37.
時間は少し、さかのぼる。
牢に訪れたのは護衛を連れたウィヤンだった。ウィヤンは牢からリルザを出すと、屋敷の外へ連れて行き、約束通りに釈放した。
「彼女から伝言を預かって来ました。参の城が襲撃されたそうだ、すぐに戻ってほしいと」
すぐには言葉を返せずにいると、彼はさらにたたみかけてくる。
「それと、その手にあるのは僕の精一杯の呪いです。彼女はもう、あなたのものになりません」
優しげな風情、笑顔で言う。彼は機嫌がよく、とても浮かれていた。
「甘く見ないほうがいいですよ。それでは御機嫌よう、リーゼ様」
無造作に袋を地面に放り投げ、貨幣のこすれる音が響く。
リルザの反応を待つことなく、ウィヤンは揚々と屋敷へと戻っていった。このまま行かせるべきか考えていると、屋敷の一室からこちらを見つめるクモに気づいた。数人の護衛達は居残り、はやく消えろとこちらを威圧してくる。
俺の身分を知りながら?
ウィヤンはとち狂っているが、頭が回らないわけじゃないはずだ。
確かにリルザは王子としての務めを下がった。だが、敵国の王子、使い道はあるだろう。それがこの扱い。
……まさか俺は、王子としての位も剥奪されていたりするのか?
だとしたら、我ながらなんと哀れなこと。自分の枷であり、なけなしの手札であったものがすでに泡沫であったのに、知らぬまま振りかざしていたことになる。
いずれにせよ、ウィヤンには余裕が見えた。呪いとやらの正体がまったくわからないうちは、強引な手は控えるべきなんだろう。
リルザは一瞬目をつぶり、いらだちの言葉を吐き捨てた。
行き先が思いつかないまま、戻って町を目指す。知っている道がそれしかない。
歩く中、鈍い頭痛が消えない。喉が渇いているせいだ。宿を目指そうと決めたときには、日が落ち始めていた。
クモはわざわざ伝えてきてくれたわけだが、襲撃に関しては、リルザにとってそれほど動揺する話でなかった。何もない城だ。数人の使用人達のことは、ガルディスとクロースが守るだろう。あのふたりは、自分さえいなければ心配するに及ばない。なにより、すでに事が起こってしまったのなら、こんなところから急いで帰って何かできるわけでもない。ともかく、今はクモを助け出して……
ふいに苛立ちがわいた。
――しねばいいのに。
目もくらむような怒りとともに、よく知っている、知らない声が、ささやく。
――ころしてしまったほうがいい。わかってるだろ?
「黙れ!」
突然叫んだリルザに、歩いていた周囲の人間が奇異の目を向ける。息を止めていたようで、気づいて吐いた息は激しかった。
精霊の声じゃない。内側の声。自分の声。
片手で顔を覆う。汗がふれた。もう一度頭を振る。
ちがう。そうだ。クモをこのままにする気はない。ウィヤンのものになることを、彼女自身は望んではいないだろう。それなら、その通りにする。彼女をウィヤンから解放する。それが今すること。
酒場についてまず、水を頼んだ。一気にあおると、頭痛がすっとやわらぐ。気を利かせた店主がおかわりを注いでくれ、それも飲み干した。
「大丈夫かい? やりあってきたあとみたいだな」
自分の汚れたなりと、顔の怪我を見てのことだと気づく。リルザは一度大きく深呼吸をした。
「ああ。しかもまだ済んでないんだ」
「そりゃ大変だ。まあ、今はゆっくりしていきな」
壮年の店主は、おだやかにほほ笑む。居心地のよさに感謝しながら、そのままカウンターの席をとり、酒と夕食を頼んだ。
「今日はカカ酒があってね。よく冷えてるし、甘いのがいけるならおすすめだよ」
うなずくと、すぐに薄赤の酒が出された。口をつけるとひやりと冷たく、優しい甘さが喉を潤す。それから焼き串とパンが出され、いろいろとちょうどよく、面倒がないことがありがたく思う。
良い店だろうに、客が少ない。町に入ってすぐの場所、時間も夕刻というのに、不思議に感じる。
「今日はなにかあるのか? この店、こんなに客が少ない店には見えないんだが」
「ああ、仕事があるんじゃないかねえ」
「仕事?」
「領主様が、たまに町のやつらを集めて大きな仕事をくれるんだ。内容は色々だが、ここらはそれをあてにしてるやつが多いし、客が少なくなるときってのはそういうときだね」
「……ブルミッド家? ウィヤンか?」
「ウィヤン様は知ってるのかい? 確かに、領主様じゃなく、ウィヤン様が仕切るときもあるよ。今日がどうなのかは知らないが」
ブルミッド家の仕事。気になるが、店主からはこれ以上聞けることはないんだろう。
「ちょっと聞きたいんだが、最近の緑についてなにか知らないか?」
「緑? さあ、特には聞かないな。最近は前線も落ち着いてるらしいし」
「実は、マーゼーガ城の襲撃に成功したって聞いたんだ。今は緑のものになっているけど、あそこらへんはもとは赤のものだったろう?」
「それ、本当かい!? いや、ここらへんだと情報が遅くてね。すごいじゃないか、マーゼーガといえば前国境だ。あそこを攻められるほど、前線を押したのか」
マーゼーガは、参の城の以前の名前だ。かまをかけたつもりだったが、どうも空振りだったらしい。
逆に詳しく聞きたがられて、自分が知りたいんだと苦笑する。主人は残念がった。
「くそう、マーゼーガ城は俺も一度だけだが行ったことがあってね、いい城だったんだ。それを緑なんかに、しかもよりによってリルザイス王子なんかにくれられちまって。そういや、リルザイスといえば、ちょっと聞いてくれねえか、お客さん!」
顔を向けると、主人は妙に鼻息荒くリルザに近づいた。店が暇なせいで、店主もずっとリルザにかまっていられるらしい。
「頭がいかれっちまって、王子を降ろされたっていうだろ? でも俺は実は、それは嘘なんじゃねえかって思ってるんだ」
思わず間をあけて、へえ、と答える。
「マーゼーガをリルザイスに渡したのだって、緑の内側になって、守りを固める必要がなかったからだ。でも、だったらあの結婚はなんだ?」
結婚? 誰の?
喉元まででかかる。だが、この流れだと知っていて当然の話らしい。
「青のユーラとの突然の結婚。政治的な意味合いはないとか緑は言ってるけどよ、それじゃ通らないよ。俺は、これはリルザイスの作戦なんじゃないかって思うんだよ」
「……は」
「狂ったふりをして、秘密裏に、青を味方につけようとしてるんだよ!」
そりゃあ、俺もびっくりだ。
なかなか話をやめない主人からなんとか逃げ出し、リルザは1通の手紙を出した。黒国へ行くキャラバンを見つけ、手付けを払い黒国教会へと運んでもらうよう頼む。最終的な宛て先は参の城、ガルディスとクロース。状況を説明するのが面倒で、結果としてふたりが読めば激怒するだろう内容になってしまったが、まあそれはいい。
宿へ戻り、ベッドに寝転がる。
窓からよく月が見えた。今日も澄ました顔だ。
王子としての位を剥奪されていないことはわかった。
青のユーラ。顔は知らないが、名は知っている。兄や弟、貴族の友人達が語るたわいない雑談の中で聞いたことがあった。
銀の髪の美しい姫君。
じゃあ、あのクモが。
リルザは眉間にしわを寄せる。知らず首をひねっていた。
明日。明日クモを助けだして、問い質す。
けれど、それはかなわない。
翌日、なぜか閑散としたブルミッド屋敷に侵入し、別れ際にクモがいた部屋へとリルザはたどりつく。
しかしそこにいたのは、見たことのない、拘束された女性ひとりだった。




