UFOと始業式
朝起きると、家の庭にUFOが停まっていて、「キュイィン、キュイィン」という音とともに、私の隣の部屋で寝ている弟を攫って行った。私が「返して」と言うとUFOの窓から普通の人間が顔を出して、「土星の輪」とだけ言うと引っ込んで行ってしまった。飛び立とうとするUFOを走って追いかけようとするところで、頭をベッドの柱にぶつけて目が覚めた。私と弟の部屋の仕切りが風にあおられて「キイィ、キイィ」と音を立てている。なんだか蝉の声がいつもよりうるさい。
目が冴えてきたところで思い出した。今日は始業式だった。家族に挨拶をして、着替えやら朝食やらをすまして家を出た。門の前で咲が待っていた。
「良かった。9時半登校でいいんだよね」
咲はいつもと登校時間が違うときは決まって家の前で私を待っている。
「たぶんね」
私たちはどちらからともなく学校に向かって歩き出す。
「ねえ、うちらのクラスに白井さんっているじゃん?」
「ああ、遊ちゃん?」
「あれ、美月結構仲いいんだっけ」
「いや、あんまりしゃべったことないけど、どうしたの」
「その白井さんが、脚本を書いて演劇部に提供してるの知ってる?」
「うん、なんとなく」
「この前白井さんが提供して演劇部の大会で演じた脚本が、脚本賞に選ばれたんだよ」
「へえ、すごいねえ」
咲は私の顔を覗き込むようにして言った。
「あれ、あんまり興味ない感じ?」
「いや、すごいと思うよ。そういえば遊ちゃんっていつも本読んでるし、文芸部だっけ。入ってるもんね」
「そうそう。文芸部って普段何やってるんだろって感じだけどね」
咲が笑いながらこっちを見る。
「ねえ、なんか考え事してない?」
「え、別に」
「もしかして、宿題終わらなかったとか」
「あー、それは、あたり」
別に宿題のことを考えていたわけではないが、宿題が終わらなかったのは事実だ。というか、宿題にはほとんど手をつけていない。
「もう、だから夏休み中一緒にやろうって何回も言ったじゃん」
その後学校につくまでは、グループの女子4人で遊園地に行ったことや、暇があれば海に行ってやった色々なことの思い出などを話してそれなりに盛り上がった。
始業式で、遊ちゃんと演劇部が表彰されていた。校長先生の声は聞き取りづらかったが、全国大会がどうのと言っていた。私が思っていたよりずっとすごいものだったらしい。うちのクラスからはどよめきが起こっていた。
始業式が終わり教室に帰ると、案の定遊ちゃんはクラスの人たちに囲まれ、「全国大会すごいねー」とか、「脚本見せてよ」などと四方から声を浴びせられていた。遊ちゃんは明らかに戸惑っていて、小さな声で「今脚本持ってなくて……」とか答えている。私はデリカシーのないクラスメイト達にひとこと言ってやろうと席を立ちかけたが、その時教室のドアが開いて先生が入ってきたため、みんなはそそくさと自分の席に退散していった。
全員が席についたところで私は教室を見回してみたが、星数君がいない。そういえば今日一度も見なかった。先生は名簿を片手に教室を見回し、星数君のところで目をとめた。
「遠野休み?誰か連絡もらってる人いない?」
しかし誰も答えない。先生はため息をついて名簿に何か書き込んだ。
成績表や宿題を提出する(私は提出していない)などのイベントが終わった後、先生が夏休みの間のどうでもいい話をしている時に、星数君はすっと教室に入ってきた。あまりに静かだったため、ほとんどの生徒が気が付かない。
「遠野遅刻かー。生活リズム戻しな」
先生が星数君を見据えて言った。星数君はコクリと小さくうなずいて自分の席に着く。星数君のほうを振り返って見ていた生徒もすぐ興味がなさそうに視線を戻した。やはりこの子は地味だ。
ホームルームが終わって先生が出ていくと同時に、みんなざわざわと席を立ったり、帰りの支度を始めた。咲がこっちにやってくる。その奥で遊ちゃんが鞄を持って立ち上がるのが目に入った。なんとなく目で追っていると遊ちゃんは帰り支度をしている星数君のほうに歩いて行って、ためらいがちに話しかけた。
「遠野君、ちょっと」
星数君は驚いた様子もなく、どちらかというと何か思い出したような顔をして少し笑ったあと「ああ」とだけ答えて立ち上がった。そして遊ちゃんに付いて教室を出て行った。いつもならこの二人のやり取りに気付く人はあまりいないだろう。実際私もこの二人に関わりがあることを初めて知った。だけど今日はさっきまで遊ちゃんが話題の中心になっていたのだ。やはりたくさんの人が今のやり取りを見ていたらしい。「えー、なに今の」「もしかして、付き合ってんのかな」などという声があちこちから聞こえる。
「え、なになに、何があったの」
こっちに向かって歩いていた咲は見ていなかったらしい。
「さあねー。しかし星数君、意外とやるなあ」
「星数って、遠野君? 遠野君が何したの」
咲が詰め寄ってくる。しかし私は面白いので今日学校にいる間ずっと教えないことにした。
***
「えー、それって付き合ってんのかなあ」
帰り道、私は咲に星数君と遊ちゃんのさっきのことを教えてあげた。吹奏楽部の練習中も咲は何度も聞いてきたが、私は何も答えなかった。
「付き合ってるってほどラブラブって感じではなかったけど、遊ちゃん話しかけるときめっちゃ顔赤くなってたし、星数君もなんか話しかけられて嬉しそうだったよ」
「ほんとに? なんかいいなあ、あの二人。なんか微笑ましい」
咲は自分に関係ないのになんだか嬉しそうだ。
「てか、なんで美月は誰でも呼ぶとき下の名前な訳?遊ちゃんはまだしも、遠野君とは全く絡みないでしょ」
「まあいいじゃない。星数ってなかなかいい名前じゃん」
「よくわかんないなー美月は。あ、そういえば遠野君って、なぜか山辺君とも仲いいんだよね」
咲は思い出したように突然話題を変えた。山辺というのは、隣のD組の男子で、いわゆるお調子者といった感じのキャラで、学年中で知らない者はいないような有名人でもある。
「あの山辺?」
「そう、あの山辺君。遠野君とは中学同じらしいんだけど、それにしても全然キャラ違うから、気合うのかなー、て感じだよね。なんで仲いいんだろ」
「さあねー。てか咲って、しょっちゅう山辺の話するよね。私山辺とほぼ喋ったことないのに、咲のせいでやたら山辺に詳しくなっちゃったよ」
「え、そうかなあ。全然してないと思うけど」
咲は何の根拠もない否定をしたあと、黙り込んでしまった。今なにか全く違う話題を探しているんだろう。沈黙が続く。カナカナカナ……とヒグラシが鳴きはじめた。
「あ、そういえばさあ咲」私は話題を思い出して話しかけた。
「ん?」
「UFOって信じる?」
「え、なにいきなり」
「だから、UFOがいるって思う?」
「いや、なんでいきなりそんな話」
「話題がないから」
「えー……」
咲は明らかに困っている。まあいきなりこんな話をされたら誰でも困るだろう。でも、今日はUFOについてどう思ってるのかを、無性に誰かに聞いてみたかったのだ。
「でも、宇宙は広いし、いてもおかしくないんじゃないかな」
「じゃあ、地球に来ててもおかしくないと思う?」
「んー、まあ」
「あ、UFO!」私は咲の後ろの夕空を指さして言ってみた。
「嘘でしょ。さすがに騙されないよ」咲は振り返らない。
「地球に来ててもおかしくないと思うって言ったじゃん」
「いや、だからって今、私の後ろにいるって言われても信じないよ」
「そうだよねえ」
私は夕空とヒグラシの声、そして夏休みが終わってしまったこともあいまって、なんだかUFOがいないことが無性に悲しくなった。
「はあ……」
「へんなの」
咲は私のしょぼくれているであろう横顔を覗き込んでちょっと笑った。