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02

 一度来た異物は、元の世界に戻れない。理由は、単純に『その術がない』から。それに尽きる。

 それは異物の知識が乏しいアイリスでも知っていた。

 勿論、彼女たちはそのことを男に説明した。だけどその時の男の反応はあっさりしたもので、この世界のについての説明を二つ三つ聞いた後は、前述のどうでもいいような頭の悪い会話をトレニアと延々交わしていた。


『そっか。ならしょうがないね。そんなことよりこの料理凄い美味しいね。俺こんな料理初めて食べたよ。なんだろう、ソースがいい味だしてるよね』

『ふふふ、そうだろう、これは私の好物でな。ソースの良し悪しが決め手なんだ』


 こんな具合だ。

 生まれ育った場所に帰れない、それを『そんなこと』で済ましてしまう男は、アイリスにとって正しく別世界の人間そのものだった。感性が余りにも違いすぎる。

 それを言ったらすぐさまその話に乗るトレニアも大概なのだが、彼女の『そういうところ』はアイリスも承知のことだったので、特に疑問には思わなかった。



 事の顛末は。

 そもそも、今アイリスが居る場所は、故郷のエーロシル王国ではない。

 工業国、マシーネ王国。そこの食事処に彼らは居るのだ。

 トレニア、アイリスは騎士だ。だけどそれは、別に戦うことだけが仕事ではない。他国に赴くことだって、仕事のひとつである。つまり、彼女たちは仕事で此処に居るのだ。

 と言っても、アイリスは今回の仕事について内容を知らない。

 本来それはトレニアだけで済む簡単なお使いの様なものらしく、それ以外の情報は分からなかった。


 そんな中、アイリスがマシーネを訪れたのは、トレニアが誘ったからだ。曰く、道中の話し相手が欲しい、とのこと。


 アイリスは二つ返事で承諾した。今は然したる仕事がなく暇であったし、なにより、工業国であるマシーネの『剣』が欲しかったからである。

 今アイリスが使っている剣も、別段悪いものではない。しかし、マシーネの剣はまた別格なのだ。

 エーロシルにはない技術を用いて作るそれは、正しく一流。その剣自体はエーロシルにも流通はしているが、如何せん値段が高い。貴族でありまた騎士であるアイリスであったが、そうそう無駄遣いは出来ないのだ。実家におねだりすれば、楽に手に入るだろうが、そんなことはアイリスの矜持が許さなかった。もう自分で日々の生活費を稼いでいるのだ。それなのに極々個人的な所用で実家にねだることは、彼女には出来ないのだ。

 だからして、アイリスはトレニアに同行することで、こうして剣を買い付けに来たのだった。

 加え、それ以外にも欲しいものがあるのだが、それはトレニアには話していない。

『それ』は誰にも知られてはいけないのだ。



 ともかく。

 その道中、エーロシルからマシーネに向かう途中で、とある森を通った。

 そこで、アイリスがたまたま倒れている男を見つけ、介抱し、事情を聞いて、マシーネに着き、そして今に至るのだ。


 ここ、マシーネには異物を研究している機関がある。

 それも、トレニアによるとその機関は至極真っ当なところだそうで、協力すればある程度の自由は確保出来るとのこと。

 元の世界に戻る術はない。そして、異邦人たる彼にはこの世界において繋がりはない。

 だからして、アイリス達からすれば、その機関に彼を紹介することしか出来ないのである。そもそも本来ならその様な義理さえはないのだ。彼と彼女たちは見ず知らずの他人だ。

 それをこうして食事さえ共にしているのは、彼女たち、特にアイリスの優しさなのだ。

 だから、男が「元の世界に帰れない」ことで自分たちに文句を言うのは筋違いだ、とは、アイリスは思わない。



 もっと悲しめばいいのに。もっと嘆けばいいのに。もっと自分を出せばいいのに。我慢する必要なんて、どこにもないのに。男は悪くないのだから、恨み言の一つくらい言っても罰は当たらないのに。


 男は元の世界に戻れないその悲壮を、自分たちに気を使って、笑顔で誤魔化しているのではないか、とアイリスは思ったのである。


 しかし、アイリスの思惑とは裏腹に、男はずっと笑っていた。

 少なくとも、アイリスはその表情に悲しみを見出すことは出来なかった。


「ごめんね」

「え?」

「この笑いは、まぁ癖みたいなものなんだ。気になったら、ごめん」

「そう言うことではなくて……!」


 思わず語尾に怒気が混じるアイリス。

 ヘラヘラ笑いが気に障ったのは本当だが、謝って欲しい訳ではなかった。

 ただ、本音を明かして欲しいだけで。

 それでも、男は笑っていた。

 笑って、限りなく落ちついた声で、男は言った。


「君は優しいね」

「……」

「君は多分、俺が気にしてない振りをして、こんなに笑っているんだ、とか考えていたのかもしれないけど、そんなことはないよ、本当に」

「……それは」

「ふふん、図星のようだな」

「隊長、少し黙っていてくれませんか?」

「ふぇぇぇ」


 子供っぽいうめき声を出したのはエーロシル王国の白騎士部隊二番隊隊長、トレニア・フルニエリがその人である。ちなみに25歳。いい大人である。

 私、隊長だよぉ、とかなんとか言っていじけるトレニアはスルーして、アイリスは男を真っ直ぐに見つめた。


「……家族は?」

「帰りを待つ家族もいないし、未練もない……仕事仲間やお客さんには、ちょっと悪いことしたかもね。突然いなくなっちゃったもんだから」

「そう、ですか……」



 くすんだ金色の襟足を弄りながら、事も無げにいう男に、アイリスはこれ以上の追求はしなかった。

 『帰りを待つ家族もいない』

 それは『自分の帰りを待つような家族』がいないのか、それとも『家族そのもの』がいないのか、どちらとも取れる表現であったが、どちらにせよ、アイリスはこの話はこれで終わりだと判断した。

 これ以上、プライベートな話をする必要はない。男とはただ偶然会っただけで、出自の特殊性故、少しの面倒を見ることにしたが、それもすぐ終わる。

 彼女たちがマシーネにある研究機関に男を連れて行き、そこで終わり。それだけの関係性。

 アイリスは何とも言えない気持ちになり、目の前にある木のコップに手を付けた。

 中に注がれているミルクがゆっくりと波を立てる。

 上品な仕草でそれを口にしたアイリスだったが、なんとなく、いつも飲んでいるミルクが、いつもとは違う味の様な気がした。


(……エーロシルのものではないから、ですかね)


 生まれ故郷のものではないから、味が違う様に感じる。

 アイリスはそう思うことにした。そう思うことしか、出来なかった。


 場にしんみりとした空気が流れる。

 発端は、言わずもがなアイリスが先にした質問の所為だ。

 そんな空気を感じ取ったアイリスは、居た堪れない気持ちになってしまう。




「そう言えば、お前は元の場所で何の仕事をしていたんだ?」



 そこで、いじけていたトレニアが男に向けてそう言った。

 その手には、いつのまにか木のコップが握られている。

 更に。赤いワインが並々と注げられている。

 ――まだ飲むのか、とアイリスは己の隊長の酒豪っぷりに戦々恐々としていると、話を振られた男が困った様に頬を掻いた。


「どう説明したらいいか分からないけど……」


 そう言いいながら、男はアイリスのコップが空になったことに目ざとく気づき、机に置かれていたミルクが入っている木の容器の取っ手を持ち、中身をアイリスのコップに注いだ。


「……ありがとうございます」


 そこまで気を使わなくていいのに、とまたしても思うアイリスだったが、それでも男に礼を言った。

 男はヘラヘラ笑いながら、空いている方の手を軽く振った。

 男は容器を丁寧に机に戻し、そして『うーん』と少し唸った後、口を開いた。



「女の子とおしゃべりして、お酒を開けたり注いだり飲んだりする飲ませたりする仕事、かな」


 まったく意味が分からない。アイリスはキョトンとした表情を浮かべる。

 少なくとも、エーロシルではない仕事だ。そもそも、それは仕事として成り立つものなのかさえ、アイリスには分からなかった。



「あと、時々踊る」


 ますます分からなかった。

 隊長なら何か知っているのではないか、とトレニアを見ると、彼女は男にワインを注げられていた。

 そして上機嫌でそれを飲み干していた。

 アイリスはため息を吐き、その風は手元にあるコップの中身を軽やかに揺らした。





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