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紅に散る―始原の岐路―  作者: 知佳
第三章
10/17

 鈴音は上の空でホッチキスで資料をまとめていた。昨日のメイの事といい、自分が全の姫だと分かってから目まぐるしい変化が起こっている。

 ――それに、順応しちゃってる自分がおかしいよ。

 変化は次々と起こっているのに、それにどんどん馴染んでいく自分がいる。

 けれど、未だに心の大半を占めているのは、「何故自分なんだろう」という気持ちだ。

 メイが鈴音を認めない気持ちも、分からないでもない。何せ、突然現れて「全の姫です」なんて言われても納得できないだろう。

 啓や水穂達があまりにもすんなりと鈴音の事を全の姫扱いしている事の方が、きっと普通じゃない。

 ――って、啓達を否定してるわけじゃないんだけど。うーん、でもほんと……。

 なんであたしなんだろう。 

 鈴音が溜め息を吐くと、こつんと頭に何かが当たった。驚いて視線を上にすれば、眉間に皺を寄せた啓が立っていた。しかもその右手には、ノートが握られている。

「……溜め息吐くと、幸せ逃げるぞ」

「そんな事ないもん。啓こそ、眉間に皺ばーっかり寄せてると、その内ナマハゲになっちゃうよ!!」

「……は?」

「ぷっ。あはははははは!!」

「な、ナマハゲ……!! 啓がナマハゲ……!!」

「ひぃー、腹がぁあ! ははははははは!! ケッサクだなそりゃ!! ナマハけい!!」

「……類、それはつまんない」

「ってオイ!」

 笑っていたのに真顔に戻った悟に、類はすかさずツッコミを入れる。いつみてもよく出来たコントだ。実は二人でひっそりと練習でもしているんじゃないかと、密かに鈴音は思っている。

 散々笑われた啓は「ほぅ、そんなに仕事を増やされたいか? ……類」と怒りのオーラを全身から放出している。しかも笑ったのは爽と悟もなのに、一人だけ名指しされた類は見るからに焦っていた。

「……それにしても、鈴音って本当に時々訳分からないよね」

 爽が笑いを収めながらそう言えば、隣で悟も深々と頷いている。

 「そうかなぁ? すっごい普通だと思うけど?」

 鈴音が新しい資料に手を伸ばしながらそう言えば、爽と悟は互いに顔を見合わせて何か言っている。鈴音はまたぼんやりとしながら作業をしていたが、暫くして、突然周りの空気が変化した。

 何か、得体の知れない物体が現れたような、そんな不気味さを孕んでいる。鈴音が窓の外に視線を向ければ、啓が椅子から立ち上がった。次いで悟や類、爽も緊迫した表情で椅子から立ち上がる。

「ど、どうしたの?」

 鈴音も半ば予想は出来ているが、あえて尋ねてみた。

 すると啓が苛立たしげに小さく舌打ちし、「妖だ」と廊下に飛び出していった。鈴音も慌てて立ち上がり、他の三人と共に啓の後を追う。啓は元陸上部なだけあって、本当に足が速い。

 他の三人も勿論鈴音よりは断然早いのだが、啓の足は群を抜いている。ふと、鈴音は「瞬足」という子供向けスニーカーを思い出した。

 ――って、今はそんな事考えてる場合じゃない!!

 鈴音は置いていかれないように必死で足を動かす。

 啓が向かっているのはどうやら昇降口ではないらしく、生徒会室のすぐ近くにある階段を下りて一階に行くと、斜め右向かいにある渡り廊下に向かっていった。

 渡り廊下の真ん中からは校舎の前方にある中庭が覗ける。そこで啓は立ち止まり、何かを伺うようにしていた。

 鈴音たちも追いつくと、辺りを伺うように気を引き締める。妖の気配は近くなったり遠くなったりしている。

「あっ!! あそこ!」

 鈴音が一棟校舎と二棟校舎の間の上空を指差す。そこには黒い塊に尻尾が生えたような生物が、ふわふわと浮遊していた。

「あれも妖なの?」

「うん。この間みたいな妖は特別だよ。……あんな人間に近い妖は、逆に珍しい方だ」

 爽は妖から目を離す事なく、ぎゅっと表情を引きつらせる。やはり爽達にとっても妖との対峙は一大事なのだ。

「……啓、今あれ持ってる?」

「……あぁ、一応。ただ、三枚しかない」

 啓はポケットから札を取り出し、その一枚を爽に渡す。鈴音が最初に全の姫だと告げられた日に、穢れにぶつけた札と同じものだった。

「おいおい、ここは五行ぶっ放した方がいいんじゃねぇのか?」

 類が珍しく眉間に皺を寄せて言うと、悟が「五行は術の為に残しておいた方がいいでしょ」と冷たくあしらう。

 鈴音が呆然としていると、啓が視線を投げかけてきた。その目には必死さが見え隠れしている。

「俺が札を投げたら、すぐあの妖に向かって八卦鏡を翳せ。いいな?」

「う、うん。やってみる!」

 鈴音は首からぶら下げていた八卦鏡を制服の中から取り出すと、自分が手汗を掻いている事に気づく。ぎゅっと拳を作り、神経を集中させる。

「よし。……我が五行にて、諸諸の禍事罪穢有らむをば祓へ給ひ清め給へ!」

 啓は真っ直ぐに妖へと札を投げつけ、その瞬間鈴音はすかさず八卦鏡を妖に向けた。

 妖は突然の事で驚いたのか、奇声を発しながら猛スピードで宙を旋回しはじめる。札はきちんと妖に張り付いたが、動きが早すぎて八卦鏡で捉えることができない。

「くそっ! ……悟!」

「うん、分かった。木の気、火を強くする」

「彼の者を打ち払わん。火炎げ――」

 ドガァァアアアァン。

 啓が術を放とうとした瞬間、妖が突然轟音と共に消え去ってしまった。雷撃のような青白い光と共に、一瞬にして妖は気配ごと消え去ってしまったのだ。

 鈴音と五獣は唖然として宙を見つめるが、すぐに前方から地を踏み分ける音が聞こえてきた。視線をそちらへと向ければ、先日出会った黒髪の少女――冬月陽沙がいた。

「またお前か」

 啓が不機嫌そうに言えば、陽沙はそれを鼻で笑った。それから後ろには玲、時生、それから鈴音の知らない三人の男子生徒がいる。

「妖一匹もまともに仕留められないとは。……私の想像以上に、貴様らは弱いらしいな」

「てめぇ、喧嘩売ってんのか」

「そんな低俗な事、私はしない。ただ事実を言っているだけだ。他意はない」

 淡々と冷静に告げる陽沙に、啓は爆発寸前だ。冷静に見えて、啓は一度感情が昂ぶると中々収まりがつかない性分らしい。啓が陽沙を睨みつけていると、後ろから彼女を守るように一人の少年が前に出てきた。短い赤茶色の髪の毛から、強くて意志のはっきりとした瞳が覗いている。

「陽沙、あんまり挑発するような事言うなよ。……あんた達も、安い挑発にのってんじゃねーよ」

 少年は気だるげにそう言い、スラックスのポケットに手を突っ込む。陽沙は「邪魔だ。弥生、そこをどけ」と真面目な顔をしている。

「はぁ? おいおい。陽沙、お前喧嘩にしきたわけじゃないだろ。これ以上言うと余計ややこしく――」

「外野は黙ってろ!」

 見事に、陽沙と啓の言葉が重なった。弥生と呼ばれた少年は二人の声に目を丸くしている。啓と陽沙、二人から挟まれるようにして睨まれ、弥生は引きつった笑みを浮かべている。

「え、ちょ、なんで俺が悪者?」

「どんまい弥生!」

「弥生だからしょうがないよ!」

 すると玲たちと一緒にいた顔のよく似た少年たちが、ケタケタと笑い声を上げて親指を突きたてた。弥生はがっくりと肩を落としつつも、陽沙の肩に手を添えて引かせようとする。しかし、陽沙はその手を払いのけた。

「……全の姫に問おう。貴様、何がしたい?」

「え?」

 突然の質問に、鈴音は思わず反応できなかった。陽沙は真っ直ぐな目で、鈴音を見つめている。

「貴様の役目は何だ? 私は、私達の役目は……百鬼夜行の殲滅だ」

 百鬼夜行の、殲滅。自分と同い年の女の子が使う言葉にしては、あまりにも浮世離れし過ぎている。

 悪縷と温羅と対峙したときに、彼らが何らかの因縁で繋がっていることは感じ取っていた。それも、相当深い恨みつらみがある事も。

 鈴音はちらりと啓達に視線を向ける。彼らの瞳には、一様にして「こちらの目的を、教えてはいけない」という意味が含まれていた。鈴音はゆっくりと息を吸い込む。

「ごめん。陽沙……さん。あたし達のこと、あなた達には、教えられないよ」

 俯いてそう言えば、陽沙はじろりと鈴音の事を睨みつけてきた。不公平なのは分かっている。けれど、鈴音は言えない。まだ彼女が敵か味方かも分からないこの状況で、何もまだ知らない鈴音が、勝手に教える事など、できない。

「あたしからも、一つ、教えて? ……百鬼夜行と、あなた達は、どんな関係なの?」

「知ってどうする。貴様らに何が出来る」

 即答だった。鈴音はしゅんと肩を落とし、それからぱっと顔を上げて「そうだ! まだ自己紹介してなかった!」と真剣な表情で言った。

「……は?」

 鈴音以外の、その場にいた全員が声をそろえる。鈴音は満面の笑みで「おばあちゃんが、名前を知るだけで、情が沸くって言ってたから! 睨み合ってもしょうがないし、ね!」と胸を張った。

 啓は呆れ顔で、弥生も引きつった苦笑いを浮かべている。

 しかし。

「そ、そういえばそうだったな。私としたことが、失礼したな」

「ううん! あたしこそ言いだしっぺなのに名乗ってないし! 春日鈴音っていうんだー。宜しくね」

「……私は、冬月陽沙だ」

 女二人はちゃっかりと握手なんぞ交わしている。それを「おいおいおいおい!!」とそれぞれの従者が引き剥がした。

「よ、陽沙さん!? 正気ですか今の本当にあなたですか!?」

「ちょ、鈴音ってば急にどうしたの!?」

 玲と爽が、自分の主人を激しく揺さぶっている。陽沙は「私は正気だぞ! 第一、名乗らずしてはこれから色々と不便であろう!」と、鈴音は「えぇ!? なんで!? 自己紹介ぐらい良いでしょー! もしかしたらこれからこれから全員でプリとか撮っちゃうかもだよ!?」と真剣そのもので、言った。

 さすがにプリはねぇよ。と、その場にいる男性陣全員が思ったが、あえて口にはしない。

「それにな、鈴音。よく考えてみろよ。今って超シリアスな空気じゃん? 俺が言うのもなんだけど、空気読もうぜ?」

「ほんっと、類にだけは言われたくないよねー。あーあ、鈴音かわいそ」

「悟ッ! 話をややこしくすんじゃねぇ!」

 類が鈴音に諭すように言う隣で、悟が真顔で茶々を入れる。それに啓が怒鳴り、爽は鈴音がこれ以上何かしでかさないように押さえている。

 鈴音は頬を膨らましながら、

「い、今のあたしなりに場の雰囲気っちゅーものを和ませようとした結果でありましてなぁ! それに啓達だって、名前調べるぐらいなら聞いちゃえばいいじゃん!」

と、後半だけとてもまともで、しかも一番手っ取り早い方法を提案した。

 啓達は痛いところを突かれ「うっ」と顔を引きつらせている。

「それにもし陽沙を含めたあの中に“ジャンクモンキーズ”のファンがいたらどう責任をとってくれるのー!?」

「は? え? ジャンクモンキーズ?」

「あぁ、四人組の歌手でしょ。そんなのも知らないの、類だっさ~い」

「てめっ、悟……!!」

「お前らは話が脱線してる事に気づけぇ!!!!」

 啓の叫びに、鈴音たちははっと我に返る。肩で息をしながら啓は鈴音たち三人を睨んでいる。

「おい類お前ぇ、今なんの時間が言ってみろ!!」

「えぇ俺なのっ!? ……えーっと、放課後?」

「うっわいかにも“自分は馬鹿でーす”って言ってるようなもんだよ類。ちょっとは羞恥心もちなよー」

「悟、仏の顔も三度までって言葉知ってるか?」

「……ねぇ、あのぅ、だから、自己紹か――」

「お前らいいから黙れぇえぇえ!!」

「あっ、啓火山が噴火した」

「あははは……」

 爽は苦笑いを浮かべ、ちらりと視線を陽沙たちに動かした。完全に暴走して手に負えなくなっている彼らを、陽沙たちは唖然と見つめている。

「ごめんね、冬月さんたち。ちょっと待っててくれない?」

 爽がそう言うと、へらへらしながら鈴音が「えーっとね、陽沙。今仲良く喧嘩してるのが啓と、類と、悟。それで、この女の子みたいなのが爽」とさらりと勝手に自己紹介を済ます。

 すると陽沙が誇らしげに「ならば私も紹介しよう。こっちの赤いのが弥生だ。それから、後ろの双子が神無月と水無月。背が一番高いのが時生で、その隣にいる女子みたいな生物が玲だ」と、同じくさらりと勝手に自己紹介を済ました。

 女子呼ばわりされた爽と玲は、それぞれ不満げに冷え切った微笑みを浮かべている。しかもいつの間にか陽沙を呼び捨てにしているあたり、鈴音も抜け目がない。鈴音はにこにこしたまま啓達に視線を戻す。

「まっ、啓たちもそんな怒ってないでさ。ほら、そろそろ仕事に戻らないと水穂ちゃんたちに叱られるよ?」

 そう言えば、啓達はさっと口を閉ざして顔色を悪くしはじめた。鈴音はそれから陽沙を見て笑いかける。

「お互い、色々あるって事は分かったよ。謎はいっぱいだけどさ。今は、いがみ合うの、止めにしない?」

 陽沙は真剣な眼差しで一つ頷き、それから「ただ、私達は貴様らを認めたわけではないぞ」と呟く。

「うん。今はそれで十分だと思う」

 鈴音は淡く笑って、それから、自分の従者である五獣を振り仰ぐ。

「……あたしも、まだ自分の事もみんなの事も、ちゃんと分かってないから」

 その瞬間、啓達に引き締まった表情が戻る。鈴音と陽沙の長い髪が、風にさらわれた。二人は無言のまま暫し見つめあい、それから陽沙が踵を返して鈴音に背を向ける。中庭から出て行く陽沙たちの背中を見つめながら、鈴音は不思議な気持ちに満たされていた。

 それから鈴音たちは生徒会室に戻り、仕事を再開しようと席に着く。ここを出たときはいなかった水穂達が代わりに仕事を進めていてくれたしく、もう殆ど仕事はなかった。鈴音は使い終わったホッチキスを戸棚に仕舞う。

 その時、後ろから類が「でも、鈴音ってば急にどうしたんだよ」と声をかけてきた。

「んー、なにが?」

 鈴音が首を傾げれば、「さっきの自己紹介云々だよ」と類の隣でチョコを食べている悟が答える。

「えへへ……。なんか、知らないなら、こっちから教えた方が早いかなって。それにね、あたし思ったの。あたし自身が何も知らないから、ちょっとでも自分から知ろうって」

 はにかみながら鈴音が、そう告げると二人はその言葉が意外だったようで、目を丸くしている。

「それに……陽沙って子、どうしても、悪い人には見えないから。あ、あとね。同じ“姫”だなんて呼ばれてるけど、彼女の方が断然しっかりしてるから、ちょっとでも仲良くなって勉強できたらいいなって」

「……鈴音、そんな風に思ってたんだ」

 悟が呟くと、鈴音は慌てて胸の前で手を激しくバタつかせた。

「ご、ごめん。皆のこと、完全にスルーしちゃってて……!!」

 すると、類が腹を抱えて笑い出す。鈴音は困った顔で眉を下げている。

「あ、悪い悪い。馬鹿にしたとかじゃなくて、俺、今単純に鈴音の考えに感心しちゃったんだよ」

「へー、今のが感心した人の態度なんだ。へぇ?」

「う、うるせぇな悟はー。いいだろ。それに、面白かったんだしよ」

 類が少し照れたように唇を尖らせ、鈴音に親指を突きたてた。

「俺、そういう考え方好きだぜ。やっぱ、無駄に睨み合ってても仕方ねぇもんな!」

「類……」

 鈴音はその言葉にほっと胸を撫で下ろす。陽沙にどこか心惹かれたのは鈴音の勝手だ。それで彼らに迷惑をかけたり、嫌な気持ちにさせてしまうという事は、鈴音にとっても心苦しい事になる。

 だから、類に受け入れて貰えて、鈴音は素直に嬉しい。悟もチョコを口に含みながら「僕も、鈴音の考えが聞けてよかった」と笑ってくれた。

 鈴音は益々嬉しくなって、足取り軽やかに雑務をこなしていく。暫くすると、啓が「よし、今日はもう切り上げるか」と書類を整えながら言った。

「よっしゃ! 帰れるぜー」

 類は勇んで立ち上がると、電光石火の速さで帰りの支度を済ませてしまう。

「うっわぁ、殆ど仕事してなかった癖に……」

「悟だって似たようなもんだろー! あ、ちなみにお前今口の周りチョコだらけだから」

「えっ……!」

 悟は慌ててティッシュで口の周りを拭う。しかし、ティッシュにチョコはついていない。

「類……僕の事、からかったね?」

「たまにはなっ!」

「類のくせに、生意気……」

 悟は苛立ちを露にしながらも、自分の椅子や書類などを整理して、ファイルを戸棚にきちんと仕舞う。水穂達もそれぞれ仕事を切り上げると、ふぅと大きく息を吐き出す。

「あ、そうだ! 折角だからこれからみんなでミスドとかマックいかね!?」

 類が提案すると、啓と爽が顔を見合わせて「たまにはいいな」と、了承してくれる。しかし、一年生たちは苦い顔で「これから用事があるので、今日は失礼します」と頭を下げた。

「そっかー。水穂ちゃんたちこれないのかー」

 鈴音が残念そうに言うと、水穂は苦笑いを浮かる。

「先輩とは、また今度、二人で遊びましょ」

「うん。そうだねっ!」

 鈴音が大きく頷くと、水穂達は「それでは、お先に失礼します」と生徒会室を後にした。鈴音たちも戸締りを確認し、生徒会室を後にする。とりあえずはミスドもマックも駅前にあるので、駅を目指して鈴音たちは歩き出す。

 ここから駅までは大体五分ほどで着く。学校の目の前の大坂を少し下ったところに、鈴音たちの最寄り駅はあり、学園は非常に交通の便がいい。

「そういえばさ、鈴音ってジャンクモンキーズ好きなの?」

 学園の前にある大きな坂を下りながら、悟が首をかしげた。

「んーと、あたしっていうか唯ちゃんが好きなんだよね。でもあんましジャンモンのファンがいないみたいでさー。絶賛募集中って言ってたから」

「……唯って、松本さん?」

「うん、そうだよー」そう鈴音が言えば、悟はぽかんと口を開けたまま何かを思案するように目線を上げた。

 どうかしたのだろう、と鈴音が思った瞬間、悟は鈴音を挟んで向かい側にいる類にニヤニヤと笑いかけた。類は見事に顔を引きつらせている。

「ど、どうしたの?」

「気になる? 聞きたい? ……どうしようか、類?」

「あぁぁああぁもうニヤニヤしてこっち見るな!」

 ぷい、と顔を逸らしてしまった類。すると悟はわざと「ゴリラコブがー」と大きな声を出す。

「だぁぁぁあ!! ストップ! 止めろ!」

 その瞬間類が電光石火で悟の口を塞いだ。悟は塞がれた口をモゴモゴと動かす。しかし類が中々放してくれないからか、思い切り肘鉄を入れた。

「てぇっ!?」

「バカ。類の弱味を、僕が簡単に他人に教えるわけないじゃん。あ、でも類が喋っていいなら喋るけど?」

「求めてねぇよ! 絶対に喋るなよ!? ……うぐぐぐ。い、いてぇ、マジいてぇ。悟! お前自分が空手やってる事忘れたのか!?」

 類はなみだ目になりながら必死で訴える。しかし悟はどこ吹く風だ。ひらひらと手を振って鼻で笑っている。

「へー、悟って空手やってるんだ!」

 鈴音が感心の声を上げると、悟は少し照れ臭そうに小さく頷いた。

 それを見た類が再び騒ぎ出す。

「おい悟、なんで俺と鈴音でそんな扱いに差が出るんだ? 俺お前と幼馴染だよな? あれ、なんか涙出てきたぜ」

「ふーん、あっそう。あ、ちなみにここ往来の真ん中って事忘れないでね? 高校生にもなって肘鉄で泣くとかダサいから。鈴音、類はほっておいて行こうか」

「え、ちょ、悟!?」

 悟は意地の悪い笑みを浮かべると鈴音の手を掴んで、さっさと横断歩道を歩いて行ってしまう。

 鈴音は引っ張られながらちらりと後ろを振り返る。

 少し後ろを歩いていた啓と爽が、類に何かを言っており、類は青い顔で二人に謝っていた。

 鈴音は口元をほころばせる。

「悟と類って、仲良しさんなんだね」

「……は?」

 悟に目を丸くされてしまったけれど、鈴音は上機嫌のまま言葉を続けた。

「だって、あんな風にできるのって仲が良い証拠だよ。類もなんだかんだ言って悟には甘いし。悟も類の事、好きだから苛めたいみたい」

「……ちょ、ちょっと待って鈴音」

「ん?」

 鈴音は首を傾げる。悟は唸りながら頭を押さえている。突発的な頭痛か何かかと思った鈴音が「大丈夫?」と声をかけると、悟は引きつった顔を向けてきた。

「……鈴音、あのね。まぁ一万と二千歩譲って僕と類が仲良しだったとしよう。でも、最後の……好きだから苛めたいってのは誤解を招く表現だとは思わなかった?」

「全然思わなかった!」

「元気がよくて大変宜しい……わけないでしょ!」

「わぁ、悟ノリツッコミ上手ー!」

「……え、鈴音、ちょ、僕そのノリについていけないよ」

 悟は「あははは!」と無邪気に笑っている鈴音に、思わず肩を落とした。鈴音はそれから我に返り「ご、ごめん!」と慌てて悟に謝る。

「あたしったら、つい。ごめんね、悟。うん、さっきの誤解を招くような表現は今後控えます!」

「あ、うん。……ていうか、鈴音っていつもあんな感じなの?」

 鈴音は痛いところを突かれて思わず苦笑いを浮かべた。

「そう、だね。わりといつもさっきみたいな感じ。だから美奈ちゃんとか唯ちゃんにはよく天然アホって言われる」

「あー、確かにバカっていうかアホっぽいよね」

「ひ、ひどい!」

「冗談だよ、じょーだん」

 悟は笑って流すと、すぐ近くに見えてきた駅を指差した。それにつられて鈴音が視線を動かすと、「ミスドーナツ」と「マックドナルド」と書かれた看板が見えてくる。

「鈴音はどっちがいい?」

「んー、どっちでもいいかなぁ」

 二人でどちらにするか話していると、啓たちが追いついてきた。類は不貞腐れたような顔で悟の事を見つめている。

「なに、なんか文句でも?」

「……いや、まぁ文句は話せば長いから止めとくわ。とりあえず俺マックに一票な」

 類は苦笑いを浮かべて、悟の隣に並んだ。鈴音はそんな類の様子を見て、やっぱり優しいなぁ、と口元を緩める。啓と爽は始めからどちらでも良かったらしく、鈴音たちはマックに向けて歩き出す。

 駅の中に入り二階へと階段を上る。夕焼け色に染まっている駅構内は、家路へと向かう人々で少しずつ賑わいをみせていた。

 鈴音たちは適当に注文し、ポテトやジュース、ハンバーガーを受け取ってから席に着く。類は悟に咎められるのも気にせず、しっかりとセットメニューを頼んでいた。

「あれ、悟はアップルパイ頼んだんだ?」

 ふと目の前に座っている悟の手元を見ると、アップルパイが二つ置いてある。

「うん。鈴音は?」

「あたしはナゲットとコーラ。……もしかして悟って甘いもの好き? さっきもチョコ食べてたし」

「……あー、まー、好き、だね」

「甘党なんだ。あたしも甘いの好きだよー」

 鈴音が笑いながらコーラを口に含むと、悟の左隣にいる啓が「太るぞ」と呟いた。痛いところを突かれ、鈴音は咽そうになってしまう。慌ててストローを離し、啓の方を見やる。

「ちょ、啓なんか言った……?」

「いや別に。ただ甘いもんばっか食ってると太るぞ」

 啓はにやりと言ってポテトに手を伸ばした。鈴音はもっともな意見に口を尖らせながら、ナゲットを一つ口に放り込む。

 ――ていうか、まさか啓からそんな事言われるなんて思わなかったよ。

 もっと取っ付きにくくて、無愛想だと思っていた。正直、愛想はないのだがそれでもイメージとは少し違う。

 てっきり嫌われているのだとばかり思っていた鈴音は、啓の普通の友達としての扱いに戸惑いを覚えずにはいられない。普通に接してくれる事はありがたい。けれど、最初はどこか毛嫌いされているような気がしていた。

 ――そりゃ、初対面の人を守るだなんて誰だって嫌に決まってるし……。

 そこで鈴音は、先日出会ったメイという少女の事を思い出した。守人だと言っていたあの少女は、誰から見ても分かるほど鈴音に嫌悪感を抱いていた。

「……あ、そうだ」

 その時、携帯電話を弄っていた悟が、鈴音に赤外線の部分を向けてきた。

「折角だから交換しとこうよ。ほら、色々と便利でしょ」

「そうだな! 鈴音、俺とも交換しようぜ?」

「う、うん。いいよ」

 鈴音は自分のピンク色の携帯電話を取り出しつつ、女子生徒の大半を敵に回しているような気になってくる。

 赤外線部分を向け、お互いにアドレスを送受信する。悟と類が終わると爽。そして、渋々と言った様子の啓ともアドレスを交換した。

「よし、登録完了!」

 鈴音はアドレス帳に今しがた登録したばかりの四人のデータを確認する。

 すると、丁度誰かの携帯電話が振動した。見れば、啓が「俺だ」と携帯電話を開く。メールの内容を見ながら、彼の眉間に段々皺が寄っていく。

「どうしたの?」

 爽が怪訝そうな顔をしていると、啓は携帯電話を弄りながら口を開いた。

「理事長からの連絡だ。……来週の日曜日、八家の定例会が開かれるらしい。それに、俺たちも参加しろ、だとよ」

 八家の定例会。その単語を聞いた瞬間、爽達の雰囲気が急に張り詰めたものへと変化した。鈴音は意味こそ分からないものの、彼らの雰囲気から全の姫に関わることだという事は察する事ができた。

「……定例会って事は、先代達と正式に話し合いの場を持つって事だよね」

 爽がぽつりと零す。窓の外ではゆっくりと太陽が西に沈もうとしている。

「はぁ、なんでわざわざ自分のじいちゃんと堅苦しく話し合わなきゃいけねーんだか」

「……え?」

 類が心底面倒くさそうに吐き出した言葉に、鈴音はきょとんと目を丸くした。

 自分たちのじいちゃん、という事はつまり――。

「先代って、類のお祖父ちゃん?」

「あぁ。俺ん家だけじゃねーけどな。啓の家も爽の家も、悟の家だって、じいちゃんが先代だぜ」

「前に僕達の役目は世襲制だって言ったよね。だから、鈴音のお祖母さんが全の姫だったように、僕達の祖父も五獣だったんだ」

 すっかり忘れていた大事な事実に、鈴音は鈍器で殴られたような感覚になる。

「……とりあえず、詳細は後日直接説明するとの事だ」

 啓のその言葉に、鈴音は何かが大きく動き出した予感を、しっかりとその肌で感じていた。



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