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雲の姫  作者: 黒作@また休止だっ
はじまりの祭
36/46

34.

 体中が痛い。まったく、まんべんなくやってくれて。

 口の異物を吐き出せば、多分に血がまじっていた。呼吸にも気を遣う有様。

「だいじょうぶー?」

 片手に水差し、もう片手になにやら詰めこんだカゴを持ってギギが声をかけてきた。

「その言葉は、もう少し早くもらいたかった」

「止められないって! 俺にだって立場があるんだよー。でもさ、ここの奴等ってそうしつこくもないんだよ? 一度ボコにしたんだから、あんたに対する恨みはもう忘れたって」

「どうだか。水、くれ」

 はいはい、肩をすくめつつ牢の中に入ってくる。ブルミッド家の地下牢はなかなか立派なもので、リルザには出口の階段に一番近い牢が当てられていた。

 たっぷり水を注いだ水差しを渡す。右手に手枷が打たれ、壁とつながれているが、水を飲むくらいなら問題はない。ギギはリルザの体にさっと目をやった。顔以外は出血箇所がなさそうだ。ひとりうなずき、切れた額の傷に手を伸ばした。リルザは前髪をのけられても、おとなしくしていた。

「男前があがったねえ。あんたが煽らなきゃ、もう少し手加減したと思うんだけど」

 町でのした男達に仕返しをされている最中、奪った金について問われた時に「あの程度の金がまだ残っていると思うのか」とわざわざ憎まれ口を叩いた。そっぽを向いたままのリルザに、ギギはにやにや笑った。

「負けず嫌いだねー」

「うるさい。クモはどうしてる?」

「んー、知らない。ウィヤンが自分の部屋に連れてっちゃった。あ、でもだいじょうぶだと思うよ? あいつ体より心派だし!」

 ふとリルザが見つめてくる。

「おまえは、本当にあの男が好きなんだな」

「そういう表現されると、ちょっとイヤなもんがあるんだけど……まあ、そうだね。だってあいつ、やっぱり、いいやつなんだよ」

「いいやつだったら人をさらってもいいってことか」

 鼻でわらったあと、リルザはギギの反応を待たずに言葉を続ける。

「で、これは何なんだ?」

 左の手のひらを見せると、そこには小さな丸い石が埋め込まれていた。蛇がとぐろを巻くように黒い紋様にふちどられ、禍々しい。

「これねー……」

 それを見て、ギギは目を伏しがちにした。

「穿つ石の、楔」

「クサビ?」

「そう。闇の魔術。これ、手のひらに見えている方は平たくて丸いけど、埋め込まれた先は尖ってるんだよね。クサビ型なの。あんたは、手のひらにクサビを打ち込まれてるわけ」

「そうなのか。特に痛くもないんだが」

「それは今、禁止事項に触れていないからだね」

 手のひらのクサビとやらをよく見ると、確かに皮膚に食い込んでいるような気がする。

「これは、相手にある行動を禁じることができる呪いなんだ。たとえば、ある名前を言うことを禁じたとする。呪いをかけられた者がその名を言おうとすれば、打ち込まれたクサビが体内へねじこまれ、やがて心臓を突き破る」

「……いやらしいな。呪いを破る方法は?」

「それは」

 つい口にしかけて、ギギは顔をしかめた。

「って、言えるわけないじゃんか。そんな自然に聞くのやめてくれる?」

 抗議すると、そんなギギを見てリルザは小さく笑った。

「おまえはそう悪いやつじゃない。今やってることは、本意ではないんだな」

 ギギはなにも言わなかった。

 石の階段を下る、誰かの足音が近づいてきた。



***



 金の細鎖に、たくさんの小さな紅玉と金剛石が留められた、首飾り。まじまじと眺めても、一点の曇りのない澄んだ輝き。用意されたドレスもさることながら、いくつもの装飾品はどれも見事の一言。

 飾り立てられたわたしを、ウィヤン殿がさっきからずっと見つめている。彼は惜しみない賛辞を送ってくれた。甘く、熱いまなざしとともに。

 彼は最大限に礼儀正しくあろうとし、ひたむきだ。それは、どこかの誰かさんの心がけを思い出さずにはいられなくて。

 わたしもリルザ様に対して、多分、こんな風だったよね。

 ため息は決して人に見せてはいけないと礼法の先生がきちんと教えてくださったのに、気づくと落としてしまいそうになる。だって今日も、自己嫌悪は絶好調。

 イデル殿の屋敷に連れて行かれたのも、このブルミッドのお屋敷に来る羽目になったのも。そして、まだ確認はできていないけれど、参の城への襲撃のことも。

 みんなわたしが、リルザ様達を巻き込んでいる。

「ユーラ」

 名を呼ばれ、反射的に顔を上げる。ウィヤン殿が近くまで歩み寄り、右手を差し出してきた。

「これからあなたに、父を紹介したいと思います。もしお嫌でなければですが、……手に触れることを、お許しいただけませんか?」

 この人、緊張している。拒まれてもしかたないと自分に言い聞かせている。わたしに拒まれたら、この人は傷つくんだ。とても。

 お父上にわたしを紹介するのではなく、わたしにお父上を紹介するのだと、そう言ったこのばかな人を、突っぱねることができなかった。彼の右手に、左手を重ねる。

 ……そんなに嬉しそうな顔、しなくていいのに。

 重ねた手は、あたたかくて、少しだけ汗ばんでいた。

「父さん、紹介します。僕の妻となってくれる、クモです」

 クモと紹介されると思わなくて、驚いて彼の顔を見る。間違えたわけではないよね?

 ウィヤン殿の父、つまり領主殿は、わたしを見るなり勢いよく椅子から立ち上がった。重たい椅子が転がるほどに。

「ゆ、ユーラ姫? いや、そんなわけが……、ウィヤン、どういうことだ!」

「違いますよ、父さん。彼女はクモといいます」

 お父上の反応に、動揺した様子なく堂々と言い切って微笑んだ。

 わたしの顔を知ってるなんて、と驚きつつ、ウィヤン殿の意図がわかった。

 青の貴族の娘ユーラを迎え入れるなんて、ありえない。わたしはすでにリルザ様のもとに嫁いでいるのだから。

 この人は、青のユーラではなく、わたし自身がほしいんだ。

 どうしてなんだろう。わたしのことなんて、見た目しか知らないくせに。

「馬鹿なことを…! すぐに、無事お帰りいただけ! 緑ならともかく、青を敵に回すつもりなのか。国は助けてはくれないぞ」

「父さん、聞いてた? 彼女はクモというんだ。行くあてのない人で、僕のところへ来てくれた」

「ウィヤン!」

 お父上に睨みつけられても、彼はがんとして譲らない。

「……彼女のことがわかるのは、父さんくらいだ。だから、問題なんてない。どうしても心配だと言うのなら、もっと田舎へ移ってもいい。決して迷惑はかけないよ」

「迷惑? 生意気なことを。自分の責務も果たしていないおまえが」

「僕は自分の仕事はちゃんとこなしているつもりだよ。これからも、そうする」

「寝ぼけるな! おまえは、ザナクーハの娘と結婚するんだ」

 ウィヤン殿の空気が、少し動いた気がした。

「……ザナクーハの娘さんは、お亡くなりになったはずでは」

「もうひとりの妹君、ラズビエラ嬢が申し出てくださったんだ。当主殿とすでに話はついている。近く、引き合わせるつもりだった」

「亡くなられたシェリー嬢のことは残念に思いますが、僕はもともとお断りしていたはずです。父さんはまた、勝手に僕の縁談を決めたんですか」

「おまえは、領主の息子だ。先代のザナクーハに、我がブルミッド家がどれだけ助けられたか、おまえは知っているはずだ。そして、現当主イデル殿はまだ若い。シェリー嬢も亡くなられてザナクーハが不安定なときに、力を貸さないでどうする。なにより、彼ら古民族を迎え入れることは、我がブルミッド家の永い願いだったんだぞ!」

 領主殿が、力任せに机を叩いた。

 この部屋は、人払いが済んでいる。多分わたしの身分を隠すために、ウィヤン殿が手を回していたんだと思う。それでもこんな大声で怒鳴っていたら、聴こえてしまうんじゃないだろうか。

「それでも僕は、彼女を妻にします。父さんの許しをもらえなくても」

「ウィヤン、話は終わっていないぞ!」

「こんな会話は彼女に聞かせたくありません。また改めて」

 わたしに聞かせたくないというのは、領主殿も同じだったらしい。納得した顔ではなかったけれど、舌打ちをして椅子を元に戻し、座った。

「すみません」

 彼は、わたしに申し訳なさそうに謝った。

「でも、本妻以外の地位をあなたに与えるつもりはありません。どうか安心なさってください」

 それにもちろん、愛人ももつつもりはありません。そう言って笑う。



**



「ウィヤン様、アタシのこと捨てるの!?」

「カルア、ごめんね。でも前から話してはいたよね? 僕は、あの人を見つけるために生きてるんだって。もし見つけたら、もうカルアの相手はできないって」

「やだやだ、やだ!」

 泣き出す少女の頭を、なでるしかできない。以前だったら、どうにでも慰めてやれたけれど、今はユーラがいる。ウィヤンは、カルアを傷つけているのに、この罪深さすら幸せに感じていた。

「カルアを捨てる気はないんだよ。カルアさえよければだけど、ずっとここにいていいし、もし違うところへ行きたいんだったら用意するよ。それに、いつだって帰ってきていいんだ」

「でも、それじゃアタシ、ウィヤン様のなんの役に立てないよ」

「いいんだよ、カルアはカルアなんだから。うーん、じゃあ、僕のお使いを頼もうかな。グィドーを僕の部屋に呼んでくれるかな?」

「グィドー? ギギじゃなくて?」

「……あのね、ギギにはナイショにしてほしいんだ」

 どうして、と、その愛らしい顔に浮かばせたものの、カルアは思い直す。いちいち、細かく聞いたりするのはきっと失格。

「わかった! じゃあ、あとでキス一回ね!」

 苦笑して、ほっぺならね、とウィヤンが言った。グィドーを呼びに走り出す。

 自分が一番じゃなくなったことは、悲しかった。でも今のウィヤンは前みたいに苦しそうじゃない。それがカルアには嬉しくて仕方なかった。

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