番外 願いごと
ボクは、昔、ワルイコトをした。
自分の持っている力がおもしろくて、たくさんの生き物を殺した。
死んだとき、一瞬だけかすかに光るのを見るのが好きだった。あれは魂が旅立つ瞬間。魂を見ることができないボクでも、唯一見ることができる方法。それなら、一度にたくさん殺せばどれだけ光るのか、気になるってもんだろう。
ある日、ボクからすると突然、父様が怒った。
ボクは鎖をつけられ、たまごに閉じ込められたあげく、地上に吹っ飛ばされた。父様の声が響く。
贖え、と。
どれくらい眠っていたのかわからない。でもある日、光を感じた。目を開けてみれば、目の前にはひとりの人間の男。おどろいた顔で、ボクを見ていた。
全身の血が、かっと熱くなる。
――人間ごときが、このボクの姿を見るなんて。この、ボクの!
すぐさま、焼き殺してやろうと思った。なのに、雷に打たれた時みたいな衝撃があって、ボクは気づいたら地面に転がっていた。
「だ、だいじょうぶ……かい?」
なんてことだ。こいつはボクの姿を見ただけでなく、こともあろうに、みっともなく這いつくばったところまで見たのだ。生かしておけるものか、炎を出せないのなら元の姿に戻って、噛み殺してやろう。
でも、からだは願うとおりに変化をしなかった。
「なんでだよ!?」
思わず、自分の両手を見る。人の女の手。この姿は嫌いじゃないけど、本当の姿じゃない。じゃらん、と重たい音がした。足に、長い長い鎖。
(その人間の男は、おまえが昔に殺した子供の生まれ変わり)
「父様!」
(贖いとして、その男の願いを3つ、叶えてやれ)
「なんでボクが? あがないって、なんだよ!」
(おまえが殺した命の数だけ、その環は繋がっている)
ボクが聞いた事になんて答えやしない。
しばらくの間、ボクは父様を罵り続けた。空に向かって。人間の男が奇妙な顔でボクを見つめていたけれど、そんなこと、ボクの知ったことじゃなかった。
ボクは、だんだん自分の状況を理解していった。
ともかく、この鎖の輪がボクが殺した命ってことらしい。長く長くどこまでも続いていて、果てが見えなかった。たぶん、父様につながっているんじゃないかな。そうしてボクの力を妨げている。
ボクはまず、たまごになって、ボクが殺したやつの転生した先に送られる。でもって、そいつが多少モノがわかるようになったころ、孵るのだ。無事相手の3つの願いを叶え終わると、輪がひとつ消え、ボクはまたたまごになって、次の命のもとへ送られる……。
最初は、ひとつも叶えられなかった。というか、叶える気がなかった。なんでボクがそんなことしなくちゃいけないんだって思ってたからね。そんなふうにしているうちに、ボクの贖うべき最初の相手は死んだ。もちろん輪は消えないから、いつかまた転生したあいつのところへボクは送られるんだろう。
百年くらいは、意地を張ってたのかな。でも、それだけ命を見続けたら、また、わかってきた。とりあえず、父様の頑固さを。
父様はボクを許したりなんか、絶対にしない。だから、この鎖を消さなきゃ、ボクは二度と自由の身にはなれないんだ。ボクは、永遠といえる命を持っている。
「空を飛んでみたい」
これが、ボクが最初に叶えた願い。飛べなくて巣に残された鳥の子だった。ボクが空まで抱いて飛んでやったら、嬉しそうな顔したまま、息をつまらせて死んじゃった。高く飛びすぎたせいだってあとから知った。まったくどうしてこう、もろいんだろう。願いがふたつ残っていたから、またいつか、こいつとも会うんだろう。
願いを叶えるのは、意外と難しい。
悪魔は、命と引き換えに3つの願いを叶える……っていうのが人間の中でまかりとおってて、ボクはよく悪魔に間違えられた。まったく失礼な、ボクはあんないびつなやつらとは違うのに。
人も獣も、いろんなやつがいて、いろんな願いがあった。ボクとしては願いさえ叶えれば御役御免、さっさと解放してほしかったから、願われればなんでも叶えた。時々願わないやつがいたりして、そういうやつは本当に面倒くさくて、なんとか願いを言うよう図ってみたりもした。
泣いたり笑ったりするあいつらを、いやでも見つめていた。そして、いつのまにか、ボクはあいつらに似ていった。
あいつらのやり方や考え方がわかると、願いを叶える作業ははかどりだした。自由への一歩だ。
何人目か、何十人目か。数えるのもやめたころ。
慣れた眠りから目覚めて、目の前にいたのは、人間の女の子供だった。ラッキー、とボクは思った。子供は単純で、あっというまに願いを言ってくれる。やわらかそうな銀の髪に、瑞々しい果実のような赤い目。ボクを見て、そのでっかい目をいっぱいに開いていた。
ボクは、いつのまにか決まり文句になっていた、最初の言葉を言った。
「ボクは、華姫。おまえの願いを3つ、叶えにきた」
反応がない。頭の足りない子供なのか。
「おい、聞こえたか? なんでもいいぞ、願ってみろ」
「すごい。すごいね!」
子供は、突然、まるで花が咲くみたいに笑った。
「君、華姫っていうのね。すごいね、空が飛べるのね!」
ボクが飛んでいることに、子供は感動したらしい。きらきらさせて、見つめてくる。
「じゃあ、空を飛ばせてやろうか?」
「いいの!?」
「ああ、お安い御用だ。ひとつめだな」
「あ、あ、じゃあやめる! いまのなし!」
しめしめ、ほくそえんでいたのに、子供はなぜか慌てて取り下げた。いいすべりだしと思ったところで出鼻をくじかれ、ボクは口をとがらせた。
「ねえ、華姫は、どうして願い事を叶えるの?」
「どうしてだぁ?」
「だって不思議なんだもの。どうしてそんなに、親切なの?」
「ちがうよ、ボクの贖いだからだ」
「あがない?」
「子供には、わかんないよ」
ボクは、ちょっとだけ得意になってそんなふうに答えた。
「わるいことを、したの?」
わからないと思ったのに、子供はわかったらしい。
なぜかちょっと悲しそうな顔で、そう聞いてきた。
「そうだよ」
悔しかったから、ボクはぶっきらぼうに答えた。
「おまえが願いを叶えさせてくれなきゃ、ボクの贖いは終わらない。だからほら、願えよ。別に命をとったりしやしないんだからさ」
「だ、だめなの」
「なんで!?」
「だって……わたしが、そんな勝手なことできない」
ひとりごとみたいに、子供は言った。このとき、こいつがこう言ったのにはもちろん理由があったんだけど、ボクはそんなの知らないから、思い切り落胆してしまった。
なんだあ、すぐに終わると思ったのに、こいつもやっかいなやつか。
「あーあ」
ボクは、地面に降りて、ごろりと仰向けに寝っ転がった。もう、こんな格好を見せてもイライラしたりはしなくなっていた。
子供は、ボクのとなりに座った。
「どんなこと、したのか、聞いてもいい?」
おずおず、うかがってくる。
ボクは、この子供の赤い目が気に入っていたから、いいよ、と言った。
「生き物を殺したんだ。いっぱいね」
「どうして殺したの? おなかが空いたんじゃないの?」
「ボクが食べるのは、死んだ父様だけさ。目についたヤツをかたっぱしから殺したんだ。おもしろかったから」
「おもしろかった……」
「うん」
子供の表情がくもる。
「おまえ、いくつ?」
「わたし? わたし、12歳よ」
「ちぇ。じゃあ、おまえが死ぬまで、まだまだあるんだなあ」
「わたしが早く死んだほうが、いいの?」
「だっておまえ、願いを言わないんだろ? そうしたらボクは、おまえが死ぬまで一緒にいないといけないわ、おまえの分の贖いは終わらないわ、散々だ」
子供は、また、かなしそうな顔をした。
「じゃあ、わたし、願い事を言うわ」
「ほんとか!?」
ボクは文字通り、飛びおきた。宙で正座をしながら、子供と目を合わせる。
「ただ願えばいいの?」
「ああ、ボクの名前を呼んで、命じればいい!」
子供は、ボクに向かって両手を広げた。
「華姫。自由になりなさい」
ボクは、この子供がなにを言ったのか、すぐには理解できなかった。
「……なんて言った?」
「だめだった?」
「いや、そうじゃなくて。自由になれって、なに?」
子供は自分の中で色々考えて考えてしゃべっているらしく、たどたどしく答えだした。
「だってね、かわいそうで」
「はあ? おまえ、なに言ってんの!?」
子供の赤い目がかなしそうなのは、ボクをかわいそうだと思っているからだった。ボクは今確かに不幸だ、でも、こんなやつにかわいそうだって思われるのは腹が立つ。
「どうしてそんな顔で、ボクを見るんだ!」
子供はとうとう、泣き出した。
「君は人じゃないんでしょ? 誰かが死んじゃっても、悲しくないんでしょ?」
「当たり前だ。なんでボクが悲しいんだ。いいか、ボクは贖いなんかどうでもいい。ただおまえらの願いを叶えるだけだ! それさえ終われば、自由に戻れるんだからな!」
聞いているのかいないのか、ぐしゅぐしゅと鼻を鳴らして泣いている。イライラする。
「ボクが自由になったら、まっさきにおまえを殺してやる」
「そんなのいや!」
もっと怯えて逃げ出すかと思ったのに、ぱっと顔を上げてでっかい声で言い返してきた。なんだこいつ。ていうか、怒ってないか。
「わたしもみんなも、殺しちゃだめ! 生きるほうが大変なんだからね!」
なに言ってんだ。そんなのボクの知ったことじゃない。
「……あの子が、どう思うかはわからないから、こんなことを言っちゃいけないのかもしれないけど」
子供は涙をぬぐいながら、ボクを見上げた。
「華姫。わたしは、君の自由を願うよ」
もう一度、なに言ってんだって思った。
そして、子供の願いは、叶わなかった。ボクの鎖は変わらない。
「どうして? なんだって叶えてくれるんじゃないの?」
「……わかんない。とりあえず、父様はあわててるみたいだ」
ボクは、鎖の先からそれを感じていた。そんな父様ははじめてだった。魔獣王をあわてさせたのが、こんな小さな人間の子供だなんて、ざまあないな。
(華姫)
「なんだよ、父様。願いを叶えるんだぞ、なんで邪魔するんだよ」
(その子供はおまえが殺した相手ではない)
「え?」
「華姫、誰と話してるの?」
父様の声は、人間には聴こえない。
(だから、願いは叶わない。近くに本当のおまえの相手がいるはずだから、それを捜しなさい)
「……じゃあ、こいつはどうすんの?」
(どうもしない。ともかくその子供はおまえの贖うべき相手ではないのだから、関わらず去りなさい)
言うとおりにするのはおもしろくない。
それに、ボクは……この子供に、興味がわいていた。
「おまえ、名前は?」
「ユーラよ」
「ふうん。ユーラか」
ひとつ、疑問があった。
あの父様がわざわざ、言葉で命令をしてきた。いつもだったら、ボクをたまごに閉じ込めてやり直させれば済む話。
なのにそれをしないってことは、きっとこれは、父様の想定外。父様は自分が決めたルールを破ることはできない。
父様の見せた隙に、ボクは気を良くする。
「父様。ボク、こいつに興味がわいたんだ」
(華姫! おまえには、償うべき本来の相手がいるのだぞ)
「贖いだの、償いだの、うるさい!」
突然のボクの大声に、ユーラが腰を抜かした。
おびえさせちゃったか。でも、ユーラは目をごしごしこすってから立ち上がり、おしりをはたいた。そしてまた、ボクを見つめている。
弱っちいくせに、強い目だ。きらきらと輝いている。
「おまえ、ボクがこわくないの?」
「だって、たまごから孵った君はわたしを守ってくれるって、あの子が言ったから」
「あの子って誰?」
「名前を知らないの」
子供は、さみしそうにしょんぼりとうつむいた。ははあ、そいつがユーラにたまごを渡したわけか。
少し驚いた。ボクのたまごは、人の心を魅入る、魔の力が働いている。ボクが願いを叶えるべき相手が、たまごを手放したりしないように。それなのに、あの子とやらはボクを譲ってしまったのだ。
「ボクは、そいつに用がある」
「じゃあ、一緒にさがしてくれる?」
「うん、いいよ。ユーラ」
今度は、また、全開の笑顔。
よく変わる表情に、ボクはいつのまにかつられて笑っていた。
***
「華姫、ちょっとそこどいて」
「いてっ!」
どいて、って言ったら普通ちょっと待つもんだろう。なのにユーラは、言うのと同時にシーツをはぐので、ボクはベッドから転げ落ちた。
「あ、華姫ったら、またベッドでお菓子食べたでしょ! こんなにカスが」
「うるさいなあ、ユーラが食べないからボクが処分してやったんじゃないか」
「わたしがダイエットしてるって知っているくせにそんなことを言うの、この口は」
「いたい、いたいっ」
ほっぺたを思い切りつねられる。ダイエット中のユーラは手加減を知らない。目が座っている。
「いくら食べたって太らないものねえ、華姫は。いーいわよねーぇ」
「また、それか! 別にユーラは太ってないし、ちょっとくらい太ったってかわいいっていってるじゃないか」
「甘い! そんなこと、お城じゃ通用しないのよ!」
いつかお嫁に行くためには! ……こぶしを握り締めて力説を始める。
父様も頑固だけど、このユーラも優るとも劣らない。また、いつもみたいな決意やら流儀やら信念やら、ぶつぶつぶつぶつ語りだす。めんどくさい。
「ユーラ。散歩に行かない?」
「行くっ!」
はじけるようにこちらに向けた笑顔は、はじめて会ったときと同じ。
ボクが元の姿に戻ると、ユーラがその背に乗ろうとして、……失敗して転んだ。
「何度失敗したら、慣れるわけ?」
「悪かったわね! でも、もうちょっとしたら慣れるんだから、ちょっと習熟に時間がかかるだけなんだから、あきらめないことが肝心なんだから」
出会って何年経ってると思ってるんだ。
ユーラが自分でがんばりだす前に、ボクは魔法でその小さな身体を浮かばせて、背に乗せた。不満そうな顔をしてたけど、このほうが早い。
ボクは最近、せっかちになった。でもって、心配性になった。
だって、ユーラはなにがあったって、ボクより早く死ぬ。とろいユーラにつきあって、時間を無駄にしたくない。ユーラと一緒に空の散歩をできる時間は、限られている。減っていく一方で、増えることはない。
ボクは、細心の注意を払って、空へ翔けだした。
絶対に高く飛びすぎない。ユーラがボクから落ちるようなことはしない。ユーラはボクの相手じゃない。願いを叶えずに別れても、もう一度めぐりあえはしない。
「華姫――っ!」
ユーラの声が、ボクを呼ぶ。あの声は、なにかを見つけた声だろう。
「見て、ツキノツカイの群れだよ! また、夏が来るね!」
「うん、ユーラ」
もしも、誰かがボクの願いを叶えてくれるなら、どうかユーラを死なせないで。
ボクは、この小さな人間の娘が、大好きなんだ。罪も、贖いも、償いも、わからない。ただ、願いをボクは覚えた。
でも、叶わない。こいつらの命のもろさを、知っている。
ユーラがボクの名前を呼ぶ。今度はなにを見たのかな。
ボクらは風に乗って、雲の間を翔ける。




