30.
「彼女に何をした」
グィドーは苦しげな呼吸をおさえつつ、口端を上げてみせる。
「……死にはしねえし、体に悪いもんでもねえ。だが、あることをしないと、あのお嬢さんは一生目を覚まさねえ。俺が言いたい事、わかるだろ?」
「わからないな」
リルザは腹部に突き刺した剣をわずかに押し込む。ちょっと? グィドーは青ざめる。身を持ってリルザの動きを封じたわけだが、どうも手を離したところでリルザが引くことはなさそうに見える。
「い、痛てえんだけど?」
「だろうな。位置を少しずらせば致命傷だ」
脅しているわけだが、この男が乗らなければ剣を押し込むことは事実だ。
「あんた、じ、自分の立場、わかってる、のか?」
「おまえもわかっているか? 今俺がおまえの命を握っていると」
「ひでえ!」
「なにが。人ひとりをかどわかそうっていうんだ、それなりの覚悟でやっているんだろう」
グィドーは痛み以外の汗が額を伝うのを感じた。
これは想定外。女を捕らえれば、男もおとなしく降参すると思ったのに、これではどちらが優位なのかわからない。
「ぐ、グィドーさぁん」
「ちょっと待て、ちょっと待てな! おい、あの女を助けたくねえのかっ?」
「助けたいと思うからこそ、今こうしておまえに突き立てた剣を引くか押すか迷っている」
「おおお俺を殺したらどうなるか、わかるだろ」
「そうしたら後ろの奴らに聞くまでだ。ひとりくらいは仕事に殉じる覚悟のない者もいるかもしれないじゃないか」
「そんな事して、あ、あの女が本当に死んだらどうするんだよ!」
「この中で最初に死ぬおまえが気を回すことじゃない」
グィドーの顔色がさらに青ざめた。
最初、この男は話にならないと言った。それって俺の台詞じゃないか?
「それほど悪党というわけでもないようだから、教えてやる」
「へっ?」
「何をされるかわからない所にさらわれるのと、その場で死ぬのと、どちらがましだと思う」
「それ、は、さらわれてからじゃないとわからないんじゃ」
「その通りだ。だが、さらわれた後に死んだ方がましだと結論を下しても、その時に自由が利くかはわからない。つまり、俺達が確実に人生の選択をできるのは、この瞬間までなんだ。俺に要求を呑ませたいなら、多少でも、ましだと思える選択肢を作れ」
言われた言葉の意味を必死で考える。
腹からはゆっくりと血が流れ続けている。抜いても、押しても、危険だと思う。指先が冷えているのはいつからだ。痛みはひどいのに、剣がどこにあるかよくわからない。感覚が麻痺しだしているのかもしれない。
死ぬ。俺はこのままだと、死ぬ。
グィドーは必死で考える。
ええと、つまりだ。こいつは何が言いたい? 何をしろと言った。
――多少でもましだと思える選択肢を作れ?
だめだ、もう、頭が回らん…っ
「は、は、話を、聞いてくれ、俺は……死にたくない!」
「よし、聞いてやる」
悪魔に見えた男は、柄からゆっくり手を離し、一歩、二歩と離れた。震えたまま、グィドーはしりもちをつく。仲間が慌てて駆け寄り、傷を診てくれた。普段からそれなりに目をかけてやっといて、本当によかった。
リルザは血にまみれた手を拭ったが、拭いきれるものではなかった。そのままクモの元へ行き、様子を見る。彼女は、眉間に皺を寄せて、苦しんでいる。体に悪くないと言ったのはどの口だ。
「クモ。クモ、大丈夫ですか!」
強く名前を呼んでも、うめく声は惑うばかり。彼女の目は完全に伏せられている。
グィドー達を睨みつけると、青ざめた顔をさらに青ざめて首をぶんぶんと左右に振る。
「夢を見てるんだ! いい夢だって悪い夢だってあるだろ、それだけだ、夢を見て死にはしねえだろ!?」
「この糸は一体なんなんだ?」
その問いに答えたのは、グィドーではなかった。クモにそれを投げた男が進み出る。
「夜蜘蛛の糸。夢魔の僕、夜蜘蛛から取った糸だよ。それに囚われたものは、蜘蛛に食べられるまで夢を見続けるんだ」
「目覚めさせる方法は」
「先に名乗る。俺はギギ。あんたの名前を聞かせてくれる?」
ギギと名乗った男はそう言うと、両の手の甲を見せ、平へ返し、何も持っていないことを示すと、胸の前で手を組んだ。それを見て、舌打ちをする。白国発祥の和平の儀。この印を知る者は、印を切られた時から一定の時間、お互いの安全と利益を尊重した話し合いに努めなければならない。
「……リーゼだ」
仕方なく、印を切り返す。
この儀は魔力で守られている。発動の条件は、「双方が和平の儀を知っていること」となっており、大陸中の貴族や王族にとっては護身のための常識だった。破って武力に打って出れば、白の番人が駆けつけ粛正を下す。リルザ自身、この儀を使い身を守る権利を持っているのだから、相手方に認めないのは契約違反となる。
これで、クモを助け次第この男達を殺して逃げるということができなくなった。
次の交渉相手となったギギという男を見る。歳は若そうだ。赤みの強い茶の髪や、頬に浮かんだソバカスが朴訥そうに見える。だが、確実に闇の魔法に通じており、また一般の者は知らない和平の儀を知っていた。
「ちょっと、グィドーさんのことで俺達あせっちゃったけどさ。この状況って、決してあんたにとっていいわけじゃないはずだよね。確かにあんたはその子を守りながらじゃなきゃ、俺達4人なんて簡単に殺せるだろうし、そうすれば俺達からはその子を守れる。でも、そうしたらその子はもう一生目覚めない。なんかあんたの強気と勢いにおされてビビっちゃったけど、あんただって、ほんとにその子を死なせるわけにはいかないだろ?」
当たり前だ。そんな後味の悪い事態にする気はない。
「……無表情ですかぁ。いやいや。こういう駆け引きに慣れてる人? こわいなあ」
「クモを連れて帰って、どうするつもりだ? 雇い主がいることはわかる」
「えーと……まあ、いいか。ブルミッド家だよ。そこの息子が銀髪の女の子が好きで、見つけてはこっそりさらって手元に置いているんだ。ここらじゃ銀髪の子なんてまずいないから、もしいたら確実にさらえるよう、町中のチンピラに含ませてある。だから、あの町じゃ銀髪の女の子っていうのは賞金首みたいなもんなのさ」
どれだけ馬鹿息子だ。これからそんな理解しがたい馬鹿を相手にしなければいけないのかと思うと、ますますこの4人を殺して、足跡残さず逃亡したくなる。
「一応聞くが、その貴族の息子はさらった娘をどうするんだ」
「適当に遊んで、飽きたらお金あげて帰してる。暴力的な趣味もないし、そんなに非道なやつじゃないんだよ?」
「ひとをさらう趣味が非道じゃないと」
「まあ、それもそうなんだけどさっ」
こいつも大概歪んでいる。
「で? 話を聞いて、ますます、そんなところへ行くくらいなら死んだほうがましだと思えてきたんだが」
「いやー、ちょっと考えたんだけどね。俺そこの息子と幼なじみなんだけど、そいつが銀髪の女の子に執着するのって、初恋の子がそうだったからなんだよね」
「それが」
「そんな冷たい顔しないで、まあ聞いてよ。そいつ、その子にはもう会えないらしいんだけどね、せめて似た子をそばにおきたいんだって。実際、難儀してるみたいなんよ、銀髪相手じゃないと役に立たないらしくて」
「聞く気を失くすような事を言うな」
ごめんごめん、と気安く笑う。いちいち気の抜けるやつだ。
「だからねえ、一度屋敷に来てもらってさ。その子をそいつに見せて、似てなかったら、その子を目覚めさせて、ついでに手間賃も払ってお帰りいただく。それでどう?」
「……もし、似ていたら?」
「大丈夫だと思うんだけどねえ。だってその子、本当の青国人じゃない?」
「銀髪はまず生粋の青国人にしかいない」
「らしいけど、そいつにとっちゃ、白髪も銀も同じなんだ。ここらでさらった女の子に青国人はいなかったし、銀というよりは白髪だった。初恋の子が青国人だったってことはないだろうし、多分お眼鏡に適うとは思わないんだけど」
このギギという男が、おそらく本気でそう勧めてきていることはわかった。
だが、はっきり、気が進まなかった。クモが眼鏡に適わない?
銀髪というだけで人をかどわかし、自分のものにしようとするような即物的馬鹿が、クモを見て欲しいと思わないことがあるだろうか。確かに、国が違えば美的感覚も違うだろうが、それだけでは頼りない。
「夜蜘蛛の糸っていうのは、おまえじゃないと解けないのか」
「もちろん! 俺にしか解けないよ」
「そりゃ、そう言わないと取引する意味がないしな?」
「ちょ、脅すのはやめといたほうがいいんじゃない!? ほんとに俺しか解けないって!」
連中にはすでに、脅しが効いている。リルザが4人を殺すことをためらわないと身に染みた上で答えているのだから、これ以上脅しても何も出てこないと思えた。
リルザは、剣を収めた。




