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紅に散る―始原の岐路―  作者: 知佳
第四章
15/17

 ◇2

 麻衣はアクセルを踏み、鈴音達は学校へと向かう。ここから学校まではおよそ十五分。休日だが、恐らく学校には部活動の生徒が大勢いるはずだ。


 前に霊力のない人間は妖に触れる事もできないと言っていた。けれど、もし妖が何かしたらと思うと気が気ではない。

 それに、鈴音には美奈がいる。彼女は陸上部で、部活はほぼ毎日のようにある。きっと今日も練習しているはずだ。


 ――美奈ちゃん、無事でいて……!!


 鈴音は拳を握る力を強めた。

 それから十五分後。鈴音達は高校の校門前にいた。

 空には紫紺の不気味な雲が渦巻いている。濃密な妖気が、高校の敷地を全て覆い尽くしてしまっていた。


「物凄い妖気と穢れだな……」


 啓は口元を押さえながら低く呻く。鈴音もなんだか気分が悪い。あまりこの場には長居したくない気がする。


「これだけ穢れが充満してるのは危険だわ。早く生徒達を避難させないと」


 麻衣はそう言って足をグラウンドの方へと向けた。鈴音達もそれに続く。

 途中にある生徒用の駐輪場には、結構な数の自転車が止まっていた。きっと多くの生徒がこの穢れに晒されてしまっている。

 少しすると、グラウンドが見えてきた。こんな時ばかりは広い敷地を恨みたくなる。


「あっ!!」


 鈴音は思わず声を上げた。

 生徒達が、倒れているのだ。サッカー部や陸上部の生徒が大半で、その中に鈴音は見知った姿を見つけた。


「美奈ちゃん!!」

 

 グラウンドの入り口の近くで、彼女は倒れていた。鈴音が大声で呼ぶけれど、彼女はぴくりとも反応しない。鈴音は駆け出していた。


「美奈ちゃん!! しっかりして、美奈ちゃん!!」


 鈴音が体を揺すりながら呼びかけると、美奈は小さな呻き声を上げた。どうやら彼女は穢れにやられてしまったらしい。

 鈴音の中に焦りが生まれる。一体どうしたら。ふと、自分の手が震えている事に気づいた。

 腕の中には苦しむ美奈がいる。


「……美奈ちゃん。少し、待ってて。絶対、助けるから」


 ゆっくりと美奈を寝かせると、鈴音は力強く立ち上がった。

 五獣もその仕草に目を丸くしている。それはどうやら麻衣も同じらしい。


「この人数を移動させるのは無理ね。……こうなったら、穢れの根源を探して浄化するしかないわ」


 それでも麻衣は鈴音を後押しするように、道を示してくれる。

「あなたなら、きっと穢れの根源を感じられると思うわ」


 鈴音はそう言われ、目を閉じた。体の中に眠る全の姫を呼び覚ますようなイメージ。力が螺旋を描き集束していく。そして学校全てを頭の中で思い浮かべた。

 大教室。大学への道。グラウンド。一棟校舎から四棟校舎。全ての教室。テニスコート。プール。職員棟。そして、中庭。


 イメージが中庭にたどり着いた瞬間、鈴音の脳内が白んだ。稲光が迸り、突然頭に鮮明に景色が浮かび上がる。

 紫紺の禍々しい渦が、そこから生まれている。渦の中心は果てしなく黒だ。周りには無数の妖がいる。


 じりじりと、鈴音の中に恐怖が生まれてくる。もし、と最悪の状況を考えてしまった瞬間、景色は一瞬にして霧散した。

 鈴音は目を開ける。


「……分かったか?」


 啓の問いに、鈴音は小さく頷く。鈴音が口篭りながら場所と見えた光景を告げれば、五獣は踵を返して歩き出してしまった。

 鈴音が顔を上げると、彼らは一様に振り返って「ほら、行くぞ」と手を差し伸べてくれた。

 

「大丈夫だって鈴音! 今度はちゃんと守ってやっから!!」

「類ってば、足引っ張らなんないでね」

「うっせーぞお前ら。気ぃ抜いたら後でシメるぞ」

「あははは、啓ってばほんと鬼だなぁ」


 鈴音が四人の背中を呆然と見つめていると、ふいに肩を叩かれる。


「大丈夫よ。彼らも、あなたと同じ気持ちなのね。それにほら、あなたさっき言ったじゃない。“頑張る”って」


 悪戯っぽく笑う麻衣に、鈴音も笑顔を返した。美奈を助けるためにも、今は勇気で困難を乗り越えるしかない。


 鈴音は中庭に向かって歩き出した。

 先ほどは気づかなかったが、中庭に近づくにつれ、穢れの濃度が濃くなっている気がする。前を歩いている五獣たちも、どことなく辛そうだ。


 木々の隙間からは、黒に近い紫の穢れが流れ出している。

 中に入ると、外とは比べ物にならないぐらいの強烈な穢れが充満していた。


「こりゃ、すげぇってもんじゃねーな」


 類の乾いた笑いが響く。

 目の前には、それはもう、夥しい数の妖たちが蠢いている。さすがにこれは手に負えない。

 啓たちが暫し立ち尽くしていると、麻衣が一歩前に出た。



「理事長!?」


 鈴音が目を丸くする。麻衣の右手には、一体どこから出したのか、日本刀らしきものが握られていた。俗に言う打刀というものだろう。

 麻衣は霊力を練りながら、一歩ずつ妖に近づいていく。


「この妖は私が面倒みるわ。穢れ本体は、あなた達が叩きなさい」

「で、でも理事長一人じゃ危険です!!」


 鈴音が麻衣を止めようとすると、突然目の前に金と銀の尻尾が現れた。


「大丈夫、一人じゃないわ」


 瞬間、金と銀が輪郭を明確にしていく。次第にそれらは狐の形になり――麻衣の隣を歩き出す。


「行くわよ、金、銀」


 麻衣は刀を一薙ぎした。霊力が一気に爆発し、穢れの根源へと一気に道が開く。

 鈴音が呆気にとられていると、啓に腕を引っ張られた。鈴音達はそのまま一直線に走り出す。


「金、銀!! 彼らを援護して!」

 麻衣の命令で二匹の狐が、周りの妖たちを蹴散らしていく。

 五獣は走りながら霊力を練り始め、鈴音も慌てて八卦鏡を取り出す。聞きたい事は色々あるけれど、とにかく今は、目の前の穢れをどうにかしなければならない。

 穢れの根源まであと数メートル。五獣は言霊を上げ始めた。


「金より生まれ!」

「水となり」

「木は育み」

「火は灰に還る」


 五行が八卦鏡に集う。鈴音は自分の力を八卦鏡にぶつけ、そして一気に解き放つ。

 閃光が迸った。根源へと一直線に向かうそれは、眩く全てを照らし出す。一瞬視界が真っ白になる。

 鈴音はゆっくりと目を開く。先ほどよりも穢れの密度は低くなっているように感じる。


 しかし。


「……浄化しきれなかったか」


 目の前にはまだ暗黒の渦が逆巻いていた。先ほどよりも多少、渦は小さくなったがそれでもまだ、沢山の穢れを撒き散らしている。

 鈴音は辺りを見回す。穢れが少なくなったせいか、先ほどよりも妖の数も減っている気がする。

 金と銀の狐も、麻衣と共に戦ってくれているようだ。


「鈴音、どうする? このままだと全部は浄化できないよ」

「連続で……力をぶつけてみる。それに、全く効かなかったわけじゃないみたいだし」


 鈴音はそう言って八卦鏡を構えなおそうとし――啓に腕を引っ張られた。

 咄嗟の事で何が起きたのか分からない。ただ、強く啓に腕を掴まれている事だけはかろうじて理解できた。


「……隙があれば、どこからでも狙うってか」

「え……?」


 鈴音は顔を上げて、状況を確認した。今、鈴音達はぐるりと妖たちに囲まれてしまっている。

 妖たちは穢れの根源を阻むようにして、鈴音達の前に立ちはだかっている。


「やっべぇな。これ、もしかして死亡フラグじゃね?」

「類、うるさい。縁起悪い事言わないでくれる? あともしかしなくても、だよ」

「だよなー」


 類と悟は軽口を叩いているものの、その額にはうっすらと汗が浮かんでいる。

 絶体絶命だ。鈴音を守るようにして立っている啓の表情にも、余裕なんてものは欠片もない。


「全員、伏せなさい!!」


 次いで、麻衣の叫びが聞こえた。鈴音は啓に引っ張られながら地面に伏せた。

 ひゅん、と頭上を鋭い風が通り抜ける。そして、声にならない悲鳴が耳朶に響く。ボトボトと鈴音の目の前に、妖たちが転がってきた。


「っ!」


 すぐそばに、妖達の顔がある。

 恐怖を飲み込んで、鈴音は無理矢理自分の力をこじ開けた。浄化の光が全身から溢れ出す。すると、妖たちは次々と光に包まれ、粒子へと姿を変えていく。


「あれ……?」


 鈴音は自分の掌を見つめた。光が、収まらない。身の内から漏れ出す力は、鈴音の意思に反して際限なく零れていく。


「おい!?」


 異変に気づいたのか、啓が鈴音の肩を掴んだ。鈴音も瞠目しながら、自分の異変に頭を抱える。


「どうしよう! ……力が、止まってくれないの!!」


 光が漏れ出て行く度に、鈴音の体から次第に力がなくなっていく。なんだか視界も霞み始めた。啓たちの声が遠くに感じられる。

 その時、握っていた八卦鏡を誰かに奪われた。

 瞬間、光がぴたりと止む。

 鈴音の意識も少しずつ明瞭になってくる。


「鈴音、大丈夫?」


 はっきりした意識で、鈴音は爽を見やる。彼の手には八卦鏡が握られていた。心なしか、爽の表情も辛そうだ。


「多分、八卦鏡のせいだよ。これが君の力を増幅させたんだ」

「八卦鏡が? そんな……」


 確かに八卦鏡は吉作用を高めてくれる能力を持っている。けれど、今のは鈴音の意志に反する、いわば八卦鏡の“暴走”だ。

 ぶるり、と鳥肌が立つ。

 

「でも、お陰で妖たちは全部浄化できたわ」



 刀を握ったままの麻衣がこちらに近づいてくる。あれだけの数を相手取っていたというのに、麻衣には傷一つなかった。隣には二匹の狐が控えている。


「あとは、アレだけね」


 そう言って麻衣は視線を鈴音たちの後ろに向ける。そこには、先ほどより大分小さくなった穢れの渦がある。


「もう一息よ。……やれる?」


 鈴音は首を縦に振る。ゆっくりと立ち上がり、爽から八卦鏡を受け取る。根源の渦の中心を見つめれば、あの中に吸い込まれてしまいそうな錯覚を起こす。

 五獣は再び鈴音の五行を送り、鈴音は八卦鏡に力を溜める。


 鈴音の中に強烈な奔流となって、五行が螺旋を描きながら上昇してきた。

 頭の中に、声が響く。知らないはずの知識が流れ込み、彼女の口を動かす。


「理の列位において、ここに五行を奉る。生じ、壮んに、死す。これ全て三辰。玲瓏たる力よ、来たれ――!!」


 光が爆発した。八卦鏡からは今までよりも数段強い力が放たれ、それは全てを飲み込んだ。鈴音は一瞬、全ての感覚が消え去る。今自分は地面の上に立っているのだろうか。そんな恐怖感を感じたのは束の間で、気がつけば五獣に支えられていた。


 彼らの穏やかな表情を見てから、鈴音はゆっくりと首を前に動かす。

 穢れの根源は、すっかりその姿をなくしていた。まるで、今までそこに何も存在していなかったようだ。

 中庭に流れていた濃密な穢れも、全て浄化されている。


「終わった、の?」


 実感が沸かない。けれど、穢れや妖の気配はもう感じない。鈴音は自然と口元が緩んだ。


「あぁ、終わりだ。よくやった」


 くしゃくしゃと啓に頭を撫でられ、鈴音ははにかむ。ようやく一つ、全の姫らしい事が出来た気がする。

 冷静になった鈴音は、改めて麻衣に向き直った。彼女の隣にいる二匹の狐に、自然と釘付けになる。

 すると麻衣は鈴音が言わんとしている事が分かったらしい。


「あぁ、この子たちね。この子たちは金狐(きんこ)銀狐(ぎんこ)と言うの。私の式よ」

「式? 式って何ですか?」

「……うーん、なんと言ったら良いのかしらね。式は妖なんだけれど、契約で主従関係を持つと、“式”という名称になるの。まぁ、使い魔なんて言ったりするけどね」



 どことなく困ったように麻衣は笑った。

 それにしても、一時間ほど前に爽から人に味方してくれる妖もいると聞いたばかりだが、まさかこんな身近にそれを活用している人がいるとは思わなかった。


 鈴音はまじまじと二匹の狐を見つめた。なんだか図鑑や本で見た事のある狐そのままだ。とても妖とは思えない。

 すると、突然金狐の方が「そんなに見られたら穴が開いてしまうであろうが、小娘」としゃべり出した。


「ええぇえぇぇ!?」


 鈴音はびっくりして、素っ頓狂な声を上げる。五獣たちも目を丸くしている。類に至っては「ちょ、マジでか!? もっかい、もっかいしゃべって!!」と大興奮だ。

 しかし金狐はそっぽを向いてしまい、銀狐は麻衣に擦り寄ってこちらに目もくれない。


「あはははは……。この子たちは、なんていうか人見知りなのよね」


 麻衣がそう言って金狐の頭を撫でてやると、「余計な事を言うでない」と言って一瞬で消えてしまった。

 すると銀狐も、ぽん、という可愛らしい音を立てて消えてしまう。


「なんかあたし、嫌われちゃった?」


 鈴音はがっくりとうな垂れる。折角あんなモフモフの毛並みが目の前にいたのだ。鈴音は正直、触りたくて仕方がなかった。

 けれどまさか、あんな風に無愛想に言われてしまうとは思わなかった。それどころか、まず喋れるという事実に驚きを隠せない。


「嫌ってはないと思うけど……。もう、あの子たちったら」


 麻衣は腕を組んで溜息を吐く。いつの間にか、彼女の手から刀は消えている。


「とにかく、これで一件落着だな」

「おっしゃ! グラウンドの連中も、無事か確認しねぇとな!!」

「そうだね。多分、皆戸惑っているだろうし」

「……戻ろう」


 五獣は踵を返し、中庭の出口に向けて歩き出した。

 鈴音もそれに続こうとし、何か嫌な予感を感じて足を止める。

 生温い風が頬を撫で、通り過ぎていった。




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