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雲の姫  作者: 黒作@また休止だっ
はじまりの祭
42/46

40.

「……ギギ。お使いを頼んでおいたはずだろう。言いつけに背くなんて、見損なったよ?」

「見損なったって、そりゃ俺の台詞だ! ほらウィヤン、剣を収めろよ。一緒に帰ろう」

「この状況で、そんなことができると本気で思ってるのかい。……まあ、おまえは本気なんだろうけど」

「本気も本気だよ、当たり前だろ! できないことなんかあるもんか。剣を振りかざすのも、納めるのも、おまえの意思だ。あんた達の意思なんだから」

 すでに戦う態勢に入っているイデル達への呼びかけでもあった。リルザはラジーに肩を貸し、ゆっくりと近づきながら、ウィヤンがギギを遠ざけた理由を察したような気になる。

「ウィヤン。カルアが泣いてるんだよ」

「今更戻れない。戻る気もないんだよ。だったら最初から始めたりしない。ギギ、まったくおまえは、いつまでたっても空気を読めないんだから」

「そんな空気だったら読みたくもない!」

 ウィヤンの表情に、皮肉めいた、悲しげな笑みが浮かぶ。

「てめえら、黙って聞いてりゃ勝手なことばっかほざきやがって。無事で帰してやる道理なんかねえぞ!」

 まるで街のチンピラのようにドスの効いた声でラジーが怒鳴る。怪我でふらつきながらも、気勢だけはむしろ増している。

「ラジー!」

 イデルがウィヤンに背を向け、妹の元へと駆け寄った。

「よう、アニキ」

 そんなに情けないカオするなよと言いかけたのに、抱きしめられて機会を失った。肩が痛むが、今は兄の気が済むまでおとなしくしてやろう。

 ウィヤンが憎々しげな声を上げた。

「なぜっ……」

「はぁ?」

「なぜ……、生きている!」

「なんだよ、ウィヤン=ブルミッド。オレが生きてて、悪かったな?」

 咎めるようでいて、どこか焦った様子のウィヤンを、まるで悪役のようにラジーは嘲笑う。

 だが、このときのウィヤンの視線の先はリルザだった。リルザは、眉をひそめつつ言葉を発する。

「俺か? 悪いが俺も生きてるぞ。ウィヤン=ブルミッド、ご機嫌麗しゅう。先日は貨幣をどうもありがとう。助かった」

 カカ酒というのは美味しかった、嫌味ついでに加えようかと思うも、ウィヤンの様子はただごとではない。

「リルザイス。あなたは、彼女を助けに行かなかったのか!?」

「……何を言っているのかよくわからない。ひとりで話すのはやめてくれ」

 リルザがここにいることは、よほど都合が悪いらしい。しかしまた、リルザにも都合のいいことではなかった。

「あてが外れた。その様子じゃ、おまえもクモの居場所は知らないようだ」

「居場所……?」

「クモさん、屋敷にいなかったよ。ウィヤンが連れていったんじゃなかったの?」

 ウィヤンの顔色が変わる。

 次の瞬間、対峙していた面々を黒い霧が包んだ。

「なんだ!?」

「なにをした、卑怯者が!」

 敵味方問わず訪れたつかの間の闇に、怒号が飛び交う。

 自ら生じさせた混乱を使い、ウィヤンは屋敷をあとに駆け出す。

 精霊がリルザにそのことを知らせる。頼んで強風を起こし、黒い霧を上空へと散らす。

「今のは、闇の精霊か……?」

「い、今の風ってリーゼがやったの?」

 視界が開ける。ギギは目の前で起こったことが信じられず思わず尋ねた。今見た精霊の働きは、あまりにリルザにとっての都合がよく。

「俺じゃない。精霊の力」

「そういう屁理屈とかじゃなく!」

「なんだ? あとにしてくれ」

 黒い霧が晴れてすぐに、ウィヤンの手下達とザナクーハ一家の打ち合いが始まる。ギギは慌ててウィヤンを捜したが、見当たらない。

「林に向かって行った。方角からすると、町へ戻るつもりかもしれない。俺は追う」

「あ、お、俺も行くって」

 リルザ達が馬を置いてきたのも、同じ方角だ。もしもウィヤンに気づかれ、潰されでもしたら追いつくことができなくなる。

「白闇の!」

 それが自分を呼んでいるのだと、リルザは一瞬気づかなかった。が、振り返ると、ラジーがこちらを見ていた。

「よくわかんねえけど、クモ見つけたら、一緒にここに戻ってこいよ!」

「気が向いたらそうするよ」

「て、てめえっ、ここはうなずくところだろう!?」

 ラジーににやりと笑ってみせると、リルザはギギとともに走り出した。

「なんでわざわざあんな返事」

「ああいう手合いはからかいたくならないか?」

「やだよ、同意求めないでよ!」

 はぁ、ギギはため息をつく。

「リーゼの性格って、よくわかんないね」

「そうか。実はな、ギギ」

「ん?」

「俺も、自分がよくわからない」

「……それじゃ、しかたないね?」

 うむ。とうなずく。

 ふざけてはいるが、言っていることは本当だった。

 以前の自分の振る舞い方はわかっているし、それを望む人間がいることもわかる。ならそうしておけばいいだろう、と思うのだが、どうにも難しい。

 今こうして動いていても、次の瞬間には、すべて投げ出している気がする。

 頭には常にかすみがかかっている。すべてのことが鈍く、遠い。喜びはなく、苛立ちと焦燥と、恐怖だけが鮮やかだ。よくわからないなにかが、波のように訪れる。それが来ると記憶は途切れる。

 晴れの朝が明るく、月のない夜が暗く、当たり前が当たり前で、だから自分はここにいてはいけない。死ぬな。生きるな。強いる声が止まず壊しに来る。

 風が吹いて頬を撫でる。

「うるさい」

 出た声は幼かった。ギギが驚き、周囲を見渡すが、自分とリルザしかいないことを確認する。

「今の声、リーゼ? どうしたの……」

「おまえはじゃまだ。どけ」

「リーゼ!?」

 突然体から一切の力が抜け、そのまま倒れこむリルザの体を、ギギはすんでのところで受け止めた。長く伸びた前髪は目にかかり、表情が見えない。つながらない不可解な言葉に、ギギのおびえる。

 だが次の瞬間には、リルザの体に力が戻る。ギギにかけていた体の重みを、自分で支える。

 リルザが顔をあげた。ギギは、驚いてまばたきをした。

 強い目。この王子様は、こんな目をしていた?

 呆けた顔で見つめていると、リルザはギギを見ながらこめかみを押さえた。

「おまえは、ギギだ」

「あ、へ?」

「うん。ここは赤で……あいつは、ウィヤン」

「り、リーゼ……どうしたの。なんかこわいんだけど」

 リルザが、にこっと笑った。

「あいつには、任せておけないからさ。おれが行くんだ」

「リーゼ、頼むから、面倒かもしんないけど、俺にもわかるように」

「ギギ。おれ、リーゼだよ。リルザじゃないんだ」

 それがギギの問いに対する、答えのすべてだった。



***



 馬を走らせながら、ウィヤンは歯を食いしばり続けている。

 計画を知ったギギが自分を止めようとすることは、想定していた。

 幼い頃、闇の呪術に通じているからと屋敷に迎え入れられ、以後非道な仕事を任せられてきたのに、ギギはなぜかまっとうな優しさをなくさなかった。

 だからギギは、ユーラを逃がすかもしれない。リルザイスと協力するかもしれない。

 それならそれでいい。もともとユーラは、リルザイスに助け出させるつもりだった。

 だが、ふたり揃って現れて、ユーラはいない。

 屋敷の誰かが彼女をさらった? あんな美しい人だ。誰がなにを考えてもおかしくない。それに、父は? 父はユーラの存在を恐れていた。青へ返そうとするのならいいが、発覚するくらいならと、彼女の存在自体を消そうとしたりしていたら。

 目を離すべきじゃなかった。リルザイスとギギがいれば彼女は安全だと思っていたのに。

「ユーラ……!」

 馬の腹に、ふくらはぎをたたきつける。意に沿い、ぐんと、速度が増す。

 そのとき、街道に何者かが倒れていることに気づいた。そのまま行き過ぎるも、夜目に萌黄の色が引っかかる。ここからではよくわからないが、あれはひょっとして娘だろうか。萌黄など男の着る色ではないし、屋敷に確か、あんな服を着た娘がいた。

 ウィヤンは焦っていた。今は見過ごす他に選択肢はないと思う。けれど、あの者を馬に乗せて、人のいるところまで連れて行くくらいなら。

 ……ああもう、気づかなければよかったのに。

 苛立つまま舌打ちをしながら、ウィヤンは馬首を返し、萌黄の服を着た人物のところへ戻る。馬を下りて近づくと、やはり娘だったとわかった。息があるか確かめようと、ウィヤンは彼女を抱き起こした。

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