惨劇前
約束の三十日目がやってきました。祝勝ムードは既に消え失せ、城にはピリピリとした空気が漂っています。
詳しい事情を知っているのは王様、お后様を始め、ごく限られた人達だけでしたが、その他の者どもにも、このたび城を訪れる者は我が国に害をなす好ましからざる人物だと、言い含めておきました。
王様は朝から落ち着かない様子でおりました。準備万端、用意を整えたといいましても、相手は恐ろしい魔法を使う人外の輩。本当に自分が立てた計画で仕留める事が出来るのか大変心配でした。そこへ作戦の指揮をとる親衛隊長が参ります。
若く逞しい親衛隊長は、密かにお姫様を慕っておりました。もちろん自分が姫様と結ばれようとは考えてもおりません。ただひたすらに姫様を守りたいという、一途な想いの人でした。
「王様、用意は全て整いました。あとは、きゃつがやって来るのを待つだけです」
隊長の顔にも、緊張の色が色濃く見えました。
「おう、そうか。いや、自分が発案した作戦とはいえ、なんとも不安で仕方がない。ワシら人間が思いついた作戦が、魔法使いなどという得体の知れない存在に通用するのだろうか」
自信家の王様も心配のご様子。
「なにをおっしゃいます。あやつのよこした手紙から王様がヒントを得、私と微に入り細に入り計画を立てたではありませんか。大丈夫です。絶対に大丈夫です」
親衛隊長は自分に言い聞かせるようにこたえました。
彼らの立てた作戦は次の通りです。
まず、お城より少し離れた森を切り開き、そこに急ごしらえの小さい神殿のような建物を造りました。魔法使いと姫様が一夜をともにする寝屋というわけです。訪れた魔法使いを城の中で一通りもてなしたあと、彼と姫様はその神殿へと向かいます。
姫様が体を清めるとしょうして建物内の清めの間へと入るのですが、彼女はそこに仕掛けてある抜け穴から脱出しします。二人が結ばれる事となっている寝室には既に身代わりの女奴隷がベッドに入って待っており、頃合いを見てカラスの魔法使いをそこへ向かわせます。
そして彼が床へはいった瞬間、女奴隷が合図の笛を鳴らすとカラクリが発動し、神殿の壁という壁が一斉に倒れ魔法使いを呑み込むのです。女奴隷も生きてはいられませんが、彼女の家族を奴隷の身分から解き放つと約束しておりますので、万に一つのしくじりもありません。
そこで魔法使いが押しつぶされて死ねばそれで良し、そうでない場合は、神殿の地下に潜んでいた500人の奴隷兵士達が一気呵成に飛びかかります。神殿の周りには先ほどのカラクリの一部として高い塀がせり出し、上空には網が張られます。魔法使いに逃げ場はありません。
もし彼が魔法を使い、兵士達を全て殺したとしても、彼の魔法が500人の命を奪った時点で尽きてしまう事は、魔法使い自身がよこした手紙でわかっています。そうなればもうしめたもの、壁の外側に控えていた更なる500人の兵士達が一斉になだれ込み、憎っくき魔法使いを八つ裂きにするという寸法です。
「ですから、王様。魔法使いを神殿の中心部である寝室に誘い込むのが最重要課題となります。気取られてはいけません。王様が不安な顔をしていれば、奴は作戦に気づくかもしれません。ここが正念場です。姫様のために是非、平常心をお保ちください」
親衛隊長が熱弁を振るいます。
「わかっておる、わかっておるわい。そうじゃな。ワシが動じておっては元も子もないの」
姫のため、それにもまして自分のプライドのために、王様は決意を新たにしました。
「姫の救出には、そなたが行ってくれるのだろうな。他の者では信用ならんぞ」
王様が隊長を見やります。
「もちろんですとも。私が命に代えてお救い致します」
自らの胸に手を当て、深く決心する親衛隊長。
「そうか、そうか。そなたの姫に対する気持ち、ワシも知らぬではない。しかし身分違いゆえ沿わせる事はできん。それでも姫のために命を懸けてくれるか」
「姫様と結ばれようなどとは滅相にもございません。私はそれほど身の程知らずではないつもりです。私は、ただただ、王様への忠義、姫様への忠義のためにのみ生きております」
親衛隊長の言葉に嘘はありませんでした。
「うむ、心強い言葉である。姫の安全はそなたに任せた」
王様の言葉が終わるか終わらないうちに、部屋の外へと伝令がやってきて報告をします。
「カラスの魔法使いが門前に現れました!」
「きたか……」
これから起こる戦いに、王様も隊長も武者震いを止める事が出来ませんでした。
「では、魔法使いを謁見の間へ通せ。決して無礼のないようにせよ」
二人は一瞬見つめあい、王様は魔法使いと対峙するため歩き出しました。王様が部屋から出ると、親衛隊長もどこかへと消えていきました。
お日様が傾きかけた頃、外門より通された魔法使いはたいそう丁寧な出迎えを受け、城の中へと進み入ります。その表情には姫との一夜に対する淫欲な期待がありありと見てとれました。
そんな表情を遠眼鏡で見ながら、深くため息をつく乙女が一人。お城の窓辺からコッソリのぞいていたお姫様です。
「あぁ、悪魔がやってきてしまった。私を汚しに恐ろしい悪魔が……」
企ての事を王様から聞いてはいましたが、心配で心配でなりません。姫様の胸の内はネバネバとしたドス黒いもので満たされ、今にも腐り落ちてしまいそうでした。
「姫様、大丈夫です、大丈夫です。王様や親衛隊長がきっとお守りしてくださいます。ですからどうか、お気をしっかりお持ちください。姫様がしっかりしなくては、せっかくの企ても成功いたしません」
年長の侍女が姫様を諭します。
「わかっています、わかっています。でも、私、不安で不安で……。もう、死んでしまいたい」
窓際の椅子にもたれながら、姫様はさめざめと泣きました。
「さぁ、姫様。お支度を急ぎましょう。お化粧をしっかり整えて、お召し物も予定のものにお気替えください。さぁ、早く早く。明日の今頃には、きっと何もかも解決しておりますよ」
侍女は姫様をせき立てます。姫様は溶け落ちそうな心をかろうじて保たせながら、数名の侍女に囲まれ身支度を整えました。
一方こちらは謁見の間。
玉座に腰を据える王様に、事情を知る数人の重臣や召使いたち。謁見の間はいつもより広く感じました。兵士が謁見の間の扉を開けると、何人かの召使いに付き添われた魔法使いが現れました。王様を始め、みな緊張しましたが、企てを悟られぬよう万全の注意を払います。
「おう、よく来た。魔法使いどの。体の具合が優れぬとの事であったが、どうかの?」
王様がにこやかに話しかけました。
「はい、もう体の調子は完全に戻りました。本日はお約束を果たしていただける事となり、大変ありがたく思います」
片膝をつき、かいがいしく挨拶をする黒いローブの男。
王様は怒りで燃え上がりそうな心を抑えながら、穏やかに続けます。
「うむ、約束は忘れておらんぞ。だがな、仮にも一国の姫との間のこと。まずは、晩餐を囲み談笑でもしながら過ごそうぞ」
「はい、ごずいのままに、王様。私とて礼儀はわきまえております。盛りのついた猫のように、がっつくものではありません」
ここまで来てトラブルがあっては大変と、魔法使いも下手にでます。
「そうか、ではいざまいらん。そなたのために、華やかな晩餐会を催そうではないか。誰か客人を大広間の方へ」
王様の仰せに従い、召使いの何人かが魔法使いを大広間へと案内します。
(ふぅ、何とか第一段階は成功じゃ。しかし、奴が使いによこした子供の事を聞かなくて良かった。その事が取りあえずの心配事であったが、無事にやり過ごせたようだの)
王様は窓からちらりと神殿の方をみて、それから自分も大広間の方へと向かいました。
魔法使いのための晩餐会は盛大に行われました。きれいな食器に盛られた豪華な食事に、珍しい酒類。各地から呼び寄せた芸人たちによる素晴らしいショー。魔法使いは大いに満足しました。王様を始め他の人達も楽しそうです。もちろん、心の中は怒りに燃えたぎっていましたが。
「そういえば、先ほどから姫様のお姿が見えませんが」
上機嫌の魔法使いが尋ねます。
「魔法使いどの。そこは察していただきたい。王命により今夜の事は姫にきつく申し伝えておる。しかし姫はまだ17歳の生娘じゃ。恥じらい、この場へ来られぬ事は無理からぬ」
王様は慎重に答えます。
「おぉ、そうでした。私とした事が、ついはしたないことを。酒のせいですかな、お恥ずかしい」
魔法使いがすんなり納得したので、みな胸をほっとなで下ろしました。
月が顔を出してしばらくした後、盛大な宴は終わりを告げ、王様と何人かを残し他の者達は早々に広間を去りました。
「さぁ、魔法使いどの。約束を果たす時が来たようじゃ。誰か!姫を呼んで参れ」
王様の命により、執事が走ります。程なく、見事なまでに着飾った姫様が大広間へ現れました。
「な、なんと美しい。私の二百年の人生の中でも最高の美女間違いなしでございます」
程良く酔いが回った魔法使いが、嬉しげに微笑みます。
姫様は、それが恐ろしくて、おぞましくて、仕方ありませんでしたが、ぐっと我慢をして小さく会釈をしました。
「そなたに心おきなく過ごしてもらおうと、城の近くに神殿を模った寝屋を用意した。今からそこへ移動していただきたい」
王様が言うと、魔法使いは深々と頭を下げました。
「というと、もしかして森の方にある清楚な建物の事ですかな。いや、私ごときのために、そこまでしていただいて、本当に感謝の言葉もございません」
(そこが、お前の墓場となる)
王様は、はやる心を抑えながら、にこやかに頷きます。
そのあと魔法使いは王様に再度お礼を述べると、何人かの城の者、姫様、侍女たちとともに、神殿へと向かい歩き始めました。
姫様は道中、天を仰ぎ神様に事の成就を願います。しかし、これから起こる惨劇を知ってか知らずか、空の星たちは清楚な瞬きを繰り返すばかりでした。
《つづく》