表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

傘の内側

作者: 絵宮 芳緒
掲載日:2026/03/05

仕事帰りの最寄り駅。

改札を出た瞬間、ため込んでいたみたいに雨が落ちてきた。


傘は、朝の晴れ空に置いてきたままだ。


軒先に身を寄せる人の隙間に、そっと入り込む。


濡れたスーツの袖を払った、そのとき——


「……相変わらず、雨に好かれてるな」


低く落ち着いた声が、すぐ隣で響いた。


聞き覚えのある声に、鼓動が一瞬だけ遅れる。


ゆっくり振り向く。


視線が合うまでの、ほんの一瞬がやけに長い。

そこにいたのは——。


少し痩せたのだろうか。

昔よりも、スーツがよく似合っている。

見慣れていたはずの顔が、少しだけ遠く感じた。


昔と同じように、頬を指先で軽く掻く。

その癖は、変わっていない。


「久しぶり」

あのときと同じ笑顔だった。


言葉が、うまく出てこない。

どうでもいいことを、先に聞いてしまう。


「……仕事?」


「ああ。そっちは?」


まるで昨日も会っていたみたいな口調で。


「うん、帰り道……」

それ以上の言葉が続かない。

雨音だけが、やけに強くなる。


しばらく、二人とも雨を見ていた。


「あの時は……」

どちらが先だったのかも、わからない。


「ちゃんと、言えばよかった」


雨の音だけが静かに響く。


「……忙しかったもんね」

直視出来ずに、足元を見つめる。


「違う。忙しかったのは、理由にしただけだ」


その言葉に顔を上げる。


「待ってるって、言えなかった」

小さく笑う。


「待っててほしいとも、言えなかった」


あの日の雨は、終わらないものだと思っていた。


彼が、わずかに距離を詰める。


雨が、少し弱まる。


「今なら、言える」

その声は、あの頃よりも低く、まっすぐだった。


「……もう逃げない」


「今度は、ちゃんと隣にいる」


彼を見つめる。

雨粒が、彼の睫毛にひとつ残っている。


「今度は、期間限定じゃないなら」


一瞬だけ、彼の喉が動く。

視線が、逃げずに絡んだ。



傘の内側で、指先が触れる。

どちらからともなく、離さなかった。


傘の内側だけが、不思議なくらいあたたかかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
 どこかぎこちないものの、一時的な付き合いにするには惜しい、相合傘な関係なんでしょうか。 素敵なお話でした。
改札を出た瞬間の雨の匂いや、傘の内側のあたたかさが肌で感じられるような、本当に美しい情景描写に引き込まれました。 「忙しかったのは、理由にしただけ」という言葉の重みに、二人が重ねてきた時間の深さを感じ…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ