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雲の姫  作者: 黒作@また休止だっ
はじまりの祭
44/46

41.蛇と楔

 蛇と楔


 わたしを呼ぶ声がする。

 なつかしい声、大好きな声、ずっとずっと一緒にいた声。

 父様よりも、母様よりも、兄様よりも、カリンよりも、きっと、一番わたしの名前を呼んでくれた、魔獣の姫。

――ユーラ! ユーラ!

 華姫? ああ。華姫!

 あなたに会いたい。わたし、わたしを見失いそうなの。

――情けないこと、言うなよ!

  もっと、ボクを想って。もっと、ボクの名前を呼んで!

 呼んだよ。呼んだんだよ。

 だけど、わたしとあなたの契約はにせものだから。



***



 カーテンのすきまから、やわらかな朝日が差し込み、夜が明けたことを知る。

 ウィヤンは、ベッドで眠るユーラを見つめていた。

 見つけてからずっと眠ったままだが、顔色は明らかに良くなった。静かすぎる寝姿に時折不安になりはするけども。椅子に逆向きに座り、背もたれに腕を乗せ、彼女を眺める。

 きっと僕は、今が一番幸せなんだろうな。

 ほんのわずか、ユーラが身じろぎをした。

 ゆっくりとまぶたを開き、彼女はまず、光の漏れる窓を見た。それから、逆。ウィヤンを見つける。

 目を見開き、体を起こす。おそれと落胆。

「おはようございます、ユーラ。……そんなに、いやそうな顔をしないでください」

 つい苦笑まじりになった。半ばひとりごとだった。

 だがユーラはまばたきをし、後ろめたそうに眉を下げた。それはウィヤンの予想にない表情。

「体の具合はいかがですか」

 問われて気づいたように、ユーラは自分の様子を見た。

「どうしてあんなところで倒れていたんですか。心臓が止まるかと思いましたよ」

 子供に問いかけるようになってしまった。咎める気などなかったが、咎めたい気持ちも少しあったのかもしれない。

 なぜ彼女がはあそこにひとりでいたのか。屋敷の誰かが手引きをした? ギギ以外にも、ユーラを不憫に思った者でもいたのか。答えはなく、彼女はうつむいている。

「怪我はありませんか。誓って、あなたにはなにもしていません。ここに運んだだけです」

「……どこも」

 声が聴けた。答えてくれたことが嬉しい。

「よかった……」

 神様はいるのかもしれない。あんな気まぐれのような善行で、僕に彼女を見つけさせてくれた。

「ずっと、あなたと、話したかった。あなたを知りたかった。僕のことを知ってほしかった」

 ユーラがうかがうようにこちらを見た。乾いて眠っていたものが、水を得たようにふくれだしていく。

「あなたは、やっぱり、こんなにも僕の心を惹く人だった」

「……この顔が、あなたの好みだったというだけで、よくもそれだけ喜べるものだわ」

「そんな、つらそうに言わないでください。やさしい人だ」

 つい口にすると、彼女はさっと顔を赤らめた。ぞくりとする。彼女は、僕の言葉にかき乱されてくれる。

「まさか、僕を傷つけることをためらっているんですか」

 顔をそむける。肯定だろうか。この人は、これほど美しいのに、それではまるで無垢で無知な少女。男と話したことがないのかと思うほど。

「あなたはきっと、傷つけようとして人を傷つけたことなんて、ないんでしょうね」

 青の隠し姫。どの社交の場にも姿を現さない。それは事実だったのかもしれない。子供じみた独占欲に心が浮き足立つ。

「不思議ですね。美姫と謳われた方なのに。男ひとり、振れないなんて」

 椅子から立ち上がる。すべての動作を、ゆっくりと緩慢にする。彼女をおびえさせないように。

「お願い、ウィヤン殿。近づかないで」

 それでも、拒絶の言葉はウィヤンをたやすく抉る。足を止め、ユーラの表情を見る。

「……そんな顔をするあなただから、僕はあきらめられない。あきらめる気など、最初からないんですけどね。今も、どうしたらあなたの心につけいることができるか、考えているんですよ」

「あなたにできることなんてなにもない」

「ユーラ。それでは僕を誘うだけなんです。もっと、ちゃんと」

 斬るなら、ちゃんと。殺すなら、最後まで。

 そうは言いながら、いずれにせよ変わらないなと自嘲した。隙があるのなら、取り入りたい。拒まれるなら傷つけたい。彼女の望みを自分が正しく叶えられるわけがない。

「申し訳ないと、多少は思っているんですよ。これでも」

 見えなければ、手の届かない月だったのに。

 自分の中の狂い火が揺らぐ。この気持ちを愛しさと呼んでいいものか。

 指先で銀の髪に触れる。

「やめて、来ないで」

 彼女の望みは叶わない。それなら、僕の望みは叶う?

「会いたかったんです、ユーラ」

 細い肩をつかむ。はっきりとユーラは怯えた。彼女を苦しめるだけの存在になることは、自分にとって確かに辛いことのはずなのに。

「会いたくて、会いたくて、気が狂いそうだった。いや、僕はもうとっくに狂っている」

 頭によぎるのは金の髪。 

「少女を殺しました」

「え……?」

「僕の妻になるはずでした」

――想いを寄せる方が、おありなのですか。

「妻となったら、いずれあの娘を愛したと思います。とても優しい笑顔をする子だった。凛としたまなざしをしていた。僕が夢に見るあなたに、少し似ていた」

 なぜと思うのに、何度考えても、自分は同じ選択をする。

「あの子を愛したら、あなたを忘れてしまう。忘れてしまえば楽だと、何度も思っていたはずなのに。なのに僕は、あなたへの想いを奪われると思った。彼女を憎んだ」

 ウィヤンは顔を伏せ、ユーラの肩に額を押しあてた。

「どうか」

 言葉は続かない。くちびるを白い喉へ寄せる。



***



 ウィヤン殿が、わたしの上で動いている。

 もともとわたしはベッドで半身を起こしただけだったから、彼が体重をかければ簡単にのしかかられる姿勢となった。

 この人は、なんて言った?

 少女を、殺した。

 あの子なの? あの子は、わたしのせいで殺されたの?

 かすれた声が、うかがうようにわたしの名を呼ぶ。

 薄く開けた目で、ウィヤン殿を見た。情けない顔。わたしよりもずっと、弱々しい。

「……なにを、考えているのですか?」

 抵抗しないわたしに、彼はそう聞いた。

「リルザ様のことを」

 ウィヤン殿の目に、わっと、熱さが蘇る。

「会いたいなって」

 言葉にしたら、涙が出た。

「……あの男は、もういません。死にました。僕が、殺した」

 何を言っているのか、理解できなかった。

 理解したくなかった、が正しいのか。

「あなたの夫は、もういない」

 憎々しげに、ウィヤン殿は吐き捨てた。

「うそ」

「あなたも見ていたでしょう。僕は、リルザイスに呪いをかけた。死に至る呪いを」

 すぐさま、蘇る。初めてウィヤン殿に会った夜、ウィヤン殿と握手するなり、激しく苦しみだしたリルザ様の姿。

「……どいて」

「信じないのですか? あなたが想う男など、もうこの世界にいないのだと」

「わたしの上からどきなさい!」

 右の手をきつく握り、ウィヤン殿の顎を揺らすようにたたきつけた。

「うっ……」

 召使いの女性を殴った時のような、ためらいはなかった。力任せに、憎しみをこめて振り切る。狙い通り、顎を揺らされた彼はふらふらと後方へ倒れこむ。

 ベッドから降りて、置いてあった水差しを叩き割った。大きな破片をつかむ。

「ユーラ、なにを……」

「あなたにも味わわせてあげようと思って」

 自分の髪をつかめるだけつかみ、水差しの破片を当てる。思ったより切れなくて、力任せに引きちぎっていたら、破片を持つ手が切れた。ぬるりと滑って、やりづらさに苛立つ。

「やめ、やめろっ!」

「近づかないで!」

 ウィヤン殿がこちらへ来ようとしたから、破片を自分へ向けた。

「あなたを惑わしたのは、この髪? それとも、顔? 目をつぶしてみせましょうか。そうしたら、百年の恋もさめるでしょう?」

「ユーラっ…・・・」

「彼を殺したというのなら、彼の遺体はどこ? 連れていって。今すぐに」

 信じない。この目で見るまでは、リルザ様が死んだなんて。

「嘘だ、リルザイスは生きている、だからその破片をおいて!」

「ころころと言うことを変えないで、信じられやしない」

「ザナクーハの屋敷に来たんだ! 昨日のことだ、リルザイスはまだこの地にいる」

「……なぜ? まだ、緑へ向かっていないの?」

「なぜって」

 ウィヤン殿は、不思議そうに目をしばたかせた。

 けれど、それが空白の時間だったことに先に気づいたのは彼だった。次の瞬間には、わたしの手をたたいて破片を落とし、腕をねじりあげる。

「そうそう、しっかり捕まえておかないと、すぐに死んでみせるわよ。舌を噛んでもいいんだし。今ならなんでもできそうなの、わたし」

「……落ち着いてください。そんなことをしたら、会話ができないじゃありませんか。交渉も、情報交換も、できない。でしょう?」

 わたしの右手から流れる血が、ウィヤン殿の手へと伝っていく。だいぶ深く切れたみたいだ。ウィヤン殿が、それを見ていた。

「……参りました。まさかあなたが、こうまで激する方だとは、思っていなかった」

「思いつめるタイプなの」

 真顔で返すわたしに、ウィヤン殿は目をまるくする。

「わたし、今日までで、ほとほと自分に愛想を尽かすことができたの。その点だけ、あなたに感謝するわ」

「愛想……ですか?」

「さあ、ウィヤン=ブルミッド。わたしをどうするの? 力では敵わないから、あなたの好きにできるでしょうけど、どうやらわたし、あなたの弱点を握っているみたいよ」

「あなた自身、ですか。確かにそれは、僕にはこの上なく有効ですね」

 腹立たしいことに、ウィヤン殿は困った顔をしていない。それどころか、どこか嬉しそうで、楽しそうだ。

「にやにやしないで。不愉快だわ」

「ああ、すいません……嬉しくて、つい」

 普通に謝ってくる。

「怒ったあなたは、かわいいなあと思って」

 思わず顔をしかめる。

「はったりを言ってるとでも思っているの?」

 あてつけに死んでみせてやろうか。

「思っていません、ただ、さっきまでのあなたよりずっと、生き生きしています。それが嬉しい。本当は僕は、あなたと対等でいたかった」

「わたしはあなたとの関係を、この場で断ち切ってしまいたいんだけど」

「それは仕方がありません。魅入られたあなたが不運、もう少しお付き合いいただきますよ」

 失礼します、とささやいた直後。彼は、わたしの襟元をつかみ、破り取った。

 そしてそのまま、その布をわたしの口にねじこんでくる。

「んっ!」

「これなら舌は噛めませんよね。だから言うんですけど、今あなたを抱けないのが残念です。この姿を見て、理性を保てる男がいるなら、まともな男じゃないと思います」

 下らない軽口が憎たらしい。本気で言っているならなお悔しい。

 言葉と裏腹に、真剣な目でウィヤン殿はわたしの胸に手をかざした。

「石の火箭、命穿つ石の火箭、過たず引くは闇の弩」

「ん、んん……っ!」

 黒く濃い、蛇のような闇が彼の手からいくつも現れる。

 ずぶりと、胸に何かが突き刺さっていく。痛みはなく、冷たさを体内で感じた。おそろしくて、気持ちが悪くて、わたしは泣いて暴れたけれど、ウィヤン殿はそれ以上の力でおさえつけてくる。

「暴れ、ないで……危ないから…」

 彼の額から、幾筋もの汗が伝う。

「我は捧ぐ言祝がれし洗礼の真名。汝願い違えることなく」

 彼がつぶやくのは、まがまがしい言の葉だと分かった。日常にある魔法ではなく、多くは禁忌とされているはずの、闇の魔術。

 闇の蛇が消え、気持ち悪さもおさまったころ、彼はわたしをおさえる力を弱めた。そんなことをしなくても、意識が朦朧としていて、全身に力が入らない。

「いいですか、ユーラ……よく聞いてください。あなたに呪いをかけました。もしもあなたが死ぬようなことがあれば、リルザイスにかけた呪いも発動するように」

 わたしの口から、つめこんだ服の切れ端をとりのぞく。それからどこからか布を出し、わたしの口元を丁寧にぬぐっていく。

「呪い……?」

「ええ。リルザイスは、生きています。けれど、死に至る呪いをかけたというのは本当ですよ。今、その発動の条件を変えました」

 私の切れた右の手に、布を当てて縛っていく。

「条件はふたつです。ひとつは、あなたが死ぬこと。もうひとつは……秘密にします」

 にやりと、ウィヤン殿が笑う。

「解除する方法は、ひとつだけ。それも、秘密です。では僕は、逃げることにしますね。あなたに追われたいから」

「やめて、リルザ様を巻き込まないで!」

「そんな泣きそうな顔をしないで。さっきのあなたのほうが、ずっと素敵でしたよ」

 最後に、自分の羽織っていたローブをわたしに着せかける。

「ユーラ。どうか、僕のことを考えて。昼も夜も、夢の中でも。……ヒントは、ギギに聞いてください」

 ウィヤン殿はそういうと、いたずらっ子のように微笑んで、部屋を出ていった。

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