12.
街を離れて、平野に伸びる街道を進む。ぽつりぽつりと建物が点在するようになった景色を眺めながら、わたし達は休める場所を探して歩く。
リルザ様は男の子達を見つめた。
「おまえ達、緑国の子なんだな」
「ええ? ずっと一緒にいたじゃん」
「そうなのか。悪いけど、覚えてないんだ」
その答えに、男の子達は目を丸くする。
「覚えてないの?」
「寝てたからー?」
リルザ様がうなずくと、また非難の声。子供達はリルザ様にまとわりつくように歩いている。一番小さい子――カモシーなんて背中に飛びついておんぶしてもらっていたりして。なんでこんなになついてるんだろうって思うんだけど、彼らは悪漢を倒したリルザ様に目を輝かせていたから、そういう男の子らしい理由なのかな。
リルザ様はまわりを見ると、冷たい表情でつぶやいた。
「ここは、赤国なんだ」
「え……」
赤国。長く、緑国と敵対している隣国。
視線を戻して、リルザ様は今度はわたしを見た。正確には、わたしの耳を。
「その耳飾りは、思い入れのあるものですか」
「……いえ、特には」
彼の言いたいことはわかった。
「失礼ですが、急ぎ金が欲しい。譲って頂けませんか。あとになりますが、相応の礼はします」
「かまいません、お使いください」
外して差し出す。感謝しますと言ってくださったのがうれしくて、うなずいた。
「これが売れればいいんですが、残念ながら石としての価値はなくて」
リルザ様は自分の耳を飾っていた石を外し、一番背の高い男の子、ウレイに持たせた。すると不思議なことに、今まで綺麗に透き通っていた深緑がたちまち濁ってしまった。
「うわあ、黒くなった!」
「俺が触れていないと、こうなってしまうんだ」
手品を見たように、みんながのぞきこむ。わたしもつい好奇心に負けて、はしたないけど首を伸ばす。リルザ様は触れたり離したり、付き合いよくその変化を見せて下さった。
「あそこで休もう。あの馬小屋は使われていないようだから」
建物のひとつを指差す。近づいて中を確かめると、確かに誰もいなかった。
いくらか残されていた干草を男の子達はあっというまにベッドに仕立ててしまって、その手際に感心していたら、ねーちゃんはここね! と手を引かれる。もう、頼もしいなあ。
彼らも自分の場所に飛び込んで少しのあいだは興奮したように元気にしゃべっていたんだけど、ちょっと会話が途切れた瞬間、あっとういうまに眠ってしまった。そうだよね、疲れているよね。わたしも腰をおろしたときから、もう眠気があった。あの船の中、なにもしていなかったのに、ずっと眠れていなかった。
この場所があってよかった。でもリルザ様、あんな遠目からだったのに、どうして無人だってわかったのかな。子供達が緑国の子だってことも、ここが赤国だってことも。わたしとは見ている部分が違うんだろうか。
***
朝日がそっと、わたしを眠りから揺り起こす。目覚めはすみやかで、身を起こしてまわりを見た。まだかわいい寝息を立てている男の子達3人。
……あれ。
もうひとりを探して、立ち上がる。小屋中を見たけど、リルザ様がいない。
一瞬で不安がふくれる。
早く起きて、外でなにかなさってる? まさか、子供に戻ってしまったりは。
外へ駆け出そうとして、ゆるんでいた靴紐に足をとられて転ぶ。震える手で縛り直そうとして、うまくいかないものだから、靴を脱ぎ捨てた。
ご病気について、わたしは詳しくない。でも昨日に突然完治したとは思えない。屋敷に詰めてくれていた使用人のおばあちゃんは、ゆっくりと、繰り返す波にいずれ沈むように正気を失っていった。わたしは何度も、喜んでは悲しんだ。
入り口を飛び出たところで、誰かに勢いよくぶつかった。その人がうまく支えてくれたおかげで転ばずに済む。
「どこへ? 一体どうしたんですか」
降ったのは求めていた声。リルザ様がわたしを見下ろしていた。
服が違う。耳飾りがうまく売れたのか、血まみれの服から旅装束に着替えていた。ここは港町からそう離れていないから、行って戻ってきて下さったんだ。
「裸足じゃありませんか」
「……ごめんなさい、ちょっと寝ぼけたみたいで」
「恐ろしい夢でも見ましたか」
包みを渡される。
「着替えです。心配しなくても、ひとりだけ逃げたりしませんよ」
「そんなこと、思いません!」
思わぬ大声。わたしもリルザ様も驚く。
「すみません。失言でした」
リルザ様は小さく微笑んでそうおっしゃると、子供達のところへ行かれた。……きっと最初からご冗談だったのに。
上手に会話のできなかったことに自己嫌悪。少しの間、足が動かなかった。
「え? おれ達だけで船に乗るの?」
「全員分の切符は買えなかったんだ」
食事をしながら、リルザ様は男の子達3人に乗船券と、路銀を渡した。
「今、赤と緑の間を結ぶ船は出ていない。陸路で国境を越えるのは危険だから、黒島国を経由して戻るしかない」
地面に簡単な大陸図を描いて、説明をしてくれる。緑と赤は南北陸続きの隣国だけど、西側は内海を挟んで離れている。この内海に黒島国があるから、緑と赤は海戦をせず、東で陸戦を繰り返しているんだよね。
参の城とその港街は内海に面しているから、わたし達はこの内海をまっすぐに赤へと南下してきたということらしい。
「黒島国は緑に対して友好的な国で、港の近くに緑国教会があるはずだから、そこに助けを求めるんだ」
子供達は、神妙な顔でうなずく。
「いいか。最初に乗るのは黒に戻る船。船員も黒の人間ばかりだし、それなりにグレードの高い船にしたから危険は少ないはずだ」
リルザ様は一度言葉を切ると、子供達を改めて見る。
「ウレイ、ヘイゲル、カモシー。3人だけで大丈夫?」
問いかけはおだやかで、やさしかった。
「大丈夫です」
一番背の高いウレイが背筋を伸ばした。
「……リルザイス殿下、でしょ?」
突然おとなびたその顔つきに、わたしは目を見張る。
「オレ、リルザ様って呼ばれてるのずっと聞いていたのに、あなたが王子だって全然わからなかった」
王族と同じ名を名乗ることは許されない。リルザイスという名を持つ人は、緑国には当然のこと、近隣諸国の中にもいない。
「今まで、なんか……ただともかく、逃げなきゃって思ってて……」
ウレイは眉間に皺をよせる。
「これって、赤国が、緑国の人間を何人も何人もさらってるってことですよね?」
「おそらく、そうだ」
厳しく引き締められたリルザ様の表情は、いつかの会議のときに見たものと同じ。
「そんなの、オレ許せない。だから緑国に戻って、みんなに言います」
きらきら、まっすぐな怒りをその目に燃やして、ウレイが言う。
「頼む。参の城にクロースという男がいるから、そいつに事情を話して」
はい、気持ちのいい返事にリルザ様は目元をやわらげた。
「おまえ達を誇りに思うよ、ウレイ、ヘイゲル、カモシー。勇敢な戦士達」
彼が手で印を切ると、風が生まれた。
「風の幸い、君にあらんことを」
少年ひとりひとりの額にそれをかざして、旅の加護を贈る。
わたしも、彼らひとりひとりの頬に自分の頬を触れ合わせた。
「みんな、気をつけてね」
「ポリトのねーちゃん」
「なあに? カモシー」
カモシーが、わたしの腕を引く。
「また会える?」
「うん。会えるよ」
「じゃあまた、ポリトのお話、してね」
ちょっと照れたように笑う。嬉しくなって、わたしは彼をぎゅっと抱きしめた。
「うん、約束ね。最後まで、必ずね」
船へと向かった彼らは、お日様が頂点にきても戻ってこなかった。船は午前に出港予定のはずだ。
大丈夫だと彼らが熱心に言うから、わたしとリルザ様は街へは戻らず、この場で彼らを見送った。なにかあったらすぐ戻ってくるように伝えて。
「無事に乗れたと信じましょう」
「……はい」
リルザ様の歩き出す気配につられるものの、まだ気持ちをふりきれず街を見つめる。
「それで、あなたはどちらへお送りしましょうか」




