27.
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赤の風は熱い。
昼と夜でがらりと姿を変え、加えて気まぐれだ。
だが、不思議とそのにおいは変わらない。
「いでっ」
「あ、ごめんなさい!」
あせり、不注意で引っ掻いてしまった部分を注意深く見る。なんともないようだったけど、申し訳なくて何度も謝った。ばか、ばか。ラジー様の肌を綺麗にするマッサージで、わたしが傷をつけてどうするの。
「オレなんか傷いっぱいあるし、別にいいんだけどさ。どうしたんだ? あんたどっか具合悪いのか」
体の具合は悪くない。ずっとリルザ様のことに気を取られているだけだ。
「いえ、ごめんなさい。大丈夫です」
「そんな顔で言われてもなあ」
ラジー様は起き上がり、タオルを体に巻きつけた。そんなに情けない顔してたのかな、それも反省だわ。にしても、ラジー様、お人好しは血筋かな? ラジーもイデル様も見た目の印象よりずっと人が好いと思う。
なんでもないで通すより、なにか話したほうが安心してくれる気がして、わたしはあたりさわりのないようにリーゼについて話すことにした。
「昨夜、少しリーゼの様子がおかしかった気がしたので、心配で」
「あいつ、あんたになんかしたの?」
あら?
リーゼの名前を聞いたとたん、ラジー様は警戒心をあらわにした。敵を前に毛を逆立てる野性の猫みたいで、思わぬ敵意に面食らってしまう。
「いえ、えっと、少し元気がなかったかなと思って……体調の心配をしていただけで」
逆だけど。正気に戻っただけだけど!
「ラジー様、どうしてそんなに怒るんです?」
「どうしてって。あいつ、すぐ手をあげるじゃねぇか。あ、まさかまた、殴られたりしてないだろうな!?」
「そ、そんなことありません!」
そうか、リルザ様に関しては、彼女を振り払おうとしたところまでで止まっているんだ。それじゃ確かに心配されてもしょうがない。
「ほんとだな?」
急に、申し訳なさでたまらなくなった。そんなふうに本気で心配されると、ちょっと困る。
「本当ですよ。リーゼは確かに、時々わって激しくなるときはありますけど、本当はやさしいんです」
「それ、性質の悪い男につかまってる女のセリフじゃんかよ!」
「そんな、ひどい!」
でも確かに! 自分で言ったことがおかしくて笑ってしまった。ごめんなさい、リルザ様!
すると、ラジーは少しほっとした表情になる。
「なんだ、余裕あんじゃん。よかったあ」
思わず見つめてしまう。ラジー様は、なんだよ、と見返してきた。
「ラジー様は、素直でいらっしゃって、すてきだなと思って」
微笑んで言うと、彼女は予想通り「はあぁ!?」と大げさに嫌がった。
「ふふ。青の社交界では、あんまり素直じゃいけないんですよ」
美しい言葉で相手を褒め称える。お互いにそうするわけだから、美辞麗句の応酬。その中に隠された意図を汲み取っていく舌戦。わたしがついていけなかった世界。
わたしには、まともな社交経験がほとんどない。級友の誕生パーティとか身内に近い小さなものは数えないとして、お城のパーティに参加したのは2回だけ。2回とも、誰かに話しかけられてもうまく話せないまま、黙り込んで終わってしまった。ファルデン候の娘じゃなければ、許されなかった。いや、別に許されていたわけじゃないのかな。
「美しい言葉で相手と褒め合うんです。気の利いた言い回しや、教養のある引用なんかが喜ばれます」
「それさー。相手に褒めることがなかったらどうすんだよ」
「だから、素直なだけじゃ大変ってことです」
「向いてない。オレ、ほんっと向いてない。思ってないことで相手をべた褒めとか、まじ気持ち悪い」
まずそうに舌を出す。でしょうね、なんて。知り合ったばかりだけど思ってしまって、笑う。
ラジー様もイデル様もリーゼも、素直。作り笑いが似合わない。わたしは青が好きだし、今なら青の社交界でも少しは話せるようになっている……と思うけど、ラジー様達みたいな人達を見ると、自分の半端な小賢しさをちょっと嫌に思ったりする。
また蜂蜜の入った冷たいジュースを飲んでいる彼女の髪を編みながら、今度はわたしが質問する。
「どうして、シェリー様のかわりに花嫁になろうと思ったんですか」
一緒に訓練をするようになって、それなりに経つ。
ラジー様の性格も、わかってきたと思う。
なりたくてなるわけじゃないよね。
ラジー様は答えてはくれなかった。
***
クモは仕事へと出る前に、自分が子どもでいた間の情報を教えてくれた。
屋敷の面々、普段の自分の振る舞い。
リルザの身の上について、これ以上ないほどに心配をしてくれていたが、反してリルザは気楽なものだった。
子どもの自分は、気の向いたものにしか興味を示さないし、行動を束縛できる者はだれひとりいないというのだ。たとえ昨日知っていたことを知らなくても、問題にはならないと思えた。
ひとりになってすぐ、屋敷内をうろついてみた。
すれ違った者が挨拶をしてきたので、試しに無視をしてみる。
すると、相手は気を害した様子もなく、そのまま去っていった。
誰も、自分を気にしない。
妙におかしくて、自然と笑みが浮かんできた。それに気づいた者がまた、リーゼ、いいことでもあったの、など声をかけてきたから、ちらと見ただけでまた歩き去る。それでも後ろから、あぶないことしないんだぞ、なんて声がかけられた。なんとも気のいい連中。
自分がなにをしても、狂人の仕業。
「ははっ」
妙に気分が高揚して笑いがこぼれた。
「なにがおかしい」
不機嫌な声をかけられた。
振り向くと、そこには、声にふさわしく不機嫌な顔の青年が立っていた。
特徴ある容姿、立場のわかる物言い。クモに教えられた中から、すぐに屋敷の主と思い当たる。名はそう、イデル。
「今朝はまた、えらくご機嫌だな。だが廊下の真ん中でひとりで笑ってるんじゃない。…おまえの笑い声は、物騒に聞こえるんだ」
話しかけてはいるが、独り言のようだった。返事を期待している様子はなかった。
赤の古民族。
緑との小競り合い程度では、まずお目にかからない部族だ。赤の中でも独特の地位を築く、古い民。
物珍しく、興味に任せてつぶさに眺める。歳の頃は、自分とそう変わらない気がする。鍛えられた体つきは、ガルディスのような屈強さではなく、疾く駆けて獲物を狩る俊敏さ。
目の光は強い。強い意志を持っているのだろう。
腰に佩いた太刀に興味がわき、目線を落とした瞬間、イデルは不快そうに身構えた。
「……はやく、俺の目の届かないところへ行け!」
苛立った声で、腕を払い命じる。
逆らうつもりはない。リルザは言われた通り、彼を置いてその場を去った。
屋敷を一通りまわり、今度は外へと出てみる。
自分はいつも、デイダラという人物に武器術を習っているらしい。サルトラというらしいが、聞いたことがない。どんなものか興味があった。自分が興味を持ったのだから当然なんだろうが、ややこしい話だなと思う。
「リーゼ! 今日は遅かったな?」
明るく、落ち着いた声がかけられた。込められた親しみに、この男がデイダラだと察した。
中肉中背、大きい印象はなく、目立たない風貌。短く刈った焦げ茶の髪、同じ色の穏やかな目。だが、揺らぎのない足取りに武器を抱える手つきが、リルザにとってなじみのある戦士の空気をまとわせていた。
俺はこういう人物を慕うのか。
納得した気もするが、複雑な気分を味わっていると、デイダラの表情がぱっと明るくなった。
「あれ、あんた。ひょっとして戻ったのかい?」
「え?」
無言を通すつもりだったのに、不意打ちに思わず声が出てしまう。驚いたまま、ただ嬉しそうなデイダラを見つめる。
「リーゼ……いや、リーゼさんって呼んだほうがいいのかね。俺がわかるかい? デイダラっていうんだけど」
反応に迷っても、デイダラはいそいそと話を続ける。
「クモさんにはもう声をかけたかい? 知ってるかもしれないけど、あのお嬢さん、いつもあんたのこと心配してるんだよ。まだなら、きっとラジー様のところにいるから、俺が案内しよう」
なにも話していないのに、彼はもう確信を持ってしまっている。
どうするかと考えて、また、どうでもよくなった。
「……どうした、リーゼ?」
リルザはデイダラに近寄り、その手に持っていた変わった形状の剣に触れた。デイダラはすっと後じさり、そうした自分に少し驚いたようだった。
「……戻っていない振りでも、したいのかい?」
察しのいい人間だ。
デイダラは一気に不審に表情を曇らせる。
「なんでだい。なんでそんな悲しいことを」
悲しいだろうか。そう思ったが、それ以上考える気にならない。不審に思うのも当然だとわかるが、取り繕ろう気が起こらない。筋道立てて話をすることが面倒だった。なんだ、別にまともじゃないな。
リルザはデイダラに背を向けた。武器について話せないなら、興味はなかった。




