放水作業
今日は、雇い入れ研修の一環として行う「避難訓練」「消火訓練」だった。
労働安全衛生法でいうところの「雇い入れ研修」には「退避に関すること」なんていうコンテンツも存在する。
…配属先でやりゃいいのに。
でも、新入社員として月跨ぎで研修所に所属、便宜上とはいえ配属も研修所であれば…最低限その手の教育は必要。
企業あたりでやるこの手の訓練は、模擬的な水入りの消火器を使ったり「使うふりして、ホースだけ向けて火事だ火事だと大騒ぎだけする」ことが多い。
でも、当社は…どういう訳か…消火栓を本当に起動して、実加圧で水をぶちまけるくらいのことを平気でやらせる。
…企業の自衛消防隊養成でもあるまいに。
俺は本気でそう思う。
だが、それでも…それに先立って行われる「赤十字救急法実地訓練」を、地元消防署の指導の下で行う、が、セットとしてある。
俺にすれば「やるならとことん」なので「消火栓起動して水ぶちまけるなら、地元の消防署呼びつけちまえ!」とばかりに、北関東のとある消防署に掛け合ったら…喜んできてくれることに。
交渉や打ち合わせや時期調整…めんどうごとは増えるが、建設業にとっては「救急救命」までセットできる…とすれば、別に異論をさしはさむこともない。
異論はない…異論はないのだが…甲種消防設備士フルビッターな俺にしたら、いろいろとめんどうごとばかり押し付けられるばかり、でもある。
消火栓の起動方法指導、訓練条件に従って移報設定などの変更…下手なシステムだと、消防車が束でやってくるから手を抜けない…果ては、消火栓バルブの開け方…とにかくやることが多い。
…いやもう、ホントほかのやつ手伝えよ!
ほかの講師連中は、というと…二階三階の窓から、それこそ「高みの見物」。
ボクわからない、ボクの仕事じゃない、が、宿痾のごとく蔓延しているのは、なにも当社の研修所に限ったことではない(と、思う)
…ああ、ホース、やつらに向けて水ぶちまけてぇなぁ。
などと物騒なことを本気で考えるも、消火栓から水をぶちまける訓練…研修生にしたら非日常の極致…ほかのどんな研修よりもノリにノッている。
こんな状態の研修生に「ベルサイユ的なところで咲くバラの花のイメージを持つヒロインのように、たまごめー、ほーすーい」とかやると、研修生はマジでやりかねない。
そこをぐっとこらえ、なんとかこらえ、不承不承こらえ…放水訓練を繰り返す。
11時00分・・放水訓練は、佳境を迎えつつある。
「じゃ、ここで役割を入れ替えるよ。今までホース扱ったチームは、非常用発電機取り扱い箇所に移動してね!」と、班をまるっと入れ替える。
俺は消火栓本体のバルブ扱いを行う研修生に、バルブ扱いの危険性を話した。
「一気に開ければ、一気に水が出る。でも、ホースをもっている人間は、そんな風に考えていないんだから、いきなりマックスで水が出れば…水圧に負けてホースが暴れまわる」
俺は淡々と語り「それを防ぐためには、5秒我慢する勇気を持ち、5秒はゆっくりとバルブを開けること」を、伝える。
5秒もあれば、水圧の低い状態でホースの先から水が出る。それを見たホースを持つ人間は「あ、水が来る!」と身構える。
距離もあり、声も届かない…そんな過酷な環境においてもなお「バルブ操作方法ひとつ工夫をする」だけで、この先水を全力で出す、という意思を伝えることができる。
「ちゃんとしないと…仲間がけがをする。火を消しに最前線に立ち向かう仲間がいる…ここをきちんと考えるべきだよ」と、俺は伝える。
ここ数年の研修生、メモを取ることは少ないが…スマホで音声録音したり、動画撮影してキモを掴もうとする。
…やり方は自由。
…覚える、が大切。
形ではなく、覚えること。
俺は特に否定もせず、研修を実施し続けた…し続けたが…災難は突如としてやってきた。
11時を少し超えたころ「配膳担当のオッサン(推定年齢70歳+α)」が運転する軽1BOX車が、研修所の敷地に入ってくる。
助手席と後部座席には、汁椀担当の東南アジア女性スタッフが添乗している。
その後方の荷室には、今日の昼の食材がたんまりと積まれている。
ホースを持ち放水している研修生…偶然にも…その車両に向けて全力で放水をしてしまった。
偶然今日はやたらと陽気がいい…ピーカン、という言葉が実によく似合う晴天。
オッサン、女性スタッフが乗っていた車は…窓全開。
そこに、加圧給水された放水が、バルブ全開の放水が…襲い掛かってしまった。
屋内の消火栓で、バルブ開閉指導をしている俺は、オッサン運転の1BOXが通りがかっていることなど、その車の窓が全部開いてることなど、知る由もなかった。
ドバァァァァァァァァァァッ
研修生にあとで聞いたところによると…オッサンは…なぜか車を止めて「や、やめろぉ!」と放水に立ち向かった…らしい。
東南アジア女性スタッフは、そのあおりを受けてずぶぬれになりながら、オッサンに「何語かよくわからないけど、椅子をたたき、進行方向を指出して怒鳴った」らしい。
あとで顛末を聞いた俺は「なんで止まるかな…」とは思ったが…人間、慌ててしまうと、適切な行動がとれなくなるのは、建設現場での重大事故でも「あるある」だ。
騒ぎを聞きつけた俺がオッサンの操る車に向かったとき…とってもひどいことになっていた。
幸いにも食材は無事だった…救いはここだけ、だった。
普段は髪の毛をまとめる白い帽子、それがどこかに吹き飛ばされたオッサンの地頭を始めてみる。
そうか、やけに海藻類が多いのは…いやこれもう死体蹴りに近い…だが、何となくその理由、納得してしまった。
オッサンは俺に「一度着替えてくる、今日は30分くらい食事遅れるね(北関東風)」と、言い残し…車の向きを変える。
女性スタッフ二名は、オッサンの頭をペチペチと叩き「バカー」「アホー」と、オッサンをののしりまくる。
…もう、やめたげて
俺は彼女らをなだめ、オッサンに深くわびた。
その後俺は研修生全員を集め、事態を説明する。
ホースによる「攻撃」を加えた研修生は小さくなっていたが…それは本当に不幸な事故、謝るのは自分の仕事、だから気にしないでね、と付け加えた。
12時を相当超えたころ、オッサンたちは帰ってきた。
その表情は…全員能面のようだった。
…まるで、三日連続笹蒲鉾だった俺の「能面」に負けないほどの、国宝級ともいえるほどの…能面だった。
この時の反省があって、放水作業方向は「窓を完全に締め切った研修棟の壁」にしました。
でも、なんで本当に放水に立ち向かって制止要求するかなぁ…そう思ってご本人に伺ったら「夢中だった」とのこと。一部入れ替えがあったものの未だにオッサンとコンビを組んでいる女性スタッフいわく「オッサンハ、コンジョーダイスキ」…いや、わからんがな、それ…
いずれにしても…オッサン…ごめん…




