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雲の姫  作者: 黒作@また休止だっ
はじまりの祭
37/46

35.

「ギーギっ」

「いてっ」

 後ろ頭をはたかれ、振り返るとカルアがにこにこ笑って立っていた。身軽な彼女は、しょっちゅうギギの後ろ頭をはたいてくる。

「そう気安く大人の頭たたくもんじゃないよ、おじょーさん」

「安心してよぉ、人は選んでるもん」

 憎たらしい軽口がよく似合う。事実、ギギはちらりとも腹を立てていない。

 カルアの真っ白な髪を眺める。出会ったばかりの頃はまるで古びた人形のように荒れていた髪が、今はつややかに輝いている。それはウィヤンの忍耐強い愛情のおかげだ。

 ウィヤンの愛情を一身に受けてきたこの少女が、クモが現れたことで事実、御役御免となったことをギギは心配していた。だがどうやらそれは杞憂に終わってくれたらしい。カルアの今の笑顔に、くもりは見受けられない。

「なーに、じろじろ見て。まさかあたしの事好きになった?」

「前から好きだよー」

「知ってる! あたしもギギ好きだよ、ウィヤン様の次くらいに」

「うん、俺もウィヤンの次くらいにカルアが好き」

「なによっ!」

「足を踏むなっ!」

 屋敷の連中はみな仲間だと思っているけれど、カルアとギギはお互い、特にその意識が強かった。いつものようにじゃれあったあとギギは、心配してた、と告白した。

「本当に、ウィヤンの夢の姫様が来ちゃったから……カルア、落ち込んでるかと思って」

「落ち込んでるよぉ。さっきも泣いちゃったし」

 カルアの表情に映ったのは、失意ではなく、寂しさだった。

「でもね、よく考えたら、本当はあたしも辛かったんだ。ウィヤン様のこと大好きだけど、あたしじゃぜーったい幸せにしてあげられないんだって、いつだって、どんなときだって」

 たとえ、触れ合っていても。

 ウィヤンはカルアを慈しんだけれど、そこに恋の色はなかった。

 夜中に目覚めると、ウィヤンは決まって月を見ていた。腕を引けば、銀色の月の姫様への憧れをぽつりぽつりとこぼす。

 十分に思い知れるほどの時を、ウィヤンのそばにいた。

「ウィヤン様が本当に心から幸せになるために、その姫様が必要なんだったら……あたし、潔く身を引くの!」

「もうこの子ったら、立派になって!」

 ギギはぎゅっとカルアを抱きしめた。

「やだやめてよ、人肌が身に染みる時期なんだからっ」

「おまえいくつだよ……って、あらら、ほんとに涙目」

 涙をふいてやろうとすると、振り払われてしまう。

「ほっといて! あたし、ウィヤン様がいなくても大丈夫になるんだから。ていうかね、この屋敷の連中はみんなあたしに甘すぎるんだよ。だから甘えちゃうんだ」

「えー、冷たくされるよりいいじゃん」

「立派な大人の女になって、ウィヤン様のお役に立つの! そして何にもできない姫様とやらに見せつけてやる」

 どうやら、新たな目標を持ったらしい。カルアの頭の中ではすでに件の姫とのさまざまな対決のシーンが巡っているようだ。

「で、カルア様? 何か用でもあったんじゃないの」

「やだ、忘れるとこだった、ギギのバカ」

「俺が怒られるとこ?」

「ウィヤン様がね、ちょっと早いけどクジスワを取りに行ってきて欲しいって」

 クジスワ? と、ギギは聞き返す。

「まだ前回から半月しか経ってないけど」

「あたしに言われてもわかんないよぉ」

 クジスワとは、ギギが二ヶ月に一度都合している秘薬だ。秘薬と言うと大げさだが、少なくともこのあたりではギギにしか手に入れることはできない。

「うーん……じゃあ、一応行ってみるけど。あんまり期待しないでおいてって伝えておいて」

「わかったぁ。……ね、ギギ!」

 話が終わったとたん、カルアが急にギギの腕を引っ張った。無理やり前かがみにされ、ギギは抗議したが当然のように無視される。

「そのお姫様、見たんでしょ?」

「ああ、うん」

「どんなだった!?」

 屋敷に連れられたクモは、すぐに人目をはばかるように監禁された。数人の召使いが出入りしていたようだったが、彼女の姿を見た者はまだ数人のはずだ。

「どんなって、俺もあんまりわかんない。夜だし、ばたばたしてたし」

「役に立たないー!」

「しかたないだろー、大変だったんだから。グィドーさんも大怪我したし、俺だって一歩間違えたら殺されてたんだぞ」

 しかし、カルアにはそんなことはどうでもよいらしい。

「ねえ、今からちょっとだけ、会いに行ってみない?」

「ウィヤンが怒るよ」

「まさかずっと閉じ込めておくわけじゃないでしょ? いずれはみんなに紹介するんでしょ、ちょっと順番が変わるだけだよ!」

 その真剣さに、ギギは一瞬ひやりとした。好奇心だけじゃない。平気だと口では言いながら、やはりカルアにとっては大きなこと。放っておけばきっとひとりで乗り込んでしまう、それだけは避けるべきだとギギは思った。

「……なにが役に立つ、だよ。主人の言うことを聞くことすらできないじゃん」

 ギギは普段、誰かをなじったりしない。あるとすれば、わがままに大して仕方なく折れる時。

「ギギ、ありがと!」

 目を輝かせて、カルアはギギに抱きついた。



 鍵を開けたのは、ギギだ。ギギはたいていの鍵を開けることができる。カルアはそれもあってギギに話を持ち掛けたわけだが、それはつまり侵入したことがばれれば、すぐにギギの仕業だと判明してしまうということでもある。

「ああ、やだやだ……なあカルア、ウィヤンは本当にしばらく戻ってこないんだよな?」

「大丈夫。大丈夫。グィドーとどっか出かけていったもの」

「グィドーさんと?」

 聞き返した瞬間、あ、とカルアは口をおさえた。

「これギギには内緒だったんだ……ねえギギ、聞かなかったことにして? ね?」

 俺には内緒?

 大怪我してるグィドーさんと出かけることを?

 あせってねだるカルアに生返事を返す。

「は、入るよ? いい?」

 カルアが待ちきれないといった顔で聞いてくる。我に返って、ギギはカルアを制した。自分が先に様子をうかがうべきだろう。

 静かに扉を開ける。と、すぐにやわらかく甘い香りが鼻をくすぐった。

「花だ」

「え?」

「花が、いっぱい飾ってある……」

 それは花を愛する青国人ユーラをもてなすために用意されたものだった。ギギ達がそのことを知らなくても、部屋を花でいっぱいにすることがウィヤンの気持ちであることはすぐにわかる。

「ここには見張り、いなさそう」

 階段の下には3人の見張りがいたが、ウィヤンに様子を見ておくよう言われた、と告げるとあっさりと通してくれた。

 部屋に入り、静かに扉を閉める。身を低くして、ゆっくり部屋の奥へ進む。危険でもなんでもない女性に会うだけなのに、ふたりは異様に緊張していた。

「なんか、気配を感じないなあ。眠ってんのかな?」

「え、こんな時間に寝てるの?」

「俺に言われても困るよぉ」

 と、ぶつくさ言っていたふたりのまえに、突然ひとりの女性が現れた。

「ぎゃぁあっ…」

「ばばば、ばかっ」

 驚いて悲鳴を上げかけたカルアの口をよくぞふさいだと、ギギは自分を褒めた。相手はと言うと、驚いたのは同じだったろうに、身を引いただけで目をぱちくりさせている。

「……うわ」

 無意識のうちに、感嘆の声がこぼれていた。

 見たことのないような美しい女性が、並んでしりもちをつくギギ達を見下ろしていた。

 白磁の肌に絹のような銀の髪。まとう衣装は薄手で、彼女のほっそりとした身体に沿い、女性らしい稜線を描いている。そのなかで、ギギはひときわ輝く彼女の目に吸い込まれた。

 宝石のような、果実のような、甘い甘いあかい瞳。すでに出会っているはずの相手なのに。

「あの……ギギさん、でしたよね」

「へっ!?」

 彼女が口を聞いたことにまずギギは驚いた。天使か月の精かと思っていたところなんですが。

 いや、なんで天使様は俺の名前知ってるんだっけ。

「わたしをさらいに来た方ですよね? 何度かギギと呼ばれてらしたと」

「あ、は、はい! そうです俺がギギです、すみません、ごめんなさいっ!」

 そうだ、俺はこの人をさらってきた張本人でした。

「あなたもお仕事でしょうから……それより、リルザ様について、何かご存知ありませんか?」

 お仕事でしょうから、とは、さすがに違和感を感じるが、彼女にとって今の問題はそこではないようだった。

 しっとりとした声は少しだけこもって、耳に優しく響く。澄んでよく通るリルザの声と、対照的な気がした。

「り、リーゼは逃がしました」

「わたしの伝言はちゃんと届けて頂けましたか?」

「ああ、ウィヤンがなんか伝えてましたよ。サンの城がどうとか。リーゼはちゃんと説明しろって怒ってたけど」

「そうですか」

 安心したらしく、彼女……クモは微笑んだ。なんだなんだ、美人って綺麗なだけじゃなくて、笑うとかわいいのか。こんなに色々持ってていいの、この人?

「……あの、大丈夫ですか?」

「へ? リーゼですか?」

「いえ、お連れのお嬢さんが」

「忘れてた、カルアごめん!」

 慌てて、口をふさいだままだった手を離す。

 けれどカルアはまだ、茫然とクモを見つめている。

「カルア?」

 名前を呼んだ瞬間、ぐしゃりと顔を歪める。

「……ほんとに、」

 かすかなつぶやきは、おそらくギギにだけ聞き取れた。

「ほんとに……ただの、代わり……」 

 ギギはカルアをここに連れてきたことを一気に後悔した。俺はやっぱりバカだ。

「大丈夫……?」

 心配そうに伸ばされたクモの手を、カルアは跳ね除ける。

「カルア!」

「やだ! やだやだぁっ!」

 ギギはカルアを抱き上げると、そのまま部屋を飛び出した。

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