36.
泣き喚くカルアの声がギギを責める。大丈夫だなんて言葉、なぜ鵜呑みにしたのか。ずっとずっとカルアといたくせに。そのほうが自分にとって都合がよかったから。ギギは唇を噛む。
けれど一方で、避けられることではなかったとも思う。クモに会う機会が少し遅くなったからと言って、カルアの位置がとって代わられた事実は変わらない。
いぶかる見張りの3人にまた適当な受け答えをし、カルアを抱えて彼女の部屋へと向かう。彼女は今、ギギの肩に強く強く顔を押しつけて、体中をこわばらせて泣いている。
カルアもまた、銀の姫を求める中で、さらわれてきた。もとは人売りの奴隷で、手放す気のなかった主を殺し無理やり奪った。
カルアの置かれていた境遇はひどかった。そこからさらわれてきて、はじめはすべてを拒絶していたけれど、ウィヤンはカルアをそれは大切に扱った。静かに守られ、愛されて、やがてカルアは心をほどき、ウィヤンを愛するようになる。その過程を見ていたから、はじまりの形は歪んでいても、誠実な心さえあればいつかは丸く収まると自分に言い聞かせた。
本当は胸の奥でいつも、ちりちりと叫んでいたのに。
友人のつもりだった。だからいつも、笑って力になった。あのときも、カルアをさらって、主を殺したのはギギだった。
部屋に戻っても、カルアは泣き続けている。髪をなで、抱きしめる。
「カルア……泣かないで。カルアは本当に、何ひとつ悪くない。悪いのは俺達だよ。ごめんな。本当にごめん」
「謝らないでよ!」
悔しそうに、こぶしを叩きつけてくる。
「わかってたもん、ウィヤン様はずっと、ちゃんと言って下さってたもん。本当は別に好きな人がいるって、カルアにはひどいことしてるって、いつも、あ、謝って……」
謝ったからなんだというのか。謝りながら、飲ませるのは甘い毒。でもカルアにはわからない。わかってしまうほうが、彼女にはひどいこと。
カルアは、ギギの胸に頭をぐっと押しつけた。その表情は見えない。
「……ごめんね、ギギ」
必死にこらえる声。
「ほんとにね、わかってるつもりだったの。ウィヤン様が幸せになれるなら、あたしが恋人じゃなくてもいいって。でも、あの人を見たら」
「カルア」
あまりに自分がみすぼらしくて。
「あたし、ばかだね。よくわかって、なかった……」
ウィヤン。カルアが泣いているよ。おまえを呼んで、泣いているのに。
もうおまえは、見向きもしないんだな。
***
薄く血のにじんだ指先を、じっと見つめていた。はねのけられた時、引っ搔いたらしい。
口に含む。かすかに広がる鉄の味。白い髪の女の子。どうしてあんなに苦しそうに泣いていたんだろう。
まるでわたしにひどいことを言われたような、そんな顔をしていた。
ふたりは扉を開けたまま出て行ったから、逃げるチャンスかと思ったものの。すぐに誰かが駆けてきて、扉を閉めて鍵をかけていった。つい最近もこうだったよねって、ザナクーハのお屋敷を思い出して、とうとうため息が落ちた。
首を振る。落ち込んでいる場合じゃない。
リルザ様は逃げられたんだから、次はわたしが逃げなきゃ。まさか本当にウィヤン殿の妻になる気なんてなかった。
部屋を見回す。
今のわたしは、この部屋に監禁されている状態。出入りするのはウィヤン殿と、世話をしてくれる召使いの女性だけ。
そしてウィヤン殿は今朝、少しの間退屈だろうが、待っていてほしいと告げてきた。くわしいことは話さなかったけど、しばらくここには顔を出さないってことだと思う。
用があるときは、部屋にある紐を引くと召使いの女の子が来てくれる、感じなんだけど。
やっぱり、ウィヤン殿が来ないというなら、チャンスのはずよね。
……よし。
ノックのあと、カチリと鍵が開かれる音。
「クモ様、お呼びでしょうか?」
現れたのは、わたしと同じか、少し上くらいの召使いさんだった。お仕着せもふるまいも、青を思い出させる。ザナクーハのお屋敷には、こういう女性はいなかった。
「ベッドに、なにかちくちくするものがあるみたいなの。確かめてもらえませんか?」
言い終わるや否や、彼女はこちらがすまない気持ちになるくらい青ざめる。
「申し訳ございません! すぐに替えさせて頂きます。お怪我はございませんか?」
首を振ると、彼女は速足で部屋の中に入ってくる。
「本当に申し訳ありません、今すぐ、確認して交換いたします」
まっすぐにベッドに向かい、シーツをはがそうとする。今だ、と思う。
無防備になった彼女の後頭部に向けて、用意しておいた椅子の脚を振り下ろした。さっき壊して折り取ったもの。
手ごたえは、思ったよりは軽かった。でも無防備だった彼女はベッドに突っ伏し、後ろ頭を抱えて身をちぢこめる。
「……な、何をなさる……」
起きてる、失敗した。彼女は意識を失うどころか、すぐに身体を起こしてこちらを向こうとしている。
あわててもう一度殴ろうとしたのに、振り上げたところで身がすくむ。もっと強く殴ったりして、大丈夫なの? よくわかっていないわたしがやって、本当にうまく気を失ってくれるの? イデル様の言葉が頭をまわる。
わたしの顔を見た彼女は、ひ、と怯えながらあとずさった。椅子の脚を振り上げて止まっているわたしは、きっと、ひどい形相をしている。
「申し訳ありません、申し訳ありません……どうかお許しください……!」
その懇願に身体が震えた。だめ、ひるんでる場合じゃない。わたしは逃げるの。
「痛い目に遭いたくなかったら、わたしの言うことを聞いて」
ぎゅっと椅子の脚を握りしめる。全身が震えている。わたしが思いつめ、切羽詰まっていることは、彼女に十分伝わったようだった。こくこくと何度もうなずいてくる。
「服を……あなたの服をもらいます。そこで脱いで」
彼女もまた震えながら、素直に従った。それから用意しておいた細長い布で彼女を後ろ手で縛り、さらにベッドに縛りつけた。叫ばれても困るから、口にも。
それから呼び出しのベルを壊す。あとなにかできることは。彼女の脚も縛っておく? 扉の前に重い家具を置いておく?
彼女と目が合った。涙で濡れて、わたしをうかがう目。こわくなって、彼女に目隠しをつけた。彼女は抵抗しない。
もういい。早く逃げよう。きっと、余計なことはしないで急いだほうがいい。ドレスを脱ぎ、彼女から奪ったワンピースを着てエプロンをつけた。靴と靴下、それに帽子ももらう。帽子を脱がせたとき、自分が殴ったところが気になって見てみた。血がうっすらと出ていたけど、もう固まり出していて、それだけに見えたから少し安心する。
下着姿の彼女にナイトガウンを羽織らせ、前を留める。それからわたしは、部屋の天窓を見上げた。




