもあった通り、その実現のためにはやはり生徒会の拡大が必要不可欠です。よって、生徒会規約第二十六条に基づいて……」

 嫌な予感が、鼓動が加速する。ぐるぐるぐるぐる。鈴音は震え始めた身体をきつく抱き締めて、下唇を噛み締める。

「生徒会補佐委員を、一名、任命します――!」

「ッ!」

 ぴくん、と鈴音の身体が跳ねた。決して自分の名前を呼ばれたわけではないし、彼の視線が鈴音を射抜いたわけでもない。それなのに、この得体の知れない不安と懐かしさは何なのだろう。

 体育館にいる生徒たちはざわめき、あちらこちらから囃し立てるような声が飛び交う。女子生徒たちは笑いながら「あたしにしてー」などと冗談口調で南に叫んでいる。

 ――あぁそれ以上何も言わないで。

 鈴音は下唇を噛んだまま南に弱々しく視線を向けた。そして、その彼に恐怖した。彼は、南は凍て付いた瞳で生徒を見下ろしており、言葉を発していないにも関わらず威圧感を出している。生徒会長としては相応しくない態度と雰囲気なのかもしれない。それでも、今の彼には人の上に立つ人間としての威厳があった。

「……皆さん、お静かに。申し訳ないが試験的な意味合いもあるため、補佐委員はこちらで選出させてもらいました」

 優しい声音なはずなのに、その奥には何か大きな秘め事がある。凍て付いた瞳をしているのに、その奥には大きな哀しみがある。鈴音は既視感を覚えつつ、恐ろしい予感と鈍い痛みを頭に感じていた。それなのに視線は南から逸らせなくて、体育館はしんと静まり返り彼の言葉を待っている。

「……補佐委員は、二年二組、春日鈴音。以上です」

 それだけ言うと、南はさっさと壇上から降りてしまった。鈴音は体育館のどよめきをどこか遠くに聞きながら、ふっと全身から力が抜けていくのを感じる。

「鈴音ッ!?」

「鈴音どうしたの!?」

 美奈と唯が鈴音の名前を叫んだが、それは虚しく体育館に響いた。

 ――あぁ、倒れちゃうな……。

 他人事のようにそう思ったところで、鈴音の意識はぷつりと切れた。

 


 目が覚めると、そこには見慣れない、けれど見覚えのある天井があった。

 ――あ。……あたし、倒れたんだっけ。

 覚醒しきらない頭を動かして、こうなった経緯を思い返す。

 つんとした薬品の匂いとふかふかのベッドに包まれながら、鈴音はもう一度眠ろうかと布団を被った。しかし心がざわついてしまっていて、身体は眠りを欲しているのに言う事を聞いてくれない。

 ――今、何時なのかなぁ……。もうホームルーム終わってるよね。

 認証式は六時間目で、今日はそれが終わったらもう授業はない。外からは部活動のものと思われる声が聞こえてきている。

 もしかしたら、先ほどの出来事は夢じゃないのか。

 鈴音は頭痛を覚えて頭を擦った。本当にあれが現実だとしたらなんてふざけた、それでいて大それたものなんだろう。

 鈴音の成績は至って平々凡々、よく言っても中の上がいいとこだ。委員会活動だってそんなに積極的に取り組んでいるわけでもないし、部活にだって入っていない。そんな自分のどこに、補佐委員として選ばれる要因があったのか。

 ――ひとつもないよね、普通に考えて。

 鈴音は溜め息を漏らした。まさか祖母の遺言で入学した学校で、こんな事になるだなんて思ってもみなかった。もっと平凡で楽しい学校生活が待っているものだと、当たり前にそれを享受できるものだと――そう思っていた。

「はぁ……。駄目だ、憂鬱」

 被っていた布団を剥いで、鈴音はベッドから勢いよく飛び出す。きっとあれは何かの間違いなのだ。手違いに違いない。大体自分には選ばれる要素が一つとしてないのだから、生徒会がうっかりしていたのだろう。

 ――そうだよ、絶対そうだ! よし、なら早速言いにいかなくちゃ!

 仕切りのカーテンを開けると、そこに養護教諭の姿はなかった。どこに行ったのだろうかと首を傾げていると、がらがらと音を立てて保健室の扉が開いた。

「あら、起きたの」

 のんびりとした口調で女性の養護教諭は鈴音に笑いかけると、テーブルの上に置いてある体温計を差し出す。

「もう一回計ってから、ね?」

「あ、はい」

 鈴音はそれを受け取ると、手早く脇に挟む。暫くするとピピピ、という電子音が鳴り響いた。

「ん、三十六度二分か。……春日さん、自分で帰れそう? あと、どこかおかしなところとかない?」

「大丈夫です! おかげさまで元気いっぱいです!」

 そもそも悪いところなどなかったのだ。

 鈴音がガッツポーズをすると、教諭は「なら良かった。気をつけて帰ってね」と鈴音の鞄を差し出す。

 お礼を言ってそれを受け取ると、彼女は何故だか哀れむような、心配するような曖昧な笑みを浮かべて鈴音を見てきた。

「ありがとうございました」

 それは最後、保健室を出て行く時までずっとで、鈴音はぎこちなく扉を閉める。

 ――んー、なんでだろう? あ、やっぱり補佐委員のことは手違いだったとか! それであんな目で……。

 勝手に結論付けると、鈴音は少し軽い足取りで生徒会室へと向かう。唯曰くこんなときは「殴りこみ」なのだそうだ。

 ――うん、きっと大丈夫だよね!

 昇降口と保健室の傍にある階段を上がってすぐの角に、生徒会室はある。鈴音にとっては、今まで一度も訪れた事のない未知の世界ともいえる。

 ――うわぁ、ちょっと緊張してきた……!

 ゆっくりと扉に手をかけ、手前に引こうとした瞬間、鈴音の予想に反して更に強い力で手前に押されてしまった。

「ふべっ!?」

 なんとも間抜けな声が出てしまい、鈴音は赤面する。そしてもう一つ。なんだかやけに柔らかいものが顔に当たっていると思い、今の状況が分からなくなる。

「あの……大丈夫?」

「ふへっ!? あれ、え!? えぇえ!?」

 上から降って来た声に慌てて顔を上げれば、端整な顔つきの男子生徒が困ったように眉根を下げていた。

「あぁぁあ、あたしは大丈夫です! ぶつかってごめんなさい!!」

 と、勢いよく頭を下げれば、再びドンッと柔らかいものに頭をぶつけた。それが彼の胸板だと気づくのに数秒遅れた鈴音は、顔を真っ青にして二歩後退る。

「あははは! そんなに驚かなくてもいいよ。こちらこそ、ぶつかってごめんね。……って、君、春日鈴音さん?」

 名前を呼ばれて鈴音は心臓が飛び出るかと思った。

 よくよく彼の顔を見てみれば、先日唯に散々説明された生徒会の一員、副会長の北海爽だった。少し垂れ目の柔和な目元と、優しげな口元、印象に残る綺麗な金髪。

 鈴音が泡を食っていると、北海はにこやかにこちらに近づいてくる。

「倒れたって聞いてね。今から保健室に行こうと思ってたんだ。わざわざ来てもらってありがとう」

「あ、いえいえ全然大丈夫です……じゃなくって!」

「おい爽、さっきから何騒いでんだよー」

「……どうかしたの?」

 鈴音の言葉を遮るように生徒会室から現れた二人の男子生徒に、鈴音は声にならない悲鳴を上げた。

「あ、その子!」

「……春日、鈴音さん?」

 大きな二重瞼が少し釣り目なツンツン頭の少年と、切れ長の天然パーマの少年。北海と同じく見覚えがある。生徒会会計の西城類と、生徒会書記の東間悟だ。

「あ、あの……!」

 鈴音が声をかけると、彼らは人の良い笑みを浮かべて鈴音の腕を引っ張ってきた。

「まぁ詳しい話は中でね」

「え、ちょ……」

 半ば無理矢理押し込められる形で鈴音は生徒会室に足を踏み入れる。大きく豪奢な生徒会長専用の椅子。まずそれが目に入る。次いで大きなソファ、テーブル。壁一面に棚、棚、棚。その中には資料が隙間なく詰め込まれ、この学校の歴史と規模を実感する。

 ただきちんと整頓された書類は棚に収まっていたし、机やソファもシンプルなもので落ち着いている。

「あ……」

 そして鈴音は会長椅子に座している人物を見た瞬間、身体が凍ってしまったように動かなくなる。鋭い視線に射抜かれて、上手く呼吸ができない。

「……春日、鈴音だな」

 低く呻くように名前を呼ばれ、あまりよく思われていないのだとはっきりと伝わってきた。鈴音は何とか気力で足を動かすと、一歩前に出る。

「な、んで……」

 鈴音の擦れた声に彼らは一様に首を傾げた。鈴音は深く息を吸い込み、自棄になって叫んでいた。

「なんで補佐委員があたしなんですか!? なにかの間違いですよね!? ていうかほんとお願いですから夢だと言って下さい!!」

 捲くし立てるように言い募れば、彼らは呆気にとられたように口をあけている。そして数秒の沈黙の後、北海、西城、東間が腹を抱えて笑い出した。

「やっべぇいきなり来るかよ!!」

「もう僕、お腹痛い……」

「いやぁ、理事長の言ってた通りだったね」

「……はぁ。うるさいぞ、お前ら」

「……へ?」

 今度は鈴音が呆気にとられる番だった。一体今の台詞のどこに笑う要素があったのだろう。

 すると、北海が薄っすらと目尻に涙を滲ませつつ「まぁ、立ち話もなんだから」とソファを勧めてきた。鈴音は北海に勧められるままにソファに腰を下ろす。向かいには笑顔の北海と東間と西城がいる。南だけは上座の会長椅子にどっかりと座ったままだ。

「さて、それじゃぁ何から話そうか」 

 顎に手を当てる北海に、隣に座っている西城が「やっぱりここは理由からだろ!」と提案してきた。東間は表情を崩さず「爽だってそう思ってたに決まってるじゃん。類うるさい」と西城に肘鉄を入れる。

 ――に、賑やかなだなぁ……。

 苦悶している西城と、それを歯牙にもかけていない東間を眺めながら、鈴音は笑う。すると北海が小さく咳払いし、口を開く。

「まず、君がなんで補佐委員に選ばれたかなんだけどね。……まぁ、話せば長いんだけど、理由は大きくたった一つなんだ」

「一つの……理由?」

「そう、たった一つ。色んな事情があるけど、理由は一つ」

 ぎゅっと手に力を込め、鈴音は次の言葉を待つ。その場の空気がぴりぴりと強張り、北海の表情も幾分か硬い。

「……君が――全の姫だから」

 どくん、と心臓が大きく波打つ。

 知らない単語のはずなのに、鈴音の胸はざわついて落ち着かない。

 胸の奥が締め付けられて苦しい。痛い、哀しい。

 ふと、ポケットの上から八卦鏡に触れてみると、八卦鏡から僅かにだが力を感じる。

「全の姫って、なに?」

 精一杯の力を振り絞って、やっと疑問を口にする。本当ならもっと喚いていた。けれど、今はそれさえも出来ない。

「全の姫っていうのは、万象を司る巫女姫の事だよ」

「ちなみに、君のお祖母さんも全の姫だったんだぜ」

「……類、そんな一気に言っても分からないと思うけど」

 ――万象を司る巫女姫? お祖母ちゃんが、全の姫だった……?

 鈴音が混乱しているのを見かねてか、北海がふわりと微笑んだ。

「大丈夫だよ。焦って理解しなくてもいいから」

「そうそう。俺も、最初は訳分かんなかったしよ」

「それは類の理解力が足りてないだけでしょ」

「悟てめぇ!」

「はいはい、二人ともストップ」

 言い合っている二人を諌めると、北海は鈴音に向き合った。けれど、その目があまりにも悲しげに揺れており、鈴音の胸はずきりと痛んだ。

「全の姫は、もう千年以上昔からこの土地を守ってきたんだ。そして僕達は、君を守る五獣」

「ご、じゅう……?」

「そう、五獣。五つの獣と書いて、五獣」

「五獣が全の姫を守るって、どういうこと? 何から守るの?」

 そんな御伽噺のような、ファンタジーのような話があるわけない。鈴音はフリーズしている脳味噌で必死に思考を働かせる。

「僕達は、君を(あやかし)から守るためにある」

「あや……かし?」

「あぁ妖だ。この森羅は、古くから朱雀、玄武、青龍、白虎、黄龍の五体によって守られてきたんだ」

「朱雀、玄武、青龍、白虎、黄龍の、この五体のことを五獣(ごじゅう)って言うんだ。僕達は彼らから力を借りて君を守る。だから、五獣なんだ」

「ちょ、ちょっと待って! 整理するから……!」

 鈴音は今言われた情報を、必死で咀嚼しようとする。つまり五獣というのは先ほどの五体の獣の事であり、それから力を借りる存在も五獣である、という事だろうか。

 ――難しいしややこしいよ!!

 内心で悲鳴を上げつつも、鈴音は道筋を作っていく。そこでふと、ある重要なことに気づく。

「で、でもちょっと待って!? なんであたしが全の姫だって言えるの!? あと、お祖母ちゃんの事も……」

 鈴音は一度たりともそんな話を聞いた事がない。大体、そんな巫女さんのような不思議な力など持っていない。それ以前にそのような器ではない。鈴音がまくしたてると、三人は暗い顔をして眉を顰めている。

「……僕達は、生まれ変わりだから」

 ぼそりと呟いた東間に、鈴音は目を丸くする。

「それに、この役目は一族相続だからな。……決まってることなんだよ」

 決まっていること。そう言った西城の表情があまりにも痛々しくて、鈴音は頭を振る。

「ここにいる全員は、前世でもこの宿命を背負っていたんだよ。……だから、魂で分かる」

「どういう……こと?」

 魂、前世、生まれ変わり、宿命。そんな非現実的で、何かに縛り付けるような言葉など、聞きたくない。鈴音は思わず三人のことを睨んでいた。

「そんな訳の分からないもので、あなた達は……」

 ――あたしを選んだっていうの?

 怒りや憤りではなく、ただ単純に理解できない。鈴音が言葉を詰まらせていると、今まで黙り込んでいた南がようやく口を開く。

「……それが俺たちの、約束だ」

「約……束?」

 そんな、そんな生易しいものなのだろうか。生まれ変わってもやらなければいけない事が、そんな約束などという言葉で表現できるのか。

「でも、魂で分かるってどういう事? そもそも、そんなファンタジーみたいなこと、あるわけないよ」

「……お前に、何が分かる」

「!」

 南に睨まれ、鈴音は言い返せない。確かに自分は何も知らない。けれど、当事者なのだから知りたいと思うのは普通なはずだ。

 ――そんな頭ごなしに否定しなくても……。

 知らないから訊ねているだけなのに、そんな事を言われたらもう何も言えなくなる。沈黙が、つらい。

 鈴音が顔を俯かせると、その場を和らげようと北海と東間と西城が間に入ってきた。

「まぁまぁ二人とも、そう暗い顔しないでよ。あ、そうだ。春日さん、僕のことは爽って気軽に呼んでね」

「あ、なら俺も気軽に類って呼んでくれよ!」

「僕も、悟でいいから。……あと、啓のことも、ね」

「……なんで俺まで」

「啓ノリわりぃぞ」

「そうだよ啓、これから一緒に頑張っていく仲間じゃないか」

「……はぁ」

 目の前で会話している彼らから、先ほどの悲壮感は窺えない。自然体そのもので、纏っている空気も柔らかい。

 ――そんな顔も、するんだね。

 鈴音と向き合っているときは冷たい雰囲気しかまとっていなかった南さえ、表情が優しくなっている。

 ふと、窓の外に視線を向ける。太陽は傾き、夕陽に染まるグラウンドで部活をしている生徒達。いつもと何ら変わらない光景なのに、鈴音は違和感を感じていた。

 ――これは……なに? 

「……おい」

 鈴音が何かを感じた瞬間、南が目を見開いて呟いた。その緊迫した声音に、北海たちも何かを察したようで、緊張した面持ちになっている。

「……結構大きいみたいだね」

「おいおい、早速かよ」

「なに、自信ないの? 類」

「んなわけねぇだろ。悟こそ、びびってんじゃねぇよな?」

「僕が? ……類、冗談は顔だけにしてよ」

「なっ!? 傷ついたぞ! 今のは流石に俺でも傷ついた!」

「二人とも、うるせぇぞ。……行くか」

 鈴音は四人の会話の意味も分からず、あっけにとられていた。

 ばたばたと生徒会室から出て行く四人。最後尾の北海が「君もきて!」と手招きしたのに弾かれて、鈴音はようやく我に返った。慌てて生徒会室を飛び出すと、もう既に四人は階段を駆け上っている。

 しかも南の速さが尋常ではない。北海、東間、西城の三人も鈴音よりは確実に速い。しかし南はその三人を置いていくほど速い。

 二階から四階の上にある屋上まで上りきる頃には鈴音の息は荒くなっていた。扉を開けて四人の元まで歩み寄る。

 緊張で空気が張り詰めており、鈴音は肩を震わせた。

「なにが起きてるの?」

「……静かにしてろ。来るぞ」

 ――だから来るって何が!?

 置いてけぼりにされ一人状況が飲み込めていないのが無性に腹立たしい。鈴音は思わずむっとして南をじっと見つめた。

 その時ぞわり、と強い不快感を感じた。鈴音はオレンジ色に染まっている空を見上げる。何の変哲もないように思えるが、何かがおかしい。

「あ……!」

 そして、それは現れた。真っ黒な巨大な塊が、突如となく上空に出現したのだ。不気味に増殖しながら、こちらにやってくる。

「頭痛が、してきたかも……」

「まぁまぁ、落ち着いて」

 逃げようと屋上の扉に手をかけるが、がっしりと肩をつかまれてしまう。端整な顔が四つ、鈴音の目の前で困惑した表情になった。

「ま、仕方ねぇよな。こんな状況すんなり理解できる方がどうかしてるぜ」

「類の頭もどうかしてるけどね」

「黙れお前ら」

 鈴音は言い合いをしている彼らを一瞥すると、引きつった顔で上空を見上げる。

「……あれ、なんなの」

 鈴音がゆっくりと指差したそれを見て、南が面倒そうに舌打ちした。鈴音は口を開かない彼らを見つめながら、必死で頭を整理する。

 つい数時間前には体育館で認証式を行っていたはず。そんな彼らは今屋上で緊張した面持ちで塊を睨みつけている。その様子さえも鈴音はまるで違う世界の出来事のように見えてしまう。

 先ほどの「全の姫」も「五獣」も、全くもって理解できない。一体何の為に「この土地」を守り、何の為に存在しているというのだろう。

 鈴音が呆然としていると、南がポケットから札のようなものを数枚取り出す。そして上空に向かって投げ付けると、素早く何かの呪文を呟く。札は放電しながら塊の動きを止める。

「類、はじめろ!」

 南の言葉に西城は「へーい」と気の抜けた返事を投げ返す。しかし、目を閉じて集中すると、その緩い空気は消え去った。

「金は凝結により水を生む」

「木は水が無くては生きられない」

「木は燃えて火を生む」

「燃えれば灰が残り、灰は土に還る」

 西城、北海、東間、南の言葉に呼応して不可視の力が集められ、南が新たに取り出した札にそれらが集中する。

 ――なに!? なにが起きてるの!?

 青白く光を帯びていく札には、相当な力が込められている。しかし鈴音は、直感で感じ取っていた。その程度ではあれは浄化できないと。

 南は動きの止まっている塊に向けて札を投げる。しかし塊に当たった瞬間、僅かに札が青白く光った程度で、それ以外には何も起きない。

 南は悔しそうに舌打ちすると、もう一度札を取り出した。鈴音はそれ以上は無駄だと思い「待って!」と、気がつけば南の腕に縋り付いていた。

「何のつもりだ。邪魔をするな」

「違うの! そうじゃなくて、あれにはその札じゃ勝てないの!」

 鈴音がそう訴え掛けた瞬間、四人の目が大きく見開かれる。

 鈴音は感じるのだ。あの塊から発せられている波動のようなもの、南の札に込められた力の鼓動、それら全てを、はっきりと。

「……八卦鏡があればなぁ」

 西城がぽつりと漏らした言葉に、今度は鈴音が目を見開いた。八卦鏡。聞き間違いでなければ、鈴音はそれを持っている。

「でもあれって、何代か前に消失したんじゃないの?」

「あれば僕達の力になってくれるだろうけどね」

「言っても仕方ないだろう」

「おい啓ネガティブ発言止めろよなー」

 彼らの会話を聞きながら、鈴音は恐る恐るポケットに手を伸ばし、そこから形見である鏡を取り出した。祖母に貰ったあの日に言われた「不思議な力がある」という言葉。遺言でわざわざ森羅学園に通うように言った理由。それら二つが、鈴音の中で音を立てて当てはまる。

「……それ、まさか八卦鏡?」

「多分、そう……だよ」

 祖母は分かっていたのだ。

 きっといつかこんな日が来ることを、全の姫という存在を、五獣である彼らを。

 鈴音の手にしっかりと握られた八角形の鏡を見た瞬間、四人それぞれ言葉が漏れた。

「おっしゃ! それで穢れも一発で消せるじゃんか!」

「類、うるさいから。でも、良かった」

「……やっぱり、君は全の姫なんだね」

「……これが、八卦鏡」

 四人は八卦鏡を凝視すると、互いの顔を見合わせる。南は鈴音の肩を掴み、上空の塊と対峙させる。

「それを持って構えてろ」

「え、ちょっと……」

 鈴音の戸惑いを気にも留めず、南は西城に視線を送った。

「よっしゃっ!! 金は凝結により水を生む!!」

「木は水が無くては生きられない」

「木は燃えて火を生む」

「燃えれば灰が残り、灰は土に還る」

 再び力の収束が始まり、そしてそれは鈴音が持っている八卦鏡に集まり輝いている。八卦鏡の中で光は螺旋を描き、上空の塊に上昇していった。一筋の閃光は暗雲を蹴散らし、そこに橙に染まった空が姿を現す。

 鈴音は現実離れし過ぎた現状に、あんぐりと口をあけて硬直した。南たちは互いに顔を見合わせ喜びを噛み締めている。

「ははっ、しかしこれ疲れんだよな」

「類、情けない。……って言いたいけど僕も」

 南以外の三人がへにゃりと座り込み、安堵からか笑っていた。鈴音は南から離れ、壁に凭れ掛かり、息を整える。

 すると突然頭が熱くなり、何かがフラッシュバックした。鮮明な赤が、地面にゆっくりと広がっていく。見たいことのない大木が鼓動を刻み、怨念が頭の中に響いた。

 おぞましい。

 理性が拒絶し、吐き気さえ覚える。しかし本能は怨念の声に耳を傾けようとしている。鈴音は双眸を閉じる。ゆっくりと目を開ければその光景は消えており、怨念も聞こえなくなっていた。

「……おい、いつまでへばってんだよ」

「……鬼会長。久しぶりなんだから免除してよ」

 南の厳しい声音に鈴音は視線を動かす。東間は座ったまま南を睨んでおり、額には薄っすらと汗が滲んでいる。しかし、南は眉間に皺を寄せた。

「これから力の行使が増えるんだ。これぐらいで疲れてんなよ」

「……それ横暴じゃない?」

 鈴音の口から漏れた呟きに、南の視線が移る。三人は笑っており、バツの悪そうな顔で南は黙る。

「……そういえば、どう? 実際体験してみて」

 息を乱していない北海がにこりと笑った。

「補佐委員、やってみない? 僕たちには、君が必要なんだ」

 ――あたしが、必要?

 鈴音は北海の言葉を反芻する。今まで面と向かって誰かに必要とされた事があっただろうか。そう考えると、胸に深く刺さるものがある。

 けれどそれ以前にまだ分からない事が沢山ある。まずはそれを知りたい。

「その前に、さっきのあれは何か……。教えてほしいの」

 真っ直ぐな目で彼らを見れば、四人は真剣な顔つきに戻る。南は腕組みしながら「今のは“穢れ”だ。不浄のもの全てが固まったものとでも言おうか。ま、病原体みたいなもんだとでも思っとけ」と言った。

 すると北海が「穢れは“浄化”しないといけないものなんだ。放置すれば災いの元になるし、飢饉なんかの原因にも繋がる」と補足する。

「じゃ、じゃぁこの八卦鏡はその穢れを浄化する力があるってこと?」

 鈴音が八卦鏡を前に突き出すと、南が頭を振った。

「そもそも八卦鏡の八卦とは、様々な事物事象を表しているとされている。そして八卦鏡は、凶作用を反射し、吉作用を集中させ、増幅させる力を持っている」

「つまり、いい事はもっと良くするし、悪い事は弾き返しちゃうってこと?」

 鈴音の解釈に南はこくんと頷く。内心でほっとしつつ、鈴音はまだまだ分からない事があったのだと質問をぶつける。

「さっきの技みたいなのはなに? それから、“あやかし”とかも……」

 鈴音が慌てながら口を開くと、北海が「そんな焦らなくていいんだよ?」と笑いかけてくれた。けれどまだまだ知りたい事は山積みで、知らないと決断も下せない事が多い。

 ――いきなり全の姫とか言われても、全然分からないし……。

 内心で溜め息を吐いていると、肩に優しく手を置かれた。顔を見上げてみれば、そこにはにっと歯を見せて笑う西城がいた。

「大丈夫だって。そんなに心配したって何も始まらねぇぞ」

「そうだよ。類みたいな人だって今生きてるみたいだし」

「おい悟、みたいって何だみたいって。俺ここに現在進行形で存在してるんだけど?」

「……まぁそんなわけで大丈夫だよ」

「スルーかよ!」

 賑やかな二人の掛け合いに、鈴音は笑みが漏れる。クスクスと笑っていると、西城と東間もやや間があってから顔をほころばせた。

「それで、術の事だったよな。術っつーのは普通五行と霊力を練り合わせんだけど……さっきのは単に五行をぶっ放しただけだぜ」

「……はい、はーい。ごぎょうってなに? あとれいりょくって?」

 分からない単語の乱立具合に嫌気の差した鈴音は半ば適当に手を挙げる。流石にこうも専門用語ばかり出されると親切心の欠片も感じられない。

「え、えーと五行ってのはな、霊力ってのはな……。だぁぁああぁ無理だギブ! 悟、爽、啓、代われ!」

「うっわ類たまにはイイとこ見せてよ」

 東間に辛辣に言われるものの西城は「無理なモンは無理だ!」と開き直る。南、北海、東間は呆れたように溜め息を吐きそれぞれ鈴音に視線を寄越す。

「……五行ってのはちょっと難しいけど、一言でいえば中国の自然哲学の思想なんだ」

「全てのものは火、土、金、水、木の五つから形成され、互いに影響を与え循環する……そういう考え方のことを、五行思想っていったりする」

「ちょ、ちょっと待って。整理させて」

 いきなり思想やら哲学やら、小難しい単語が飛び交い戸惑いを覚える。

 要するに、モノは全て火、土、金、水、木のどれかで出来ているという事らしい。

 現代社会の科学から考えれば随分アバウトな枠組みだとも思えるが、鈴音はそれ以上考えるのはやめておいた。

「それでね、五行にはそれぞれ司るものがあり、互いの関係として“相生”“相克”“比和”“相乗”“相侮”ってのがあるんだ」

 そこで、ふと鈴音は気づく。相乗という言葉は歌の歌詞の中にあった記憶がある。それ以外は全く聞いたこともないのでお手上げだが。

 ――もしかしたら、今までに全く関係ない言葉ばかりじゃない、のかも……?

 今こうして鈴音が話を聞いている間も、世界は廻っていて、誰かが生まれては死んでいるのだ。もしかしたら、この非現実は案外日常に隠れているだけなのかもしれない。

 ――そっか。全部が全部、変わるわけじゃないんだよね。

 鈴音が視線を北海に向けると、ばっちりと目が合う。その深い碧眼には愁いが見え隠れする。

「あ、その……説明、お願いします」

「うん。でね、相生(そうしょう)っていうのは、順に相手を生み出していくことを言うんだ」

 北海の言葉に、西城が先ほど唱えていた言葉と似たような事を口ずさみ始めた。

「木は燃えて火を生み、火は灰として土に還し、土は金を生む。金は凝結により水を生み、水は木を育む」

 万物はそれぞれを生み出し、巡りを続ける。

「ま、日常的に水が木を育てるって事は当たり前だろ。五行もよくよく考えれば、そんな難しいことじゃないんだ」

 理解しかねる鈴音に、西城は豪快に笑ってみせる。きっと気遣ってくれているのだろう、その声音はとても優しい。

 すると西城の隣で東間が「今更挽回するんだ。へー……。類、マイナス三点」と呟いた。

「って三点って微妙だな!」

 すかさず西城がツッコムが東間はどこ吹く風で「じゃ、説明再開するよ」と鈴音に向き直る。

「全く……じゃぁ、次は相克(そうこく)だね」

「相克ってのは相生の逆の関係でな。相克は相手を打ち滅ぼす関係なんだぜ……って、のわぁ!!!?」

「……で、木は土を痩せさせ、土は水をせきとめ濁す。水は火を消し、火は金属を溶かす。金は形を変え刃物として木を傷付ける。これが相克」

 いつの間にか西城の上に圧し掛かっていた東間がゆったりとした口調で続ける。視線は鈴音へと向いているが、下にいる西城を容赦なく苛めている。

「……お前ら、うるさいぞ」

「ちょ、じゃーこいつどうにかしてくれっ!!」

「……はぁ。なんか説明が脱線してるんだけどなぁ」

 南の諌めも聞かず、未だ二人はじゃれ合っており、それに北海が溜め息を吐く。疲れたと言ってもすぐ元気になるのは若さ故の特権だ。

 ――なんか、仲良しだなぁ。

 鈴音は思わず苦笑いを浮かべる。

 眉目秀麗。それで女子生徒に騒がれ続ける彼らは、普通の高校生とは違っているのかと想っていた。

 けれど、そうではない。確かに五獣という不可解な役目と、一癖ある性格を持っているが、それでも彼らも普通に男子高校生なのだ。その事に今更気づいた自分が、目の前で笑う彼らが、妙におかしくて鈴音は笑い声を上げてしまう。

「……えーっと?」

 突然鈴音が笑い声を上げたものだから、四人は一斉に視線を向けてきた。目尻の涙を拭いながら鈴音は口を開く。

「なんか、面白いね」

 単純に想ったことを口に出しただけなのだが、呆然と見つめたまま微動だにしない彼ら。

「……いや、俺らとしては君の方が格段に面白いと想うけどな」

「うん……。なんか、不思議」

「……はぁ」

「いいんじゃない? こんな子も」

 口をぽかんと開けた西城に、眉根を下げて首を傾げている東間。それに口角を僅かに上げて溜め息を吐く南と、再びにこにこと笑う北海。

 ほんの少し、胸の奥がざわつく。

 求めるような、懐かしむような、愛しいような。そんな感情が浮かんでは消えていく。前世や魂なんてものは未だに信じられないけれど、彼らと不思議な縁があるという事は、今は少し信じられる。

 鈴音が柔らかく笑っていると、北海が右手を差し出してきた。驚いて彼の顔と手を交互に見つめると、「まだ説明の途中だけど、決めて欲しいんだ。僕達には、絶対に君が必要だから」と選択を迫られる。

 けれど先ほどのような圧迫感はないし、鈴音も嫌悪感を抱かない。まだ彼らに馴染めたわけでも信用できているわけでもないが、それでも。

「……まだ、よくは分からないけど」

 鈴音は北海の手を握り返す。鈴音は知らないけれど、心の奥は何かを知っているのだ。彼らの事も、五獣の事も、何より全の姫のことを。

「ありがとう」

 はにかむように笑った北海に、鈴音は思わず見惚れてしまった。唯の言っていた「天使の笑顔」の異名と威力は、伊達じゃあないな、と実感してしまう。

「うっわ爽だけなんかイイ雰囲気作ってやがんのー。ずっりー」

「類ってほんと空気読めないよねー。今のイイ感じの空気返してほしいよ」

「……頼む、お前らほんっと黙れ」

 南ががっくりと肩を落とす。鈴音は思わず「お疲れ様」と小さく声をかけてしまう。言ってすぐに後悔したけれど、南が「あぁ」ときちんと返事をしてくれた。何だかそんな小さな事が嬉しい。

 鈴音が笑っていると、西城が東間と肩を組みながらこちらにやってきた。東間は北海の肩を組むと、顎でしゃくって南にも混じるように指示する。顔を顰めた南だったが、北海が有無を言わせず肩に手を置くとそのまま黙って肩を組んだ。

 鈴音は訳が分からず、疑問符を浮かべながら忙しなく四人の顔を見つめる。すると西城と南に肩を組まれ、そのまま円陣の形になった。西城がにっと笑う。

「それじゃ、改めて! 新生徒会の発足だ!」

「鈴音、宜しくね」

「おい爽、またちゃっかりかよ!!」

「類、耳元で騒がないで」

「……はぁ」

 円陣を組みながら隣でぎゃいぎゃいと騒ぐ西城だが、鈴音は何だか楽しくて仕方ない。なんというか、見ていて飽きないのだ。

「ていうか、類。ここは啓にしっかり締めてもらうのが筋じゃないの?」

 東間がざっくりとそう言うと、西城は「うっ! た、確かに……」と顔を青くした。全員の視線が南に集まり、彼は小さく咳払いする。

「……それじゃ、これから一年宜しく頼むぞ」

「おぉ――!」

 気合を入れて、互いの肩を叩きあう。鈴音も一緒に声を出し、前に右足を踏み込んだ。

 ――なんか、男の子になったみたいだな。

 今まで中学の体育祭などで円陣を組んだ事はあるけれど、今のはそれとは全然違った。まるで自分も男になって、その輪の中に入っているような、そんな気分だ。

「よっし、それじゃ今日は解散だな!」

 円陣を解くと、西城が解放感に溢れた顔で大きく伸びをした。しかし、他の三人は違う。そして東間が西城のお尻に蹴りを入れた。

「類、寝言は寝て言いなよ。まだ仕事残ってるじゃん」

「げっ!」

「あ、それに鈴音にも仕事教えないとね」

「そうだな。……戻るか」

「ちょ、俺もう帰りてぇー!」

「……類、うるさい」

 西城は東間に引きずられて屋上の扉を跨ぐ。鈴音が四人の後ろ姿を眺めていると、前を歩いていた南と北海がこちらを振り返る。

「ほら、行くぞ」

 南に手を差し伸べられ、鈴音は我に返って駆け出した。

 何かが始まる予感を、胸に抱きながら。


 


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