01
アイリス・アスター・ステラホワイトは騎士である。
若干13歳の時にエーロシル王国の白騎士部隊に入隊し、今現在、齢15歳にして二番隊の副隊長まで登り詰めていた。これは、どちらかと言うと保守的な側面が強く、年功序列の気風があるエーロシル王国から考えると正に異例。それは様々な思惑が絡んだ人事であったのは間違いないが、彼女自身の人格や実力が認められたのもまた事実である。いずれ最年少騎士隊長として歴史に名を残すのも、そう遠い話ではないだろう。
アイリス・アスター・ステラホワイトは美しい淑女である。
名家であるステラホワイト家の次女である彼女は、幼少の頃から貴族たる身に相応しい教養を学んでおり、家名に恥じない立派な淑女に成長した。
ハニーブロンドの長髪は綺麗な直線を描き、日光に当たれば鮮やかに光を返す。ブラウンの瞳は丸く、大きく、そして何より、溢れる自信で輝いている。整った顔立ちに、目鼻立ちはくっきりとしていて。早い話美人だった。
――若干、少々、少し、そう、ほんの少しだけ、彼女は『同年代に比べて貧相な身体つき』をしているが……未だ15歳。そう、これからなのである。そもそも、剣の腕なら一流だし。身長とか気にしてないし。筋力は魔力でカバーするし。魔法らしい魔法は使えないけど、魔力精度は随一だ。無駄な脂肪は要らない。特に胸部周り等は剣舞の邪魔なのだ。畜生。
アイリス・アスター・ステラホワイトは武人である。
恵まれた才能と絶え間ぬ努力。この二つを持って、彼女は王国の中でも指折りの実力者であった。その剣は優美かつ繊細。流れるような剣舞は、見る人を魅了させ、そしてなにより強い。『エーロシルの剣姫』とは彼女のことであり、その美しい容姿に加え、小柄な四肢から繰り広げられる卓越した剣技を見た人々が、彼女をそう呼んだのだ。
アイリス・アスター・ステラホワイトは『誠実』を指針としている。
騎士に相応しく、名家に相応しく、淑女に相応しく、武人に相応しい、弱気を助け悪しきを挫く、そんな誇りある人間。未だそのような身になれたかは彼女には分からないし、まだ自信はない。しかし、常にそうあらんとはしている。日々之精進。そうやって、アイリスは一歩一歩、奢らず怠けず、日々を邁進していた。そうすれば、将来、思い描く理想的な人間に成れるのだ、成るのだ、と。
と言ってもだ。
アイリスとて一人の人間。特に、多感な年頃の少女で、乙女なのだ。
物事にある程度の選り好みはあるし、好きや嫌いだってある。
自らの個人的な感性で物事を批判することは稚拙である、とアイリスは思ってはいる。
が、それでも、どうしても彼女にはあってしまうのである。苦手なもの、もっと言えば『嫌いなもの』が。
それが、『中身のないおしゃべり』と『ヘラヘラした笑い』と『口が減らない男』である。他にもあるが、取りあえず対人関係においてはこの三つが『嫌い』だった。
中身のないおしゃべりは効率性を重視するアイリスにとって無駄でしかないし、ふざけたヘラヘラ笑いは真面目なアイリスの癪に障る。男は寡黙であるべし、とまでは言わないが、どっしりと落ち着いて構える様なそんな男が、アイリスの好みなのだ。よって、必要以上に口を開く男は願い下げなのだ。
アイリスの対面に座る目の前の男は、その三要素を見事に全部満たしていた。
彼女は胡乱げな瞳で、和やかに会話している『二人』をぼんやりと見た。
「いやー危うく死ぬとこだったよ。本当ヤバかった。自分がどう言う死に方をするなんて考えたこともなかったけど餓死は想像できなかったよ本当に。それにしてもアレだね。やっぱり人情ってあるもんだね。世の中捨てたもんじゃないってのが分かったよ。いやいや、本当に。あれ? もしかして君たちって女神?」
「ふふん、良く分かったな。そうだ、私は月の女神の化身だったらいいなと思っている騎士だ。ちなみにこいつは私の部下」
「え!? いやいやいや! ご冗談を! ええ!? 騎士!? うっそ全然見えない。だって俺君が美し過ぎてもう君の顔直視出来ないもの。うっわよく見るとすっげぇ肌キレイ……」
「ふふふふふん、そうだろう、そうだろう。ちなみに私はエーロシル王国の白騎士部隊、二番隊の隊長だ。まぁ自慢するわけではないけどな」
「えええええええ!? 隊長! すっごい! と、言うことはもうすごく強いんでしょう? うわー、美しくて強くて美しくて美しいなんてもうそれ反則ですよー」
「ふっははははは。もっと褒めろ」
「よっ! トレニアさんかっこいい! 青い髪の毛綺麗! 美人! 最高! ま、飲んで飲んで」
「ふはははははは、は、ごほっ、げほっげほげほげほっ」
「だ、大丈夫?」
「き、器官に酒が……」
中身がないどころか最早茶番にしか聞こえない頭の悪い会話に、アイリスはこめかみをギュッと指で押さえた。頭が痛かった。
自分の嫌いな要素をごっそりと詰め込んだ男の存在もそうだが、その男と楽しげに会話していて、一通り咽た後涙目になっているのが己の上司、白騎士部隊二番隊の隊長である、と言うことも、その頭痛に拍車を掛けていた。
ちらり、と横に座っている己の上司を見るアイリス。げほんげほん、と間抜けに咽ていた上司は、視線に気付いたのか、アイリスの方に目を向けた。
(……ここしかありません!)
これが最上の機会と言わんばかりに、アイコンタクトを送るアイリス。
思いの丈のありったけを目線に込める。
もうやめましょう。いつまで話しているんですか。早く寝ましょうよ。
アイリスと彼是三年の付き合いになる、白騎士部隊二番隊の隊長、トレニアは直属の部下のメッセージに気付いたらしく、彼女に向けてコクンと頷き、口を開く。
「トイレだったら外に出てだな……」
「あ、もういいです」
アイリスは絶望したりはしなかった。
世の中こんなもんである、と言うことは、年若い彼女でも知っている真理だからだ。
それに、隊長ことトレニアは、元来こんな人物なのだ。飄々としてると言うか、捉え所のないと言うか。
勿論上司として尊敬できる点を多々持っているが、こう言った状況の場合、トレニアがアイリスの希望通りに動いてくれることはないのである。
(隊長を頼った私が馬鹿だったと言うことですね)
アイリスは全てを己の責任にして、諦観することにした。アイリスとしては早く休みたかったのだが、上司を放って一人だけ先に寝床に行くのも気が引けた。
そもそも責任の所在を辿れば、アイリスが倒れていた男を介抱したことが切欠なのは間違いない。
だとしたら、やはり自分が悪いのだろう。結局のところ、そこに行き着くのだ。
ふと、視線を感じて前を見る。
すると、男が変わらずヘラヘラした笑いを浮かべながら、アイリスを見ていた。
年は20の前半もしくは半ばくらいだろうか、くすんだ色の金髪は耳をすっぽりと覆い隠しており、それどころか前髪も無駄に長い。ちょっと髪が角度を違えれば、前髪が瞳を隠してしまえるほど、それは長く伸ばされていた。
体型はスラリとした高身長であり、姿勢だって悪くない。黒い皮の様な、妙に光沢を放つ上着から捲れ見えている彼の手首は細く、しかし怪しい色気が出ている。
当初、男は「空腹で倒れていた」そうで、その頬は少し痩せこけていて、顔色もどこか不健康に青白かった。だけれども顔立ちは元々整っているのだろう、如何にも女受けしそうではあった。
男は『ショウ』と名乗った。そして、彼は『異物』だった。
異物。
この世界、『クレトレイア』において、『異物』とはたまに出でる『違う世界』の人物の通称である。
理由や因果は不明。だが稀に、こう言う事が起きるのだ。だから、異物。ここではない世界からの侵入者。
と言っても、アイリスは『異物』のことに対して殆ど知識はない。
それは存在が希少と言うのもあれば、居たら居たらで、すぐさま何らかの機関に『お持ち帰り』されてしまうからである。
理由は様々だ。件の『違う世界』は『クレトレイア』に比べ、文化の発展が著しい。それは住人の魔力の有無が原因だ。万能性質である魔力がない向こう側は、それを使わない純粋な技術の発展が過多なのである。
だから、研究者としては、その技術を知りたいのだろう。もしくは物にしたいのだろう。現に、その様な異物専門の研究機関は確かにある。
加え、異物が『クレトレイア』に来訪した際には、常識を超えた得体の知れない力が備わる……と言われている。
一説によると魔力を持たない違う世界の人間が、『クレトレイア』の大気に蔓延する『魔力素』に反応し異常能力を身につける、と言う話だが、真偽は定かではない。そもそも異物の絶対数が少ないので、前述の『常識を超えた得体の知れない力が備わる』と言うのも眉唾ものなのである。その様な能力を持った異物もきちんと確認されているのだが、持ってない異物も居る。よって、それが個人的な能力なのか、それとも異物全員に共通しているのか確証がないのである。
だけれども、それでも噂としてある以上、その力を求める者は後を絶たない。
魔物の被害に苦しむ国や街、村。もしくは戦争を企む国。絶大な力は最も人を惹きつける要因だ。何よりも先ず判り易い。だからこそ、力に群れる。
異物にはそんな力が秘められている……らしいが、アイリスは目の前の男を見て、とてもそうは思えなかった。異物と会ったのは初めてだったが、このヘラヘラした男にそんな力がある様には見えない。
「あの……」
「うん? 俺?」
しかし、それ以上に、アイリスは疑問に思っていたことがあった。相も変わらず軽薄な笑いを浮かべ続ける男に、アイリスの疑問は募る。だから、直情的に聞くことにした。
それは聞きにくいことでもあり、彼にとっても答えにくいことだろうとはアイリスも知っていたが、それでも気になるのだ。
気になったら聞く。疑問を持ったら答えを求めるその感性は彼女の長所であり、また短所でもあった。
「……ひとつ、聞いていいですか?」
「んん? なになに? なんでも聞いて」
男は僅かに身を乗り出し、笑顔を絶やさなかった。
それを見て、アイリスは逡巡しながらも、先ほどから気になっていたことをそのまま口にした。
「どうして、そんなに笑っていられるのですか?」
男は笑っている。アイリスは言葉を重ねる。
「元の世界に、帰れないのに」
それでも男は笑っていた。